領国へ
オルドナ伯領の事態を受けて、諸侯には領国への下向が下知された。事態の推移によっては諸侯に軍役が課される可能性がある。
ウィンは平民街の酒場に出向いて、傭兵隊長のベルウェン・ストルムに傭兵を集める準備を依頼した。
「大将に出陣命令が?」
「できれば出陣は避けたいね。冬は寒い」
「俺も寒いのは勘弁だ。お呼びがかからねぇことを祈ってるよ」
こうして、ウィンとアルリフィーアも領国に戻ることにした。
変わり者の女公爵は、馬車ではなく自ら馬に跨がることを好んだ。これならばウィンと並んで歩くこともできる。アルリフィーアは、こうして馬を並べてウィンをフロンリオンに連れていったときのことを思い出してクスリと笑った。
ふと見上げると、暗雲が空を覆っていた。冬の帝都は曇りがちで、陰鬱な気分になる。灰色の空を見ていると不安になる。隣のウィンは、相変わらず死んだ魚のような目でぼんやりしている。
「戦況は思わしくないのか?」
「良くないみたいだね」
ヌヴァロークノ王国の窮状についてはウィンも聞いていた。彼らは武力による帝国領の獲得によって現状を打破しようと考えたらしい。だが、これで帝国とヌヴァロークノは完全な敵になった。帝国は領土を侵した敵を決して許さない。遠征軍の殲滅の次は、ヌヴァロークノ領への侵攻という流れになるだろう。とはいえ寒冷化したヌヴァロ島には得るものがなく、領土を獲得しても仕方がない。となると、帝国としての戦争終結点は国王クーデル3世の処断以外にない。
「まあそんな訳で、長い戦いになりそうだ」
「ナインバッフ・グライスだけでは手に負えぬかもしれぬのう」
「そうなると、ガリトレイム・グライスが次の担当グライスということになる」
枢機侯が長官を務めるグライスは、隣国に備えることが最大の任務だ。ワルヴァソン公国は西の大国フェンエルス王国から帝国を防衛している。フェンエルス王国は10万を超える軍を擁しているとも噂されており、ワルヴァソン公が出陣を命じられ可能性は低い。ナルファスト公国やスルヴァール王国も、そう簡単には他方面に兵を出すことはできない。こうした場合、内陸部にあって他国と接していないグライスが援軍に利用される。他国には接しておらずナインバッフ・グライスに隣接するガリトレイム・グライスは今回の兵乱への援護に最適の位置にあると言える。それは、ラフェルス伯やカーリルン公が出陣を命じられる可能性があるということでもある。
「ヌヴァロークノ王国も気の毒じゃが、もう少し待てなんだかのう。新帝はヌヴァロークノに同情的だったと聞くが」
「皇帝の葬儀やら国内態勢の確立が優先だからねぇ。ヌヴァロークノにすれば、葬儀のために諸侯が帝都に集結しているこの時期こそが侵攻の潮時だった。うまくいかないもんだねぇ」と言って、ウィンは首を振って溜息をついた。
帝都では、戦争の発生を知った商人たちが商品の値上げを始めていた。戦争の推移次第では仕入れ値が上がる。その前に値上げして、仕入れ値高騰時の資金を先に稼いでおこうという魂胆である。食料品をはじめとする生活必需品は、値上げされても買わないわけにはいかないので客の足元を見た強気の商売ができる。
「全く、何から何まで急に値上がりしちまったねぇ」と言いながら、娼婦のアディージャは帝都の表通りを歩いていた。胸元や太ももをむき出しにした服を着ていると目立ち過ぎるので、娼館街以外では肌を隠した常識的な服を着ている。こうしていると、彼女も「豊満な身体をした妖艶な美女」から「派手めの化粧をした大柄な美女」程度になる。
ふと顔を上げると、南門に向かう貴族の一行が見えた。皇帝の葬儀のために集結した貴族が領地に帰るのだろう。
行列の中程に、馬を並べて歩く男女が見えた。
「ウィン……」
全く貴族に見えなかった男が、それなりに貴族らしい服を着ている。隣には、アディージャ流に表現すれば「とんでもないぺっぴん」の女貴族がいた。2人は、とても楽しそうに語り合っていた。
「あれがウィンの嫁さんなのかねぇ」
アディージャは、自分でも何だか分からない、初めて感じる不快な気分に酔って、2人に背を向けて娼館街に向かった。あれは自分とは別世界の光景だ。自分には無関係な世界なんだと自分に言い聞かせながら。




