名前を先に呼ぶ日
神戸から海を隔てて見えるのは淡路島だ。古くから観光地としても知られている。新淡路と呼ばれる小さな島が、その数キロ向こうに存在する。近年の地殻変動で突然隆起した島だった。
そこには遺伝子研究所があり、研究所の実態は合成人間製造所であることは公然の秘密だった。まだ出来上がったばかりの新しい島で労働するするのは合成人間がメインなのだ。
美夜子と鈴奈はそこで、合成人間や、クローンの弱点となるものを調べられるのではないかと思って足を運んだのだった。
神戸支部の施設に到着した一同は、各々荷物を抱えて部屋に案内してもらった。
神戸支部の施設長はまだ若い女性で、真っ黒な髪が波打つ、美人だった。
「ようこそマドンナ。それに東京支部の皆さん。支部長兼施設長の萩原蓮子です。」
愛想よく挨拶する彼女を一目見るなり、流河が嬉しそうな声を上げた。
「ふおぉっ。美人だな。…匠から聞いていたけど、こりゃあ、わかるわ。」
その声をむっとした表情で聞いている美夜子が、後ろから流河の背中をつねった。
二人の様子をくすくす笑いながら見つめていた鈴奈は、その施設長の正面に進み出て握手をする。
「少しの間、世話になるわね。」
ピンクパールのマニキュアを塗った白い手が、小さな鈴奈の手を優しく握り返した。
由良の荷物を持つ手が思わず緩む。
綺麗な人はたくさん身近にいるけれど、こういうタイプの美人はじめて出会った気がする。色っぽい美女にうっとりしてしまった。しいて言うなら、美夜子の母親がこんな感じに美しかった。もう少し気の強そうな人だったが。
「お疲れでしょう。皆さんのお部屋を5階にご用意しています。マドンナは、いつものゲストルームでよろしいのですね。」
「ええ。結構よ。」
一宮の施設は八階建ての建物でとても大きかった。東京支部とは随分違う。
「…東京は支部がいくつもある。施設も数多い。だが、兵庫は数が少ないんだ。だから一ヶ所がとても大きい。」
「なるほど。…京都もそれなりに大きいと思いましたけど、ここも随分大きいですものね。」
美夜子の疑問に流河が答える。エアカーが到着したときは本当に驚いたものだった。単車で追いかけてきていた由良も目を瞠っていた。
「土地柄もあるかもな。」
ぼそりと言って流河は美夜子の荷物を肩に担いだ。そのままエレベーターへ歩き出す。その後をふわふわの髪の背中が追う。
一瞬躊躇ってから、由良は親友の後を追いかけた。
昨夜私室に戻ったときには、美夜子はいなかった。先に寝ているよう、メモが残されていただけで、彼女は結局早朝に部屋へ戻ってきたようだった。
由良は寂しさに打ちのめされながらも、黙ってベッドの中に入った。もうそれしかなかったのだ。
親友は自分だけのものでは無い。流河という恋人もいる。自分の出る幕などなかった。
女の友情ははかないものだと言われても、自分達だけは違うと思っていたのに。
「大丈夫か?疲れていないか?」
背後に立った細身の秀が低い声をかける。片手に荷物を、片手にヘルメットを持っていた。
冷たい刃物のような無表情だった。しかし、気を使う言葉を言う青年ではなかったはずの彼が、そんな不器用な声をかける。
「大丈夫。疲れてないよ。…単車の空の旅は楽しいし。」
明るく答えて笑って見せた。彼にも心配をかけたくはない。出来るだけ明るく振舞わなければ。
「最初は悲鳴を上げていたのに、随分慣れたんだな。」
「…空を飛ぶって知らなかったから悲鳴を上げたんですよ。わかってれば怖く無いよ。絶叫マシーンとか大好きだもん。」
「絶叫マシーンとはなんだ?」
狭いエレベーターの中で隣りに立った貴緒が笑いながら答えた。
「秀は遊園地なんて行った事ないですよね。…遊園地のアトラクションですよ、スピードとスリルを楽しむものです。」
「ほう。」
彼女の方を向いて応じる秀を見て、由良も声を上げた。
「私、絶叫系はなんでも好き。コーヒーカップから、ジェットコースターまでオールレンジ対応です!美夜子は全く駄目だけどね。貴緒さんは好きですか?」
「…好きだったんですけどね。最近は余り乗らないんですよ。」
「刀麻さんと乗ったりしないんですか?」
「彼も、全く駄目ですから。テーマパークへ行ってもアトラクションに乗るのは私だけ。だから、大体お土産ばっかり見てますよ。無理にデートコースに遊園地入れなくてもいいって言ってるんですけど、私が好きだって知ってるんで…。由良さんもいつか一緒に行きませんか。一緒に乗ってくれる人がいたほうが楽しいし。」
「デートの邪魔してもいいんなら喜んで行きますけど、刀麻さんに悪いかな。」
その刀麻は明日の夜に神戸へ来てくれる予定になっている。北京から直接向かうそうだ。
自分は苦手でも彼女の好みに合わせてデートコースを設定してくれる彼氏が羨ましい。
流河はそこまではしてくれないだろうと思いながら、美夜子が大きな恋人を思わず見上げる。彼はそ知らぬ顔で鈴奈と話していた。
流河は、人に合わせるのは下手ではない。しかし、自分を殺してまで妥協することは少ないだろう。
美夜子は、彼のそういう所も嫌いではない。他人に合わせて何もかも変えるような優柔不断な男など、願い下げだった。
「淡路へ行くのは明日の朝一番ね。車の手配もしてもらってるから、寝坊しないように頼むわよ。」
全員に言い聞かせるような内容の割にはのんびりした声のマドンナが、目的階に到着して止まったエレベーターを降りる。
「あいよ。お嬢ちゃん達はここの部屋だとさ。荷物はここでいいかい?」
流河が美夜子の荷物を二人の部屋に置いてくれた。
「いいわ。ありがとう、流河さん。」
「いいってことよ。俺と秀は向かい側の部屋をあてがってもらったから、何かあったら言ってくれ。貴緒と刀麻はあんたらの隣りな。」
「鈴奈様は?」
「いつものゲストルームだよ。…マドンナは絶対に他人とは一緒に眠らないからな。」
「…そうですか。あの、私、鈴奈様にちょっと聞きたいことがあるんで、行ってきます。ゲストルームって何階ですか?」
二人が一瞬硬直したように由良の方を見る。
やがて、少しの間は堪えていたのだろうけれど、あっという間に吹き出した流河が腹を抱えて笑い出した。
わけもわからず、由良は呆れた顔の美夜子と笑っている流河を何度も見る。
「あははは…。おかしいぞ、お前。それで気を利かせているつもりなのか?ミエミエじゃねーか。」
「やっ!違いますよ!本当に、今回は、ちゃんと聞きたい事があるんです!」
「へえ?何?」
「明日のことですよ。ろくに時間も裂けなかったから、淡路のこととか、どのくらいの装備がいるのかとか聞いておかなくちゃ困るじゃないですか。」
「そんなことは鈴奈じゃなくてもわかるだろ?淡路の事なら、あの美人の支部長に聞いて来いよ。装備のことは秀がよくわかってるぜ。心配することは何もねぇのに。ていうか、そんなん気にしたことも無かっただろう。」
いよいよ図星をさされて、由良は何も言えなくなる。
「もう!流河さんてば、いい加減にして。由良だって少しでも自分で何かしようとしてるのよ。馬鹿にしないで!」
居たたまれなくなった親友を庇うように美夜子は抗議した。
「美夜子」
由良が安堵したかのように、助け舟を出してくれた親友を見た。流河にからかわれている自分を気の毒に思ってくれたらしい。
「行っていいわよ由良。全くもう、しょうがないんだから。夕食は一緒に食べましょ?」
「う、うん。わかった。そうするね。じゃ、後でね。」
荷物を置いて部屋を出て行った親友を見送ってから、不意に美夜子は恋人を振り返る。そして両手を彼の首に伸ばした。
「…これでいいんでしょ。」
小柄な恋人を抱きしめながら、にやにやと笑う流河が応じる。
「上出来。」
ゲストルームの前で指導者を捕まえた由良は、明日のことについて、最低限聞いておかなくてはいけないことを尋ねた。
鈴奈は最初面倒くさそうな顔をしたが、それでも丁寧に答えると、部屋に入ろうと向きを変える。
中々その場を去ろうとしない若い娘の様子に気がつき、もう一度振りかえる。
「…なあに?あたしに何かまだ質問でもあるの?」
マドンナの口調は、用が無いならさっさと去るようにと、言外に言っているような素っ気無さだ。それだけに言いにくかった。
少し躊躇した後に、思い切って顔を上げて鈴奈を見つめた。とても勇気のいる瞬間だった。
「どうして、秀さんと別れたんですか?」
気になっていた疑問。秀は理由も何もわからないと言っていた。もう何年も経った話だとは言え、由良はどうしても聞かずにはいられなかった。
鈴奈はきょとんと大きな瞳を丸くして由良を見上げる。それからゆっくりと微笑んだ。
「…あら、気になるの?」
「気になるというか、その原因がなんなのかがわからないって言うのが、なんかスッキリしないんです。貴緒さんが来たせいだって最初は思ってたみたいですよ。」
「貴緒のせいですって?それは随分な勘違いね。関係ないわよ。しいて言うなら、ついでだったってことかしら。」
高い声で笑う。美しい笑い声が廊下に響く。
「ついで、ですか。」
「あたしもまだ若かったから、男が必要な時があったのよね。たまたま傍にいたのが秀で使い勝手がよかったのよ。だから彼と寝てただけで、元々別れるつもりではいたから。」
由良が顔色を変えた。
「秀さんが、好きだったから一緒にいたんじゃないんですか?」
鈴奈の口調は淡々としていた。穏やかに、あるいは冷たくて、感慨がまるでないように。
「あたしは男を好きになったりしないわ。まして当時の秀に惚れるなんて事はなかったと思うけど。…そうね、今は随分変わったけど、あの頃の秀は本当にロボットか人形みたいで、とても大人しかったのよ。だからちょうどよかったのよね。やかましいこと言わないし、使い物になるしで。でも、それだけよ。」
「人形みたいだから、よかったって…?」
「そうよ。別に恋愛感情があったからつきあってたわけじゃないわ。…だからあたしの事は気にしないで秀とうまくややっていいのよ?」
心情を見透かされたかような気持ちになり、由良は真っ赤になった。慌てて否定する。
「そんな、そんなつもりできいたわけじゃありません。」
「あらそう。貴方にも秀はやっぱり人形みたいに見えるのかしら?随分変わったとは言っても、ああも無愛想ではねぇ。中々近寄りがたいわよね。」
「秀さんは、人形じゃありません。」
「そりゃそうよ。人形じゃ困るわ。役に立たないもの。」
くすくすと手を口にあてて笑った鈴奈が、なんだかとても悪女っぽく見えてしまった。わかっている、それは由良自身が、彼女を悪者にしたいからそう見えてしまうだけなのだと。それでも。
「ロボットでもありません。」
「わかってるわよ。貴方に言われるまでもなく身をもって知ってるわ。で、聞きたいことはそれだけかしら?」
「は、はい。」
指導者は由良には何も聞き返さず、意味ありげに少し微笑んでから、小柄な身体をくるっと回れ右してゲストルームに入っていった。
彼女の姿がドアの向こうに消えると、由良は蒼白になった顔を微かに震わせてうつむく。廊下の壁に背中をつけてそっと溜息をついた。
そしてぎくっと振り返る。エレベーターホールの方に黒い影を見つけたからだ。
もしかしたら、秀もまた明日の準備の事で由良と同様に訊きたいことがあったのかもしれない。
「…秀さ…。」
何故ここにいるのか、という疑問も声にならない。由良は必死で涙を堪えていたからだ。
鈴奈の言い方はあんまりだった。秀のことをまるで便利な道具であるかのように語る口調は淡々としていて、例えようもなくショックで悲しかった。
自分を美夜子に会うための都合のいい道具として彼女にしたいと言った真己と同じだ。誰でも良かったのだ。役に立てば。好きである必要はない。
よく切れる刃物のような美貌はいつものように感情が欠落して見えた。ゆっくりと由良に歩み寄ってくる歩調も落ち着いていた。
「馬鹿なことを聞いたな。余計に嫌われたか。」
「馬鹿なこと?」
「あいつは俺の事は好きでさえなかったんだ。その程度なんだ、俺は。付き合う理由も、別れる理由もなかったんだ。お前に振られるのも当然だな。」
どこかはき捨てるような口調で自分を卑下する秀の声が辛い。
それに、由良は振った覚えなど無かった。はっきりとそこまで言った記憶は無い。まあ、イエスと言った覚えも無いが。
秀だって付き合って欲しいとは言わなかった。彼女になれとも言わなかったではないか。だったら振るも振らないもない。
「そんなこと…言わないで下さい!」
秀は二人の会話を聞いていたのだ。鈴奈が何を言ったのかも、由良が何を聞いたのかも、知っている。
「秀さんは人形なんかじゃないよ。…いい人だよ。本当、だよ。」
悲しい。そんな風に扱われた自分が辛かった。そんな風に扱われた目の前の青年が辛かった。涙が堪えきれなくなった。ぱたぱたとこぼれて落ちる音が廊下に響く。
「どうしてお前が泣くんだ。」
「だってひどいよ、あんな言い方。悔しいよ。あんまりだよ…。秀さんは立派な男の人だよ。ちゃんとした人なのに。こんなに優しくて、いい人なのに。」
「そんな風に言ってくれるのはお前だけだ。」
「ひどいよ。ひどいよ…秀さんはあの人が好きだったんでしょう?凄く好きだったんでしょう?だから貴緒さんに嫉妬したんじゃない。それなのに、あんなのひどいよ。ひどいよ…。」
「昔の事だ。…もう、いいんだ。お前が俺のために泣く事はない。鈴奈は一度も好きだとは言わなかった。俺も一度も言わなかったんだ。」
もう、耐えられない。自分のために泣く由良の姿を黙って見ていられなかった。
由良は弱いわけではないのに、泣いている。それが辛い。弱くない彼女を泣かせているのが自分なのかと思えば尚更に。
「泣くな。俺のためなんかに泣くな。俺は平気だ、鈴奈にどう傷つけられようと何も感じやしない。ロボットだからな。だが、お前が泣くのはお前が泣いているのを見るのはたまらなく辛いんだ。」
両腕で掻き抱くように抱きしめると何度も頬ずりをしながらそう囁いた。
泣いている姿が胸にこたえてたまらなかった。明るく笑っていて欲しいのに。悪戯をする少年のように。陽だまりの子犬のように。静かに泣く姿が辛くて辛くて見ていられなかった。
「お前が俺を好きになれないのはわかっている。それでも俺はお前が好きで、見ているだけなんて出来そうにない。とても出来ないんだ。だから俺のためになんか泣くな。」
きつく抱きしめてくる秀の力はとても強くて、痛いくらいだった。頑健な身体を持つ自分でなかったら悲鳴を上げていただろう。この青年は細身なのに、何故こんなに力強いのだろうか。
「これ以上、俺のせいで泣くのはやめてくれ。」
「秀さ、秀さん、お師匠さん。ごめんなさい。」
「泣くな。頼むから泣かないでくれ。でないと、俺は…。」
どうしていいのかわからない。恋人という関係ではないのだから、これ以上近付くことは出来ないのに。泣いている姿を見るとどうしてもじっとしていられなくなるのだ。
温かで柔らかな身体は芯にバネを仕込んでいるかのようにしっかりとしている。抱いた感触がたまらなく心地よかった。思い切り腕に力を込めても壊れそうもないその柔軟な手応えが、安心感を与えてくれる。
涙で柔らかくなった頬が熱い。また赤面しているのか、それとも泣いているからなのかはわからない。ただ、その熱さが心地いいのだ。手のひらでその熱さをなぞりたくなる。生きている躍動をいつも伝えてくるから。
いつか見た仔犬と少年のように、屈託無いその姿が秀の心に触れる。
笑っているところを傍で見ていたい。出来るなら一緒に笑いたい。優しく撫でて、そのつり上がった目を細める姿を見ていたい。温かくて柔らかな背中を抱きしめて、その温度を感じていたい。
だがそれは出来ない。彼女は自分を「先生」で「師匠」だと言うのだから。「恋人」とも「彼氏」とも言ってはくれないのだから。
そうしてはいけないのだと、教わった。恋人や夫婦でないものを、そのように扱ってはいけないのだと。
「…すまない、由良。許してくれ。」
「あ、謝ることなんか、何も無いよ。秀さんは何も悪くないんだから。」
「もう、泣いてはいないか?」
「うん。もう、泣いてない。大丈夫だよ。」
由良の声は、確かにもう泣いている時の声では無くなっていた。
名残惜しく思いながらも、ゆっくりと腕の力を抜いて彼女の身体を離す。袖で自分の顔を拭った彼女の顔を見つめる。
「私のほうこそ、ごめんなさい。…大きなお世話だよね、私なんかが詮索していいことじゃないのに。ただ、どうしても気になって仕方が無かった。秀さんはいい人なのに、どうしてかなって。」
弁解するように慌てて言い募る。由良自身が、何故そんなことを気にしてしまうのわからないから言い訳する。そんな風に見えた。
「俺を理解したいと思ってくれたのか?」
「うん。そうだと思う。…多分。どうして秀さんがあんなふうに自分を粗末にするような言い方をするのか、気になっちゃってた。私から見たら、秀さんは強くて冷静で、頭も良くて…落ち度のない人に見えるから。」
「お前の俺の評価は少し高すぎるようだな。」
「自分の評価が低いからかな。」
あはは、と笑って軽く顔を傾げた。何かを誤魔化すように。それは一目でわかるが、彼女自身が隠そうとすることを無理に聞き出す権利は、秀にはない。「師匠」なんだから言え、とも言えなかった。もはや、秀自身はそうは思えなくなっている。
「俺は、お前を高く評価している。だから、もっと高く見積もってもいいだろう。」
それだけ言うのが、やっとだった。
本当は、何を隠そうとしているのかを脅してでも聞き出してしまいたいけれど。
「…ありがと。お師匠さん。」
嬉しそうに言った由良は、身を翻してそのまま歩き出す。部屋へ戻ろうとしているのだろう。それを追いかけて、隣に並んで歩く。
そのくらいは、恋人ではなくても許されるはずだから。
何も言わずに隣りを歩く師匠の横顔を見て、穏やかに微笑んだ彼女は、やっぱり何も言わずに黙ってエレベーターホールへ歩いた。
部屋へ戻るまでの間、二人はほとんど口を聞かなかった。それでも、きまずい雰囲気は無い。
廊下で軽く手を振って笑う由良が、彼女とその親友にあてがわれた部屋へ入ってゆく。軽く頷いて秀がそれを見ていた。
カード端末が鳴った。シャツの裏ポケットから取り出して画面を見ると、セイラからだった。
「無事に着いたかな?」
画面の中の彼は、いつものように優しい美貌で愛想がいい。やわらかそうな金髪が揺れる。
「ああ。…マドンナはお前に連絡をいれていなかったのか。」
「そうなんだよ。全くもう、心配しちゃうのに。流河もつかまんないし。秀が出てくれて助かったよ。刀麻から連絡が来たって伝えてくれるかな?予定が早まって、今夜中にそちらに到着出来そうだって。」
「わかった。」
「明日は気をつけて行ってね。一緒に行けなくて残念だけど。」
「お前にはいつも留守を頼んである。」
「それしか出来なくてね。」
「戻ったら、何か。」
そこまで言いかけて、秀は口を閉じた。由良が喜ぶものでも作ってやってくれ、と言いそうになったのだ。
「どうしたの?」
口ごもった秀の様子をいぶかしげに尋ねるセイラが、画面の向こうで首を傾げる。
「いいや、なんでもない。…刀麻のことは伝えておく。」
「由良ちゃんと美夜子ちゃんは大丈夫そうかな?」
「ああ。大丈夫だ。」
「そう。ならいいんだ。何かあったら連絡をまわしてね。それじゃ。」
通信の切れた画面をいつまでも眺めながら、秀はその場に立ち尽くす。
隠れ家に残っている金髪の青年の心配は当然の事だった。それでも、秀には何かがひっかかり、余計なことを言いそうになる自分を押しとどめる。
あの二人の少女をセットで呼ぶときに、金髪の青年はいつも由良の名を先に呼ぶような気がした。
そんな小さなことが気になってしまう自分が、可笑しかった。
読んでくださってありがとうございます。




