二人が派遣される日
食堂で四人を待っていたセイラは、二人の無事な姿を見て安堵したように大きなため息をついた。着替えを済ませた美夜子にはオレンジジュースを、借りたシャツのボタンを弄り回している由良には温かい紅茶を出してくれた。焼き菓子を皿に載せながら優しい声をかける。
「もう、二度とこんなことしちゃだめだよ。いつも助けが間に合うとは限らないんだからね。」
沈痛な面持ちでうなづく二人を見て、秀が追い討ちをかけた。
「自分たちだけで生きていけるなどと言う甘い考えは捨てるんだな。」
出窓に腰掛けて外を見つめたまま冷たく言う。ガラスは窓は綺麗に手入れされていたが外の風景は代わり映えしない殺風景なものだ。それを見て何が面白いのだろうかと思いながら由良は出された焼き菓子に手を伸ばした。
「だって、知りたかったんだもん。世界がどんなものなのかを…。」
美夜子がジュースを口にして、唇を潤してから小さく呟いた。
彼女の疑問は無理ないことだとわかっていた。それでも危険に晒したくはなかったのであれほど反対して止めたのに、とうとう飛び出してしまったのだ。制止してもやりかねないと思ったから念のために発信機まで持たせたのだ。
セイラは苦笑を隠しつつ、秀にもコーヒーを手渡す。
刀麻が大きな紙袋を持って入室してきた。茶色い紙袋の中には、衣類が畳まれて入っている。
椅子に並んで腰を下ろす二人は、焼き菓子を頬張りながら顔を見合わせた。
「由良ちゃん、これ、お古だけどよかったら使って。」
「刀麻さん?」
「貴緒ちゃんのかい?」
「ああ。あいつなら身長といい、体型といい由良ちゃんにかなり近いんじゃないかと思ってね。拝み倒し貰ってきたんだ。同じ数だけ新品をよこせって言われたけどね。」
「おやおや。相変わらずだね、君たちは。」
紙袋を受け取って、由良は刀麻を見上げた。
「あ、ありがとうございます。すみませんでした。」
「一応女物だしさ、好みまでは反映できないけど当座これを着てくれればいいかと思って。」
衣類を仕分けてみると、シンプルで地味な色合いのシャツやパンツ類が多かった。これなら、由良が着てもおかしくはないし、サイズも丁度よかった。
「助かります。これなら、着られる…。セイラにこれ返せるな。」
煉瓦色のシャツのボタンダウンをつまんで、由良が皮肉げに呟いた。
「女物…?貴緒さんのが…えええ?」
美夜子が素っ頓狂な声を上げる。
「貴緒さんって、あのマドンナのそばにいるあの格好いいお兄さんのことじゃ…」
「正真正銘女性だよ、あいつは。俺が保証しちゃう。」
刀麻が二人の向かい側のソファに座って、焼き菓子に手を伸ばす。
「大体間違われるけどねえ、彼女は。いつもあんな格好だから…」
セイラが彼にも紅茶を入れて差し出した。本当に彼はいつもマメだ。
「私も最初はお兄さんだと思ってた。でも段々お姉さんだってわかったんだよ、近くにいるとわかるんだ、ほっそりしていて、声も高いし、女性なんじゃないかなって。」
コーヒーカップを空にした秀が、出窓から降りてセイラにカップを返し、食堂を出ようとする。
何故だろうか、由良には彼が不機嫌そうに見えた。だが、気安く声を掛けられるような相手ではない。
カップを受け取った金髪の青年が、軽く首を傾げて声を掛ける。
「秀、もう戻っちゃうの?」
「まだ仕事が終わっていない。用があったら呼び出してくれ。」
短く言って、無表情な青年は退室していった。
「鈴奈の服を美夜子が着て、貴緒の服を由良が着るのか・・・。悪い冗談だな。」
部屋の外で秀が呟いても、それを聞いたものはいない。
その後を追うように刀麻が退室した。
「こう見えて忙しいんだよ、俺。」
にやりと笑って白衣を翻して去っていった青年に、由良は申し訳なく思った。彼には迷惑ばかり掛けてしまう。忙しい人なのに手を煩わせて申し訳ない。
その表情を読んだように、セイラが声をかけた。
「君は気にしなくていいよ。貴緒と刀麻は熱々の恋人同士なんだ。服を買ってやるのお古を譲るのなんて話は、ただの口実さ。彼らはああやってじゃれあうのが大好きなんだから。」
「そ、そうなの?」
「恋人なの?」
美夜子までが身を乗り出して聞き返す。そんな話は大好きな女子高生だ。
「それはもう、そばで見てられないほどさ。だから彼らが同席する時には近くいると目のやり場に困る。」
「見たいなぁ、見てられないほどのいちゃつき加減。」
目を輝かせて言う美夜子に苦笑すると、セイラが由良のほうに向き直った。
「それより着替えるかい?部屋まで運んであげようか、それ。」
「いいえ、このくらい軽いもの。大丈夫だよ。」
「そう。じゃ、シャツのほうは後でそのまま僕に返してくれる?いつでもいいから。」
「うん、わかった。…でも、洗濯も何もせずに返しちゃっていいの?」
「君はクリーニングのやり方知らないでしょう。心配しなくても自分でするから。」
「あの、…できたら、方法も教えてもらえないかな、セイラ。あたしと由良に。」
「美夜子ちゃん?」
彼女らしくも無くおずおずと頼みを口にした美夜子の方を、意外そうにセイラが見る。
「迷惑ばかりかけて、申し訳なくて。でもあたしたち何もできないし、持ってないから。」
彼女は神妙な顔だった。
無理もない。あんな怖い目に遭ったのだ。慎重にもなるだろう。
だが、美夜子は彼女なりにきちんと自分を納得させている。目の前の青年は、ここにいる青年たちは、テロリストなどと自称しているが、自分の事も由良の事も守ってくれようとしているのだ。その事は身に染みてわかった。
「外に働きに出ることも、出来ないわけでしょあたしたちは…なのに衣食住の面倒までみてもらって、保護してもらって…少しでもここに慣れて、助けてもらったお礼もしなくちゃいけないと思うの。その、へんなことされるわけでもないし、怪我の手当てもしてもらってるし。セイラを信用して聞くけど、あたしと由良は本当に保護されてるんだよね?助けてもらっているんだよね?その…なにか見返りを期待されてるわけじゃないんだよね?」
ようやくセイラは美夜子の言わんとすることがわかった。にっこりと優しく笑って、そっと美夜子の頭を撫でる。
「君は、僕たちが君達に何かを要求するんじゃないかと心配しているんだね?例えば、セクハラ的なこととか?あるいは、不当な労働とか?暴力とか?」
まっすぐに青い目を見つめながら彼女は首肯する。
「そんなつもりはないよ。…といってもどう証明したらいいのかわからないけど。ただ、そうしようと思えばとっくにやってたでしょ?」
「でも、由良は顔を殴られてる。」
「…それは本当に申し訳ないことをしたと思ってるよ。こんな若い女の子の顔に手を上げるなんて許せない。ただ、それだけ僕達も警戒していたんだ。君達が現れた場所は、仲間うちでもごくわずかな人間しか知らない場所だったから。テロリストの塒が誰でも出入り自由ってわけにはいかないだろう?」
「殴ったのはセイラじゃないし、警戒するのは仕方ないよ。私達だって何もわからない状態なんだから。」
何故か由良は慌てたようにセイラの応援に回った。自分が多少殴られたからという理由で、この親切な青年を責められたくないと思ったのだ。
「由良は黙ってて。」
しかし、美夜子は短い言葉で親友の言葉をぴしゃりと遮る。
「ハイ。」
言われて素直に口を閉じた。所詮由良などが口で応戦しても無駄なのだ。
「色々、教えてほしいの。あなた達にとってもあたし達にとっても不利益な情報も。どう言う組織で、どういう社会で、どうやって生きていくのか。」
「いいよ。なんでも、聞いてくれれば僕に答えられる範囲ならなんでも答える。言えないことや知らないことは、教えてくれそうな人に振る。知る方法も教えるよ。大丈夫、君達ならあっという間になんでも覚えられるから。」
「わかったわ。ありがとう、セイラ。出会ってから今まで、貴方だけはずっとあたし達に親切で好意的で優しかった。だから思い切って本音を聞いておきたかったの。」
「信用してもらえて光栄だよ。僕は本来余り好戦的な性格じゃないんでね。」
「テロリストなのに?」
「そうさ。おかしいでしょう?」
それだけ言うと、セイラはカップを下げる。
確かにこの金髪の青年には安西兄弟のような雰囲気がない。彼らは常に戦陣にいるかのように張り詰めているところがある。医師の刀麻でさえそういう緊張感を持っている。最たるのは次男の秀だ。若い娘を捕まえて兵隊だの戦闘だのと、まるで軍人みたいだ。鈴奈や彼女の周りにいた人たちもそうだった。どことなく緊張感が違う。
でも、外で見た普通の人々とも違う。セイラは外見だけでなくそういう意味でも異質だった。だから信用する気になったのかもしれない。
大きな紙袋を持って立ち上がった由良を促して、自分達に与えられた部屋に行こうとする。
「これ、よかったら使って美夜子ちゃん。君なら使い方わかるでしょう?」
キッチンから戻ってきたセイラが手にしていたのは小さなカードだった。見覚えがある。刀麻がいつもポケットにねじ込んでいる通信機だった。
「通信端末だよ。安西兄弟と僕には常につながる状態になっているから。何か困ったことやわからないことがあったらこれで呼び出してね。それから、各個人の部屋の開閉は指紋認証になってるからドアわきのパネルにタッチして開けてね。君達の部屋はすでに登録済みだよ。地下には今のところ君達は入れないからそこはわかっていてね。」
手渡された機器をいじりながら美夜子は笑った。こんなものが大好きな少女だ。
「由良ちゃん」
「はい?」
「怪我ばかりさせてごめんね。本当は…君みたいな若い女の子にサーベルなんか持たせるべきじゃないって思ってたんだけど。本当は巻き込んじゃいけないんだってわかってたのに、あの時は本当に手が足りなかったし、それに…必ず守ってくれると信じていたから。」
申し訳なさそうに青い目を細めて由良を見る。
「私は少しも後悔してないよ。ちゃんと期待に応えて守ったでしょう?マドンナも秀さんも。あの時のことはセイラに感謝してる。巻き込まれたなんて思ってないから。…私は、きっと好戦的な性格なのかもよ?」
紙袋を抱えたまま笑ってみせる。
由良は本当にこの金髪の青年には感謝していた。武器を与えてもらえて、役目を与えてもらえて。そうして貰えたから今の自分がいるし、美夜子を守ることができたのだ。
「そんなわけないよ。でも、そういってもらえると幾分気が楽だね。」
優しい笑顔を振りまいて、セイラはまたキッチンへ戻って行った。美夜子が由良を促して部屋へ戻る。
与えられた私室のクローゼットに、由良は刀麻から受け取った衣類をしまった。圧倒的に種類と数の多い美夜子の衣類と区別するのはそれほど難しくないので特に仕切りも設けない。
美夜子はベッドに座ってずっと通信端末をいじっている。その様子を横目に由良は貰ったばかりの服に袖を通した。
「あっ通信?」
短く呟くと、親友はすぐに応答してカードの表面を凝視する。由良も興味津々に覗き込む。
小さな液晶に映ったのは流河の顔だった。
「ちょっと二人ともすぐに一階まで来てくれ。」
「何かあったんですか?」
「下で話す。」
流河の返答は簡潔だった。そして通信は直ぐに切れる。
美夜子と由良は顔を見合わせたが、とりあえず降りることにした。脱いだばかりの借り物のシャツを丁寧に畳んで小脇に抱える。
一階は広いエントランスホールと応接を兼ねた空間に簡易キッチンを隣接させてある。廊下を挟んで反対側にレベータや階段、倉庫などが配置されていた。
二人がホールに下りていくと三人の兄弟とセイラはもう集まっていて、頭をつき合わせて何事かを話し合っていた。
「おお、お嬢さんたちが来たな。」
愛想よく笑って流河はこちらを振り返る。大柄な体は、生成りの襟の高いジャンパーと揃いのズボンを身に付けている。
いつもより体格がよく見えるのは厚着だからなのだろうか。一人用のソファに浅く腰掛けている秀も同じ格好だった。セイラもだ。白衣姿の刀麻だけがいつもと同じだった。
「ごめんね、ろくに休ませてもあげないで。」
申し訳なさそうに言うセイラに、由良は煉瓦色のシャツを手渡した。
「大丈夫だよ。これ、ありがとう。」
刀麻が着替えを済ませた由良を見て嬉しそうに話しかける。
「やっぱりよく似合うな、貴緒の服。ぴったりじゃないか。」
「おかげさまです。ありがとうございました。」
一人だけ腰掛けている秀がそのやりとりを聞いてちらりとこちらを見たが、また素っ気無く視線を戻した。
「マドンナがまた出動要請をかけてるんだ。現地の人間を使ってくれりゃいいのに、なんだってまた東京から人を引っ張りだせって言うんだろうな?」
刀麻が二人を呼びつけた理由を簡単に述べる。
「北海道、でしたっけ?」
美夜子が思い出したように確認した。
「今函館市だそうだ。」
秀が短く応える。
「また立てこもって、とか言うんじゃないでしょうね。」
「いや、そういうことでは無いらしい。現役高校生のあんた達に来て欲しいってんだから、別の理由だろう。」
応接テーブルの天板に映し出された鈴奈からの要請内容を眺めながら流河が言った。
由良は珍しそうに応接テーブルの天板を触ったり擦ったりして眺める。それを流河が止めた。
「こら、映像が乱れるだろうが、止せよ。」
「ごめんなさい。」
彼女は叱られても懲りた様子もなく舌を出した。
「お前はこっちに座ってじっとしていろ。」
見かねたのか、秀が立ち上がって席を由良に譲った。譲ったというより大人しくさせたというべきかも知れないが。
「どうしようか?二人だけで行かせるのは無理だから誰かが連れて行かないと。」
「俺は駄目だぜ。この地区には俺一人しか医療担当はいないんだ。診療以外でそんな遠出できないよ。」
「そうだな、刀麻は無理だ。俺か秀かセイラだな。」
「ごめん、僕も無理だ。行ってやりたいけど、明日は各支部の連絡会議で報告がある。」
「決まりだな、じゃ、俺が連れて行こう。」
「では、俺は今から整備をしておく。二時間後に出発でいいか?流河。」
兄弟の長兄は二人を振り返って確認を取る。
「いいかな?美夜子、由良。二時間後だ。」
「用意するものは何かあるの?」
「ここから函館までエアカーで飛ぶの?どのくらいかかるの?」
二人同時に疑問が飛び出す。
「用意はすべて現地でしてくれるそうだ。時間は長く見積もって三時間くらいか。」
「何をさせられるのかな?」
流河が肩をすくめて両手を挙げた。お手上げのポーズだ。
読んでくださってありがとうございます。




