服が似合わぬ日
屋上に上がると、秀が一人でエアカーの整備をしていた。
「まだ、時間ではないぞ。」
低い声で短く言われると、由良は居心地の悪さに眉をしかめた。
「手が空いているから何か手伝えればと思っただけだよ。邪魔なら出直してくるね。」
暇そうに見えたのかセイラに秀を手伝うようにと言われて上がって来たのだ。あまり気が進まなかったが、美夜子は相変わらず端末や新たに見つけたコンピュータ機器に夢中だったし、退屈だったのもあって屋上に来た。
黙々と工具を並べて作業している秀の姿が見えて、歩み寄ったのだが先に声をかけられてしまった。
「そうか、整備が遅いと催促に来たのかと思った。」
「まだ時間あるよ。」
「あと10分で終わる。そう流河に伝えてくれ。」
「わかった。」
無愛想な青年に背を向けて戻ろうとする。その背中に再び声がかかった。
「俺は、お前に貴緒の服は似合わないと思う。」
唐突にそんなことを言われて驚いた由良は思わず振り返る。自分ではそれなりに似合うつもりで着ていたので少なからずショックだ。刀麻も褒めてくれたのに。
「そ…それはどうもすみませんねぇ。」
作業の手を止めずに秀は背を向けたままだ。感じ悪い発言に気分を害した彼女のことを頓着する様子も無い。
心の中でなんども感じ悪い奴、と唱えながら、由良は再び階下に戻っていった。
同じ顔でも、真己の方がもう少し言葉に気をつけていたような気がするが。
かつて僅かな期間彼氏だった少年のことを思い出してしまって、ますます由良は気分が冴えなかった。
再びホールに戻ると美夜子が流河と何事かを真剣に話し合っている。テーブルの映像には地図が映し出されていた。刀麻はもういなかった。忙しい身の彼は不在が多い。ここにも居場所がないと所在なさそうに由良は踵を返して、廊下に出ようとすると、キッチンから出てきたセイラとぶつかりそうになる。
「ああ、ごめんよ。」
「あ、私こそ、ごめんね。忙しいのに」
「屋上も追い出されちゃったの?」
大きな荷物の箱を両手に抱えたセイラがくすりと笑って尋ねると、由良はなんとなく悔しそうに頷く。
「あと10分くらいで整備は済むからって。伝えてくれって。」
「じゃあ、あまり時間はないね。仕事を頼むわけにも行かないな。おいで、由良ちゃん。」
青い目を細めて、セイラは由良を促してキッチンに戻る。箱を抱えたまま戻って厨房の狭い床に置くと大きな冷蔵庫を開いた。小さな黄色の保存容器を取り出して、蓋を開けて由良の目の前にだす。
「僕が作ったんだ。味見してみてくれる?」
「おいしそう。いいの?いただきます。」
オレンジの薄切りがゼリー状の塊に収まった綺麗な菓子だった。半透明の生地が涼しげで食欲をそそる爽やかな柑橘の香りが漂う。
ひとつつまんで口に含むと、由良は弾けるようにに笑った。
「すごくおいしいよ!甘すぎないし、すごくいい香りと食感がたまんない。」
「バレンシア・オレンジのキューブだよ。本当はお酒を少し足すともっと香りがよくなるんだ。」
「もう一個、いい?」
「いいよ。好きなだけどうぞ。」
「おいしいよ、これ。美夜子にもあげていいかな?」
「じゃあ、入れ物ごともって行ってあげてね。」
保存容器を持って美夜子と流河のところへ駆け寄っていく。二人に菓子を勧めている後姿はうれしそうだった。
「元気が出たみたいだね。よかった。」
セイラは優しく笑う。
移動中のほとんど居眠りしていた由良は、流河に肩をゆすられるまで到着したことに気がつかなかった。
「もう、由良ったらずっと眠ってるんだもん。」
唇を尖らせて美夜子が悪態をつこうとした。涎たらして二時間以上も寝られては腹立たしい。操縦をしていた流河ならばもっと頭に来るのではないか。
「だらしないんだから。少しは女の子の自覚を持ってよ。ほら、鏡見て。」
小さなポーチからピンク色のコンパクトを出して由良に手渡す。
何故、美夜子はそんなものを持っているのだろうと疑問に思いながらも、由良は黙って受け取って、涎の跡がないか鏡を見て確認する。
「だって退屈だったんだもん。二時間もじっとしてるなんてつまんないよ。」
私物らしいものなんて、制服と学生鞄くらいしか持ってなかったはずなのに。
そして、由良は鞄すら持ってなかった。持っていたとしても美夜子のように女の子らしい小物など入れてはいなかったが。二人の女子高生の会話を、苦笑を口元に浮かべて聞くともなしに聞いていた流河がエンジンを切ってドアのロックを解除した。着地した場所にはマドンナと貴緒の姿がすでにあったのだ。
函館市内にある私立高校の寮だという。夜間の駐車場にはほとんど人影はない。人目のないことを確認してから流河がドアを開いた。
「お嬢さん達をお連れしました。」
「ご苦労様、流河。もう帰っていいわよ、と言いたい所だけどそれはあんまりよね。」
美夜子と由良を車から降ろしてマドンナの前に立つと、流河は少し緊張した面持ちで会話する。
「そうだなぁ。人使いが荒いにしても程があるよな。せめてご褒美の一つくらいは貰ってからでないと帰れんね。」
小柄で少女のような鈴奈は相変わらず感情の読めないぼんやりした表情で、流河を見上げた。面白そうに二人のやり取りを貴緒と由良が覗き込む。
「あら、どんなリクエストがあるのかしら?あたしに可愛がってほしいの?」
「俺はそこまで命知らずじゃないよ。飯でも食わせてくれ。」
「欲がないこと。」
「身の程を知ってると言ってくれ。」
秀と鈴奈のやりとりも見ていてハラハラしたが、その兄との会話も刺激的だった。テロ組織の指導者というのは、こういうものだろうかと見つめながら由良は胸の鼓動が速まるのを意識する。その横で、美夜子もまた鼓動を速めていた。ちらりとその表情を見ると、面白くなさそうに眉根を寄せている。
「あちらの地上車に乗ってください。市内のホテルにご案内するつもりだったんですよ。」
愛想よく貴緒が言った。
「へえ。ずいぶん待遇がいいんだな。俺じゃ駄目なのかい?マドンナ。」
「貴方じゃちょっと年寄り過ぎるみたいよ。美夜子さんと由良さんに来てもらったのは、高校に潜り込んで貰うためだから。こんな老けた男子高校生じゃ目立って仕方ないわ。」
「年寄りじゃなくて、大人って言ってくれ。」
年よりはひどくない?などと愚痴っている彼も一緒に、地上車に乗り込んで走り出す。間もなく函館市の街中に入った。
東京で見た街と、それほどの違いを感じないくらい似たような町並みを由良は窓からぼんやりと眺める。同じように、美夜子も外を眺めていた。
「ねえ、由良。ここが東京だって言われても違和感を感じないわね。」
「うん。」
「ところがそうでもないんです。函館市は、実は施設の入所者数はかなり多いほうですから。東京よりもずっと昔の街らしいのですよ。ほら、あそこも、あっちも。施設の建物なんです。」
運転しながら貴緒が説明する。
「…?どういう意味ですか?施設の建物って?」
「ああ、そういう説明もまだ聞いてらっしゃらないんですか。」
鈴奈がじろりと流河を見た。何故説明しておかなかったのだ、と視線で責めているかのようだった。助手席の流河は肩をすくめてため息をついた。
「説明する暇なんかなかったよ。こんな次々に出動要請かけられてそんなことしてる余裕なんかあるわけないだろ?そもそもなんだってこっちの人間を使わないんだ。東京から引っ張り出すほどの仕事なのか?」
「こっちの人間を使うと顔が割れる。それに現役高校生は函館市内には男の子しかメンバーがいないの。どうせ他から呼び出すなら東京だろうとなんだろうと同じでしょ?」
指導者の返答を聞いて思わず美夜子がぽつりと呟く。
「北海道内から呼び出すのと、東京から呼ぶのではエライ違いだと思うんですけど…」
くすくすと笑って貴緒が事実を洩らす。
「急だったので呼び出しやすい馴染みの人を呼んだだけなんですよ、鈴奈様は。」
それからちらっと由良を見て笑った。
「由良さん、私の服ぴったりですね。とても似合いますよ。」
「ありがとうございます。助かりました。本当に。」
流河と同じジャンパーを羽織っている貴緒が、また笑って口を閉じる。そうして黙っていると、端正な顔立ちの美青年にしか見えなかった。声は意外に高いが、話し方はとても穏やかで優しい彼女は、余りおしゃべりではないようだ。
「美夜子さんもあたしの服よく似合うわね。好きに使っていいわよ、あそこにおいてあるものはみんな貴女にあげるから。」
「え、いいんですか?」
「自分のものはまた新調するから気にしないでいいわ。それより、少し説明が必要らしいから話しておくわね。」
鈴の鳴るような綺麗な声で鈴奈が話し始める。
「施設と呼ばれる建物は全国に二百以上あって、そこには通常の生活が不可能な人が送られてくるの。」
「えっと、心身に障害がある人とか、経済上の理由とかですか…?」
「そうね。そういう人も中にはいるわね、三割くらいかな。でもそうじゃない人がほとんどよ。彼らは、社会不適合者として烙印を押されたり、自分から施設に入るの。…自ら社会に適合できないことを自覚してね。一般の人とは扱いが違ってくるわ。」
「……?」
「世間の荒波についていけなくなった人間ってことさ。俺らなんかもそうだ。あんたも街で見ただろ?目の前の犯罪に目もくれない薄情な人種をさ。下手なことに関わりたくないんだ。生まれや育ちは普通なのに、段々ああやって超が付くほど保身に走るようになり、他者との違いを認められなくなっていくんだ。そういう教育をされてんだろうな、多分俺らの国は。」
見知らぬ男達にさらわれたことを思い出して美夜子は一瞬顔色を変える。それを救おうと大声を上げていた由良に対して街中の誰一人として注意を向けなかったことを思い出した。
「それに疑問を持ったり、ついていけなくなる人間が必ずどこの集団にもいる。…他人と深く関わろうとしたり、集団の中で強い個性を持つ者を除外したり出来ない、まともな人たち。まともなのに、社会からは不適合とされるの。おかしいわね。はじめは誰もがそうやって生まれてきたのに、いつの間にか違いを恐れる考え方や、他者との関係を持たずに画一的な思考のみで生きるようになり、それが普通と呼ばれて、それ以外を認められなくなる。そして、違う生き物として考え、自分達が普通だと、選民意識を強めていく。自分達以外のことに関心がないのはそのためよ。」
「一見平和で住みいい国に思えるんだけどね。そうやって不適合とされた人がたくさんいてね。そういう人たちが行き場を無くしていくわけ。何しろ社会に馴染めないんだから、居場所がないってことでしょ。運がよければ海外に逃げるんだけど、それも出来ない人たちが、草の根から始めた運動。それが俺達の組織の元だってハナシ。」
「カシマ…。」
由良が小さく呟いた。
「鹿島の施設は関東圏の組織の人間が大体そこの出身なの。その地名…誰かが喋ったのね?」
操縦席の貴緒が苦笑を漏らす。それに応じるように由良は言った。
「あの、はじめてマドンナにあった日に誰かが。」
小さく舌打ちをして、鈴奈が腕を組んだ。舌打ちさえ、可愛らしいと思わせる。
「おしゃべり男め。誰だろう?」
それ以上マドンナの神経を尖らせるまいと思ったのか、流河が明るい声で言った。
「そんなことはもういいじゃん、ここまで話してるんだから。俺も刀麻も鹿島の施設にいたんだぜ。懐かしいな、あんたはあの頃とちっとも変わらないよな。一体どんな魔法を使ってるんだよ?」
そう言う彼は珍しく遠い目をして、当時を思い出しているのか切ないため息をついた。
自分達の知らない過去の話をする流河と鈴奈を見て、由良を美夜子は顔を見合わせる。
「ただ、指導者だけは世襲なのです。鈴奈様の一族の方だけが、組織を背負う役割を担います。代々。」
「世襲制?なんで?」
美夜子が聞き返す。
「色々事情があるのよ。それはまた話してあげるわね、美夜子さん。・・・さあ、着いたわ。」
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