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居眠り伯とオルドナ戦争  作者: 中里勇史
反撃

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アルリフィーアの皺

 アルリフィーアは大層不機嫌だった。家臣に当たり散らしたりはしないのだが、心の底から湧き出る不満が全身を覆っているのを誰もが感じ取っていた。彼女の近くに侍る侍女のみならず、フロンリオンに出入りする全ての関係者を大いに困らせていた。

 何も感じていないのはフェルティスだけだった。

 「はーうえ(母上)、お花描いたよ」

 フェルティスは、尖った小石で庭の敷石に絵を描いていた。

 「おお、フェルティスは絵がうまいのう」と言って、アルリフィーアは笑った。彼女の機嫌が良いのはフェルティスと一緒にいるときだけであり、このときだけはエメレネアらもほっとしていられる。


 遊び疲れたフェルティスが昼寝に入ると、アルリフィーアは公爵としての執務に戻った。家臣たちへの態度は変わらない。だが、体中の毛穴から不満が噴き出しているような雰囲気に戻る。エメレネアは原因を察していたが、ニレロティスには全く見当が付かなかった。

 「公爵、何かご不満でも?」

 分からないので直接聞いた。

 「不満などない」

 「お顔に『不満である』と書いてありますが」

 「何、誠か!? エメレネア、鏡を持ってきてくれ」

 「本当に書いてあるわけがないでしょう。鏡を見ても目と鼻と口が映るだけです」と、エメレネアは冷静に指摘した。

 「何じゃ、詰まらん」と言って、アルリフィーアはニレロティスを睨んだ。

 エメレネアは、「伯爵からお便りがないことを心配なさっているのではありませんか」とアルリフィーアに質問することで、間接的にニレロティスに事情を説明した。

 これにはニレロティスもやや驚いた。「ラフェルス伯(ウィン)は一度も手紙を送ってきていないのですか?」

 「手紙など来たことがないわい」

 ニレロティスは改めて考えてみて、あの男ならあり得ることだと思った。

 「生きているのか死んでおるのかも分からん。一体どこで何をしているやら。ワシがどれほど心配しておるのか、あのボケは知らんのじゃ」

 大体の事情を察して、ニレロティスは苦笑した。「戦況報告は受けておりますので、ご心配の一部は慰められましょう」

 「便りがない」ことが原因なので根本的な解決にはならないが、レンテレテスから送られてくる戦況報告で「どこで何をしているか」は解決できる。

 「1月18日に、オルドナ伯領北部のミラロール近郊でミラロール守備隊を撃破。伯爵は時宜を得た指揮で皇帝軍の崩壊を防いで勝利に導きました」

 「ほう、我が夫はやるではないか」

 アルリフィーアは嬉しそうに笑った。彼女は、ウィンへの恋心を全く隠す気がない。ウィンのことを褒められると我がこと以上に喜んだ。エメレネアは、アルリフィーアの真っすぐで気取らないところが何よりも好ましく思えた。ただ、ウィンの笑い方はやめてほしいと思っている。

 ニレロティスは、アルリフィーアの様子にややたじろぎつつ続けた。

 「26日には、ミラロール攻略作戦が実施されました。伯爵は海からの侵入部隊に志願して参加し、凍死しかける。傭兵に背負われたままで、何の役にも立たなかったとのこと」

 「何をやっておるのじゃ。ただの足手まといではないか」

 同意することも否定することもままならず、ニレロティスは先を続けた。

 「ミラロールの攻略には成功。その後、ガロナ水軍の船を全部沈没させて水軍の(おさ)にボコボコに殴られて海に蹴落とされた。以上です」

 「……」

 「いかがなさいましたか?」

 「それで終わりか?」

 「以上です」

 「……」

 エメレネアは、むっつりと黙り込んでしまったアルリフィーアの顔をのぞき込んだ。アルリフィーアの眉間に深い皺が刻まれていた。

 「公爵、眉間の皺が取れなくなりますよ」

 「む、左様か」

 アルリフィーアは眉間を人さし指で擦った。皺を伸ばしているつもりらしい。

 「ワシの心配は、眉間の皺よりも海の底よりも深くなってしまった。それはともかく、ヌヴァロークノ王の本隊との決戦はまだなのじゃろう。ニレロティス卿、出陣の準備をしておいてくれぬか」

 「すると、カーリルン公領の守りが手薄になってしまいますが」

 「帝都にほど近い我が領地に攻め込む者などおらんじゃろ。戦況次第では公領の全戦力を出陣させる。むろん、ニレロティス卿に指揮を執ってもらう」

 「承知致しました。まずは残っている兵力をすぐに動かせるようにフロンリオン近郊に集めておきましょう」


 「ウィンは、ワシが守るのじゃ」

 誰にも聞こえない声で、アルリフィーアはつぶやいた。


 ミラロール攻略の戦況報告がカーリルン公領に届いた頃、オルドナ伯領の戦況は予想外の展開によって一変していた。彼女がニレロティスから聞いたのは、10日以上前の――戦況がまだ「優勢だった時点」の話であった。

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