ヘマトキシリン退色事件
ヘマトキシリンが消えたといっても、まったく消えてしまったわけではない。細胞核に少しだけ青紫の色が残っているスライドガラスを見ながら、安道さんがひろのさんに聞いた。
「これ、どうしましょう?やっぱり、作り直した方がいいですよね?」
「そうねぇ、柴田先生のだし。まあ、診断には影響ないかもしれないけど、ヘマトキシリンがこんなに薄かったら見づらいわよね」
と、ひろのさんは少し考えて、
「とりあえず、柴田先生に聞いてきましょうか」
と作製室を出て行った。
「不思議ですねー。こんなことたまにあるんですか?」
と私が尋ねると、安道さんも豊田さんも首を振って、
「いや~、こんなこと初めてよ」
と二人も不思議そうな顔をしている。
そこへ、ひろのさんが柴田先生を連れてやってきた。
「これです」
と柴田先生に見せる。先生は5,6枚あったスライドガラスのうちの一枚を取って、ヘモディで濡れているガラスの裏側をキムワイプという薄い紙できれいに拭き取ってから、顕微鏡に乗せた。
「うーん、見れないことはないけど。でも、この原因がわからないと、後が困るよね」
と、先生も首をかしげている。
「とりあえず、これはこれで封入してください。原因は…どうしようかな」
と言いながら、先生はスライドガラスをまたヘモディの中に戻した。
「村川さんに、何か聞いてみましょうか?」
とひろのさんが言う。村川さんは、いつもここに試薬類を届けてくれている、水田化学の営業マンだ。
「他の講座で前にもこんなことなかったか、とか」
30代半ばくらいで、以前からこの医学部を回っている村川さんなら何かわかるかもしれない。それに彼はとても機転がきく。
というわけで、ひろのさんは早速村川さんに電話していた。今日から来た実習生は、とりあえずその柴田先生のHE染色のやり直しを手伝っている。
「はい、じゃあ、よろしくお願いします」
と、ひろのさんが電話を切ったところに、杉山先生と加藤先生、それに技官の石川さんがそろってやって来た。
「なんか、HE染色がおかしいんですって?」
柴田先生から聞いたのだろう。早速杉山先生がひろのさんに尋ねている。加藤先生は、手にプレパラートを何枚か持って来ていた。
「ちょっとこれ見てください」
そう言って先生はプレパラートを2枚、顕微鏡に乗せた。私の作業台の左側に置いてある顕微鏡は、手前側とその奥にプレパラートを2枚並べて乗せて見られるようになっている。
「こっちが、一週間前くらいに豊田さんに染めてもらったHEです」
そう言って加藤先生は手前側のプレパラートに焦点を合わせた。見ると、それもヘマトキシリンの色が薄くなっている。
「で、こっちがやっぱり同じ時くらいに石川さんに染めてもらった分」
と、先生は顕微鏡の台をスライドさせて、今度は奥側のものに焦点を合わせた。そちらをひろのさんが覗きこむ。
「あれ?こっちはきれい」
そのプレパラートのヘマトキシリンは、濃い紫色がきれいに残っていた。
「え?どうして?」
これは偶然だろうか?豊田さんの染めたものと、石川さんの染めたものでは、何が違うのだろう?
すると石川さんが話し出した。
「俺、考えたんですよ。俺のと豊田さんのとで、何が違うんだろうって。そしたら、最後の透徹をヘモディじゃなくてキシレンでやったんだって気がついて」
石川さんが言うには、そのHE染色は急いでいたし3枚ほどしかなかったので、スライドガラスが20枚入る染色かごを使わずに、染色瓶を使って染めたのだそうだ。染色瓶はガラス製のもので、その内側に5枚(スライドガラスを裏合わせにして、その仕切りに2枚ずつ入れれば10枚)のスライドガラスが立てられるような仕切りのある瓶だった。技官さんたちがHEを染める時には枚数が少ないため、よくその瓶を使っている。そして最後の透徹は、豊田さんや安道さんがいつも使っている、染色かごが入るような大きめの容器に入っているヘモディではなく、その小さな瓶に少量のキシレンを取って使っていた。
「ということは、もしかして、ヘモディが原因…てこと?」
ひろのさんがおそるおそる口にする。その答えに石川さんが大きくうなずいている。彼の話を聞いていると、確かにそこしか違っているところは見つからない。
「そうねぇ、確かにそうかも。村川さんが来たら聞いてみましょう」
と、ひろのさんも納得して、「じゃあ、とりあえず今日のHEはヘモディを使わないようにしましょうか」と豊田さんと安道さんに言った。もともとヘモディはキシレンの代替品であるため、そうしても染色に不都合はない。そして私の方を振り返って、「森川さんも念のため、ヘモディじゃなくてキシレンで透徹やった方がいいかも」と教えてくれた。免染の最後にDABで発色した後に染めるのはメチルグリーンという試薬で、ヘマトキシリンとは違うけれど、どちらも同じように細胞の核などを染めるためものだ。もしかしたら同じように色が落ちるかもしれない、と考えてのことだった。
いちおうその話が一段落したところで、杉山先生と加藤先生、石川さんの3人に周りを囲まれた。背の高い3人が近距離で私を見下ろしている。
「な、何ですか?」
「森ちゃん、今月の23日ヒマ?」
杉山先生がニコニコしながら尋ねた。23日は秋分の日で、休みのはずだ。
「ヒマ…と言えば、ヒマですけど…」
何だろう?杉山先生の笑顔にドキドキする。
「森ちゃんは、走るの好き?」
「は?」
加藤先生もニコニコして、私に尋ねる。
「え…走るって、どのくらいですか?」
「いや、じゃあ、歌うのと走るの、どっちが得意?」
カラオケに行っても、ほとんどいつも聞き役に回る私だ。歌うのよりは、走る方がまだよかった。
「どっちがって言われたら、走るのですけど…」
と、私が言い終わらないうちに3人は声を上げた。
「よっしゃー、決まり!」
「これで7人目だー!あと、3人!」
と、3人で手をたたき合っている。
「ちょ、ちょっと、『決まり』って何なんですか?」
慌てて尋ねると、杉山先生がこう言った。
「23日に、マラソン大会があるんだよ。1チーム10人でフルマラソン、つまり42.195キロを走るっていう大会。それに出る人数を今集めててねー」
「は、はあ?!それに私も出るってことですか?」
「お願い!2キロでいいからさあ」
と杉山先生に手を合わせて拝まれた。えーっと…どうしよう。休みの日に先生に会えるのが、なんだか嬉しい。結局出ることになった。
「あー!忍さんも騙されたんでしょー!」
亜矢がぼやいている。お昼は3人で医学部の学食に来ていた。すると続けて谷ちゃんが不服そうに言った。
「なんで2人は2キロで、私だけ4キロなわけ?」
どうやら同じ手口で、私たち3人ともマラソン大会に出ることになったらしい。
その大会は杉山先生が言っていた通り、42.195キロを1チーム10人までの人数で走って、そのタイムを競うというものだった。市の主催で、大学の近くの海浜公園のマラソンコースで開催され、一周が2キロのコースをとにかく10人以内でフルマラソンの距離だけ走るのだ。
「あと3人とか言ってたけど、もう集まったのかな?」
と私が言うと、谷ちゃんが
「亜矢が1人助っ人連れて来ることになって、それで10人そろったんでしょー」
と亜矢に向かって言った。その助っ人は、亜矢の5人の彼氏のうちの1人で、一昨年までニ病理にいた産婦人科の押川先生という人だった。
「あと、加藤先生が彼女連れて来るみたいですよ」
と亜矢が言うのを聞いて、杉山先生は連れて来ないのかな、と思った。
「その時、なんか報告があるかもー」
と、亜矢は思わせぶりな笑顔をしている。
「あー、もしかして」
と、谷ちゃんも気がついた。
「あの台風の時さ、教授が作製室に来て加藤先生に『挨拶のことだけど』って言ってたよね?あれ?何だろう?って思ったのよねー」
私はよく覚えていなかったが、そういえばそんなことを言っていたような気もする。
「さすが。そうです、結婚式の挨拶のことでーす」
亜矢が「正解!」という感じで人差し指を立てた。「やっぱりー」と谷ちゃんは満足そうだ。
加藤先生の結婚式は11月にあるそうで、相手は外科の看護師さんということだった。マラソン大会での加藤先生からの報告を待つまでもなく、ほとんどの情報が亜矢から語られた。
「安道さんの結婚式も、来年の3月に決まったって言ってたし。なんか結婚ラッシュですねー」
と亜矢はうらやましそうに言って、ふと気がついたように、
「あ、ちなみに、私と押川先生が付き合ってるのは内緒ですから」
と念を押した。結局マラソン大会に出るのは、私たち3人と、杉山先生たち3人、それに加藤先生の彼女、准教授の柴田先生と医局長の片桐先生、そして、亜矢の彼氏の押川先生の10人だった。その押川先生は以前ニ病理にいたので、私以外のニ病理の人はみんな知っていることになる。
「え、押川先生は何て言ってるの?まだ内緒にしとこうって?」
谷ちゃんが亜矢に聞く。
「まあ、そうですねぇ。まだわかんないからって。私としては、今のとこ押川先生が最有力候補なんですけどねー」
と、亜矢が答えている。
「最有力って。選べる人はいいよねー」
と谷ちゃんが私に笑った。私はそれに合わせてなんとなく笑いながら、考えていた。
最近は浩太郎のことも時々思い出す程度になったが、「結婚」という言葉を聞くと、まだみぞおちの辺りがズキリと痛くなる。その度に、やっぱり私は彼と別れたことがそんなにショックだったのかなあとぼんやり思うのだった。
その後、ヘモディの件は村川さんがメーカーに問い合わせてくれた。すると、すでに全国の他の研究室や病院など数ヶ所から同じような苦情が来ていたということがわかった。すぐにメーカーでも原因を調べて、その都度対処していたらしいのだが、おそらくなんらかの理由でヘモディが酸化してpHが変化したようだ、というくらいで、はっきりとした原因は結局わからないようだった。
メーカーの社長さんが直接作製室に説明に来たが、ひろのさんはヘモディの使用の中止を決め、今後はキシレンを使うことになった。
ヘモディをやめてキシレンに変えてからは、ヘマトキシリンの色が落ちることもなかったため、おそらくそうだったのだろう、という形で“ヘマトキシリン退色事件”はいちおう解決した。
この件で、「原因がヘモディではないか」との当たりをつけた石川さんの株がちょっとだけ上がった。
最初にプレパラートの色の違いに気がついたのは加藤先生だったが、そこから推理したのは石川さんで、その手柄をひろのさんを始め、私たちも先生たちも彼を持ち上げて褒めたので、石川さんはしばらく鼻高々という感じだった。私と谷ちゃんは、その話を亜矢にもしてあげた。亜矢は「ふうん」と興味のない返事をしていたが、石川さんを見る目はなんとなく、少し変わったようだ。
あのヘモディの、夏みかんの匂いが作製室から消えるのは寂しい気がしたが仕方がない。
全てのことは少しずつ変わっていくのだ。人の心も、少しずつ。
秋分の日は晴れたらいいな。そう思っている私がいた。