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髪を切る日  作者: ちわみろく
髪を切る日
35/93

フアンの日

不安、ではなくフアンです。


 最寄の総合病院には、ものの3分で辿り着き玄関に乗りつけた。看護師らしい中年の女性が三人と、初老の白髪交じりの男性が白衣で立ち尽くして、たった今到着した急患を睨むように見つめている。

 刀麻がすぐにドアを開いて地上に降り立った。医師と言うには少々変わった外見の刀麻の顔を見た途端、こちらを見つめていた年配の男が白髪の混じった眉を吊り上げる。

「執刀する医師は誰だ?素性のあやしいモグリ医者なんぞに貸す病室はうちにはない。」

 野太い声で怒鳴った。傍にいる看護師がびくりと肩を震わせる。

 刀麻は眉をひそめると、自分の医療鞄から葉書ほどの大きさの薄いカードを取り出して、怒鳴った年配の男の眼前に突きつけるようにそれを見せた。

「あんたが院長だな?俺は安西刀麻という国際医師免許を持つ外科医だ。これが証明書。心配なら国際医師会にでも登録番号を問い合わせてみろ。」

「国際医師免許?お前のような若造が?」

 目の前の証明書を凝視して登録番号を覚え、傍らの看護師に伝えて確認を取る。

「ランクAのドクターです、院長。」

 雑誌ほどの大きさの端末を駆使して問い合わせ結果を見た看護師が答えた。

 院長が、血走った目を見開いた。

「ランクAだと!?日本でランクAなんぞとれるもんじゃないはずだ。」

 ありえないものでも見る目になった初老の男は、ゆっくりと証明書を刀麻に返した。

「俺の医師免許はイギリスで取ったものなんでね。さあ、手術室を貸してもらおう。そこのあんた、案内してくれ。至急切開が必要な患者がいる。それから脳検査を頼みたいんだが、ここには設備はあるか?」

 もう刀麻は院長の顔すらろくに見ていない。傍らの看護師に直に問いかけていた。

 呆然と立ち尽くす院長を完全に無視して、刀麻は彼女らに次々と指示を出しエアカーから患者を運び出させる。

 担架で病院内に運ばれた後も、ずっと意識のあった由良は病院の玄関でのやりとりをしっかりと見ていた。

 貫禄のある大きな病院の院長を黙らせた目の前の爆発頭の医師が、とても頼もしかった。

「刀麻さん、格好いいなぁ。」

 処置室で由良に次々と術前の処置を施している刀麻を見上げて、うっとり呟く。するとにやりと笑った刀麻が、

「そうだろ?でも俺に惚れちゃ駄目だぜ?俺はもう売約済みでね。」

 へたくそなウィンクをしながらそう言った。

「知ってますよ。残念だなぁ。刀麻さんが彼氏だったら安心して無茶が出来るのに。」

 言葉の意味ほど失望した様子も無く、由良はくすくす笑いながら答えた。

「そんな危険な発言をする子にはお仕置きだな。さあ、麻酔をかけるぞ。傷を切開するからな。」

「おおこわ。どうかちゃんと目覚めますように。」

「いい加減に口を閉じないと、麻酔ナシで切るぞ?」

「…美夜子は大丈夫ですか?」

「かすり傷だよ。後は脳震盪。検査にかけたけど問題なさそうだ。さ、口を閉じな。」

 全身麻酔用のマスクを半ば強引に患者の顔に装着させると、患者は程なく大人しくなり意識を失った。

傷ついた場所を治療するためにシャツのボタンをはずして片肌脱ぎにする。左肩から胸にかけて血糊で布が張り付いている場所ははさみで丁寧に切った。

 よく焼けた肌が惜しげもなく晒され、ついた血糊をガーゼで拭き取っていく。

 そう言えば由良が身に付けている服は貴緒のお古だった。道理で見覚えがあるはずだ。看護師を呼び、患者の服を脱がすように支持した。汚れた衣服は処分用の籠へ投げる。左足大腿部にも大きな傷があるので、ほぼ裸と言っていい姿にして、上からシーツをかけた。

 そのわずかな時間に見た少女の体つきが、自分の恋人の若かりし頃と重なる。

 痩せこけたという印象はない。スポーツ用のブラで包まれた乳房も小さいほうではなかった。しっかりと筋肉はついているが、女性らしい柔らかさが感じられない。ウエストの部分がきゅっと締まっていても、くびれている、と言うより、少年体型の細い腰のようだった。本当にこの子は思春期の女の子だろうか?

 刀麻は少し心配になる。皮下脂肪が少な過ぎるのではないだろうか。あんなに華奢な美夜子でさえ、素肌を見れば柔らかな印象があり、それなりに皮下脂肪があるというのに、由良はまるで少年のような体つきをしていた。

 痩せてはいないのにこの硬さ。殆どが筋肉だということだろう。体脂肪率を量らせたら10パーセントを切るかもしれない。この年代としては異例だ。

 自分の恋人の若い頃に思いを馳せる。あの頃の貴緒と同じ、いや、まだ貴緒の方が女性らしかった気がする。

「…きっと気にしてるんだろうな。可哀想に。」

 麻酔で安らかな寝息をたてている患者へ優しい視線を送ると、刀麻はすぐに手術室へ移動させるよう手配した。

「着替えを用意してくれ。上から下まで一式必要だな。麻酔から覚めたら着せてやってくれ。それから消毒を二回。抜糸はしない。生食と栄養剤の点滴、カテーテルの用意だ。」

 術着に着替えながら傍らの看護師に指示をした。看護師は頷いて、メモを取る。

「わかりました。刀麻先生。輸血はどうしますか?」

「増血剤を投与するだけでよかろう。見た目ほど出血していないようだからな、突き刺さった破片を無理に抜かなかったのがよかったな。よし、切っちまおう。」


 由良が意識を取り戻したとき、目の前に泣きそうな顔の親友がいた。

「気がついたのね。由良、よかった…。」

「美夜子は、怪我はなかった?」

「かすり傷だけよ。あたしは大丈夫。それより、あんたの怪我の方がずっと。」

 そう言われて、由良はようやく我に返った。そう言えばなんとなく変だった。意識があるのに、身体は寝ているようなちぐはぐな感覚だ。左肩から胸にかけて、少しつれるような感じがある。左足にも。

 薄い毛布の上から優しく右肩を撫でる親友の声が、どこか遠い。

「そんな顔しないで。大丈夫だよ、直ぐに傷は治るから。」

 心配そうに顔を歪める美夜子に、由良は笑いかけた。まだ少し麻酔が残っているのかいつもよりぼんやりした表情だった。

「ごめんね。あたしのせいだよ…!あたしがのろまだったから由良を傷つけてしまった。」

「そんなことないよ。私は美夜子を守るためにいるんだから、そんなこと言わないで。」

 軽いノックの音がした。そこではじめて自分が個室にいることに気がついた。どうぞ、と声をかける。

 左腕を吊った状態で、流河が病室に入ってきた。流河も傷を負っていたのか。

「よぉ、由良ちゃん具合はどう?」

「痛くないから、かなりいい方だと思います。それより、流河さんも怪我をして…大丈夫ですか?」

「大したことねぇよ。二、三日で包帯は取れるってさ。美夜子、患者を少し休ませてやれよ。」

 備え付けの、付き添い用の椅子に座って由良にすがるようにくっついている美夜子に退室を促した。

「美夜子をお願いします。」

「いや!あたしはここにいる。由良についてるわ。」

「馬鹿。あんたがここにいたら、休まるもんも休まらないだろ。明日また連れて来る。大事にしてくれ、由良。」

 右手で美夜子の肩をつかんで引きずり出すように廊下へ連れ出した流河は、弟とすれ違う。

「お前も、患者を休ませろよ?」

 低い声で忠告すると、そのまま長兄は歩いていってしまった。一瞬立ち止まったが、兄の方を振り返ることなく、秀は由良の病室へ入る。

「秀さん。お見舞いに来てくれたんだ。」

「起き上がったりしていいのか?無理をすると傷が開くだろう。」

 怪我人が上体を起こして机の水差しを取ろうと手を伸ばしている。その水差しを取って、コップに注ぎそのまま由良の口へと運んだ。左手で顎を支え、溢さぬように注意深く飲ませる。

「ありがと。利き手じゃないとは言っても、案外不便なもんだね。」

「他にして欲しいことがあれば言え。」

「とりあえず、そこに座って欲しいよ、秀さん。」

 立ったままの見舞い客に椅子を勧めて、由良は右手で軽く口元を拭った。

 左肩から上半身全体を白い包帯で覆われ、その上から淡い水色の上着を羽織っている患者の姿は寒そうに見えた。

「寒くないのか。」

「全然。熱いくらいだよ。脚の方は暑くて、包帯の下がかゆくなっちゃって。」

 傷のせいで発熱しているのかもしれない。それでしきりに喉が渇くのか、再び由良はコップに手を伸ばした。

 ようやく椅子に腰を下ろした秀がまたコップを彼女の手から取り上げ、水を注いで飲ませる。

「まだ麻酔が効いているようだな。」

「うん。まだ痛みが戻ってこないところをみるとそうだね。薬が切れたらこんなにのんびり座ってられないかも。」

「…もう、無茶をするな。」

「へ?」

「こんな無茶をして…死んだらどうする。死ななくても、大怪我をしたら!」

 秀の表情は無表情ではなく、真剣だった。本当に心配してくれているらしい。コップを持った手がかすかに震えていた。

 一緒に倉庫で声を立てて笑い合ったのは、数時間前のことだ。あの平和で朗らかな時間が、まるで嘘のように思えてならない。あの時は、こんな大怪我をさせてしまうなど思いもよらないことだった。

「そんなに心配してくれているんだ。…ちょっと、嬉しいな。ありがとう、師匠。気をつけます。」

 自分では無茶をしたつもりはなかった。これでも精一杯危険を回避したつもりだったのだ。

 飛行機の通過の後にほっとする間もなく爆発物の事を瞬時に思い出し、逃げ出そうと思ったが、間に合わなかった。

 それでも忘れていなかったから、こんな程度ですんだのかもしれない。

「お前の胸が真っ赤に染まってるのを見たときは生きた心地がしなかった。」

 秀の低い声が震えている。なんだかとても申し訳なかった。この冷静な人に、こんな声を出させてしまう自分が情けない。

「ごめんなさい。…本当に。」

「俺は、お前が危険から身を遠ざけるような教え方をするべきだったんだな。俺は間違っていたらしい。」

 訓練室で師匠として戦い方を教えてくれる中で、破壊工作や兵器に関する知識も色々と由良に話してくれていた。

 さすがに処理するところまでは教えてもらっていないが、有事の際の身の処し方は習っている。

 悔やんでいるかのような師の口調に驚いて、出来の悪い弟子は動揺する。

「そんなことないよ。秀さんは色々役に立つことを教えてくれたよ。だから美夜子に怪我をさせずに済んだもの。」

「肝心のお前がこんな目に遭ってどうする。」

「未熟者なもので。」

 悪びれもせず、由良は軽く笑ってそう答えた。そして、またコップへ目を向けた。

「そんなに喉が渇くのか?」

「ハイ。少し脱水してるのかも。」

「その脚ではトイレもいけないだろう。飲みすぎないほうがいいんじゃないのか。」

「カテーテルが入ってるから平気。」

 さらりとシモネタもいけてしまう由良は、返す言葉を失った師匠を不思議そうに見つめた。

 なんだか、真剣に悔いているのが馬鹿馬鹿しくなってしまう。これほどの怪我をしたと言うのに、本人はまるで懲りた様子もない。

「…参った。お前には。」

 緊張を解いたのか、ほんの少しだけ表情が緩んだ秀は、軽く頭を掻いた。

 また、笑った、と気付く。秀の表情が動いたことが、由良は嬉しかった。心配させてしまって申し訳ないけれど、師匠たる彼に、いつまでもそんな難しい顔をしていて欲しくないのだ。

 秀が笑ってくれれば、由良も嬉しい。思わず由良の顔も緩む。

「流河にお前を休ませろと言われた。…今日はこれで引き上げる。大事にしてくれ。三日後には東京へ戻れるだろう。」

 そう言って立ち上がった秀を見上げたが、彼女が少しだけ寂しそうに表情を曇らせた。

 もう、行ってしまうのだ。

 それもそうだ。医師でも看護師でもない秀が、今ここで出来ることは無い。さっさと立ち去って、自分の仕事に戻った方がいいだろう。きっと空港での事後処理だってあるに違いない。豊富な組織な人材の中でも、軍人上がりは彼一人だ。きっと、忙しいだろうし、何より疲労しているだろうから休ませるべきだった。これ以上、怪我人につきあう暇などない。

「うん。ありがとう。気を付けてね。」

 本心からそう言っているつもりなのに、まるで嘘をついているかのような言葉だった。親友の美夜子だって引き上げたのだ、彼を引き留める理由などない。

 立ち上がりかけた青年は、どうしてか再び椅子に腰を下ろした。 

「もう少しだけ、だ。」

 短く、今しばらくの滞在を告げる。

 甘えることをしない由良の心が、少し見えた気がした。言葉には出さなくても、彼女がここに居て欲しいと望んでいるのがわかる。

 内心では、言葉にしない彼女の願望がわかった自分に驚いていた。察する、とか、言わなくてもわかる、というのはこういうことなのかと、思った。

 安心したように由良が笑った。柔らかな笑顔だった。いつもの少年のような闊達な表情とは少し違う、見るものに保護欲をかきたてるような笑顔だ。今はただ傍にいて欲しいのだろう。なんとなく寂しいのかもしれない。心細いのかもしれない。その顔を見て、自分が感じた事は間違いではないと確信した。

 怪我の無い右手を握ってやり、

「横になれ。痛みが戻ってこないうちに、少しでも身体を休めろ。」

 起こした上半身をベッドに寝かすように促した。

「うん。そうする。」

 肘をついてゆっくりと体を倒すと、羽織っていた水色の上着がはだけてびっしりと包帯を巻かれた胸が見えた。右の肩は素肌だ。

 若い娘の素肌を見ても照れることさえ忘れる。痛々しくて思わず眉をひそめた。

「せめてこれくらいちゃんと前をあわせろ。」

「あ、ごめん。」

 上着の前を合わせてやり、上から軽い毛布をかけてやる。枕を引き寄せて頭の下に入れてやると、由良が自分で寝心地がいいように動いて位置を整えた。

 白い枕と、白いシーツに淡い水色の上着、白い包帯、白いカバーの毛布。その隙間に艶のある真っ黒な髪と、焼けた肌とが収まっている。

 毛布の裾から出した右手を軽く握り、もう一方の手で彼女の頭をゆっくりと撫でた。

 由良が心地よさそうに目を細め、やがて閉じる。五分と待たずに、寝息を立て始めた。本当は疲れているのだろう。ただ気を張っていて、眠気を感じなかっただけなのかもしれない。

 さっきまで美夜子と流河がここにいたことを思い出す。由良は美夜子が傍にいたために、緊張していたのか。それは親友に気を遣っているという意味ではなく、心配を掛けたくないからだ。

 それに気がついて秀は、ふっとかすかに笑った。由良は秀の前でこんなにも簡単に眠れるのだ。気を許し、全てを委ね、心配かけてもいいと甘えている。目の前の少女に心を許されている証拠だった。そう思うと嬉しくて思わず顔が緩んでしまうのだ。

 規則正しい寝息。安心しきった寝顔。握った手から伝わる温かなぬくもりが、胸を熱くする。

「…俺は、許されている。」

 低く呟いた秀はゆっくり手を離し、彼女の安らかな眠りを妨げぬように静かに病室を出て行った。



読んでくださってありがとうございます。

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