誰かに似ている日
セイラと申し合わせたように、空からの挑発と屋敷の爆破をほぼ同時に行ったテロリスト達は、邸内から脱出するために草野邸の裏庭を彷徨っていた。
「番犬」と呼ばれるドーベルマンタイプのサイボーグ犬は爆破の時に一掃されたと見えて一頭も見当たらない。
携帯できる武器をそれぞれ手にしてマドンナを中央に守りながら、一行は出口を探した。
「美夜子、どこか警備の手薄な場所はないのか。今屋敷を爆破したので警備隊はある程度浮き足だってるはずだが…」
腕の通信機に唇を寄せる秀の傍にマドンナが立ち、その影のように貴緒が付き添う。そして彼女を守る形で他の青年が周囲に気を配っていた。
緊迫した気配が由良にもぴりぴりと伝わってくる。我知らず、このマドンナという女性を守護することが使命のように思えてくる。
この童顔で小柄でどこかつかみどころのない指導者には、なんとしてでも守らなければならないと思わせる何かがあった。それは、由良にも身近で覚えのある感覚である。どことなく危なげな感じが、親友の美夜子に似ているのだ。
人工芝の敷き詰められた雑木林で、辺りを警戒しながら進んだ。
ぴくりと、由良の足が止まる。
秀が目配せをして腰を屈める。
貴緒が素早くマドンナの前に立った。
「…後ろ。二手にわかれた。3人ずつ。その後にもっといる。」
小さくぽつりと呟いた鈴奈の声を聞くまでもなく、由良と秀が背後に追いすがる影へ飛び込む。
暗闇でよく見えず、しかも人工樹木に邪魔されて思うようにサーベルが振るえないが、由良は構わず突進して相手の気配を探った。自分の動きに反応する、相手の気配を、捕らえる。
逃げると予想していた相手からの突然の攻撃に、わずかに警備員の動きが遅れる。サイレンサー付きの銃を懐から取り出す腕を打ち、そのまま胸を突くと警備員はもんどりうって倒れた。
撃たれる前に倒さなければやられてしまう。他の二人が照準を合わせる前に、由良は体当たりをして、1人の手から飛び道具を奪う。打ち下ろしたサーベルが地にたどり着く前に振り上げて、由良は最後の1人を思いきり殴った。
呼吸が上がっている。気が付くと、足下に三つの警備員の身体が転がっていた。
「赤外線センサーは破壊したわ。散開して。」
澄んだ声で鈴奈が命じる。途端に、彼女を守るように立っていた全員が見えなくなった。傍らにいるのはあの青年、貴緒だけである。
由良は自分が倒した三人の警備兵の肢体をちらりと見た。またである。
三つ子のようにそっくりな制服姿の公務員。
一体、なんなのだろう。普通ではあり得ない。仮にあり得るにしても一体どんな意味があると言うのだろう。同じ顔の一卵性兄妹ばかりを集めた警官にどんなメリットがあるというのだろう。
激しいサイレンの音、あちこちで人影が争う音、ほんのわずかに離れた位置にいるマドンナとその護衛の青年の気配、全てをとらえながら、彼女は再び追いついてきた警備兵へと向かう。
あちこちから漏れる警備隊側の灯りと、空中戦の攻防の光が朧気ながらも周囲の様子を知らせてくれた。空から時折聞こえる爆音に、由良はなんども振り返り、親切な異邦人の顔を思い浮かべる。だが、白い煙を噴いて墜落する飛行艇は彼のそれではなく、安堵のため息を何度もついた。そういえばセイラは囮が得意なのだと笑っていた気がする。
流河と刀麻はどうしただろう?二手に分かれたのはいいが、由良にはさっぱり彼らの様子は知らされていない。
1人安全な場所から通信役を受け持っている美夜子は大丈夫だろうか。彼女は安全な場所とはいえ、たった1人の筈だ。彼女だけは秀を通して連絡が付けられるのが幸いだが。
気になる事は心に次々に浮かんでくるが、それを打ち消すようにもう一度サーベルを握り直した。
人工の白樺樹林をうまく利用して、由良は敵を追いつめる。さらに少し離れて、秀の気配が突然現れた。唐突に現れた人影に面食らった制服姿を、発砲せず銃身で急所を打って失神させる。
まるで闇に紛れるように、その気配がすぐに消える。また唐突に現れる。その調子で次々に敵を倒しながら先へ進んで行くようだった。初めて会った時ただものではないと思ったのは当然だ。秀は自分の知る限り最も戦闘能力の高い人間だと思う。
その後を追うのも馬鹿馬鹿しいと思ったので鈴奈の元へ戻った。貴緒が傍らで目を光らせているがわかる。
その二人に、再びいくつもの黒い影が躍りかかった。そのほとんどを、貴緒が薙ぎ払う。速くて強い。彼もまた、由良と同様のサーベルを手にしていた。その見事な手際と、その背後に庇われる鈴奈の冷静な顔に、由良は驚いた。
安心しきった鈴奈の顔、その信頼を裏切らない側近の働きは、端から見てもすばらしく思えた。やがて我に返ると、由良は貴緒に加勢するために足を早める。
わらわらと現れる警備兵達から逃げながら、鈴奈はのんびり風情を崩さぬまま貴緒の背後へ背後へと隠れる。信頼しきっているのだろう、彼が負けるはずはないと。
由良が彼女のそばへ戻る頃には他の面子も皆引き返し始めていた。
「もう、大丈夫だ。場所を移動しよう、マドンナ」
僅かな静寂が訪れた人工の林に、潜めた声が流れる。
「表玄関の脇にも小さな通用口があるそうよ、匠。そちらに行きましょう、セイラが派手にやってくれたから、今はそっちが手薄だわ。…まったくあたしがいないと勝手に出たりして。後でお仕置きね。」
いつの間にか戻った秀の腕をつかんだまま鈴奈が命じると、誰もが武器をしまった。お仕置き云々は聞こえなかった振りをする。
「そうか、じゃ前庭へ突っ切るぞ。」
短くそう呟くと、匠が進行方向にある何かを銃で破壊した。その先に、秀の姿があり、やはり発砲しながら進んでいる。恐らく、センサーやモニターの類を発見し次第破壊しているのだろう。
先頭は二人に任せ、また真ん中をゆくマドンナは貴緒と他の4人に任せて、由良は自らしんがりを勤めようと後ろへ下がった。
薄暗いために判別がやっとだが、青い制服を着た警備兵達の姿態を振り返って、また胸に浮かんでくる疑問を打ち消そうとする。
その途端に熱い衝撃が一瞬左肩にぶつかっていった。被弾のショックでわずかにその身体が傾いだ。
背後から撃たれたことを認識した途端に、由良は身を屈めた。痛みより熱さが傷口を襲っていた。どうやらかすった程度で済んだのか、左腕はまだ動く。それを確認するや否や、鈴奈達とは反対の方向、今来た道を戻った。彼女の感覚が、銃弾の軌跡はそちらからと告げているらしい。
悲鳴一つ上げなかったために、鈴奈達は由良の異変に気づかないようだったが、後を付いてこないことにすぐ気づくだろう。
本当にかすかな音、撃鉄を起こす小さな音が右手前方から聞こえた。消音器にかき消された弾丸の発射音、それが梢にぶつかった音で、おおまかに相手の位置を予測する。
相手の気配が”見える”。思ったより近くにいた。しかも1人だった。由良が気絶させた男が、目覚めたらしい。しかし、彼の方は由良の位置をもう見失っている。闇雲に発砲し始めたのがその証拠だった。
今だ、と思いサーベルを握った時手が滑った。何か生ぬるい液体に左手が濡れていたのだ。かさ、とサーベルの柄が地面におちる。その音に、相手が気づく。相手の銃口がこちらを向くのがわかった。撃たれる。
思わず目を閉じた由良を、突然貴緒の細い身体が覆い被さるようになぎ倒した。なぎ倒されるとき、ほんのちらっとだけ彼のサーベルの柄が、人工樹林の向こうから漏れてきたかすかな光に反射したのが見えたのだ。
弾丸の小さな発射音が、思ったより近くから聞こえる。
人工の砂へもろに顔を埋めた由良は、咳き込みながら必死で顔を上げた。何が起こったのか判らなかった。
「大丈夫?あ、血だらけだよ、この子。しっかりして!」
貴緒の声が耳元で聞こえて、慌てて由良は呟いた。
「大丈夫です、大丈夫、大丈夫・・助けてくださったんですね、ありがとうございます。」
彼が由良の上からどいた途端に、ものすごい力で強引に抱き起こされた。
「ひっ」
傷口が当たる。思わず悲鳴が出た。
「単独で判断して行動するな」
低く冷たい声で叱咤するのは、あの無表情な青年の方だろう。抱き起こしたのは秀らしい。薄暗くて無表情が見えないのは幸いに思えるほど乱暴である。
すぐに少女の声が続く。
「歩けそうなの?」
マドンナも一緒に戻ってきたようだ、貴緒がいるのだから、当然といえば当然だった。他の5人も周囲を警戒している。
「歩けます、大丈夫です、やられたのは肩ですから…」
気丈げに声に力を込めてそういうと、由良は抱き起こした青年の腕から逃げるように立ち上がった。
「そう、悪いけど、今はゆっくり怪我の手当てをしてあげられない。一緒に走って出口まで突破するわよ。」
無邪気な声だが、感情が窺えないのは秀と同じだった。鈴奈の声は名前の通り鈴を鳴らすような澄んだ声だが、美夜子と大きく違うのは、その辺りだ。これは、無邪気を装うである。本質的には、秀と何も変わらない。
「わかりました。あ、さっきの、あの警備兵は」
自分が撃たれた敵の存在が気になり、誰にともなく問いかける。
「俺が撃った。心配ない。ああ、なんだ?」
後半は腕の通信機に対して答えている。とっさに通信役の顔を浮かぶ。由良は途端に叫んだ。
「美夜子には、怪我のこと、言わないで!」
突然の剣幕に、一瞬だけ目を丸くした秀は、
「なんでもない、心配するな、15分後に合流する。」
と、短く答えた。
「ありがとう」
厳しい表情で礼を言うと、彼は黙って鈴奈の方を見た。貴緒も彼女の指示を仰ぐように見る。
そして、由良も、地面に落としたサーベルの柄を拾うと、険しい顔で彼女の童顔を見下ろした。左肩に右手を添えたままで。
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