侵略
12月3日、皇帝宮殿に凶報がもたらされた。
11月17日未明、オルドナ伯領に外国船が襲来。港町ミラロールを占領。
皇帝宮殿は騒然となった。敵の正体も規模も全く分からない。オルドナ伯単独で撃退できるのか否か。オルドナ伯領から帝都までは、早馬でも半月はかかる。つまり情報は半月前のものなのだ。オルドナ伯領が今この瞬間にどうなっているのか、誰にも分からない。こちらから詳細を問い合わせても、返事が戻ってくるのは1カ月後だ。
知らせを受けた新帝ロレンフスの反応は鈍かった。「そうか」と答えたきり、ぼんやりとしている。
この2カ月、ロレンフスの判断力は著しく低下していた。何ごとにも迅速果断に対処していた大公時代の面影はなかった。
「陛下、現地に任せますか? 帝国軍を出しますか?」
フォロブロンは、決めるべきことを二択にして判断させることにした。
「帝国軍は、どうでしょうな。20年前の外征ならばともかく、防衛のために帝国軍を編成するなど前例がありませぬ」と、侍従長のインジョウがしたり顔で口を挟んだ。「そのうち続報が届くでしょう。軽挙妄動しても始まりませぬ。続報を待つのが得策」
「そのようなことを言っている場合か。われわれは既に後手に回っているのだ。オルドナ伯だけでは撃退できない事態を想定すべきである」
「だからといって取り乱しては周辺国の嘲笑を買いましょう。現地の諸侯に任せるのが妥当。手に負えぬようであれば改めて考えればよろしいかと」
「負けたから帝国軍を出す」という方が無様ではないかと思ったが、侍従長の相手をしている場合ではない。そもそも侍従長ごときが口出しすべきことではないのだ。なぜインジョウはロレンフスのそばに常に侍っているのか。だがロレンフスがインジョウに退室を命じない限り、フォロブロンにはどうすることもできない。
「しからばナインバッフ・グライスに任せるとして、ナインバッフ公を帰国させます。よろしいですね、陛下」
「ああ。アレス副伯、手配は任せる」と言うと、ロレンフスはちらりとインジョウを睨み付けてから目を閉じた。
フォロブロンはロレンフスの執務室を出ると、「ウレスペイル、居るか!」と叫んだ。
廊下に控えていた家臣のヴァル・ウレスペイル・ロローエドンがフォロブロンの前にすっと移動した。
「はい、ご前に。いかがなさいましたか」
「ナインバッフ公をお探しして、皇帝宮殿に至急参内せよと伝えてくれ。私の部屋に直接お通ししろ」
諸侯が帝都に参集しているという絶妙な時期を衝かれた。これは何を意味するのか。
帝都には、諸外国の間者が多数紛れ込んでいるはずだ。その間者が皇帝崩御の布告直後に本国に急使を放ち、攻め込んできた……。それでは約1カ月間で訃報の報告、軍の動員、オルドナ伯領への上陸を果たしたことになる。
早過ぎる。
皇帝の死をもっと早くから知っていた。あるいはいつ死ぬかを知っていたとしたらどうだろう。軍を編成して待機し、諸侯が帝都に集まった頃合いを見計らって攻め込む。
時間の説明はできるが、「皇帝がいつ死ぬかを知る」という最も困難な要素の説明が付かない。皇帝を所定の日に暗殺すれば可能だが、帝国の最重要人物を暗殺できるなら、ロレンフスらも暗殺して帝国中枢を完全に麻痺させてしまえばいい。そうしなかったのは、暗殺など容易にできるものではないということだ。
いや、それらはどうでもいいことなのだ。問題は、これからどうやって反撃するか、だ。在地貴族たちが個別に抵抗しても各個撃破されるだけだろう。現地をまとめる人物が必要だ。だが、オルドナ伯領を担当するナインバッフ・グライスの長官は、まだ帝都のどこかにいる。彼が下向して兵を集め、反撃態勢を整えることができるのは、早くても12月末。場合によっては1月になってしまう。
皇帝宮殿外廷に設けられたフォロブロンの執務室にナインバッフ公が現れたのは、太陽が30度ほど移動した夕暮れ時であった。
「俺が不在の隙を衝いて我がグライスに攻め込むとはな」
応接用の椅子にドカリと腰を下ろしたナインバッフ公は、不機嫌そうに口をゆがめた。
ヴァル・ストルザイツ・ケルヴァーロ。このとき38歳。赤茶色の髪を短く刈っている武人肌の男だ。幼少期の落馬がもとで左目を失明し、眼帯を付けている。
「まずはナインバッフ・グライスにお任せするということになりました。とにかく判断材料が少な過ぎるのです」
「まったく、『オルドナ伯領に外国船が襲来。港町ミラロールを占領』、だと? 第一報を放ったのはどこの間抜けだ。何も分からんじゃないか」
「ナインバッフ公には領地に下向して反撃態勢を整えていただきたいが、第2報が届くまでは帝都で待機してください」
「承知した。ではいつでも帝都を発てるように準備しておく」
ケルヴァーロはそう言うと立ち上がり、フォロブロンの執務室を後にした。




