皇帝と大公 その2
ロレンフスはヌヴァロークノ王国の窮状にいたく心を痛め、極寒に苦しむ民たちを受け入れるべきだと主張した。国力とはつまり人口であり、ヌヴァロークノの民を受け入れることは帝国の国力向上にもつながる。帝国にとっても利になるではないかと言って皇帝を公然と批判した。
周囲には皇帝と大公の対立と映ったかもしれない。だが、対立とは言い難い。皇帝に、大公と対立しているという意識はない。揺るぎなく己の統治を貫いているに過ぎない。
ロレンフスも対立しているとは思っていない。自分が一方的に皇帝を批判しているのだと自覚している。自覚しているだけに腹立たしい。対立にすらなっていないのである。
皇帝は偉大だ。だが、無謬ではない。帝国に争いが絶えないのがその証左だ。であれば正さねばならない。在るべき統治を実現しなければならない。
しかし発端は感情的なことであった。
皇帝が、ティーレントゥム家の霊廟にある女性の墓所を造営し始めた。皇帝が若かりし頃に関係を持った女の墓だった。
ロレンフスの母であるマーセン公女クテノーフェは誇り高い女性だった。高位の貴族の娘として教育された彼女にとって、側室の存在も自然に受け入れることができた。側室を自分の家臣として従えることは、正室として当然の義務であり権利でもある。
だが、側室として正室の家臣に加えるという正当な手続きを践むことなく、平民の女の下に夫が通うのは我慢できなかった。しかし彼女が最も許せなかったのは、平民の女に嫉妬している自分自身だった。
クテノーフェは、自分への怒りに身を焦がし、苦しみ続けた。嫉妬などという、貴族にふさわしくない感情を持った自分を恥じ、憎んだ。
人知れず苦しんでいる母を、ロレンフスは幼いときから見続けていた。もちろんクテノーフェは内面の葛藤を子供たちには隠し通した。ゆえにアトラミエもムルラウも気付かなかったようだ。だがロレンフスは見てしまったのだ。母が私室で涙を流しながら、自分の頬を打ち据えていたのを。母は、自分を罰していたのだ。
以来、ロレンフスは母の様子をひそかにうかがうようになった。母は、毎日のように自分を責めさいなんでいた。母の口から「あの女が憎い」という言葉が漏れるのを聞いた。それ以上に、「あの女」を憎む自分を憎悪し、苦しんでいることも分かってきた。そんな母を、ロレンフスはどうすることもできなかった。母は、その姿をロレンフスに見られたと知ったら自死するだろう。
ロレンフスにできることは、母を苦しめる原因となった女を憎むことだけだった。憎まずにはいられなかった。
その女の墓所を一族の聖域に造営するという。そんな父が許せなかった。
母を苦しめ続けた平民の女と父、そしてあの女が生んだ子を、ロレンフスは憎んだ。




