染まらない!
私が入って10日ほどたってから、私の歓迎会が開かれた。ここ第二病理学講座には病理診断の技術を学ぶためと、博士論文を書くためにいろいろな科から来た医師たちが大学院生として在籍している。医学部の大学院は4年間なのだそうで、1年生から4年生まで、各学年5人ずつ20人ほどいる。それに乾教授、柴田准教授、片桐医局長、教授秘書の一ノ瀬さん、技官さん3人と、そして標本作製室のメンバー5人の30人以上の大所帯だ。そのほとんどの人が、私のために歓迎会に参加してくれた。
「まあ、みんな何かにつけて飲みたいだけよー」
と谷さんは言っていたが、それでも大勢でわいわいと飲むお酒は楽しくて、私は素直に嬉しかった。以前の職場のように、ひとところに固まって陰口をたたいている雰囲気もなく、みんながおおらかで笑い声が絶えず、会社を辞めて浩太郎に振られてから今まで自分の部屋で一人じっとしていた私にとって、そこは明るい別世界のようだった。
「二次会、カラオケ行く人~」
と声が上がり、
「主役は拒否権なしだからねー」
と、谷さんと、面接の日に秘書室で会った杉山先生に腕を引っ張られて参加した。後ろから柴田先生と一ノ瀬さんもついてきた。ひろのさんと安道さんと豊田さんは9時頃一次会が終わるとすぐに帰って行った。
「ひろのさんは航希くんがいるし、安道さんは彼氏と住んでるから、待ってるんじゃない?」
と谷さんが教えてくれた。彼氏と住んでる、か。私もほんの二カ月前はそんなことを夢見ていた。合鍵をもらって、そのうち一緒に暮らし始めるのかな、やっぱり結婚する前に一緒に住んでみた方がいいよね、などと一人で勝手に考えていた。そんなことが、もうずいぶん前のような気もするし、まだ昨日のことのように鮮明な気もする。
「おお!次は杉山先生と加藤先生の『奇跡の地球』!」
軽快なイントロが流れて、歓声が上がる。
加藤先生という人は初めて見る人で、杉山先生と同じ年くらいで、背も同じくらい高かった。長身の二人が並んで歌い出すと、見栄えはするし、それにどちらもとてもうまい。思わず、こういう人たちが本当にいるんだなあとみとれてしまった。おそらくここにいる「先生」と呼ばれている人たちは、小さい頃から今まで、“栄光の道”をたどって来たのだろう。中には、勉強ばかりしてきてよくお医者さんが世間知らずと言われるのがうなずける人もいたが、ほとんどは勉強もスポーツもできて、性格も明るくて、クラスの人気者だったんだろうなあと思わずにはいられない人ばかりな気がした。
「そうですね、杉山先生と加藤先生は、ニ病理のニ押しですね」
カラオケが終わって、12時過ぎたので谷さんと一ノ瀬さんと私の三人は一緒にタクシーで帰ることになった。三人とも気持ちよく酔ったタクシーの中で、職場とは違う顔で一ノ瀬さんはよく話した。一ノ瀬さんが25歳、谷さんが26歳、そして私が27歳と、年齢では私が一番上だったが、短大を出て21の時からニ病理にいる一ノ瀬さんと、医療技術短大(三年間の短大なのだそうだ)出身で22の時からいる谷さんは、どちらもニ病理に勤務して5年目で、この三人の中では一ノ瀬さんが一番大人びているようだった。
「ニ押し?」
私が首をかしげると、一ノ瀬さんは、昼間は清楚に見える黒い瞳をきらりと光らせて言った。
「そう、どっちもいい男でしょ?特に杉山先生は、ほんと素敵なんですよねー」
「始まった、亜矢のいい男論!」
と谷さんが茶化した。
「だって、杉山先生って優しいし、ほんとによく気がつくしぃ、いつもお土産買ってきてくれるしぃ、背も高くって笑顔も素敵だし。加藤先生だって、ちょっとクールでかっこいいんですよー」
こんな人だったとは。私の中の“清楚なお嬢様”の一ノ瀬さんがガラガラと崩れていった。
「でもぉ、どっちも彼女いるんですよねー。当たり前といえば当たり前ですけど」
「で、今のところ亜矢は、彼女いない5人と付き合ってるんだっけ?」
と谷さんが言うのを聞いて、私はさらに目を丸くした。
「5人?!」
「付き合ってるっていうか、たまにご飯食べに行くくらいですよ」
と一ノ瀬さんは平然としている。
「えー、でもその5人は、『一ノ瀬さんと付き合ってるのは自分一人だ』と思ってるんでしょ?」
と谷さん。
「だって、わざわざ言う必要ないでしょう?」
「悪~い!森川さん、この人、こういう女だから!」
笑いながらそういう谷さんに、一ノ瀬さんはさらに当然という顔をして言った。
「だって、就職だって、何社も受けるでしょ?そして、受かった中から一番いいところを選ぶでしょ?私ももう25だし、あんまりのんびりしてられないし。医学部に勤めてるんだから、これほどお医者さんと結婚できるチャンスがあるとこなんてないですよ。そこで努力するのは当たり前なんじゃないですか?」
本当にこんな人がいるんだ。そう思った。私が浩太郎とのことをぐだぐだと考えている間に、こういう人がどんどん幸せになっていくんだろう。
「石川さんじゃダメなの?」
と谷さんが言うと、急に一ノ瀬さんは不機嫌になった。
「やめてくださいよ。石川さんはお医者さんじゃないし。論外です」
一次会の時に、この仕事をそもそも紹介してくれた古田さんにちゃんとお礼に行こうと思って、技官さんたちのいるテーブルに行った。技官さんたちは男三人で固まって飲んでいた。
作製室の豊田さんと同じ年くらいの人が馬場さんで、丸顔ののんびりした感じの人だった。その横に40代くらいの古田さんは静かにいて、その声の小ささは飲み会の席では周りの話し声にかき消されてしまうほどで、私は何度も「えっ?」と聞き返した。さらにその隣にいた対照的ににぎやかな人が石川さんだ。私より少し上くらいで、明るくてよくしゃべる人だなという印象だった。谷さんが言うには、その石川さんが一ノ瀬さんに熱心にアプローチしているらしい。
「なにかっていうと『亜矢ちゃん、亜矢ちゃん』言ってるじゃん」
「やだー。私、亜矢ちゃんて呼んでいいなんて、一言も言ってないし」
と一ノ瀬さんは露骨に嫌がっている。
そんなタクシーでの会話があってから、私たち三人は仲良くなった。「一ノ瀬さん」は「亜矢」になり、「谷さん」は「谷ちゃん」になり、私は「忍」になった。社会人になって、同じ職場で、同性の同年代の友達ができたのは私にとっては初めてのことだったので、毎日の仕事はさらに楽しくなった。
そんな歓迎会があって、次の週の月曜日、亜矢が「ニ押し」と言っていたうちの一人の加藤先生が私のところにやってきた。これからしばらく、論文のための免疫染色をするという。なるほど亜矢の言っていた通り、確かにかっこいい。加藤先生は外科医で、あまり笑わず余計なことは話さない、少しとっつきにくい感じで、人懐こい笑顔の杉山先生とは正反対のタイプに見えた。けれど何日か同じ机で、同じ作業をしていると、だんだんとその素顔がわかってきた。
「明日は金曜日だから、またリサカンがあるな~」
ぼやくように先生が言う。“リサカン”とは“リサーチカンファレンス”の略で、毎週金曜日の午後、教授を始め、先生たちが全員集まって、その週の研究の成果や論文の進み具合を発表する場なのだ。
「内藤くん怖いからな~」
「内藤くん?」
そんな名前の先生いたっけ?と思いながら、私が尋ねると、
「准教授だよ。柴田先生。ほら、俳優の内藤、つよしだかたけしだか知らないけど、いるでしょ、なんかにこにこしてる俳優が。似てるでしょ?」
「ああ」
そう言われてすぐにわかった。確か内藤剛志だ。そう言えば似てる。面接の時柴田先生を見て、「どこかで見たことある人だなあ」と思ったのはそれだったのか、と納得する。
「柴田先生って、そんなに怖いんですか?歓迎会の時はそんなふうに見えませんでしたけど」
とまた尋ねると、
「そりゃ飲み会の時はね。でもあの人仕事の鬼だから。作製室の人なんかには優しいだろうけど、俺たちにはもう怖いよー。リサカンの時なんか特にね。ムツゴロウくんも真っ青だよ」
「ムツゴロウくん?」
また新たな聞き慣れない名前が出てきた。
「教授だよ。下の名前知らないの?あの人、乾正憲っていうんだよ」
「あ、それで」
「雰囲気もなんか似てるでしょ。でもあれで、病理学の世界じゃ権威なんだもんなあ。人は見かけによらないね」
ひょうひょうとした乾教授の表情が思い出されて、思わず笑ってしまった。
それに、見かけによらないのは加藤先生も同じなんじゃないですか、と思いながら、
(おもしろい人だな。口は悪いけど。そういうところ、なんとなく浩太郎に似てる)
とまた彼と重ねている私がいた。そう、私はまだ、誰を見ても、その中に浩太郎の影を無意識に探しているのだ。最近は仕事もおもしろくなり、亜矢と谷ちゃんと三人で仕事帰りにご飯を食べに行ったりもして、ここに来る前よりは明るい気分の日が増えたが、彼のことを忘れるにはまだまだ時間がかかりそうだった。
谷ちゃんは臨床検査技師の資格を持っていて、免疫染色もできるということだったが、「顕微鏡を覗くとぞっとする」と言う。染色された組織の細胞の一個一個が気味悪く見えるのだそうで、「私はDNAの暗号みたいなのを、AGC、CGTって読んでた方がいいの」と言って、私には見当もつかない分子生物実験の仕事をこなしていた。一方私は、顕微鏡をのぞくたびに、毎回「きれいだ」と思う。がんというのは細胞の規則を無視してどんどん増えるので、細胞の上に重なって増えたりする。そういうがんの部分を見ると、「うわっ、汚い」と思うけれど、健康な部分は規則正しく並んだ細胞たちが、とてもきれいだと思う。小さい丸い粒状のリンパ球や、鎖がつながったような形の上皮細胞、一次抗体の種類もずいぶん覚えたし、どの抗体がどんな条件でどんなふうに染まるか、一カ月ほどたってだんだんとわかってきた。最近はひろのさんについてもらうこともなくなって、「けっこう私、できるじゃん」と自分で思っていた矢先だった。
それは突然だった。7月の第二週目。今まで調子よく染まっていたものが、全く染まらなくなってしまった。
「どういうことでしょう」
私はまずひろのさんに相談した。ひろのさんもうーん、と首をかしげている。
「免染って、途中でチェックできるとこがないからねー」
そうなのだ。免疫染色は、DABで発色させて初めてうまくいっているかどうかがわかる。スライドガラス15~20枚、一次抗体も10種類ほどを一度に染めるし、コントロールといって、必ず染まるとわかっているようなものも一緒に染めるので、コントロールが染まっていれば、他のものが染まらなくても染色自体はうまくいっていると判断できる。けれど今、そのコントロールさえ全く染まらなくなってしまった。
「俺のも全く染まってないんだけど」
一緒に染めていた加藤先生も困っていた。ということは、私の技術的なミスではないようだ。
「そういえば、7月の初めの日曜日に停電があったよね?」
この非常事態に、いつもいる実験室から作製室に来てくれた谷ちゃんが言い出した。確かに停電があった。それは医学部全体の電気設備の点検のための停電で、日曜日の午前中の3時間ほどだった。7月になったばかりだったけれど、その日は真夏日というほど暑かった。
「それで温度が上がって、冷蔵庫の中の抗体がダメになったとか…」
一次抗体や実験に使う試薬は、ほとんどが4℃や-20℃、-80℃といった低温で保存しなければいけなくて、最初の頃、「なんだか食べ物と同じだな」と思ったものだ。
しばらく考えていた谷ちゃんが、自分でまた言い出した。
「いや、でもあの時は柴田先生に頼んで、非常用の電源を引いてもらったんだっけ」
そうだった。廊下にある-80℃のディープフリーザー(それは私が面接で初めてここに来た時に見た、廊下の大きな箱型の電化製品だった)には、私が業者さんに頼んでドライアイスを持ってきて入れてもらった。冷凍庫なので、それで開閉禁止にしていれば大丈夫だろう、ということになったけれど、冷蔵庫は4℃という温度なので、凍らせるわけにはいかない。ドライアイスでは無理だということで、非常用の電源を引いて、冷蔵庫の電源を確保した。これで4℃は保たれていたはずだ。
それに、HE染色や銀染色といった、ひろのさんが主にやっている免疫染色以外の他の種類の染色は問題なく染まっている。どの染色にも使うキシレンやアルコールが原因とも考えられない、というのがひろのさんの意見だった。結局柴田先生や片桐先生、その他の先生にも相談したりしてみんなで考えたが、理由はわからなかった。
次の日、加藤先生は早々に染色をあきらめて、他の実験を先に進めることにしたらしい。私は全ての行程をいつもより慎重に、丁寧にやった。それでもDABにつけてみても、ガラスの表面は何事もなかったかのように、白いままだった。
「どうして…」
一日の終わりに、今日やったことが全部無駄だったと思い知らされるようで、どっと疲れた。次の日もその次の日も、理由はわからないまま、私のやる免疫染色だけが、いっこうに染まる気配がなかった。
とりあえず免疫染色は当分の間中止することになった。
「これじゃ診断が返せないわね」
さすがのひろのさんもため息まじりにつぶやいた。私は免染が中止の間、試薬を作ったり、ブロック整理の仕事をしたりして過ごすことになった。ブロックというのは、検査で送られてきた組織を、四角い型にパラフィン(ろうそくの“ろう”と同じものらしい)で固めたものだ。そのブロックをミクロトームという機械に取り付けて、鰹節のように薄く削るのが薄切で、その削ったものをスライドガラスの上にきれいに伸ばして貼りつけることになる。その作業を主にしているのが、安道さんと豊田さんだった。
昼休み、気分転換に食後のデザートでも買いに行こうと一人で売店に行った。プリンかシュークリームがいいな、などと考えながら売店に入ると、レジの横に見慣れた後ろ姿を見つけた。
(浩太郎…!)
白衣を着ているが、少し寝ぐせのあるあの髪は、間違いない。じっと見ていると、彼は振り返った。
「あ」
どうしよう。ずっと偶然会うことを期待していたのに、いざ会うとどうしていいかわからない。
「何してんの?」
彼から聞かれた。
「えっと、昼ご飯買いに」
何を話したらいいんだろう。聞きたいことはたくさんあったはずなのに。言いたいことは頭の中で「彼がこう言ったら、こう言おう」と繰り返しシミュレーションしていたはずなのに。
「いや、だから、なんでお前が白衣なんか着てんの?」
久しぶりに会ったのに。すぐ隣には大学時代二人でよく来た食堂だってあるというのに、こんな売店のレジの横で、怪しげな顔で質問する彼に、私はがっかりした。どうしてこの人は「ちょっとお茶でも飲む?」なんて言ってくれないんだろう。そんなことを思いながら、それでも私は少しは彼が感心してくれることを期待して、こう言った。
「あ、今医学部の第二病理で働いてるの」
「第二病理?お前が?事務仕事かなんか?」
「ううん、免疫染色っていって、診断のお手伝いっていうか」
「…それ、アルバイト?」
「まあ、そうだけど」
私がそう言うと、彼ははあっとため息をついて吐き出すように言った。
「お前さあ、もうちょっと、ちゃんとしたとこに就職したら?」
「え?」
「お前の年でアルバイトって。何やってんの?もうちょっとちゃんと考えたら?」
彼の言葉とその言い方に無性に腹が立った。あなたにそんなこと言われたくないわよ。こんなことになったのは誰のせいよ。私はあなたに会いたくて、ここに来たのに。そんな言葉が出そうになったが、冷静に考えれば、それは私の勝手な言い訳だ。彼にとっては思いもよらない言いがかりというものだろう。そう思っていると、そんな言葉の代わりに、思ってもいない言葉が自分の口から出て、自分でも驚いた。
「ちゃんとって。そんな心配してもらわなくて結構です。あなたに関係ないでしょう」
「こわ。まあ、そうだけどさ」
だめだ。やっぱりもう私は、彼の前で“かわいい女の子”になんかなれない。どうしてだろう。自分でそんなふうに振る舞いたいわけじゃないのに、こんなことを言う女を彼が好きではないことはわかっているのに、私は自分で自分をどうすることもできないのだ。
私が黙っていると、また彼が続けた。
「まあ、ここで医者でも見つけたら?」
私は自分で「関係ない」と言っておきながら、彼が「そんなことないよ。関係あるよ」と言ってくれるのを期待していたのだ。もっとも、彼がそんな女心がわかる人なら、こんなことにはなっていないはずなのもわかっていたけれど。
「じゃ」と言って彼は去って行く。期待していた偶然の出会いは、私を余計に落ち込ませただけだった。
それから一週間たって、加藤先生がまた染色をするために作製室にやってきた。来週から夏休みを取るので、今週までになんとか染色を済ませておきたいということだった。ここにいる先生たちはみんな医学部の大学院生なので、学部生よりは短いが、二週間夏休みが取れることになっていた。私たち職員も、有給休暇を使ってではあるが、休みをまとめて二週間まで取ってもいいことになっていた。
「まだ原因わからないんですかね?俺、休み前に済ましときたいんですけどねー」
原因といっても、あれから免染をどうチェックすればいいかを医局長の片桐先生と話したくらいで、染色は止まったままなのだ。
うーんと考えていた加藤先生が、ふと、こんなことを言った。
「PBSのpH、計ってみた?」
えっ?と、私もひろのさんも驚いた。それは今まで誰の頭にも浮かんでいなかったことだったからだ。けれどそう言われてみれば、生理食塩水であるPBSは生体反応を利用している免疫染色でしか使わない。もしPBSに何か原因があるなら、他の染色が染まっていて免染だけが染まらない、という今の状態も説明がつく。
早速PBSを少しビーカーに入れて、pHメーターで計ってみた。
「あっ」
私は自分の目を疑った。
「4.2です」
「えっ?」
とひろのさんも覗きこんだ。
「どうしてこんなに低いの?」
ひろのさんが私に顔を向ける。私は慌てた。
「ちょっと待ってください!確認してみます!」
急いでPBSを作る時に使っているリン酸二水素ナトリウム(一ナト)とリン酸水素ニナトリウム(二ナト)の瓶を確認した。その二つで、pHを7.2から7.4くらいの中性に合わせるのだ、と最初にひろのさんに教わったことを思い出す。
「この二つの試薬の分量を間違えると、pHが違ってくるので気をつけてね」
ひろのさんは確かそう言った。もしかして…と思いながら二つの瓶を見比べる。
「あっ」
見てみると、それは二本とも一ナトの瓶だった。この前二ナトの瓶が空になった時、間違えて一ナトの瓶を開けてしまったのだ。私は今までPBSのpHを、一ナトだけで調整していたことになる。それではpHは中性にならなくて、人の体の中の環境とは違うことになり、生体反応である抗原抗体反応は起こらない。だから、全ての抗体が全く染まらなかったのだ。
pHというものがそんなに大事なものだったなんて。ただなんとなく塩化ナトリウム(食塩)と、この二つの試薬を混ぜて溶かしてPBSを作っていた私には、想像もつかないことだった。
「すみません!」
私はすごい勢いで頭を下げた。こんな単純な私の確認ミスで、この二週間ほど多大な迷惑をかけてしまったのだ。何度頭を下げても足りないくらいだった。
「まあ、原因がわかってよかったわ。今度から気をつけてね」
あまり私が謝るので、仕方ないといった感じでひろのさんがそう言ってくれた。加藤先生も「ほんと、頼むよー」と言いながら、「よーし、染めるぞー」と、早速染色の準備を始めている。
「お騒がせしました」
と私が頭を下げると、安道さんと豊田さんは「よかったねー」と喜んでくれた。谷ちゃんも「これでまた明日から忙しくなるね」と笑っている。笑顔に囲まれて、私は本当に救われていた。
その後、“免染復活”を祝って、谷ちゃんと亜矢、杉山先生、加藤先生、それになぜか技官の石川さん(といってもそれは亜矢がいるからなのはわかっていたが)とで飲みに行った。先生二人は同級生で30歳、石川さんはその一つ上だとわかったが、石川さんが一番にぎやかで若く見えた。先生たちの気の合った会話は本当におもしろく楽しくて、こんな人たちの彼女って一体どんな人なんだろう、どうやったらなれるんだろう、などと私は飲みながら一人考えていた。
「医者でも見つけたら?」
お昼の売店の浩太郎の声が、何度も頭の中で聞こえていた。