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髪を切る日  作者: ちわみろく
髪を切る日
61/93

前兆が見えぬ日

 鈴奈は新しく別の拠点を設けていた。同じ都内でも、現在の隠れ家からは20キロ程離れている。その場所へ、現在の隠れ家にあるシステムをそっくり移すつもりらしい。

 自分自身が移動することは多くても、拠点を移動するのはそう多い話ではなかった。そして、移動先には元々なんらかの建物がある場所を選ぶのでわざわざ建築する手間もない。鈴奈は移動することを見越していたのかそう言った場所を若い頃から用意していたらしい。

 移動の意思を伝えてあるのは貴緒と美夜子だけだった。口が堅い側近と肉親の情まで湧き始めた高校生の少女には、伝えておかなくてはならないとおもったからだ。

 鈴奈は基本的に男を信頼しない。

 勿論戦力としては大事にしているし仲間としても信用しているが、その信用は側近に対するそれより厚くなった試しはない。本当の意味での信頼や愛情を寄せることが出来ないのだった。

 だから美夜子の恋人になった流河に対する好意はまだ例外的と言ってよかった。貴緒の恋人である刀麻にしてもそうだ。

「身内と同性しか信用できないなんて、あたしも本当に心の狭い女よね。」

「それで不都合無いのでしたらよろしいのでは?」

 貴緒がしれっと答える。

 例え関係を持った相手であっても鈴奈は信頼しない。

 彼女の並外れた童顔と若い身体はエサだった。それに釣られるだけの存在である男に、時折エサを上げていいように利用する。彼女にとっての異性とはその程度の価値しかない。

 だがその徹底した非常さが彼女の身を守ってもいる。

 安易に人を信頼しない猜疑心の強さがある意味で彼女の武器でもあった。

 彼女が信じるのは貴緒と身内だけ。身内と言っても彼女の両親はもはやおらず、年の離れた弟と叔父が遠い外国にいるだけだ。実質本当に信頼して頼っているのは貴緒一人だけだろう。

 その側近と共に世界中を駆け巡りながら活動している鈴奈は、その華奢な身体に似合わずタフだった。

 地方のあちこちを回って様々な根回しや調査を行い、少しずつ勢力を拡大しようとしている。

 そんな彼女が細身の煙草を口に咥えて地上車の窓を開けると、目的地である角館市が見えてきた。

 市会議員の一派が汚職の証拠を当局に握られて窮地に立たされているという情報を得てすっ飛んできたのだ。さて、どうやって恩を売ってやろうか、と小さな頭を軽く指で叩く。

 そういう事を考えている時の指導者の表情はいつもの童顔とは思えないほど老獪だった。

 運転席で指導者の横顔を時折見ながら、貴緒はくすりと笑う。


 朝食の時間になれば自然と姿を現すようになっていた秀の姿が、今日はまだ見えない。

 特に約束をしているわけではないけれど、それが当たり前の日課になっていたためなんだか妙な違和感を覚えた。食堂へ足を運んでも彼の姿はない。いつものように愛想のいい金髪の青年が元気良く朝の挨拶をしてくれる横で、流河が朝食を食べているだけだった。同行している親友が彼の姿を見つけるなり磁石に吸い付くように彼の所へ駆け寄っていく。寝坊でもしているのだろうか?それとも今日は早朝から何か出かけなくてはいけない用事があったのか。

 そう言った予定は昨日何も言っていなかった。外出するときは必ずその旨を由良に報告しておいてくれるのだが。

「おはようセイラ。秀さんはまだ?それとももう出かけてるの?」

「いや?まだ部屋からは出てないみたいだけど。出動の予定も特に聞いてないね。」

「そう。具合でも悪いのかな?」

「心配なんだ。」

 くすっと笑ったセイラにからかわれたような気がして、由良は赤くなった。

「秀は元々用事がなければ滅多に部屋から出てこねぇ奴だったよ。朝飯も食ったり食わなかったりだった。」

 食事を済ませた流河が声をかける。

「気になるなら、部屋へいって見たらどうだい、由良。」

「うん、ただの寝坊かな。だったらいいけど。遅くまで仕事してたのかな。」

 ちらっと親友の美夜子を見ると、彼女は流河の隣りに腰掛けて彼のコーヒーを勝手に飲んでいた。由良は食堂を出て秀の私室へ向かう。別に用事があるわけではないが、なんとなく気になったのだ。

 秀の部屋の前に立ちパネルに手をあてた。

「秀さん。おはようございます。起きてますか?」

 声をかけてから返答がないのでもう一度パネルに手をあてた瞬間、自動ドアが開いた。

 グレーのスェット姿の秀が、片手で髪をかきあげながら薄目を開いてドアの前に立っている。

「由良、か。」

 くぐもった声は、いかにも寝起きらしい。

「起こしちゃった?ごめんね、別に用事があるわけじゃないんだ。いいの、ゴメンね、寝てて。」

「ああ…すまなかった。もうこんな時間なんだな。俺の体内時計はいくらか狂ったらしい。」

「何も謝ることないよ。ゆっくり寝てていいんだよ。仕事してたんでしょ?」

「いや…。そうではないが…まあ、とにかく入ってくれ。」

 よく切れる刃物のような美貌の秀の、寝ぼけ眼が不思議に可笑しい。彼でも寝起きはこんな風になるのだ。気になるのか、盛んに髪をくしゃくしゃとかきあげている。部屋の奥へ戻っていく彼の行き先は、恋しいらしいベッドだった。

 相当眠いらしい。起こしては悪かったかと思う。

 少ししわくちゃになったブルーの毛布をどかして腰を下ろすと、大きく欠伸をする秀。

 秀の欠伸などはじめて見た由良は余りにもそれが新鮮で、目を瞠る。つりあがった目を開いている彼女に、秀はおいでおいでと手招きするように片手を動かした。その表情も、無表情、というよりも無気力、と言っていい気がする。

「何ですか?」

 ゆっくりと歩み寄っていくと、彼は由良の手をひいて膝の上に座らせた。飛び上がりそうなほど驚く。

「あと、一時間だけ寝かせてくれ。」

「いいよ、勿論いいよ。だから下ろして?」

「一緒に隣りでお前も寝よう。お前と寝るとあったかそうだ。せっかく来てくれたんだから、一時間だけ朝寝していこう。」

「私はもう眠くないですよぉ。」

「一時間だけ、つきあえ。」

 由良を膝に乗せたまま、秀はぱたんと上半身をベッドの上に倒し仰向けになった。その目はもう閉じている。

「もう、足を乗せますよ。」

 膝の上から下りて、投げ出された秀の長い足をベッドの上に持ち上げた。なんと彼は裸足だった。ベッドの下に、靴とサンダルが見えているにも関わらずだ。よっぽどぼんやりしているのか。

 ブルーの毛布をかけてあげようとすると、毛布をつかんでいる手に秀の手が伸びてきた。

「お前もここに来い。その格好でかまわないから…。」

「秀、さん、でも。」

「何もしやしない。ただ、一緒に眠ってみたいんだ。誰かと一緒に眠るのはどんな気分なのか知りたい。」

 目を閉じたままくぐもった声で呟くように言う秀には、警戒しなければならないような雰囲気は微塵もない。

 仮に彼が何かやらかしても、由良には充分に対抗する力が戻ってきていた。

「一時間だけだからね。」

 スニーカーを脱いで、ゆっくりと彼の隣りにもぐりこむ。長袖のトレーナーとソフトジーンズなので動くのは難儀ではなかった。横たわったとたんに彼が片腕を由良の首の下に入れて腕枕をする。

 少しだけ照れくさかったが、由良は彼の好きなようにさせた。毛布を引き寄せて横向きになった秀の横顔が間近に見える。

 数秒もしないうちに秀は寝息を立て始めた。やっぱり眠いらしい。

 目を閉じていると一層女性的になる美貌が穏やかな寝息を立てていた。漆黒の髪と白い肌が少し不健康そうにさえ見えるが、彼の美貌を際立たせてもいる。ほとんど動くことのない長い睫毛がカールしているのをまじまじと見つめた。

 芸術品としての綺麗さがあるなぁ、などと思ってしまう。そう、セイラが綺麗だと思うように、秀の顔もそういう意味で綺麗に見えるのだ。異性の魅力とか、セクシーさとか、そう言った色気は由良には感じられなかった。観賞に耐える美貌を間近で眺めるのは実に楽しい。

 規則正しく穏やかな寝息の音。ほとんど身動ぎもしない。

 やっぱり誰かと一緒に眠ったことも無いのだろうか。でも、鈴奈さんと関係があった頃は、と思い出し、彼女は絶対に他人とは一緒に眠らないことを思い出す。でも恋人だったら他人の扱いじゃないのか。

 そんなことを堂々巡りして考えてしまう。そんな自分が可笑しくもあり、不思議でもある。やきもちをやく自分が新鮮だった。真己との別れの時に初めて知った嫉妬という感情がまた甦るのかと思っていたのに、何故かそれほど辛くない。

「なんでだろ…。」

 はっきりと自分に好意を示してくれる秀を信じられるからなのか。彼には自分しかいないと思えることが、不思議に自分を安定させている気がした。

 気持ちよさそうに眠る青年を眺めつつ考えを巡らせていたが、やがてそれにもすぐ飽きてしまった。物事を深く考えることは余り得意ではないし、面倒くさかった。

 ただ、今こうして隣りで眠っている彼を見つめているのは割といい気分だ。

 眠くなどなかったはずなのに、いつのまにか由良も寝息を立て始めていた。


 由良は美夜子と共に横浜まで出かけていた。

 自分で乗り物を運転できる彼女は、マドンナに許可されている場所ならば由良や流河と一緒に外出することを許されるようになっていた。

 輸入品を取り扱う業者が入っている建物の駐車場に車を停めて荷物を積み込んでいる。

「これ、なあに?結構重いね。」

 たとえ戦闘の可能性が無かろうと外出時には必ず身に付けるように言われた戦闘服姿の由良は、てきぱきと動く。

「アルジェリアから届いた土壌のサンプルよ。」

 薄紫の上着の下に臙脂のレース生地の入ったトップスとクリーム色のキュロットを履いた美夜子は端末を指で操作している。

 長めの紐ブーツが華奢な足を綺麗に見せていた。荷物を積み終わった由良は親友の隙の無い服装を眺めていつも綺麗だな、と見惚れてしまう。

 この頃はやけに土だの、植物の肥料だの、ケースだのを運ばされている。それを疑問に思うこともなく、流河の研究に必要なのだろうと納得している。不満に思うことなどないし、美夜子の付き添いであるならば荷物持ちくらい当然のことだった。

「また綺麗な花を美夜子に届けてくれるといいね。」

 無邪気にそんなことを口にする親友を見て、美夜子は言葉を失う。

「…?どうしたの?私なんか変なこと言った?」

 顔色を変えた美夜子の様子に驚いた由良の方がもう一度聞くと、彼女は首を左右に振った。

「流河さんが言うには、案外簡単じゃないんですって。」

 美夜子は落ち着いてそう答えた。

「そうなんだ。じゃ、この間もらったバラみたいなピンクの花はすっごく貴重だったんだね。」

「あれは輸入品よ。彼が咲かせたものじゃないそうよ。」

「はりゃ。そうだったんだ。昔は当たり前に身近にあったものが、今はそんなにレアなものだったなんてね。制服のポケットに朝顔の種でも入ってたらよかったかな。そしたら流河さんを喜ばせてやれたかもね。」

 植物をまったく目にしない現状を考えると当時の事が夢のように幸運に思えた。だから気軽に出た冗談だったのだが、美夜子の顔色は益々悪くなってしまった。

「美夜子?大丈夫?なんか、変だよ?」

「大丈夫よ。気にしないで。」

 親友の冗談が気軽に聞き流せない美夜子は精一杯作り笑いをした。

 制服のポケットではなく、その身に過去の植物の種を入れて運んだ由良の口からそんな言葉が出るなんて笑えなかった。本人は何も知らないけれど首の傷に種子を入れたままこの世界へやってきて、その傷口を再び開くような大怪我をしてはじめてその事が発覚したのだ。

 他にも何か由良はその身体に秘密を持っているのではないかと心配になってしまう。

 鈴奈に、いずれ精密検査を受けるよう言われた由良は、それに乗り気ではなさそうだった。注射が嫌いなのだから採血する検査がイヤなのは無理も無いことだったが、医者や病院を毛嫌いする彼女ではない。

 運転席に座った美夜子が、さりげなく尋ねる。

「あんた、あたしに隠してること、何かない?」

「…一昨日の夜、セイラにチョコレートケーキを内緒だよってご馳走してもらった。」

「あ、ズルい。なんで教えてくれないの?」

「だって、一個しかないからって。」

「セイラってどうしてあんたにはそう甘いのかしら。」

「…別に私にだけ甘いわけじゃないよ。彼は誰にだって優しいじゃん。」

 助手席に乗り込んだ由良が言い訳するように答えた。

「あんたにだけ優しいのは秀さんだもんね。」

「そ、そんなこと、ない、と思う、よ。鍛錬するときは相変わらず本当に厳しいもん。」

「何どもってんのよ。馬鹿ね、本音がミエミエだわ。」

 こんな時の由良は例えようもなく可愛い。ついつい構ってやりたくなる。美夜子から見ればいつも堂々としている親友が、彼の話になると言葉を続けられなくなるほど照れているのを見るのが楽しくも有り、そして、悔しくもあった。

 こんな由良を見るのは本当に今までなかったけど。いまだに美夜子は秀への不信感が消えていない。秀への不信感というより、彼に不信を持っている自分自身が納得できない、とでも言うべきだろう。無口な青年の愛情表現はストレート過ぎてちょっと常軌を逸していることもあるが、微笑ましく見えないこともないはずだ。自分以外の誰もがそう思って見守っているのだから。

「あ、ねえ由良、運転している間、この端末の記事を読んでよ。」

 助手席に自分の端末を置いて由良に音読を頼む。

「うぁ、漢字ばっかり。なんか難しいなぁ。えっとぉ、昨日行われた国会の方針演説では…あー、野党連合党首である長谷川党首の立法議案が、えーと。特殊合成生物の規制を盛り込む主旨でまとめられており、ほぼ議会を通る見通しであることがわかった。与党の法務大臣による強い反対を押しのけて成立することが決まりそうである、だって。」

 たどたどしい由良の音読に黙って耳を傾けていた美夜子は軽く眉をひそめた。

「続きを。」

「はーい。モデルケースとして合衆国やUKの法律を取り込む姿勢で今後話し合いを続け折衝することとなる。これは地方議会で最近高まりつつある特殊合成生物への規制を厳しくする世論によるもので、野党連合として大きな前進となるものと評価が高い。特殊合成生物の維持と製造にかかるコストや倫理的問題に関する非難が大きくなっていることを示唆するものだ。うーんと、目だったところでは北海道議会、島根、徳島、福岡、さらに仙台市などでも問題視されている。JS通信デスクより抜粋、だってさ。なんか難しくってわけわかんないなぁ。」

 大きな伸びをしながら端末を膝の上に置いた由良は、次第に険しくなっていく運転席の美夜子の表情に気が付かない。あくびをした後に、その端末が震えた。軽く指先で画面に触れると、金髪の青年が画面に現れる。

「無事に戻れそう?」

「うん、大丈夫みたい。積載も問題ないから、今、戻ってるところ~。」

「そっちに秀が行ってたりしない?」

「まっさか。仮に来たってすれ違いになっちゃうよ。どうかしたの?」

「うん、ちょっと姿が見えないから、君たちを追いかけて行ったのかと思ってさ。」

「部屋にいないの?」

「呼び出してるんだけど、応答がなくってね。もう少し探してみるよ。気をつけて帰ってきてね。」

「了解。」

 通信が切れると、美夜子が確認するように尋ねる。

「セイラ?」

「うん。秀さんがこっちに来てないかって。」

「冗談でしょ。もうそこまで行ったら完全なストーカーよ?」

 あはは、と明るく笑った由良に同調できない美夜子は、鼻息も荒く言い放った。

「ちょっと独占欲強すぎるわよ。おかしいんじゃない、あの人。」

 何故彼が独占欲の強い人間に見えてしまうのかを知っている由良は、親友の辛辣な言葉にも何も言い返さない。

「あんたどうして平気だなんて言うのよ?平気じゃないでしょ?」

「…本当に平気だよ。だって、真己くんはこんなにも私を追いかけてくれなかった。こんなに思って貰えたのははじめてだもん。こんなに誰かに必要とされたこともない。それに応えられない自分がもどかしいくらい。」

「…あんたって子は。」

 呆れたように呟く。

「美夜子みたいに可愛いくて自分に自信を持てたら、私もそう思うのかな。」

 でも、そんな日は多分永遠に来ない。自分で言葉にしながら、真っ向から否定する自分がいる。

 たとえ大人になって、一人前の女性として自立できる日が来たとしても、由良はずっと美夜子に対して引け目を感じ続けるだろうと思う。だって由良は絶対に美夜子にはなれないのだから。

「あんただって自信をもてばいいのよ。あんたにだって選ぶ権利はあるのよ。当然じゃない。」

 選ばれたことが一度もない由良には、そんな親友の言葉は絵空事にしか聞こえなかった。



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