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恋の木の実

 11月ももう10日以上が過ぎ、朝は時々霜が降りるようになった。友引の土曜日の今日は、加藤先生の結婚式だ。今朝も寒かったが、日が昇るにつれてスジ雲が所々に見える青空の快晴になった。

 私たち作製室のメンバーはその二次会に呼ばれていた。夕方5時からだったので、4時頃うちを出て電車に乗った。いつも通勤に使っている電車にこんな時間に、しかもベロアの茶色のワンピースにパールのネックレスという格好で乗るのは珍しくて、座っていてもどこか落ち着かない。少しずつ日が傾いていく窓の外をぼんやり眺めていると、いつも見ている景色がなんだか違って見える。

 今日の披露宴には、乾教授と柴田准教授、医局長の片桐先生、そして加藤先生の同級生として杉山先生が出席すると聞いていた。杉山先生は歌を頼まれたとかで、少し前、何を歌おうかと実験しながら悩んでいた。結局何を歌ったんだろう。晴れやかなステージに、先生の笑顔が浮かぶ。

 そんなことを思っていると、少し離れた所を通り過ぎるうっそうとした木々の中に、ポツリと朱色の木の実が見えた。あれは確か、カラスウリだ。それは火のようで、まるで森の中にそこだけ灯りがともったようにぽうっと光っている。花はいつ咲いていたんだろう。知らない間に咲いて、気付かないうちに実がなり熟していたカラスウリは、恋の灯火(ともしび)のようだ。


 会場に着くと、もう亜矢と安道さんが来ていて、入口の所に立っていた。亜矢は黒のエレガントなワンピースに、首元にはパールと細いゴールドのネックレスを重ねてつけている。安道さんは水色のスーツで、ヒールの靴をはいていて、いつもより少し背が高くなっていた。しばらくすると豊田さんも紺色のスーツでやって来た。谷ちゃんは昨日帰る時、日曜日が模試なので出席できないと言って、本当に残念がっていた。ひろのさんも航希くんがいるので欠席だった。

 4人で固まっていると、奥の方から声がした。

「亜矢ちゃん、こっちこっち」

テーブルの向こうでスーツ姿の石川さんが手を振っている。隣に片桐先生と杉山先生もいる。そこがニ病理のテーブルらしい。

「おお、白衣の時とやっぱ違うねー」

披露宴でもう十分お酒の入っている片桐先生が、私たち4人をニコニコして見つめる。

「馬子にも衣装でしょ」

と豊田さんが笑う。その時柴田先生もやって来た。

「教授は今日は披露宴で帰られたんで、ニ病理からはこれだけかな?あれ?谷さんは?」

柴田先生が周りを見回す。

「あ、今日は都合が悪いそうで、欠席です」

亜矢が何気なく答える。まだ模試のことは内緒らしい。「そう」と理由を特に気にする様子もなく、先生たちは今日の披露宴のことを話し始めた。

 5時になったが、主役の加藤先生たちはまだ到着しなかった。2人が来る前にすでにそれぞれのテーブルでは、久しぶりの再会を喜ぶ声があちこちで上がり、ビールが回っている。私たちも飲み始めた。

 私は安道さんと豊田さんの間に座っていた。豊田さんの隣にいる亜矢は、先生たちの披露宴の話を熱心に聞いている。私たちは3人で、安道さんの結婚式のことを話していた。

「安道さんも、もうだいぶ準備進んでるでしょう?」

「うん、今招待状の準備中」

隣の安道さんに話しかけると、嬉しそうに答えてくれた。式は来年の3月11日で、衣裳合わせもこの前すんだそうだ。試着したドレスの写真を携帯で見せてもらった。披露宴には亜矢と作製室全員を招待してくれるそうで、今日は来ていないひろのさんも来られるように航希くんも一緒に招待することにしたそうだ。

「航希くん、今大変みたいだからね」

豊田さんが心配そうな顔をする。少し前から航希くんは登校拒否のような状態で、今は隣の県のひろのさんのご両親の家にいるのだそうだ。普段自分のことはあまり話さないひろのさんだが、豊田さんにふともらしたらしい。

「まあ、私たちがなんとかできる問題じゃないけどね」

豊田さんの言う通りだ。でも、知っていればそれなりの気遣いくらいはできる。ひろのさんは口には出さないけれど、ここのところかなり悩んでいるようだった。

 5時半を過ぎた頃、主役の2人がやっと到着した。司会役の人がマイクで盛り上げると、クラッカーが鳴り、歓声が上がる。黒いスーツの加藤先生と小柄な新婦の岸岡直美さんが手をつないで入って来た。直美さんは、以前マラソン大会で会った時は“活発そうな元陸上部の人”というイメージだったのが、今日は白いワンピースで、ピンク色の右の頬の横には白い花飾りをつけていて、清楚な花嫁さんという感じだった。加藤先生は披露宴で飲まされたアルコールのせいか、それとも恥ずかしいからか、ずいぶん顔が赤い。でも新婦に負けないくらい、嬉しそうだ。

 サプライズプレゼントとして、幹事さんが用意してくれていたケーキに2人がナイフを入れ、そこでまた拍手と歓声が起こり、その後は2人が各テーブルを回り始めた。

「亜矢ちゃん、来て来て」

会場の前の方に用意されている新郎の席に石川さんが座って、隣の新婦のイスを指さしている。「えー」と言いながら亜矢は立って行き、新婦席とは反対側に立って話していた。すかさず杉山先生がデジカメを向ける。2人はピースサインをしながら笑顔でおさまっていた。

「森ちゃん!」

テーブルからその様子を見ていた私は、名前を呼ばれてドキリとした。おいでおいでと先生が手を振っている。

「はい、練習練習」

と今度は片桐先生が新郎の席に座り、私に向かって隣を指さしていた。「え、練習?」と言いながら私は新婦の席に座る。デジカメを構える杉山先生の方を向いて、私と片桐先生は座ったまま肩を寄せて、ピースサインを出した。隣が杉山先生ならいいのに、と思いながら座っていると加藤先生がやって来た。

「何こんなとこで遊んでるんですか。片桐先生は結婚してるんだから、もう練習いらないでしょ」

加藤先生に突っ込まれ、大げさに恨めしそうな顔をして片桐先生が席を立つ。すると、

「じゃ、次は俺が練習」

と、杉山先生が新郎の席に座ってくれた。心の中で「ラッキー」と叫びながら、なるべく普通の顔で笑っていると、加藤先生が写真を撮ってくれた。

「ああ、新郎が何やってんですか」

と石川さんが気が付いてカメラを取り上げ、もう一度私たちに向けて構える。その時杉山先生が私に肩を寄せてくれて、私たちはカメラに向かってピースをした。


 次の週の月曜日の昼休み、谷ちゃんとひろのさんに土曜日の二次会の様子を話していると、杉山先生が写真を持って来てくれた。ニ病理から出席していた全員で写ったものや、新郎新婦と一緒に写ったものの7枚ほどの中に、先生と2人で写った写真も入っていた。

「あー、何これ、いい雰囲気じゃん」

谷ちゃんがそれを見て私を肘でつつく。その返事に私は迷ったが、下手に否定すると気付かれるような気がして、明るく答えることにした。

「ふふふ、いいでしょー。杉山先生が私の練習台になってくれたのよー」

「杉山先生が練習台って、贅沢だよね」

谷ちゃんはそう言いながらその写真をまだ見ていた。私は写真の自分の笑顔の中にある気持ちがばれないか、少し焦って写真を取り上げる。

「石川さんと亜矢もいいよね」

そんなことには気付かずに、谷ちゃんは次の写真を見ていた。

「私は新婦席には違う人と座ります」

亜矢がすまして言う。まだまだ石川さんの努力は続きそうだ。

 その夜、帰って自分の部屋でその写真を見ながら、ふとカラスウリのことを思い出した。

 パソコンを立ち上げて検索する。ウィキペディアに載っている説明を読んでみると、花は夏の夜だけ咲くのだそうだ。それで見たことがなかったのか、と納得する。白いクジャクのような花の写真が載っていて、その隣にはハート型の葉っぱが一緒に写っていた。今まで何度も秋が来て実っていたはずの赤い実が、この秋の私には何か特別なものに見えていた。

 お土産に定番のマカダミアナッツチョコレートを持って一週間の新婚旅行から帰って来た加藤先生は、月曜日にはもう実験に精を出していた。結婚式前に注文していた抗体も届き、先生は火曜日がネーベンのためできないので、今日は免染も160枚のスライドガラスを時間差で染めていて、色違いのタイマーを2つ首からぶらさげて、作製室と実験室を行ったり来たりしていた。その先生の忙しさに合わせて、私も普段よりハイペースで減っていくPBSの作製に追われる。その日から来た医技短の学生さんも、その様子に驚きながら実習をしていた。月曜はそんなふうに忙しく過ぎ、先生がいない火曜日には夕方PBSを作ってから帰り、翌日の23日の勤労感謝の日は家でのんびりしていた。

 昼過ぎ、携帯に知らない番号からの電話がかかってきた。

「はい、もしもし」

杉山先生の時とは違って予想して出ると、やっぱり加藤先生だった。

「あ、森ちゃん?ごめん、加藤ですけど」

先生は早口で杉山先生から私の番号を聞いたことを説明し、PBSの作り方を聞いてきた。

「もうなくなったんですか?」

昨日帰る時、10リットルのタンクを2つ満タンにしていたはずだ。

「いや、1コはまだあるけど夜なくなったら困ると思って。今日できれば200枚染めるつもりだから」

「200枚?!抗体は足りますか?」

それはこの前注文していた分で足りるということだったが、早速また明日朝一番に注文しておいてほしいということも伝えたかったらしい。

 私は、試薬棚のガラス戸に書いて貼ってあるPBSの作り方と、それに使う試薬のある場所を教えて電話を切ろうとした。すると加藤先生からこんなことを言われた。

「そういえばこの前二次会の時に気がついたんだけど」

「はい?」

「いや~、杉山はいい奴だよ」

「えっ?」

な、何ですか?突然、と一瞬慌ててしまった。

「まあ、ハードルはけっこう高いと思うけどね」

と先生は続ける。

「ハードル高いって…やっぱり先生、彼女いるんですかね?」

「…やっぱり。森ちゃん、わかりやすいなあ」

ひっかかった、と思った。電話の向こうで先生が楽しそうに笑っている。

「まあ、俺でよかったら相談に乗るよ」

免染でお世話になってるお礼、と言いながら先生は電話を切った。

 やっぱり気付かれていたのか。だとしたら、他の人も気付いているのだろうか。私だってついこの間、自分の気持ちに気が付いたばかりなのに。あっという間に11月も終わる。そして12月になったらすぐにクリスマスがやってくる。今年のクリスマスは幸せだったらなあ、と淡い期待を抱いて携帯を見つめていた。


「さあ、またニ病理宝くじの会の時期ですよー」

12月になって、谷ちゃんが張り切っている。先月の24日から年末ジャンボ宝くじが発売になり、ニュースでは初日から売り場に行列ができていた。サマージャンボの時と同じように、一口3000円でみんなで買おうということになった。

「えー、また当たらないんじゃないのー」

財布から千円札を出しながら、ひろのさんが不満そうに言う。

「今度で最後ですから。お願いしまーす」

いつになく真剣そうに谷ちゃんが答える。“最後”という意味は私と亜矢だけがわかっている。

「まあ、買わないと当たらないしね」

そう言いながら豊田さんも3000円を出している。安道さんもロッカーに財布を取りに行っていた。

 私はお金をおろすため、昼休みに大学の附属病院のATMコーナーに向かった。

 臨床研究棟の玄関を出ると、玄関の横に高さ3メートルほどの大きな木があった。その横を通り過ぎる時、何気なく目をやると、それはヒイラギの木だった。葉っぱがギザギザととがっていて、クリスマスのリースを連想する。その木全体に、小さな白い花がまるで雪が降ったように咲いていた。ヒイラギにこんなかわいらしい花が咲くなんて、知らなかった。近づいて匂いを嗅いでみると、さわやかないい香りがする。この花がやがて実になり、あのクリスマスリースについているような赤い実になるのだろうか。それにしては今花が咲いているなら、あとたった3週間ほどで実がなって熟すとは思えない。どう考えてもクリスマスには間に合わないような気がする。今度また調べてみよう。そう思いながら、もう一度大きなヒイラギを見上げ、私は病院の方へ歩いて行った。

 あの電話の翌日、加藤先生と廊下ですれ違った時、先生は意味ありげな笑顔で私を見ていた。

「抗体、注文しましたから」

そう言う私に、「ありがと」と言いながら実験室に入って行く先生を追いかけて、私も実験室に入る。谷ちゃんは向いの培養室にこもっていて、実験室には私と先生の2人だけだった。

「で、なんか相談?」

と先生がいきなり私に言う。

「相談というか…あの、誰にも言わないでくださいね」

私は先生に念を押した。まだ谷ちゃんにも亜矢にも言っていないのだ。

「まあ、職場恋愛はそういうとこ難しいからね。なるべく他の人には言わない方がいいよね」

先生も直美さんとは職場恋愛のはずだ。経験者の貴重な意見に納得する。

「杉山先生は、気が付いてるんでしょうか?」

私は一番気になっていたことを尋ねた。

「いや~、杉山はそういうとこ鈍いからね。たぶんわかってないんじゃないかな。それにこの前言いそびれたけど、あいつ彼女いるよ」

「やっぱり。そうですよね…」

予想はしていたが、というより亜矢が言っていた通りで、一気に心がしぼむ。

「あいつ学生時代からそういう話あんまりしないけど、どうかなあ、まあ、うまくいってるかどうかもわかんないから、あきらめるのは早いんじゃない?」

明らかに私を励ますような先生の口調に少し救われながら、「じゃあ、また今度」と実験室を出た。


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