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髪を切る日  作者: ちわみろく
髪を切る日
43/93

古都で過ごす日

 港湾でのデートを済ませて、流河はとりあえずマドンナに指示を仰ごうと連絡をつけて見る。忙しくて取り合ってもらえなければどうにか美夜子をなだめて隠れ家に戻ればいい。

 松山市にいる鈴奈は、忙しい様子を見せなかった。周囲の様子が少しざわついているのがわかる程度で、取り込み中と言うほどではないようだ。端末を通じて、美夜子の意志を知らせる。

「わかったわ。じゃあ、ここまで美夜子さんを連れて来て頂戴。許可証の発行の手配をしてあげるわ。」

 端末の小さな画面の向こうで、幼い顔を少し傾げる指導者がのんびりした声で言った。

「ってことは、松山に連れて行って、そのまま京都まで行けと、そう言うワケ?」

「美夜子さんは急いでいるのでしょう?だったら手配も急がないと、頼んですぐに入館許可が下りると言う保障はないのよ。流河一人で連れて行くの?由良さんは?」

「…ちと、もめまして。俺一人で連れて行くことになっちゃいそう。」

 大きな目を更に丸くして驚いた表情を見せたマドンナは、すぐに意味深に微笑んだ。

「まあ。まあまあ。そうなの。匠に連絡して、京都支部のほうで応援が頼めるか聞いてあげるわ。」

「すまんね。じゃ、そっちに着く時にまた連絡入れるよ。」

「素敵な女の子が貴方を待っていたでしょう?流河。」

「どういう意味?」

 まるで事の次第を見透かしたかのようなマドンナの口調に、思わず憮然となる。

「とぼけても無駄よ。あんなに仲良しの由良さんを置いてきて貴方と二人でいるってことは、それなりのことがあったんでしょう?よかったわね、念願の素敵な恋人が出来て。」

 思わず頭を抱えたくなる。指導者はなんでもお見通しなのだ。

「…かんべんしてくれ。」

「こうなることはわかっていたのよ。気を付けて連れて来て。」

 ブツっと音がしそうなほど乱暴に通信を切ると、流河は恥ずかしくて照れくさい気持ちを押し隠すように、端末をしまった。

「鈴奈さん、なんて言ってました?」

 港から少し都市部に入ったターミナルで、辺りを物珍しそうに見物していた美夜子が振り返った。少し、声が硬いのは気のせいだろうか。

「すぐに、あんたを連れて来いってさ。やれやれ、どうやって連れて行こうかな。隠れ家に戻れそうか?」

 待合所の壁に埋め込まれた小型のスクリーンや表示されたパネルを一通り眺めると、彼女は視線を落とし首を横にふった。喧嘩したばかりの親友と顔を合わせる勇気は、まだないらしい。

「じゃ、車を回してもらうか。秀にでも頼んで、持ってきてもらおう。」

「秀さんに?」

 美夜子は途端に顔を上げて表情を曇らせる。それを見て、流河は苦笑した。

「そう嫌うなよ。車を持ってきてもらうだけだろ。それにあんたが思ってるほど秀は悪い奴じゃないよ。」

 出来たばかりの彼女はやけに流河の弟を嫌う。美夜子と秀は一緒に行動をすることが少ないのに、そうまで嫌えるものだろうか。

「初対面の女の子の顔を殴るような人好きになれません。」

「俺もあんたに当身を食らわせましたけど。」

「女の子の顔よ?由良を傷つけたことは到底許せないわ。…それに、あの人は私の大嫌いな男にそっくりだから。だから、嫌い。」

 親友の髪を切らせた隣町の男子校の生徒。美夜子が知る限りでは、由良と荒井真己はとても仲良く見えた。確かに兄弟か部活の先輩後輩のような交際に見えたけれど、由良はそれでも充分楽しそうだった。 

 大事な親友を取られて、嫉妬もあったし羨望もあった。真己は、美夜子に言い寄ってくるような男子とは違って見えたからだ。だからうまく行ってほしかったのに。

「殴られた当人はとっくに許してるってのに。…そっくりって、顔は本人の責任じゃないと思うけど?」

「あたしが好きなのは流河さんよ。どうして弟まで好きにならなくちゃいけないの?」

「どうして好きな男の弟をそこまで毛嫌いするの?好きになれとは言わんけど、あんたの態度は子供っぽいよ。」

 今の台詞はカチンと音がしそうなほど美夜子の神経に障ったらしい。つん、と顔をよそに向け、それ以上の会話を完全拒否の態度だ。

 美夜子自身だってどうしてこうまであの男が癇に障るのかわからない。とにかく面白くないのだ。この頃は由良が彼にやたら構うので余計に腹立たしかった。

 そりゃ、強いのはわかる。武器や機械の扱いにも長けていることも知っている。だから、親友が師匠と仰ぐのは無理もないけれど、それでも、いくら師匠だからってあそこまで懐くことはないだろうに、自分を差し置いて。

 由良が、またあの人に取られるのような気がして、怖いのかもしれない。そして、今度こそ手の届かない所へ行ってしまった彼女を傷つけられるのが嫌なのだ。そうなってしまったら、美夜子はどうやって由良を慰めたらいいのだろう。

 杞憂ならばそれでいい。余計なお世話であればもっといい。

 彼女を置いてきてしまった自分の行動を棚に上げて、美夜子は由良の事が心配でならないのだ。


 京都に着くと 摩墨匠が出迎えてくれた。

「また世話になるな。」

「何言ってるんだよ、俺だって年中東京に厄介になってるよ。部屋を空けたから何日滞在しても大丈夫だぜ。」

 浅黒い顔を綻ばせて匠は流河の肩を軽く叩いた。その影に隠れるように付いて来ている少女の姿をちらりと見て、

「弟はいないから心配ないよ、美夜子ちゃん。あんなナンパ野郎の事は忘れて良いから。」

 安心させるように付け足す。

「敏也は実家か?」

 流河が聞くと、匠が頷く。

「普段は普通の眼科医だからね。刀麻と同じくらい忙しいんだよあいつ。」

 秀の目を診療するために大阪から来てくれた匠の弟は美夜子をお茶に誘って口説いていた。関西弁の陽気な彼は美夜子にとても優しかったし、彼女を理解してくれていたけれども、今のタイミングで顔を合わせたくなかった。気まずいことこの上ない。

「お世話になります。」

 小さな声で匠に挨拶する美夜子は顔をまとも上げられない。

「いらっしゃい美夜子ちゃん。マドンナからお客さんとして待遇しろって連絡を貰ってるから遠慮しないでくれ。部屋は二階の客室、でよかったんだよな?流河。」

「いいか?美夜子。二階の部屋は二人部屋なんだがな?」

 流河がふざけた口調で尋ねると、美夜子は顔を真っ赤にして、うつむいたまま小さく頷いた。

 匠が短く口笛を鳴らして笑う。軽く流河の脇を肘で小突いてまた笑った。

「しばらく弟には黙っておいてくれよな?」

「言ったところで大して傷つきゃしないと思うがねあいつは。まあわざわざ言うつもりもないよ。」

 手にした荷物を運んでやろうと匠が美夜子に手を差し出した。おずおずと遠慮がちに小さなバッグを手渡す少女の方をなるべく見ないようにして受け取ると、流河の隣に並んで玄関ホールを開いた。

 京都の拠点は、摩墨匠が任されている。東京ほどではないにしても人口が多く、それなりに都会だ。古都の時代からの歴史的建造物なども多数残され観光都市でもある。京都市の中心地に程近い住宅地に拠点とされる施設があった。表向きは観光客むけの宿泊施設であるために部屋数も多く、組織の人間も多く住み暮らしている。そのため人の出入りも多く、目に付きやすい。地下の駐車場から上がってきた流河と美夜子を出迎えてくれたのは、人目につきやすいことを警戒してのことだった。

「じゃ、俺は一階のロビーでお茶でも飲んでるから、後で来てくれ。国会図書館までの道を案内するよ。」

 荷物を部屋に置くと、そういって匠はさっさと降りていってしまった。

「美夜子、疲れたんじゃないのか?大丈夫か?」

 珍しく殆ど口を聞かない気丈な少女の様子が気になって、流河が心配する。

「…流河さんの方が疲れてるでしょ。ごめんなさい。巻き込んでしまって。」

「巻き込まれることには慣れてるし俺はタフだからこのくらい平気だよ。」

 陽気に笑って空元気を見せる流河を申し訳なさそうに見上げる美夜子は、なんとなく元気がない。色々後悔してしまっているのだろう。

 親友と仲違いしたまま出てきてしまったことや、目の前の青年を無理矢理巻き込んでしまったこと以外にも、まさか摩墨匠と会うことになるとは思わなかったために、彼の弟に言い寄られたことなども思い出してしまって気持ちが塞いでしまう。敏也はわかっていると言ってくれたけれど、罪悪感が無いわけではなかった。

 荷物を置いたままツインのベッドに腰掛けてうなだれているふわふわの髪の少女を見て、流河は小さく溜息をついた。彼女の隣に腰を下ろして、そのまま後ろに仰向けに倒れる。ベッドが大きく揺れた。

「ほら、おいで美夜子ちゃん。」

「え?」

 大きな両腕を伸ばして美夜子の前で広げる。どうしていいかわからずにぼんやりとその両手を見る少女を、流河は軽々と抱き上げて自分の腹の上に乗せた。

「流河さん…!」

「せっかくここまで来たんだからそう落ち込むなよ。さっきまで俺に食って掛かってた元気はどこへ行っちゃったんだ?そんな暗い顔するなんてあんたらしくないだろ?あんたは笑ってるか怒ってるかしてるほうが可愛いよ。いつまでもさえない顔見せてると意地でも怒らせちまうぜ?」

「…ごめんなさい。でも、下ろしてよ、こんな格好恥ずかしい。あたし子供じゃないのに。」

 父親が子供をあやすかのように、美夜子は流河の腹の上に座っている。実に恥ずかしい。

「俺はこの格好好きなんだけどな。」

「子ども扱いしないでって言ってるのに!」

「子供扱いしてるわけじゃないよ。ちゃんと同じ部屋に泊まることにしたろ?」

「!」

「こうしたほうが、あんたの顔がよく見えるんだ。あんた小さいし、俺はでかいしで普通に隣にいるだけだと、あんたのつむじしか見えないんだよ。今日は特にあんた下ばっかり見てるから余計だ。」

「あ…。泣き腫らした顔恥ずかしくて、つい。」

「泣き腫らしてても可愛いよ。怒ってる顔の方が落ち込んでる顔よりずっといい。」

「…素直に喜べないんだけど、その言い方。まるでいつもあたし怒ってるみたい。」

「お、調子が出てきたじゃないか。そこで質問。」

「質問?あたしに?」

「由良にはキスしたって言ってたけど、それ以上のことはしてたの?すっげ気になるんだけど。」

 自分好みの可愛い女の子が、友達とべたべたじゃれあっているのを見るのは、流河から見れば中々微笑ましく、目の保養にもなり悪く無いものだ。

「…ぷっ。やだ。妬いてるの?由良に?それとも興味があるのかしら?」

「両方かな。なあ、教えてくれよ。気になって今夜眠れそうにないんだ。」

 心配なのか、それとも単に好奇心なのか、楽しそうな表情で追求する年上の青年がなんだか可愛い。

「一回だけ、そういうのしてみたことあるわよ。ふざけて、服脱がしてみたりとか触ってみたりとか。でも駄目だったわ~くすぐったくって、笑っちゃって、全然そっちの…その同性愛?って感じにはならないのよね。あたしも由良も。そもそもどうしていいかわからないし。」

「ふうん、そういうもんか。」

「あの子って体つきはあんなだけど中身すっごく子供だし。キスしたって言っても、もう二、三年前の話よ。それも、口と口をちょっとくっつけただけ。親にするようなものね。安心した?」

「安心…そうだねぇ、安心したかな。ちょっとだけ残念でもある。」

 そういう妄想も悪くない、などとちらっと思ってたなどとは言えない。

「何よそれ。どういう事?」

「いや、安心しました。自分の彼女がとってもノーマルで。」

 そう言って起き上がり、自分の腹の上に乗った彼女を膝の上に乗せる。なんとも言えず愛らしい感じがして、流河は思わず鼻の下を伸ばしてしまう。自分の膝の上にちんまりと座る恋人が可愛い。

 やわらかな栗色の髪に触れ、何度も撫でる。少し腫れた瞼が大きな瞳を眠そうに見せて、何かとつり上げては睨みをきかせる気丈さが失せてしまい無防備だった。日頃無防備さを全く見せない、隙のない美夜子だが、今日はやはりいつもと違う。

 小さな顎を指で軽くつかんでキスをする。せずにはいられない。淡いピンクの口紅を塗った可憐な唇はすぐに開いて流河の舌を迎え入れた。慣れない動きながら必死で彼に合わせようと舌を絡めてくるのがいじらしくて、できるだけゆっくりと優しく丁寧にするよう心がける。彼女が自分の大腿部を固く握り締めた。

「いかんな。匠を待たせてるのに、押し倒したくなっちまう。」

 切ない吐息と共に離れた少女の口元をそっと拭ってやりながらうわずった声で呟く。

「着替えるわ。顔も洗いたいし、先に下りて少し待ってて。」

 どこか潤んだような瞳でそう言う美夜子を、ゆっくりと下ろしてやって床に立たせる。そのまま彼女は小さなバッグを開いた。外出の準備が一切無かった美夜子のために、松山で貴緒が用意してくれたものだ。いくつか中身を手にして洗面所の方へ歩いていってしまう。

 それを見送ると、もう一度溜息を付いた流河もスーツケースを開いて自分の着替えを出した。今着ているブルゾンや綿のパンツを脱いでベッドに投げ捨て手早く着替えるとケースを閉じる。

 外出の多い流河のスーツケースは常に一揃い外泊準備を整えて部屋に置いてある。それを車と一緒に秀に持ってきてもらったのだ。

「一階のロビーにいるからな。」

 洗面所の方に声をかけて、流河は部屋を出た。美夜子の返事は聞こえなかったが、大丈夫だろう。着替えや洗顔を見られることを嫌がりそうな彼女に、返答は強要しない。

 面倒なので階段を駆け下りてロビーに下りると数人の客がラウンジにいた。ラウンジの隅の方のテーブルで、ぼんやりとコーヒーを飲んでいる匠の姿がすぐに見つかる。こっちに気づいた彼が軽く手を上げて挨拶した。

「よ。彼女の方は?」

「着替えとお化粧直しだって。女は時間かかるからな。」

 同じテーブルの椅子を勧めて、同じコーヒーを頼んでくれた。

「…一時間や二時間ここで待たされるかと思ったよ。」

 匠が予測した時間の微妙さに、苦笑する。

「待たせても良かったわけか?」

「イヤに決まってるだろ。いつからつきあってんだよ?こないだ敏也が行った時は彼氏はいないって嬉しがって吹聴してたぜ?」

「今日から。ほんの、数時間前に。そういうことになった。」

 匠がカップを取り落としそうになる。

「じゃ、まだやってないのか。」

「当然。キヨイ関係だ。」

「もう一つ部屋を用意できるぜ?プラトニックで是非。」

「いらぬお世話だよ。俺は別に禁欲主義じゃない。」

 喉を鳴らすように笑って匠が流河の大きな肩を叩いた。日に焼けた黒い肌に明るい笑顔が良く似合う。外見は弟の敏也と全く似ていないが、陽気な性格は同じらしい。

「あんた好みの女の子だと思ってたんだよな。流河は気の強い女が好きだからなぁ。」

「俺、そういう風に見える?」

 運ばれてきたコーヒーを口に運びながら聞き返す。

「何言ってるんだ。自覚ないのかよ。あんだけマドンナのことだって気に入ってただろ?よく似たタイプじゃんか。誰にでも平気で噛み付くようなところとかさ。最初は、あっちの、由良ちゃんの方がタイプかと思ってたんだが、どうも違うんだよな。あの子、腕っ節は強いけど、そんなに跳ねっ返りじゃないだろ。」

「由良か。いい奴だとは思うんだけど、子供っぽくてな。無防備過ぎて。」

「ん、そうか。あれはあれで可愛いけど。まあ、流河には気の強い女が似合うよ。」

「お守りが大変そうだけどな。ま、慣れてるからいいけど。」

「苦労性の流河にはピッタリだ。…うわさをすれば、だ。部屋は一週間は自由に使えるようにしてある。楽しくやりなよ?」

「うっさいよ。」

 階段を降りてきたピンクのワンピース姿の美夜子を見て、匠が立ち上がった。意味ありげに目配せして、美夜子を迎えるように歩み寄る。

 裾に白いレースをあしらった膝丈のスカートを翻してゆっくりとラウンジに下りてくる姿は、小柄でも立派な貴婦人だ。年中ジャージ姿でも平気な親友とは訳が違う。

「お待たせして済みませんでした。行きましょうか?」

 泣き腫らした顔もメイクで綺麗にしてきた彼女は、いつもの美夜子らしく愛らしく可憐だった。



読んでくださってありがとうございます。

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