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髪を切る日  作者: ちわみろく
髪を切る日
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邂逅の日



 目覚めたのは、こめかみに触れた冷たい金属の感触のせいだったと思う。

後頭部に鈍く重い痛みが居座り、ひどく苦しい。ようやく瞼をあげる、その動作だけで溜息が漏れた。

 息がかかるほどそばに、他人の顔があった。何かの香りが一瞬眉を寄せさせる。どこか香ばしいような、それでいて人工的な香水のような匂い。うつぶせのまま顔をそっと上げたとき、その人もわずかに身をひいた。

「……つうっ…」

 目を開けないほどのひどい頭痛と、眩しい明かりが再び顔を俯かせる。

「気づいたのか?」

 低い声だった。耳元に近い辺りで息遣いと共に聞こえる。

「動くな。死にたくなければな。」

「え…」

 由良はようやく自分がどんな状態にあるのかを認識しはじめた。

右腕の下で微かに息づいているのは多分、柔らかで嗅ぎなれた香りのする髪の感触で美夜子だとわかる。自分の身体がひどく重く感じるのは疲労のせいだろうか?そして左のこめかみに感じる冷たい金属は時折動くが相変わらずぴったりと自分の肌に吸い付いている。

 投げ出すように広げた足の感覚は薄く、ぼんやり麻痺しているみたいだった。

再び目眩と頭痛をこらえて顔を上げ、目を開くと、心臓が跳ね上がりそうなほど間近に他人の顔があった。

「真己くん…!」

 由良は思わず先週まで付き合っていた少年の名前を呼んだ。目眩も頭痛も忘れてしまうほどの衝撃だった。

 その顔を見て彼を連想するほどに似ているのに、次の瞬間には別人であることがすぐにわかった。それは、呼ばれた名前に相手が怪訝なそぶりをしたためだけではない。

 取り違えてしまいそうな程よく似てはいるが、由良が知っている真己より髪が長いし、やや大人びている気がした。兄だと言われれば信じただろう。切れ長の瞳、濡れたように艶を放つ髪、女子である自分より白い肌。よく切れる冷たい刃物のような雰囲気は驚くほどそっくりだ。

「誰だお前は?どこから入ってきた?」

 見覚えのある顔が低い、感情のこもらない声で言い放つ。

「誰…?え…ちょっと待って、まだ頭がよく働かない…」

 痰が絡んだような乾いた声で由良は応じた。そのままゆっくりと上体を起き上がらせようと動いた途端、

「動くなと言ったはずだ!」

 左のこめかみにあたった金属がぐいと強く押し付けられた。目の前の秀麗な顔は無表情に詰問を開始する。後頭部の鈍痛も目眩も頭痛も全て忘れ、冷や汗が出てくるのを感じた。痛いほど押し付けられたそれは銃口だったのだ。

「何者だ?」

 声が震えるのをかろうじて押さえて答えた。右腕の下には、美夜子がいるのだ。弱気になっては守れない。

「何者…って、言われてもただの女子高生だし…」

 別れた男子にそっくりな彼は、再び怪訝な顔をして振り返った。彼の後方にもう一人立っていることに由良は初めて気づく。この隙に周囲を見回すことができる。

 仰向けで由良の右腕の下に横たわっているいるのは間違いなく美夜子だった。上体がわずかに上下し、呼吸しているのがわかって安堵する。辺りはだだっ広くいやに殺風景で埃っぽかった。壁や床が長い年月で変色・風化して乾いている。部屋の大きさはちょうど由良と美夜子が通う学校の教室くらいだ。大きな窓からさんさんと光が射して由良の瞳を射た。

 銃口を突き付けた男がこちらを向かないうちに由良はすばやく体を起こして男の右手を叩く。そのまま美夜子を抱き上げるようにして立ち上がり、駆け出そうとした。

「動くな!今度は本当に撃つ!」

 別の声だった。真己に似た男の後方にいた男だった。その言葉に思わず足を止めた由良が振り返ったとき、相手の顔を確認する間もなく顔を殴られた。手加減しなかったのだろう、由良は美夜子を抱えたまま殴り飛ばされ、壁にぶつかって再び気を失った。

 そのショックで美夜子が正気づく。大きな瞳を開くと、自分の友人が自分を抱えたまま気を失っている。目をさらに見開いて、美夜子が由良に取り縋った。

「…由良!どうしたの!?」

 後頭部からの出血と、殴られて口腔を切ったのか唇から血がにじんでいるのを見て驚愕した。

「あんたに怪我はないようだな?」

「こっちに今度は聞くとしようか」

 予想もしなかった二人の男の声がひどく冷たく聞こえて色白の少女は全身をこわばらせた。

 知っている顔なのに、知人ではない。

 美夜子の知っている人物、クラスメートだった木内悟と同じ顔なのに別人だ。もう一人も見覚えのある顔なのに、知人とは違う事がわかる。

「…あ、あたしには、何をしてもいいから…由良には、これ以上何もしないで!」

 全身を震わせながら、気絶した親友を庇って大きな声で怒鳴った。


 優しい、わずかにかすれた声が聞こえていた。

 どうやら何事かについて文句を言っているようだった。

 美夜子が再び目を開いたとき、今度は由良の腕の中ではなく、ベッドの上だった。古いが、清潔そうな天井が目に飛び込んでくる。そして耳には、

「女の子にこんな乱暴するなんて。流河りゅうがも、しゅうも信じられないよ。」

 おっとりとしているが悪態を付く声。

「反抗しなきゃ乱暴する気はなかったんだ。」

 文句を言う掠れ声に応じているが、のんびりした太い声。

「まさか頭に銃口を押し付けられて抵抗されるとは夢にも思わなかったのでな。」

 感情のこもらない低い返答。

 全て男の声だった。

 顔だけを動かして、声のする方を見ると3人の青年がそこにいた。デスクに腰だけをかけている細身の男と、カップを片手に壁にもたれている男は見覚えがある。椅子に腰掛けている青年は、金髪だった。

「お、気が付いたみたいだぞ。」

 壁の方からこちらの視線に気づいたのか、二人に声をかける。残りの二人も振り返った。

 これは、ある意味かなり目の保養かも知れない。そう思える自分の心の余裕が我ながら凄いなと思った。呑気にそんなことを思いながらそれぞれの顔に見入ってしまう。

 椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる金髪の青年は明らかに日本人ではない容貌だ。高く通った鼻筋に、薄い瞳と肌の色。背も高い。そのくせ何処か、違和感がないのは、その滑らかな日本語のせいだろうか。彼は、クリーム色のセーターと青いジーンズの上に黒いサロンエプロンをかけている。

 声をかけた男は見覚えがあった。クラスメートの木内悟にそっくりだった。でも別人なのはわかる。同級生にしてはどことなく落ち着きがありすぎるのだ。彫りの深い、はっきりした顔立ち。茶色の上着と黒いスラックスを身につけて立っている姿が、その顔立ちから連想させる悟とは違う雰囲気を漂わせていた。流河と呼ばれたのはこっちの青年だろう。

 そしてこちらを見つめながらデスクに腰をかけたままの細身の青年の方が秀、だろうか。親友の髪を切らせた、近隣の男子校の生徒によく似ていた。美夜子も何度か会った事がある。悟の時と同様に、少々老けた印象があるし、髪が長い。彼は細身がいっそう強調されるような黒いタートルネックセーターと黒いスリムジーンズに身を包み、その細身の姿を押し隠していた。

「ごめんね、怖い思いをさせたでしょう。僕はセイラって言うんだ。よろしくね。」

 流れるように滑らかな日本語を話すその青年は、にっこりと笑って語りかけてきた。その笑顔には確かに他人を安堵させる優しさがある。       

 慌てて起き上がった美夜子が、口を開くより早く彼は続けた。

「悪いけど、君が失神してる間に調べさせてもらった。高野美夜子さん。1年6組。自然科学部所属。君の友達の由良ちゃんは、今別室で手当してるからね、安心して。」

「は、はい。あの、一体…」

「お腹空いていないかい?何か作るよ。君は体に異常無いから何でも食べていい。リクエストある?」

 長身を屈めて笑う美貌に見とれながら、ベッドの中で身じろぎする。いきなりそんなことを言われても、と困りながら、今まで何が起こったのかを少しずつ思い出していた。

 脳震盪を起こして気を失った友人の腕から、美夜子を引き剥がして無理矢理立ち上がらせたのは、あの一番長身の流河と言う青年だ。

 あの時の衝撃を思い出す。見知らぬ人なのに、何故こんなにも知人に似てるのだろうか。親戚か、あるいは他人の空似なのか。

 壁に背を付けたまま倒れている由良の傍らに片膝を付き、血の滲んだ顔を再び平手打ちしたのが秀と呼ばれた男だった。止めに入ろうとして腕を振り払ったとき今度は当て身を食らったのだろう、腹部に息が止まりそうな衝撃を感じて意識が遠のいていった。

「由良は…!何処にいるの。由良は、あんな怪我をしてるのに、あの人が殴って、由良は…」

 まっすぐ黒ずくめの青年を指さして非難する。

 するとセイラが振り返り、ふたたび文句を言うためか秀の方へ寄っていく。

「秀。君は、あっちの女の子も痛めつけたりしたの?」

 面倒くさそうに、秀が顔を上げる。

「痛めつけてない。あの娘が見てるところでは。」

 青年は物憂げに答えた。物憂げと言うよりも、感情が無いのかもしれない。

 美夜子が逆上したように立ち上がった。ベッドを飛び降りてつかみかかっていく。

「じゃ、あれ以上に乱暴したのね!?許せない!あの子が何をしたって言うのよ!」

 大きな目が潤んでいる。真己によく似たこの青年に痛めつけられた由良はどんな思いをしたことだろう。そう思うだけで胸が苦しくなるほど悔しかった。

「そう、怒るなよ。あんたが気絶した後もちゃんとこの医務室まで運んできたんだぜ。俺らは戦闘訓練を受けてるから、相手が突然行動すると反射的に攻撃してしまう。特にあの時は警戒していたから仕方ないんだ。その後頬を叩いていたのも、正気づかせるためだったし、手当てもしている。…そっちの彼女は怪我をしているけど、あれは秀がやったんじゃない。」

 果敢にも噛み付いてくる少女を冷たい目で見つめている秀をかばって、流河が救いの手を差し伸べる。

 その時、大きなガラスを破るような音が聞こえた。反射的に音の方角へ顔を向ける3人の男は、一瞬、顔を見合わせる。

「まさか…」

 その時一番はじめに駆け出したのは秀と呼ばれた青年だった。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

次回も是非読んでいただけたら嬉しいです。

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