帰還した日
美夜子と流河が戻ってきたのは、別れてから十日経った朝だった。
シルバー・レッドの機影が近付いてくるのを見上げながら、由良は眩しそうに目を細める。
こんなに親友と長い間離れていた事などなかった。喧嘩して以来一度も言葉も交わしていない。彼女は連絡どころか言伝すら自分にしてくれなかった。
やっと会えるんだと思う安堵と共に、もしも許してくれなかったらどうしようと言う不安もあって自然と表情が強張るのが自分でもわかる。
屋上に到着したエアカーの中から可憐な影が降りて来るのを見つめた。出来る限り自然に笑おうと心がけながら。
傍らに立つセイラが軽く由良の肩を叩いた。
「大丈夫だよ。」
こちらを見て優しく笑ってくれる。安心させるように。それにも苦笑して返し、また彼女の方を見る。
以前に再会したときは抱き合ってそれを喜んだけれど。
ゆっくりと由良の方へ歩み寄ってきた小柄な娘は柔らかそうな髪が風に揺らされるの両手で押さえる。
「元気だった?」
大きな茶色の瞳が自分を見上げて細くなる。淡い黄緑のブラウスに白いタイトスカートの彼女はその裾も押さえながら少し笑った。ふわふわの、やわらかな栗色の髪。
「うん…美夜子も?」
「ええ、元気よ。…なんだか久しぶりに会うみたい。」
「久しぶりだよ。十日ぶりだもん。美夜子はちょっと痩せたみたい。」
「あらそうかしら?体重は今朝計ったけど変わってなかったのに。ご機嫌取ってるの?」
「てへへ、ばれた?」
足音も軽く親友の隣りに歩み寄った美夜子は、まるで当たり前のように由良の右腕に自分の腕を絡ませた。
「あんたが元気そうで本当によかったわ。安心した。早く部屋へ行って休みたいのよ、荷物は流河さんに頼んだから。」
華奢で小柄な体が触れてくると、それだけで嬉しくなった。親友の美夜子は十日前と何も変わっていない。可憐でやわらかで綺麗で、とても可愛かった。
「セイラにも迷惑をかけてしまってみたいで。ごめんなさいね。由良は手のかかる子で。」
「どういたしまして。僕は全然かまわないよ。お疲れ様だったね美夜子ちゃん。」
金髪の青年はにっこりと微笑んで帰還したばかりの少女を労わった。
久しぶりに戻った二人の部屋をまじまじと見つめ、美夜子は自分のベッドに腰を下ろした。傍らに座った親友を振り返り、柔らかな声で優しく尋ねる。
「変わりは無い?」
「う、うん。…トレーニングのマシンを一つ壊しちゃったくらいかな。」
「あらやっぱりね。セイラに監視を頼んだのに壊しちゃったの?」
「すぐに調整して直して貰ったから大丈夫だって。そのくらいだよ。」
嘘だ。本当は色々あったのだと話したくてたまらなかった。その思いがどうしても由良の表情を強張らせる。
美夜子はそんな彼女をゆっくりと大きな瞳で見つめていた。親友の嘘がわからないような美夜子ではない。それなのに美夜子は黙って頷いて、それから小さく笑った。
「本当?」
「本当だよ。美夜子こそ、何も無かったの?」
「ええ。大丈夫よ。何も心配はいらないわ。もう、何も心配はしなくていいのよ。帰って来たんだから。」
切迫したような顔になり、じっと凝視してくる由良を優しく宥めた。
なんだか、美夜子は少し変わったのだろうか。久しぶりだからそう思うだけなのか。
親友の余裕のある笑顔に、なんだか自分と同じ年の若さが見えないような気がして少し不安を覚える。
年齢相応とは思えない童顔のマドンナのように、どこかにギャップを感じてしまう。京都での出来事が、美夜子を大きく変えてしまったのだろうか。
「…ごめんね。」
たまらなくなったように由良は押し殺した声で呟いた。
「いいのよ。」
美夜子の声は慈愛に満ちていて、悲しくなるほどだった。
「本当に、ごめんね。」
もう一度、声を振り絞って言う。
「本当にいいのよ。」
優しい声音は変わらず親友もまた答える。
「ごめんね…。」
両手で顔を覆って崩れるように泣き出した親友の大柄な身体に手を回して、美夜子はもう一度ゆっくり呟く。
「いいのよ。」
美夜子が帰って来たことに安堵してボロボロと泣き出した由良は、小さな親友の手が何度も背中を撫でてくれる心地よさに浸った。許されていることに心から安心して。
許してくれたのは、美夜子が変わってしまったからなのか、元々許してくれるつもりだったのかはわからない。
いつもは自分に抱きついてきていた美夜子が、今は逆に自分を優しく抱きしめてくれている。その優しい手が、小さくても温かくて、嬉しくて。
誰かに撫でてもらうのがこんなにも気持ちいい。
聞きたい事も、話したい事も、たくさんあったのに。再会したら必ず言わなくちゃって思っていたことが山ほどあったはずなのに、全て消えてしまった。
ただ、美夜子が自分を許してくれている事。また自分の元に帰って来てくれたこと。それだけで嬉しくて。流河に取られてしまったとか、図書館で何を知ってしまったのかとか、心にかかっていた事が全部どこかへ消えた。どうでもよくなった。ただここにいてくれること、それだけで。自分を見捨てないでいてくれたことだけで。
膝の上に由良の頭を乗せて優しく撫でながら、美夜子は優しい表情で親友の背中を見つめていた。
食堂で久しぶりにセイラのコーヒーをすすりながら大きく溜息を付いた流河の所へ、セイラが小さな皿を持って歩み寄ってきた。
「何?俺にくれんの?」
「うん。試食。今度店で出そうかと思ってる試作品なんだ。食べてみて?」
丸くて白い皿の上に淡い紫色の三角柱が乗っていた。添えてある果実は巨峰だろうか。生クリームとブルーベリーソースが飾られて美しい。
「由良に食わせりゃいいじゃん。喜ぶでしょ。」
「君の方が正直な意見を言ってくれそうだから。由良ちゃんは何食べさせても美味しいって言ってくれちゃうし。」
憮然とした顔で、フォークを手に早速試作品を口に運んだ。
「…京都で何がわかったの?」
いつものにこやかな表情から、わずかに深刻さを帯びた顔つきになったセイラが静かな声で尋ねる。
流河の大きな手がフォークを皿の上に置いた。
「さあてね。俺には大したこと知らされてないからよくわからんよ。ただ、本人はかなり吹っ切れたみたいで、色々実のある事がわかったんじゃないか。美夜子の過去の話は、俺にとって未だにSFなんじゃないかと思えるしね。」
「鈴奈ちゃんは知ってるんだね?」
「ああ。何日もマドンナと美夜子は頭を付き合わせて話し合ってたよ。」
「…そう。鈴奈ちゃんがわかっていることなら、僕らが詮索しても仕方が無いね。」
それ以上の追求を諦めたようにセイラは溜息を付いた。
マドンナと頭を付き合わせて話し合っていたのは美夜子だけではなく流河自身もだった。美夜子が図書館で何を知ったのかもあらかた理解している。だが、それをセイラに話すことは許可されていなかった。他言無用ときっちり命じられている。
再びフォークで紫の三角柱を口に入れて咀嚼する。甘酸っぱい風味は葡萄だろう。葡萄のシフォンケーキとは珍しいものだな、と思いながら食べ終わる。コーヒーを最後まで飲み干して、お代わりを頼んだ。
「なあ、セイラ。あんたはひょっとして…。」
カップを取りに戻ってきた金髪の異邦人を見上げた。
鈴奈の父親というのがどこのどいつなのかを知っているんじゃないのか。
鈴奈のセイラに対する比類なき溺愛ぶりは過保護と言ってもいいくらいだった。このハーフの青年ならば彼女の父親が何者なのかを知っているのではないかと思えた。
「なんだい?」
青い瞳が優しくこちらを見る。天使のように優しいこの青年なら、鈴奈の生い立ちを知っているかもしれない。
この混血の青年が鹿島にやってきたのは、流河がまだ半人前で、そして、まだ鈴奈に対して淡い恋心を抱いてた頃だった。
鈴奈自身が鹿島までつれて来て、寮長や主だった者達に紹介していたのを覚えている。彼の母親は鈴奈の母親の友人で、組織の運営に手を貸してくれた人だったのだと言う。そして海外にいる父親も亡くなったので、日本に連れて来たのだと説明してくれた。
母親の親友の忘れ形見なのだからとても大事なのだと、そう言って流河や刀麻にも紹介した。
それからずっと鈴奈はセイラを身近において手放さず過保護なくらいに大切にする。まるで彼女の子供か弟でもあるかのように可愛がっている。その理由として、セイラは鈴奈の両親について多くを知っているからだと推測していたのだが。
「いや、なんでもない。…これ、美味いよ。ただ、渋みが完全に抜け切ってないみたいだな。」
「うーん。ジュースを使ってしまえば渋みは殆ど気にならないんだけど、あえて果実そのものを使ってるんだよね。」
「皮剥いたら?」
「葡萄の色がでにくいんだよ。」
「…確かに、この紫色は綺麗だからな。」
コーヒーの御代わりをテーブルに置いてセイラは軽く腕を組んだ。考えてしまっているらしい。
「長いこと留守にして悪かったな。」
「そんなこと。支部長が出張らなきゃいけない様な大事件は起きてないよ。問題なし。」
「明日は由美ちゃんとこにでも顔だしてくるかな。」
「そうしてやってよ、凄く喜ぶから。」
「彼女がいてもか?」
セイラが小さく口笛を吹いた。
「多分、それでも凄く喜ぶと思うよ。由美ちゃんが君を好きなのは恋愛感情じゃないからね。」
「知ってたのか。」
「うん。彼女は君に憧れてる。そういうのが楽しいんだ。」
「女の子って、本当にわからねぇ生き物だよ。」
「向こうだって、男なんかわからない生き物だって思ってるよ、きっと。」
「違いない。」
大きな声で笑うと、セイラも一緒に笑った。
その日のうちには鈴奈と貴緒主従も戻ってきて、久しぶりに人数の多い隠れ家はとてもにぎやかに感じられた。
中でも由良はとても嬉しそうにはしゃいでいて、セイラの作った夕飯の御代わりを三度もすると、さすがに美夜子に止められていた。ここに刀麻もいれば、もっと楽しいだろうにな、と思いながら、貴緒の清廉な横顔をちらっと見る。
「なんですか?由良さん。」
敏感な彼女に気づかれ、しまったと舌を出したが、てへへ、と笑いながら答える。
「刀麻さんもいたら、貴緒さんももっと楽しいだろうなって思って。」
「ああ、彼は今日本にいないんです。出張で中国に行ってますから。」
「出張?」
「執刀医にご指名がありましてね。北京だったかな。あちらの病院では彼は有名なんですよ。」
「へえ~。凄いなぁ。…お医者さんって、そんなに簡単に海外へ行けるの?」
「ご招待が熱烈ですからね。確かに日本の出国には厳しい制限がありますけど、彼ぐらい国際的だと外務省もあんまり文句言えないんですよ。大国の医師会や、赤十字やらに強く要望されると、つっぱねるにはそれなりの理由がないと。」
「そんなに凄い人なのに。」
「ええ。国内では全く無名です。だから長崎の病院でのことがあったのでしょう。あんな目立つ外見で有名人なら、普通どこの病院でも知ってるものですよ。刀麻のことをあんな風に言う医療関係者はこの国だけでしょうね。」
紅茶のカップを傾けながら恋人の事を語る貴緒は誇らしげだった。
「うふふ。ドクター・トーマで通ってるものね。欧州なんか行くと彼は物凄くモテモテなのよ。」
隣りに座っている鈴奈が嬉しそうに童顔をほころばせる。
「いつごろ戻られるんですか?」
向かい側に腰を下ろした美夜子が話に首を突っ込んできた。
「予定では明日の夜には戻るはずね。美夜子さんは、刀麻の意見も聞きたいのね。」
「ええ。是非。」
「意見って?」
由良がいぶかしげに聞き返した。
「神戸にある遺伝子研究所について知りたいの。」
「遺伝子研究所?」
「もっとはっきり言えば、合成人間を作っている場所、といっていいんじゃないかしら。」
鈴奈の澄んだ声が簡単に説明した。思わず顔色を変えた由良に、易しく諭すように。
「美夜子さんは合成人間がどうやって出来るのかを知りたいのよね?」
翌日には神戸に向かうと命じられ、慌てて由良と美夜子は支度を始めた。
新品の戦闘服のトランクを開いて中身を確認する背の高い親友に目を止めて美夜子が声をかける。
「それは?」
「うん。戦闘服だって。特注で作ってもらったの。」
「少しでもあんたの怪我が減るのなら、特注だろうがブランドものだろうがあったほうがいいわね。」
「防弾や防火の効果があるんだって。神戸にはどのくらいの時間いることになるんだろ。」
「神戸市の施設に滞在できるように手配してもらっているらしいわ。少なくとも三日くらいはかかるでしょう。」
「ふうん。美夜子と流河さんはきついね。戻ってきたばかりなのにすぐにまた出かけなくちゃならないなんて。」
「そんなことぼやいてたら、いつも出っ放しのマドンナに申し訳ないわ。」
「またセイラの御飯としばらくお別れか。寂しいなぁ。」
「何言ってるのよ。毎日食べさせてもらってたんでしょう?そんなに彼の料理が気に入ったのなら専属シェフにでも雇ったらいいじゃない。」
「むっちゃ高く付きそうなので、遠慮します。」
「あらそうかしら?喜んでそうしてくれると思うけど?」
「一体何を根拠にそういう都合のいい話が成り立つって言うの。あんな腕のいいコックさんを独り占め出来るわけ無いじゃない。またパエリア作ってくれるかなぁ。今日の夕飯凄く美味しかった。」
涎を垂らしそうなだらしない表情になって夕食を思い出している親友を見て溜息を付く。そう言えば由良は今日は三回もお代わりしていて、見かねた美夜子が止めたのだった。口の端に黄色いサフランライスをくっつけている顔は恥ずかしくて見るに耐えない。それを思い出して思わず頭を抱える。
「まったく…。いつまであんたは世話を焼かせるつもりなのかしら。」
着替えや洗面用具をバッグに詰めてテーブルの上に置いた。松山から京都に向かったときと違って自分の私物を持っていけるのがありがたかった。京都では不便を感じないほど貴緒が何もかもを用意してくれていたが、それだけに気を使ったのだ。
トランクと自分の荷物を詰めたボストンバッグを美夜子の荷物の隣りに置いた由良が、少し言いにくそうに口を開いた。
「あの、さ、美夜子。もし、あれなら、私には気を使わないでいいよ?」
「?あれって、何よ?」
「えっと、だから…流河さんところに行くんだったら、私に気を遣わなくていいから。神戸でも、もしあれなら流河さんと同じ部屋にしてもらえば…。」
柔らかそうな白い頬が真っ赤に染まった。美夜子は思わず大声で言い返す。
「な、何言ってるのよ!」
どうやら、由良なりにせいいっぱい気を利かせているつもりらしい。
「…違うの?私には気を遣わないでいいんだよ。美夜子に彼氏が出来ても、私はちゃんと友達だから。」
「馬鹿。そんなの当たり前じゃない。」
「ちゃんと美夜子を守るよ。…邪魔をしない程度にね。」
由良が人のよさそうな笑顔を見せる。
邪魔はしないから。だから、せめて友達でいさせてほしい。美夜子を守る役目を奪わないで欲しい。傍にいさせて欲しいのだ。
祈るような気持ちでそう思いながら、由良はもう一度美夜子に笑って見せた。
「馬鹿。あんたは、本当に馬鹿なんだから…。」
照れくさそうに髪を両手で梳きながら美夜子が由良の方を見た。
「あんただって、彼氏がいたっておかしくないのよ?」
「いや~もうそういうのは当分いいよ。懲りてるし。私にはそういうの向いてないし。」
「どうして真己くんと別れたのか、あたしはいまだに聞いてないのよ。」
「もう済んだことだもん。もういいよ。」
「どうして話してくれないの?」
由良は思わず顔を下に向け、沈黙する。
言えない。真己は本当は美夜子が好きだったからなどと、言えるわけが無かった。
でも黙っていたら美夜子は追及の手を緩めないだろう。
「他に、好きな子がいるって知ったからだよ。」
低い声でそれだけ呟く。
「なんですって?」
血相を変えて聞き返そうとする美夜子を押しとどめるように軽く彼女の肩を叩いた。すぐに立ち上がる。
「私、秀さんに聞きたいことがあったんだ。ちょっと行って来るね。先に寝ててもいいから。」
身を翻して素早く出て行ったしまった由良を、美夜子は呆然と見送ってしまった。
「秀さんにって…、どういうこと!?もう、こんな時間なのに。」
あのいけすかない青年の部屋へ、こんな時間に由良は行くのか。それが普通なのか。
自分のいない十日間で、いつのまにか由良とあの青年がそこまで親しくなっていたなどと考えたくも無かった。
彼女と離れた数日間に流河とそういう関係になった自分を差し置いて、美夜子は怒りを募らせる。
折角再会したというのに、やっぱり気まずいままになってしまったことが悔やまれてならなかった。
「でも、言えないものは言えないよ…。」
自室のドアにもたれてそのまま沈むように蹲った。
とうとう自室にまで居場所をなくしてしまった。今夜はどこで寝たらいいのだろう。
真己とのことは絶対に言えなかった。彼女には非が無いにしろ、きっと自分を責めてしまうだろうし、それ故に今ここにいない真己の代わりに一層秀への嫌悪を募らせてしまうだろう。これ以上美夜子が秀を嫌うことは避けたかった。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう。やっぱり、私が悪かったのかな。」
どんなに怖くても一緒に行くべきだったのだろうか。京都に行く直前の、意気地の無かった自分が悔やまれる。
足音が聞こえてふと顔を上げると、長身の青年が困ったような顔をして歩み寄ってきていた。
「流河さん…。」
「なんだ、どうしたどうした王子様。折角お姫様が帰ってきたってのに。追い出されたのか。」
「流河さんは美夜子に会いにきたの?」
「いや。ただの通りすがりだ。喧嘩の仲裁が必要か?」
「あのね…。実はね。」
廊下で座り込んだまま話し始める由良に姿勢を合わせてしゃがみこんだ流河は、腰を下ろしても随分大きい。美夜子と並べばさぞかし身長差があるだろうな、などと思ったりする。
「そんで、お前はそれを追及されたくないわけか。」
真己の片思いの相手は伏せて説明すると、流河はそれ以上問わず、軽く息をついた。
余計なことは聞こうとしない。話そうとしないことを無理に問いただそうとはしない男だった。
「うん。だから、つい嘘を言って出てきちゃったの。」
「わかった。じゃ、お前はとりあえず秀んとこ行って来いよ。嘘ついたなんて言ったら余計おかんむりだぞ。」
「だって聞きたいことなんかないよ。」
「別に用事が無くたってかまわんだろ。どうせまだ起きてるし、奴だって嫌な顔はしねぇよ。」
喜んだ顔をするかどうかもわからないが。
「でも…。」
「俺が美夜子ちゃんを宥めるか連れ出すかするから、とにかく行って来れば?お前が戻ってくる時にはちゃんと部屋で寝られるようにしておくよ。居場所が無いって顔されちゃ、俺だって放ってはおけないからな。」
「流河さん。」
「どうしても秀のトコ行きづらいんならセイラんとこでも行けば?」
「親切ですね。…秀さんも、流河さんも、セイラも。皆、どうしてそんなに優しくしてくれるんですか。」
「そりゃ、やっぱ仲間だからね。」
「仲間。」
「もう王子様もお姫様も大事な仲間なんだから、親切にするのは当然だろ?それに正直、ここで一番若い娘のあんたらがぎくしゃくしてるってのはこっちも楽しくないんだよ。早く元の仲良しに戻ってもらいたいの。」
流河らしい言い方に思わず苦笑する。
そう言えばこの間の喧嘩も仲裁に入ってくれたのはこの青年だった。
由良は立ち上がって流河を見上げた。
「流河さん。函館で189センチって言ってたけど嘘ですよね?」
「あ、ばれてた?」
「本当は190センチ超えてるでしょう?」
「いや~ン、そこ指摘しちゃ。本当は192センチなんです。190超えるって意外と皆さんに引かれちゃうんだよ。やっぱ理想は180センチ台だろ。」
「美夜子はそんなの気にしないのに。」
「ははは。だといいんだけどね。」
彫りの深い顔立ちの、瞳を思わず凝視する。自分と同じ焦げ茶色の瞳は自分を映していた。
「何?俺見とれるほどいい男か?」
「それは否定も肯定もしませんが、瞳の色、秀さんと違うなって。」
肯定もしない、というあたりで軽くズッコケた流河は、由良の疑問に答える。
「奴の目は薬のせいだろう。成長期に使った薬品の副作用なんだそうだ。ああ見えて色んな病気してたらしいからな。あんなに丈夫になったのは奇跡的なんだってよ。」
思わず目を剥いた。あの秀が、鋼鉄のように強い彼が病弱だったとは到底信じられなかった。
「それなのに、軍隊に入ってたなんて。」
「金が必要だったんだろう。特殊難病医療には大金がいるからな。」
特殊難病とはなんだろう。不思議に思いながらも、とにかく難しい病気の治療のことだろう、と納得して、由良はまた視線を上げた。
「もう一つ聞いても良いですか?」
「なんだ?」
「どうやって兄弟だってわかったんですか?ずっと会った事なかったんでしょう?」
「遺伝子判定だ。組織に入るとき健康診断も兼ねて色々調べるからな。奴はエライコト出てきたらしいぞ。外科手術も何度もしてるし、様々な治療経験があるって刀麻から聞いてる。俺たちと一緒に育てられなかった理由の一つは、奴のその身体の弱さのせいじゃないかと思うね。俺んち、そんなに裕福じゃなかったから。」
「そうなんですか。」
「勿論他にも理由はあるだろうけどさ。本人も知らんらしいし。奴は産まれてすぐ施設へ預けられたってことが記録でわかってるだけだ。俺たちは親からそのことを聞かされてなかったから、本当に知らなかった。だからなのかはわからんけど、愛想のない奴でね。あれでも随分マシになったのよ。昔はひどかったんだから。」
「ロボットとか、合成人間とか呼ばれてた…?」
「そうそう。人形とか精密機械とかね。秀がお前に話したのか?」
「うん。まるで、自分の事嫌っているみたいにそう言ってた。」
「へえ。秀は本当にお前には気を許してるんだな。そうでなくても無口なのに、自分の事を他人に話すなんて。」
優しい声音になった流河の方を、由良は複雑な思いで見つめた。
親友とこの長身の青年が不在の間に、自分と秀との間にあったことを思い出す。また視線を落として黙り込んだ。
「お前は秀が嫌いなのか?」
急に大人しくなった目の前の娘の様子が気になって訊いてしまう。
「そんな事ないです。言ったじゃないですか、優しくしてくれるって…親切にしてくれる人を嫌ったりしませんよ。」
「あの秀が、親切ね。耳を疑うような話だが、どうやらお前にはそうらしいな。」
「普通に優しい人ですよ。ただ誤解されやすいだけでしょう。」
にっこりと笑った流河が大きな手でぐしゃぐしゃと大胆に由良の頭を撫でた。思わず身体全体が揺れる。
「やめてやめて酔っちゃう。流河さん力があるからくらくらしますよ。」
「すまんすまん。ついお前が相手だと手加減を忘れちまうんだよな。まあ、とにかく行って来いよ。美夜子は俺が宥めておくから心配するな。あの子にとってもお前は代えられない人間なんだから、わかってくれるよ。」
それだけ言うとひらひら大きな手を振って行くように促す。仕方なく歩き始めた由良の後姿を見送ると、彼女らの私室のパネルに手を伸ばした。
「お姫様。ちょっといいかい。」
「流河さん!?」
驚いた声で美夜子はドアを開くと、大きな影を部屋に入れた。
「お部屋に入れてもらったのは初めてかな。こんな狭いんだ。不便じゃないかい?」
「二人分だから狭く思えるのよ。ね、由良と会わなかった?さっき出て行ったんだけど。」
「また喧嘩しちゃったんだって?必ず仲直りするって約束しただろう?」
「喧嘩じゃないわよ。ただ、由良があたしに隠し事するから。」
「あんただってしてる。」
「あ、あたしのは!」
「あの子があんたに言えないって事は余程のことなんだろ。無理に聞き出そうしたりしちゃ駄目だ。」
「あたしと由良はずっと親友だったのよ。なんだって話し合ってきたもの。今更隠し事なんかできないわ。」
「あんたはあの子に隠しても、あの子はあんたに隠せないのか?それは一方的だろ?」
「流河さんになんか、わかんないわよ!あたしと由良は…!」
「わっかんねーよ。ただ、俺にもわかることがある。何でも話せるはずのあんたに言えないってことは、あんたに迷惑をかけることを恐れてるか、あんたを傷つけたくないかのどちらかだ。あそこまで美夜子ちゃん大好きな由良が話せないってのはそういうことだろう?あんたは馬鹿じゃないんだ、察してやんなよ。」
呆然と背の高い恋人を見つめる。
流河にそこまで言われなければわからなかった自分が信じられない。
どんなことでも話してくれた親友が、彼氏だった真己のことになると急に口が重くなり、誤魔化すようになったのだ。
もし酷い目に遭わされたのなら、きっと美夜子に話してくれたはずだ。傷つけられたのなら、相談してくれたはずだ。どうしていいかわからないのならきっと答えを求めてきただろう。心配かけたくない等という理由が生じる仲ではない。
なのに真己の事だけは教えてくれなかった。由良が一人で決めて別れたのだ。なんの相談もしてくれずに。相談したくても出来なかったのだ。何故なら、その原因に美夜子が関わっていたから。
そんなことも推測できなかったとは。
どういう経緯なのかもわからないが、由良が自分に話したくないということは、なんらかの形で自分が関わっていたと言うことなのではないか。
「あたしが、何かしちゃってたの…?自分では何も気が付かずに、二人の仲を壊すようなこと、しちゃってたの…?」
「だからさ。秀のことも少し大目にみてやってくんねーかな。あんたが奴を嫌えば嫌うほど、由良は困ると思うぜ。」
「どうしてよ!いつからあの人とあの子はそんな仲になったって言うの?あたしはなにも聞いてないわよ!?」
「あんたがそうやって責め立てるから、余計由良は素直になれねーじゃん。あんただってわかってんだろ?あの二人は、結構うまく行くと思うんだけどな。」
流河の口調はもう二人の仲を肯定している。それがますます許せない。自分だけがまるで蚊帳の外のように思える。
「絶対認めないわよ!」
凄い剣幕で怒鳴った美夜子を眺めて、流河はやれやれと溜息をついた。
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