台風
医技短の実習生に自分の仕事である免疫染色を教えてほしいとひろのさんに言われた私は、その初めてのことにもう前の日から緊張していた。が、その前の日から、天気が怪しくなっていた。今年13個目の台風が近づいていて、予報ではちょうど金曜日に直撃しそうだということだった。
今日は木曜日。実習生たちは技官の石川さんに銀染色を習っていた。石川さんもここの医技短の卒業生で、後輩たちの指導をするのが嬉しい様子で、張り切って教えていた。
窓の外ではすでに雨が降り出していた。時々風が強く吹き付けて、窓から見える道路沿いの木々や、中庭の芙蓉の花が大きく揺れている。
「明日、大丈夫ですかね?」
私の作業台の後ろの流しに近づいてきた安道さんが、窓の外を見ながらつぶやいた。
「森川さんは、電車でしたっけ?」
振り向いてそう聞かれた。
「はい。JR、けっこうすぐ止まるんですよね」
と私が答えると、実習生の指導をしていた石川さんも話に加わった。
「あ、僕もJRです。2人は?」
と言いながら、実習生たちに聞いた。男の子は「自転車です」と答えたが、女の子が「あ、私JR」と言い、「あの、もし来れなかったらどこに連絡したらいいんですか?」と尋ねた。
「あ、それならここの電話番号、携帯に入れて帰ったら?」
と安道さんが答えると、2人は早速白衣のポケットから携帯電話を取り出して、番号を入力し始めた。明日もしこの2人が休みだったら、私の免染指導はなくなる。休んで欲しいような、でも台風は来て欲しくないような、複雑な気分だった。
金曜日の朝、私の出勤時間にはかろうじてまだJRは動いていた。強い風雨の中、駅から歩いてやっと作製室に着くと、ちょうど電話が鳴った。
「はい、ニ病理作製室です」
出ると、ひろのさんだった。
「あ、森川さん?おはようございます、林田です。すみません、今日私、お休みします」
息子の航希くんが、台風のため小学校が休みになったのだそうだ。
「一人で家にいるのが嫌だって言うから。すみませんけど。あ、学生さんたちがもし来たら、免染よろしくお願いしますね。それから、実習済みの確認印のハンコは月曜日にもらいに来てくださいって伝えてもらえます?」
と、そこへ安道さんと豊田さんが一緒にやって来た。ひろのさんにどちらかと替わってほしいと言われ、豊田さんに受話器を渡した。豊田さんは包埋の機械のセットのことを何か頼まれているようだった。
「森川さん、来れたんですね」
安道さんにそう言われ「はい、なんとか」と答えたが、「でも、もしかして帰りが大変なんじゃない?」と言われて、そうか、と気がついた。その後、谷ちゃんと亜矢が、バスで来たと言ってやって来た。
その後、9時過ぎに電話が鳴って実習生は2人とも休むということだった。医技短全体が休みと決まったらしい。これで私の免染指導はなくなった。それに、朝来てからしばらくみんなで窓の外を見たり、パソコンで台風情報を見たりしていたら、本当に夕方頃が一番ひどくなるようだったので、朝から夕方までかかる免染はまだ始めないでいた。
「一病理はもうみんな帰る準備してるみたいですよ」
と言いながら、作製室に亜矢が入って来た。研究棟に入って手前にある講座が第一病理で、さらに廊下を進むと、ここ第二病理がある。亜矢は一病理の教授秘書とも仲が良いらしく、廊下で会ってその情報を仕入れてきた。窓の外は雨がひどくなり、大学内の道路の水はけが悪いのか、だんだん道が川のようになって水が流れ出していた。
「これ、車も大丈夫ですか?」
車通勤だという安道さんと豊田さんに私が尋ねる。
「そうねぇ…ちょっと、もう帰った方がいいかな」
と、豊田さんは安道さんと顔を見合わせた。
「私、教授に聞いてきますね」
急いで亜矢が出て行った。入れ替わりに石川さんと加藤先生が入って来た。
「うわ、これ、すごくないですか?」
石川さんが窓の外を見ながら言う。加藤先生も「うわー、ちょっと勘弁してよ」と相槌を打つ。
「みなさんもう帰っていいそうです」
そう言いながらまた亜矢がやって来た。その後から乾教授が“ひょうひょうとした”といった雰囲気で作製室に入って来た。
「あ、おはようございます」
みんなが挨拶する。
「いやー、これはすごいね。みなさん、気をつけて帰ってください。あ、加藤くん、挨拶のことだけど」
と言いながら加藤先生を連れて教授は出て行った。
「あー、さっき来たばっかなのに」
と谷ちゃんが言う。急ぎのHE染色だけ手作業で始めていた安道さんのタイマーが鳴り、
「これだけ終わらせて帰ろ」
と、安道さんはカシャカシャと染色籠をゆすって水洗を始めた。
結局みんなバタバタと帰る準備をして、お昼前には帰ることになった。台風の速度が速いらしく、夕方がやはり一番風雨がひどいということだった。駅に電話してみると、JRはもうすでに止まっていた。
「あ、じゃあ、森川さん乗って行ったらいい」
と、豊田さんが声をかけてくれた。家の方向が同じらしく、家まで送ると言ってくれた。安道さんの車に谷ちゃんが、技官の古田さんの車に馬場さんと石川さんと亜矢が乗せてもらうことになった。
傘もあまり意味がないほど強くなった雨の中、豊田さんの車に乗り込んだ。
「すみません、ありがとうございます」
そう言って助手席に座る。豊田さんがエンジンをかけると、ドリームズカムトゥルーのCDが途中から鳴り出した。
「豊田さん、ドリカム好きなんですか?」
現在55歳という豊田さんは、見た目も年齢より若く見える。趣味も若いんだなと思って尋ねた。
「そう、娘がファンでね、私もハマっちゃって。今度娘と一緒にコンサートに行くのよ」
家までの15分くらいの間、豊田さんの話をいろいろ聞いた。30歳の息子さんは一昨年結婚して、同じ県内の少し離れた市に住んでいる。25歳の娘さんも就職して市外に一人暮らしで、休日になると帰って来るという。
「ほんとに彼氏くらいいないのかねぇ。土日はしょっちゅう帰って来るし、母親とコンサート行くなんて」
と言いながら豊田さんは嬉しそうだ。旦那さんは10年前に亡くなっていて、今は旦那さんのお母さんと2人暮らしなのだそうだ。
「おばあちゃんも今77で、まだ元気だしね。女2人で、気楽なもんよ」
それでも、ニ病理に来て10年目の豊田さん。旦那さんが亡くなって、じっと家にいても、ということで仕事を始めたのだという。
「まだ息子が大学生で、娘は高校入ったばかりだったし。おばあちゃんがいてくれたから、ほんと助かったのよ」
と言う豊田さんの横顔を見ながら、みんないろいろあるんだなあ、悩みは比べられないけれど私よりもっと大変だったんだろうなあと思った。
「そういえば、今日は学生さんに免染教えるはずだったのよね」
と、豊田さんに言われた。
「はい、昨日から緊張してて。でも台風のおかげでなくなって、ほっとしてます」
と笑いながら答えた。
「でも、また来週あるんじゃない?実習生は毎週来るから」
「あ、そうですね」
と、私が不安な顔をすると、
「大丈夫よ。森川さんの今の仕事をそのまま見せればいいんだから」
と豊田さんは笑顔で言ってくれた。
「はい」
と私も笑顔で答えた。
月曜の朝は台風一過の晴天で、また暑い日差しが戻ってきた。
「金曜日はすみませんでした」
と言うひろのさんに、みんなが金曜日のことを代わる代わる話している。結局みんな昼前には帰ったこと、学生さんも休みだったこと、安道さんが、急ぎのHE染色だけ済ませたこと。
「封入までできなくて、ヘモディに入れたまま帰ったんですけど。今から封入して柴田先生のところに持って行きますね」
ヘモディは、染色が終わってスライドガラスの表面の水分をアルコールで除き、さらにアルコールを除くために一番最後にする透徹という作業の時に使う、夏みかんのような匂いのする液体のことだ。透徹が終わったら組織にカバーガラスをかける封入をするのだが、その封入をするまでの間、染色した組織が乾かないようにそのままヘモディに浸けておく。金曜日に安道さんが染めたスライドガラスは、土日の間その状態のまま置かれていた。
早速封入を始めた安道さんが、「あら?」と声をあげた。
「ヘマトキシリンが、消えてる…」
「えっ?」
とひろのさんが覗きこむ。金曜日にはヘマトキシリンできれいな紫色に染まっていた組織の細胞核が、その周りのエオジンのオレンジ色を残して、まるでそこだけ脱色されたように白くなっている。
「ええーっ、なんで?」
私も豊田さんも、今週来た実習生も何事かと覗きこんだ。
「…どういうこと?」
とひろのさんが首をかしげていた。