脱走の日
ちょっと残酷な表現がありますのでご注意を。未遂で済みますが。
部屋を与えられた建物は、思いの他広く居住空間をベースに設定されていた。屋上にエアカーの発着所、各階の7割を越える居住スペース、地下に機材と設備を置く鉄筋三階建である。近くには幾つかの民家が見え、小さな郊外型の都市を構成しているようだった。
セイラと秀と一悶着起こした翌朝に、再びエアカーの往来をしめす発着音が一階の居間にいた二人の少女にも聞こえた。
「お、ようやくお洋服を着せて貰えたのかい?お人形さん。」
診療に来た刀麻が開口一番に、衣服入手を祝って言った。
相変わらずのパンクロッカーな凄まじい頭で、人懐こい顔を眼鏡に隠してにこにこと笑う。いつもきさくに話をしてくれる彼は、患者の気持ちをやわらげてくれた。肉体よりも精神を看るカウンセラーが向いているのではないかさえと思う。
「今度はセイラのを着てるんだね。しかし男物を着せられる着せ替え人形ってのもおかしなモンだな。はい、包帯とるよー。」
患者の正面に座って、医療鞄を開き手当てを始める若い青年医師は笑いながら指示を出す。
「よくセイラのだってわかったわね。」
感心したように傍らの美夜子が、診療の様子を眺めながら言う。
「色彩感覚でわかるんだよ。秀はこんな色を身につけないからね。ちょっとしみるよー」
淡い煉瓦色のボタンダウンと、ベージュ色のスラックスを着てソファに座る患者は、主治医の指示に従いながらくすりと笑った。本当に刀麻の診療は小児科医のようだ。
爆発頭に、白衣の下には迷彩柄のツナギ、足下はジャングルブーツの小児科医が本当に存在するのならば、こんな感じなのだろう。
「そういう刀麻さんのセンスも個性的だね。」
消毒を済ませ、化膿止めをぬった肩と腕に、新しい包帯を巻く刀麻に、由良はそう言った。
「そうだろう?多分組織ン中でも俺ほど目立つ奴はいないぜ?なのに何故か存在感薄いんだよなぁ。マドンナはいいとしても、秀とかセイラとか、摩墨に比べると俺って影が薄いのよ。」
心底口惜しそうに愚痴る医師の口調が、あまりに真に迫っているので二人の少女は笑った。
「刀麻さん、もう自由に動かしていいかな?」
手当てを済ませた左肩を軽く触りながら由良は尋ねた。身体が思うように動かないと言うのは、健康で元気いっぱいの少女には、どうにも苦痛で仕方がない。
「ああ、大丈夫だろ。骨や神経に異常は見られないんでね。それより、俺は君のココの傷が気にかかるんだよ。ちょっと見せてくれないか?」
自分の後頭部を指さして青年医師は言う。
言われて、由良は自分でもその場所を手で押さえるが、触った感触では傷は治癒していた。
「もう治ってるみたいなんだけど。」
「うん、治ってるみたいに見えるよ。」
背後に回って、本人の代理に傷を視認する美夜子も付け加える。
つい、と眼鏡を人差し指で直すと、刀麻が医療鞄を閉めた。美夜子の隣りにやってきて、患者の背後から患部を看る。
「うっひゃあああ」
「ありゃ、感じちゃったかい?敏感だねぇ」
首筋を優しく撫でられた気がして、素っ頓狂な声を上げる由良に、医師がからかいの言葉を投げる。
「何言ってんのよ、えっち!」
美夜子が卑猥な冗談を非難して、刀麻の背中を叩いた。
軽口が減らない口調とは裏腹に、青年医師の顔は真剣そのものだった。
「……。」
恥ずかしい冗談の当事者にされた患者は、触診している刀麻の言葉が途切れたことに不安になった。
「何か問題でもあるの?治ってないとか?」
「いや、表面は完全に治癒してる。ねぇ、手術させてくれないか?心配はないと思うんだけど、何かしこりのようなモノが残ってる気がするんだ。多分、怪我したときに何か異物が入り込んで、それを除去しないまま治癒しちゃったんだと思う。」
「ふぎゃっ!こら、美夜子やめんかっ!」
医師と一緒になって、自分の首筋を触る親友の手が、くすぐり始めているのを指摘する。
「そんなことってあるんですか?」
指摘されても懲りずに続ける美夜子を捕まえて、ソファの上になぎ倒し逆にくすぐり返しながら医師に尋ねた。
「うきゃきゃきゃ~」
衣服が乱れるのも構わずじゃれ合う二人を嬉しそうに眺めながら、刀麻はのんびり答える。
「うん、時間が経つとまた化膿してくるかもしれないし、そのまま治っちゃうこともあるし。」
由良が動けるようになったことが嬉しくて、美夜子は若い医師が診ていることにも頓着せずにじゃれる。子犬が転げ回るような楽しさを感じさせる光景で、それでいて目の保養にもなるという貴重な場面を、青年医師は有り難く拝見していた。
そこへノックの音もそこそこに、流河が顔を出した。途端にそのハンサムな顔が崩れる。
「いいもん見てるじゃないか、刀麻。何故教えてくれないんだ。」
「役得役得。」
腕組みをして椅子にもたれていた弟は片目をつぶって答えた。
水色のセーターに黒いズポンの長兄が入室したことに気づくと、二人はようやく我に返る。
「きゃあああっ」
膝丈のスカートが捲れ上がっているのに気づいた美夜子が真っ赤になり、悲鳴を上げてソファから飛び退いた。彼女にのしかかられていた由良が起きあがる。
かわらいらしい淡いピンクのワンピースの裾を押さえて由良の向こうに腰掛ける美夜子が、恨めしそうに二人の兄弟を睨んだ。
「マドンナがお呼びだ、刀麻。楽しいところ申し訳ないな。」
睨まれて苦笑した流河が、ここに来た目的を口にする。
「はいよ。今どこにいるんだい?」
答えながら億劫そうに立ち上がり、鞄を腕に抱えた。
「北海道だって。」
「貴緒も難儀なことだなぁ~。あの人の気まぐれには、みんな振り回されてばっかりだ。」
言いながら居間を出ていく兄弟を見送ると、残された二人の少女は顔を見合わせた。
「北海道だって。」
たたずまいを直して美夜子が言う。
「ここをでたの、つい一昨日じゃないの?あの人」
指を折りながら由良が答える。
「見かけに寄らず、パワフルなんだね、あのリーダー。」
「そうだね。」
「ねぇ、由良、今ならチャンスだよ。」
美夜子の興奮した声を聞いて、由良は彼女の顔を凝視した。
「でも、彼らがあれほど止めるんだよ、それなりの理由はあると思う。それでも行くの?」
テロリストではない人間を見るために、街へ出ることを言っているのだ。
「その理由を確かめに、行こう。」
美夜子がぎゅっと由良の手をつかんだ。
親友の手を強く握り返して、神妙な顔で由良は頷いた。
刀麻と流河が二人から目を離した隙に、二人はテロリストの拠点を抜け出した。さして難しいことでも無かった。素直に一階まで降りて、堂々と玄関を通ったのだ。安西兄弟は地下室にいたらしく、二人の動きにまったく無関心だった。昨日あれほど揉めたセイラと秀の二人は、なんの用事か外出している。
「なんか拍子抜けしちゃったね。」
余りに簡単に抜け出すことが出来たので安心したのか、美夜子は好奇心いっぱいに、きょろきょろする。それに対して、由良は、注意深く周囲を警戒していた。勿論サーベルは持参している。
薄曇りのぼんやりした天気である。この世界へ来てから、こんな天気ばかりで、快晴も大雨もない。
飾り気のない街並みが、人工の街路樹の脇に連なっていた。きちんと区画整理なされ、整備も行き届いた通りを行く人々は自分たちとなんら違わないように思えたが、やはり違うのだろうか、美夜子は思い切って声をかけようと思っていたのに、少しも声を出せずにいた。
「ねぇ、由良。なんか変だね?何が変なのかわかんないけど…。」
「綺麗なのに、綺麗に見えない。そんな感じ?整っているけど、飾られてはいないよ。ホラ、店舗だってのに、全然宣伝らしい看板とか見えないでしょ?」
「これじゃ、店の中に入るまで何を商ってるのかわからないじゃない…。」
「私も、何がなんだかわからないまま手錠かけられちゃったから、あんまり覚えてないんだけど。」
「人通りもあるのに、なんかおかしいよ、コレ。バーチャルゲームのエキストラみたい。」
すれ違う人の顔を凝視しても、相手はなんの注意も払わない。ぶつかっても、反応はない。人形のようだと思うのに、それぞれ人の集まる場所では、楽しそうに談笑しているのが見える。
学生らしい若い人の群れ。サラリーマンらしいスーツ姿。赤ん坊をつれた主婦の団体。
どうやら喫茶店らしい店内のテーブルで、人工公園らしい木陰で、保育園らしい建物の傍らで。
「なんか、すごく怖いよ…この世界にいるの、本当にあたしと由良だけみたいに物凄い孤独を感じるよ。」
世の中のあらゆるものから無視されているような疎外感、強烈な寂しさがこみ上げてくる。美夜子がきつく親友の手を握りしめた。顔色が悪くなっている。
彼らのいない場所に来ただけで、今度こそ本当に異世界にやってきたかのような違和感を感じた。鈍感な由良にははっきりとはわからないが、きっと聡い美夜子だからこそ感じ取れる何かがあるのだろう。
左手で美夜子の手をしっかりと握り返し、右手でサーベルの柄を握る由良は、美夜子ほどではないにしろ同様の不安感を感じてくる。
何かあったら美夜子を守れるのは自分だけだ。大丈夫、自分は絶対守れるはずである。不安に押しつぶされないように、由良は自己暗示をかける。
テロリストの仲間に見張られているよりも、こうして二人きりで町中にいるほうがこれほど怖いとは思わなかった。外へ出れば自由の天地があると信じていた美夜子に、この強烈な恐怖は相当堪えた。
ただ歩いているだけでこれほど不安になるなんて想像もしなかった。
二度目である由良も、あの時はそんな風に思わなかった。ただただ何かから逃げるように走っていたからだろうか。
「…!イヤァァっ」
小さな悲鳴が左側で上がった途端に、強く握っていた親友の手が離れた。
たった今すれ違った3人ほどのスーツ姿の三人連れが、美夜子を羽交い締めにして連れ去ろうとしている。彼女は口を塞がれていた。
「その子を離しなさい!」
由良は慌てて彼らを追った。こんな唐突に、人目のある大通りで、白昼堂々と人さらいが現れるなどと誰が予想しただろう。親友をつかんでいる三人は、由良の目から見れば中堅会社員としか見えない普通のサラリーマンだった。中年にさしかかるか、どうか、という所である。
「誰か!助けて!警察を呼んで!」
叫びながら走る由良に、しかし、通りの人間は誰一人反応してくれない。猛烈なスピードの彼女に気圧されて道を開けこそするが、悲痛な叫びに応えてくれる人間は誰一人いない。
通りの小さな路地を曲がり、狭い軒先の並ぶ壁に囲まれた道へ人さらい達が入り込むと、由良は通行人へ助けを求めることを諦めた。
なんて薄情な人達だろう。公衆の面前で犯罪が起こってるのに、誰一人関心がないとは。
こみ上げる憤りを怒りに変えて、由良はサーベルのスィッチを入れた。
両手を大きく広げたらつっかえてしまうような狭い路地は、思った通り行き止まりで、犯罪者達は、今捉えたばかりの獲物をアスファルトの上に横たわらせていた。
「その子を返して!」
ブンっと音が鳴るような振りを、サーベルで見せてから、由良は三人の犯罪者を睨み付けた。
一度は命のやりとりをテロリストの仲間として経験した由良である。小娘とは言ってもその眼光には彼らが一瞬怯むほどの激しさがあった。
しかし、わずかでも小娘に迫力負けしたことを忘れたように、美夜子の口を押さえている男が鼻を鳴らして言い放った。
「IDカードも持っていない不法滞在者が、一般市民に危害を加えていいと思ってるのか。」
「!!」
「さっき住民登録リストで調べてきたんだ。あんたと、この可愛イコチャンは未登録なのをな。」
美夜子の両手を押さえつけているやや年輩な方の男が続けた。
その男が何を喋っているのかはわからないが、何かしら自分達に不利な事を言われているのはわかった。思わず由良の行動が止まる。
「俺達にかすり傷一つでも付けてみろよ、あんたは重罪で国外追放だぜ。」
「な…なんだって…!」
口の利けない状態の美夜子までも、この事実に愕然として大きな目をさらに見開いた。
あまりの驚きに、由良も狼狽して一瞬気がそれる。
その途端に、一番手前にいたスーツの男が由良の腕をつかんで、サーベルを落とした。途端にスィッチが切れる。
「うっ…!」
抵抗して殴ろうとすると、
「警察を呼んで困るのは、あんたの方だよな?」
この事実に相手が狼狽するのを楽しんでいた男は、由良の両手をつかんだ。
「おい、こっちも女の子だよ。ぱっと見た感じカップルに見えたのになぁ。もうけた。」
自分のネクタイをはずし由良の両手首を縛り上げる。
その気になればオッサンの一人くらい軽々とやっつけられる由良であったが、「重罪」と「国外追放」と言われて何も出来ない。
勝ち誇ったように言う男が、由良を蹴倒し、喜々として美夜子の方へ向かう。
「~~!!」
言葉にならない悲鳴を上げる親友の、蒼白になった顔が見えた。その大きな瞳から涙が零れだした時に、背後から彼女の口を押さえている男が彼女のワンピースを破る。
「イヤっ!やめてよぉぉ!!」
まるで自分が犯されているかのように、由良は叫んだ。
目の前で大切な親友が乱暴されるなど、信じられない事態であった。今まで、どんな時でも自分が守ってきた少女である。
いつだって綺麗で愛らしく、気丈で誰にも屈しない親友だ。そんな美夜子が、こんな最低な連中にいいようにされるなんて、有り得ない。
「そんなに怖がるなよ、オジサンは優しいからさ。」
下品な笑い声で綴った中年の男達の卑らしい声が聞こえて来た。
美夜子の言葉にならない悲鳴が響き渡る。涙の溢れた大きな瞳が助けを求めて、俯せに倒れた由良を縋るように見つめている。それなのに、自分は何もできないのか。黙って見ているだけなのか。
こんな理不尽な話が、合法だなどと信じられない。いや、認めはしない。
炎のような怒りが、体中を駆けめぐる。
これがこの世界だと言うのか。これが人間のすることなのか!
読んでくださってありがとうございます。




