戻れない日
初めて袖を通す制服は冬服だった。白いブラウスに赤い格子柄の小ぶりのネクタイ。膝丈のスカートは前後にプリーツの入った可愛らしいもので、ネクタイの柄と同じである。
「そうか、秋なんだ。なんだか、季節とかも全然わからなくなりそう…。」
「可愛いデザインだね、あたしこの制服結構好きだな。どう?似合うかな。」
同じ制服を着ながら、二人の第一声はまったく違う。由良は短いスカートで僅かに寒いと感じて今の季節感を言葉に出し、美夜子は自分に似合うか否かを声に出してみる。
「美夜子は可愛いよ。大概のもの似合うしさ。」
「それ、褒め言葉じゃないからね。なんでも似合うって、無難で普通ってことじゃない。」
それのどこが悪いんだろう、と考えつつそれ以上言い返すのをやめる。所詮自分には美夜子の高い美意識など理解できない。
鏡の前で何度も自分の姿を手直ししながらくるくる回る親友を横目に、由良は学生鞄とスポーツバッグに必要なものをしまう。20時間近くも学校に潜んでいなければならないのだ。食料や飲み物、身を隠すための道具、昨夜手渡された小型端末など。緩衝材を詰めながら何度も確認して蓋を閉める。
「時間だわ、行きましょう由良。」
「うん。」
呼び鈴が鳴って、迎えが来たことを知らせた。二人は荷物を持って部屋をロックする。廊下に出て、手に持っていた紺色のブレザーを着る。エレベータから、由斗と藤次郎が走ってくる。
「おはよう、よく眠れたかい?」
「ベッドが大きすぎて、なんだか落ち着かなかった。こんな部屋泊まったの初めてだし。」
藤次郎がさりげなく隣に立って美夜子の荷物を持ちあげる。
「あはは、俺達もスイートなんか入ったの初めてだからな。マドンナ太っ腹だよなあ。」
由良は、由斗に差し出された手を断り、自分で荷物を持った。由良のスポーツバッグには、サーベルも入っている。なんとなく自分の使う武器を他人に持たせる気になれなかった。
「やっぱり遠いところから来てもらったから気を使ってるんじゃないか?」
「あんまそうは見えないところが、彼女らしいけどな。」
四人でひとしきり明るく笑いあうと、地階にたどり着いた。昨夜使った地上車が駐車されているのが見える。操縦席には誰もいない。ということは、もしや彼らが運転すると言う事だろうか。
「ほんじゃ、校門近くまで送っていくから乗って。」
免許があるのか無いのかわからない高校生の運転する車に同乗するのは少しばかり怖かったが、美夜子が以前にエアカーを操縦していた事を思い出す。突然怖いものが無くなった気がした。
後部座席に女子高生二人を吸い込むと、藤次郎と由斗も乗り込み、地上車は駐車場を走り出て行った。
白い壁に囲まれた敷地の中央に、5階建ての建物が見えた。茨をあしらった校章が大きく彫られた壁の横に時計があり、荘厳なチャイムの音が聞こえる。その校舎に次々と入っていくのは二人と同じ制服を着た女子高生たちだった。
「女子高…なんだ。確かに、藤次郎クン達では潜り込みにくいよね。」
「地元では有名なミッション系お嬢様校だよ。女装してって話もでたんだけど。」
「俺の身長では無理が有りすぎて。」
車の中でまた爆笑する。美夜子も由良も楽しそうに笑った。
「始業まであと15分だよ。校舎内の見取り図は渡したね。潜めそうな場所確認した?学長室もわかる?」
由斗が運転席から振り返って後部座席を覗き込む。助手席の藤次郎はかなり苦しそうに後ろを見た。長身できついのだろう。
二人の女子高生は小ぶりのネクタイをもう一度直して、顔を見合わせてから笑った。
「とにかく…やるだけ、だよね。」
「まかせといて。」
由良が先に降車すると、美夜子のためにドアを開いてやる。美夜子は優雅に降りて校門に向かって歩き出した。慌ててその後を追う。二人は、振り返りもしなかった。
大きな正門を通ると、胸ポケットの生徒手帳が震えたような気がした。在校生かどうかのチェックが入ったらしい。それだけで緊張してしまう由良だったが、何事もなかったかのように歩みを止めず涼しい顔の美夜子を追いかける。
その日の時間割と、使用される教室の予定も全て調べてある。授業の間身を潜める場所や放課後の居場所も確保してあった。夜まで待たなくてはならないのが辛いが、空いている教室や在室していても見咎められない場所を時間ごとに変化させながら二人はのんびり夜を待つ。時折、在校生の授業を覗いたりしながら。
「この物理の先生、授業うまいわよ。わかりやすい。」
「私はあっちの英語の先生がいいな。冗談ばっかり言って笑わせてるよ。脱線の多い授業だ。」
そんなことを声に出して言うのは、自分達には関わりない世界だと意識しているからだ。
もう自分達は、二度と元の女子高生には戻れない。だから余計に声に出して言ってしまう。羨ましくも懐かしい高校生活。かつての自分達の普通の生活を、自分とは違う人たちが送っている。二人はわざとそれを客観的に見ようとしてしまう。そうやって、もう自分達とは縁のない世界だと思い込もうとしているのかもしれない。
学習の方法や学校の設備などは由良が知っているものと異なる部分がある。やはりそれは時代の違いなのだろう。美夜子にとってはそのことも興味深いことのようだったが、勉強に余り興味がない由良にとってはどうでもよかった。
今朝送ってきてくれた二人の男子を思い出す。彼らも、こんな風に学校へ通っているはずだ。由斗と藤次郎の顔が浮かぶ。現役の高校生だということはそうなのだろう。しかし施設にいると言う事は施設から普通の高校に通っているということなのだろうか。
初対面ながら同世代との交流はとても盛り上がって楽しかった。昨夜も、今朝も。
しかし、どこか物足りなさを感じてしまっていた。
「由斗クンも藤次郎クンも、いい子達だったけど。なんでだろう…なにか、違うような気がした。」
「美夜子も、そう思った?」
「うん。なんか、いい子達なんだけど、頼りない…。」
親友の、大きくて綺麗な瞳が遠くを見る目になる。その目は、待機中の図書室の検索画面を見ていない。四時間目は、二年生の二つのクラスが図書館で自習だったので、うまく潜り込めたのだ。
「何て言うか、子供だなぁと思っちゃった。」
歯に衣着せぬ物言いに、美夜子の厳しさを感じる。言いたいことをはっきり言わないと気がすまない性分だし、今なら聞かれて困る相手もいない。
「多分あたし達、この世界に来てからずっと大人の人に囲まれて守られてきたから、あの子達がとても幼く見えてしまうんだね。見る目が肥えちゃったってことかな。」
そう言って、小さく舌を見せる。そんな仕草もとても可憐で、由良には眩しい。
校内の生徒達が全て立ち去り、職員も残らず学校を出ると、敷地内全部に設置されたセキュリティシステムが動き出した。入学願書に謳われるほどの自慢のセキュリティシステムは、監視カメラだけでなく赤外線探知機や音声認識を採用した高度なものだった。
職員室から程なく先へ進むと学長室になるが、廊下にも室内にも監視カメラが設置され、部外者を探知するセンサーが張り巡らされている。理科室のある二階から最上階へ慎重に上がり、システムに引っかからないように進んだ。
「なんでこんなすみっこ歩かなくちゃいけないのよ?」
友人の素朴なそして愚痴のような言葉に、秀から借りたサングラスをつけたり外したりしながら由良が答える。少し大きく思えるのは、彼よりも由良の顔が大きいのだろうか。それはそれでショックだ。
「カメラの死角を通るから。あとセンサーに感知されないためだよ。人がいないからまだ楽だけど。」
「楽なの~?これで?」
腰をかがめたり壁に背をつけたりしながら歩くのに疲れて、美夜子が悪態をつく。緩急をつけた動きがきつい。
「音を拾われないだけずいぶんマシだよ。ほら、もう学長室だよ。ドアを開くのは美夜子のお役目。」
肩で息をしながらふわふわの長い髪をかき上げると、美夜子はため息をついて鞄からノート型の小型端末を取り出してその場に腰を下ろした。いくつかのケーブルをひっぱりだして、ドア横のパネルに繋げる。
「開いたわよ。」
軽い空気圧の音とともに自動ドアが開く。室内のセキュリティシステムを確認しながらすばやく入室する。
正面奥の窓の手前に学長席があり、大きな机と椅子が見えた。そのさらに手前に来客用の応接セットがあり、両側の壁には大きな書棚と賞状やらトロフィーやらがたくさん飾られたガラス戸棚が配置されていた。
「思ったとおり、室内にはセンサー類はないみたいだよ。学長専用はどこかな。」
「机の中じゃない。引き出し鍵もかかってないよ。あ、見つけた。」
いとも簡単に美夜子はデータを盗み出すための機械を引っ張り出して、自分の端末とケーブルでつなぎ始めた。
「いい?いくよ?」
美夜子が由良に確認する。データを盗むためにコンピュータを繋げると嫌でも侵入がばれると言われている。警備隊が到着するまでの時間との戦いとなる。
親友がドアの前に待機して小さく頷いたのを見ると、美夜子は作業を開始した。
「…10パーセント、20、30…。」
由良の眉がピクリと動いた。校舎外の音が変化した気がした。
「…45、60、75…」
敷地の外に複数の車の音が集まってくるのがわかる。校庭や、校舎の入り口の警報が鳴り始めた。
予想よりもはるかに早い。警備隊が到着したのだろうか、由良はいっそう全身の神経を集中させる。警備隊というのは、あのマドンナを助けに行ったときに敵対した、あの人たちのことなのだろうか?詳しくは聞けなかったが、由良を逮捕した時の人や、官邸で戦った人たちは戦闘専門の人たちで、厳密には人間ではないと教わった。
由良の眼からはどう見ても人間だったけど、そういえば皆顔や背格好が一緒だった気がする。あれが妙に不自然で気味が悪かった。
では人間じゃなければなんなのだろう。
そんな疑問を持ったまま、ここまで来てしまったが、由良はすぐにその疑問を忘れる。目の前の事態に集中するために。
警報がこれだけ鳴っているということは、セキュリティシステムももはや意味がない。つまり二人が逃げるのにそれを気にする必要はないのだから、ただ一目散に校外へ逃げ出すことだけ考えればいいのだ。動く人の気配がじわじわと近づいてくる。
「美夜子、まだ終わらないの?」
「90…100パーセント!今接続を切るわ。もう終わる。」
ドアの外に既に二、三人は辿り着いているのがわかる。到着した警備兵から次々にこちらへ走り寄ってきているのだろう。
美夜子が端末を厳重にロックして鞄にしまうと、由良がそれをひったくるように左手でつかむ。彼女のか細い手には重過ぎるからだ。ここからは出来る限りの速さで走ってもらわなければならない。
由良は学校内でも有名な俊足だったが、美夜子はそうではない。まして荷物など持たせていては。
「絶対に私から離れないでね、美夜子。」
「…うん。わかった。」
スポーツバッグから取り出したサーベルのスイッチを入れる。出力は最低レベル。それでも一撃で相手を気絶させられるのは、実証済みだ。
下手に出力を上げると、自分まで傷つけそうな強力な武器だった。
唐突に部屋の明かりがついた。一瞬眩しさに目を閉じそうになるがかろうじてこらえて、開いたドアから飛び込んできた警備兵を攻撃した。少し大きくてずれがちだけれど、借りたサングラスに感謝だ。まだ光に目が慣れない美夜子が、由良の手並みの速さに驚いていると、その手を親友が引いて学長室を出るように促す。
「走って!」
校内は廊下にも明かりがついて、目が慣れるとさっきよりずっと動きやすかった。センサーを気にせずに走れるのなら、はるかに楽だ。学長室を出て、廊下を駆け抜け、エレベータから降りてきた警備兵をなぎ倒しながら階段を走り降りる。
「…由良、す、すごい…。」
次々と一撃で敵を倒しながら進んでいく親友の姿を目の当たりにして、美夜子は思わず感嘆の声を上げる。まるでアクション映画のヒーローのようだ。戦う姿はそれはもう艶やかで、強くて格好良くて、凛々しい。
「女の子にしとくのが勿体無いよ…本当に。」
街中で自分を救ってくれたときも見事だったが、あの時は美夜子自身がショックに陥っていて由良をゆっくり鑑賞する余裕などなかった。思い出してみればあの時も由良は自分の手の関節をはずしてまで戦ってくれていたのだ。
いつも本当に自分を救ってくれるのは、由良だ。幼い頃から、今になっても、いつも傍にいて、守ってくれる。
それにいつまでも甘えている自分が面映ゆい。自分の非力さが憎かった。
昇降口から校庭に出ると、数台の車が駐車しているのが見える。次々に降車して自分達を捕らえようとして走り出てくる青い制服の群れの中に、一台だけ車のドアから手を振る人を発見した。薄暗い中、照明が点灯して、かろうじてそれが判別できる。
それが警備隊に潜り込んでいるはずの流河かどうかまでは見えないが、とりあえずその近くまで行ってみるしかなかった。足が速いとはいえない親友の手を離さず、荷物を抱えて全体を把握しようと見渡す。 警備員の多くは校舎に入っていく。二人が屋外へ出てしまったことはまだ気づかれていないらしい。広い敷地を囲む高いフェンスを見上げるが、三メートル近くあるそれを超えることは、自分はともかく美夜子には到底無理だ。正門、裏門、職員用入り口も全て包囲されているのがわかる。
あの地上車の中に、仲間がいることを祈るしかないなかった。到底徒歩では突破できまい。由良はその光の粒子が夜闇に目立つサーベルのスイッチを切って、出来る限り目立たぬように動き出した。
美夜子のカード端末が振動した。ポケットの中のそれをすばやく抜き出し、由良に止まってくれるよう視線で頼む。校舎の影の僅かな茂みに身を潜めて応答すると、やはり流河だった。
「よかった、無事だな…肝を冷やしたよ、見つからなくてさ。」
小さな液晶画面の向こうで安堵した表情を見せる彼は、警備隊と同じ服装だった。
「どこへ行ったらいいの?」
「そこでじっとしてればいい。見つかるなよ、電波を辿って行くからそれまでおとなしくしてろ。」
「おとなしくって…」
すぐ目の前を、三人の警備員が駆け抜けていく。よく見つからないものだな、と不思議に思うが、彼らの顔は校舎のほうを見てまっすぐ向かっているようだった。
通信状態を切らない状態のまま、二人は黙って流河を待った。時折近くを過ぎる人影に冷や汗をかきながら息を潜める。警報やサイレンやたくさんの動力音の中で、由良は耳を済ませて人の足音に注意を向けていた。校舎や門へ向かう足音、それ以外の別の場所へ移動する音、不思議なほど規則正しいその足音の中に違った音が聞こえ始める。
手を地面につけて振動も感知しようとする。
「美夜子、流河さんは近くまで来てる。他と違う足音を感じる…」
困惑したような表情で彼女は由良を見る。なんでそんなことがわかるのだろう。
「よくわかるな。今あんたたちの後ろ側に来たぜ。そのまま待機だ。今近くまで車を回してもらうから…」
「駄目、美夜子動かないで。」
後ろ側にきた、と聞かされて思わず腰を浮かしかけた親友の肩を強くつかんで腰を下ろさせる。そのまま待機と言われたからには、じっとしているほかないのだ。カード型通信機を両手でしっかり握り締めた美夜子は、申し訳なさそうに小さくなった。
二人が潜んでいる校舎の影は、裏庭に通じる連絡通路の脇だった。オブジェとしていくつもの人工の茂みが配置されている。
その連絡通路を数台の地上車が通り過ぎて裏庭に駐車し始める。
今通り過ぎた車のどれかに、流河がいるのだろうか。
それでも由良はまだ動かなかった。指示があるまでは黙ってその場にしゃがんでいる。糸ヒバを模して作られた人工の茂みは時折肌を刺すが、周囲を把握しつつ身を潜めるにはちょうどよかった。
校舎の三階あたりから。低い、抑揚のない声が響き渡った。「いたぞ!」と叫んでいる。
「見つかった!?」
「あ、待って、美夜子駄目!」
怖くなってしまったのか、美夜子が青い顔のまま立ち上がって走り出そうとする。止めようとしたが遅かった。
裏庭の方へ向かって足を向けた親友を制して、由良は彼女の先へ出る。そして彼女をもう一度その場に伏せさせて、三階から飛び降りてきた警備員から遠ざけた。
やはり普通の人間ではない。この高さを躊躇なく飛び降りてくるなどまともな人間ではない。由良は目を大きく見開いたまま、落下の衝撃で地面にうずくまる青い制服の男を警戒する。その男が唐突に前へ倒れて気絶した。
裏庭の駐車場から青い制服を着た流河がの姿が見える。
「こっちだ!走れ!」
拳銃を持ったままの彼が大きく手を上げて合図する。その場に伏せたままの美夜子を起こしてやり、鞄とバッグを手に流河のいる方向へ走ろうとする。
次の瞬間、また階上から青い制服が落ちてきた。茂みに転落し、呻きながらもこちらへ手をのばそうとする。その手が美夜子の上着の裾を掴んだのだから、まずい。美夜子は警報が気にならなくなるほどの金切り声で悲鳴を上げた。舌打ちして、由良が茂みの男の顔を蹴り倒す。耳をふさぎたくなるような悲鳴を上げながら走ろうとする親友の腕をつかんで、そのまま走った。
昇降口のほうから新たに警備隊が走り出てきて、由良はさすがに焦る。踏みとどまって戦おうかと迷った。
だが、その追っ手がすぐに倒れる。驚いて振り返ると、流河がすぐ傍まで来ており、二人をかばうように立って警備隊を撃ってくれたようだった。やかましい悲鳴を上げる口を大きな手で塞ぐと、美夜子の顔の高さまで頭を下げて、
「必ず守ってやるから、黙って言うことをきくんだよ、美夜子ちゃん。」
低い声で、『黙って』の所を特に強く言い聞かせるように言う。美夜子は大きな目をさらに大きく見開いて呆然と頷いた。
「よし。」
満足げにそういうと、流河は手を離す。静かになった親友を促して逃げるように由良に指示した。
格好いいと思わずにいられない。こんな時なのに、思わず二人の女子高生はそう思って顔を見合わせて笑った。
読んでくださってありがとうございます。




