大公女アストライエ
皇帝宮殿の内廷、つまり皇族の私的な区域の一室で、一人の女性が侍女を難詰していた。彼女が生けた花の色が気に入らないと言って叱責し、花瓶から花を引き抜くと侍女にたたきつけた。
「おやめなさい、アストライエ」
背後から、静かな、しかし有無を言わせぬ冷たい声をかけられ、激高していた女性……アストライエはビクッと肩を振るわせた。
「お姉様……」
大公女にしてナルファスト公妃のアトラミエが、美しい眉をひそめてアストライエを睨み付けていた。アトラミエは床にひれ伏していた侍女の手を取って立ち上がらせると、彼女の背に手を添えて優しく声をかけ、退室を促した。
「先ほどの振る舞いは大公女としてふさわしくありません。気持ちが落ち着いた後で構わないから、彼女に謝罪なさい」
「じ、侍女に詫びるなど!」
「誤りがあれば正す。他者に対しても、そして自身に対しても。ティーレントゥム家の一員ならば、まず自らを律しなさい」
「氷の美貌」と称されるアトラミエの厳しい表情は、あまりにも美しく、そしてゾッとするほどに恐ろしかった。彼女に睨まれると、吹雪の中に裸で放り出されたように感じる。
「私が誤っておりました。侍女にも必ず謝罪致します」
「そう……分かってくれて嬉しく思います」。そう言って、アトラミエは小春日和の陽光のようにほほ笑んだ。
「何をそんなに苛立っているの」。アトラミエはアストライエの手を取ると、彼女の瞳をのぞき込んだ。
アストライエも十分に美しい女性だったが、後にアルリフィーアとともに「帝国の双玉」と称えられることになるアトラミエの美貌は格が違っていた。「同じ母から生まれたのになぜこうも違うのか」。アストライエは、物心が付いたころから抱き続けてきた劣等感が刺激されて目を逸らした。だが、その程度でこの姉から逃れられるはずがない。抵抗すれば再び猛吹雪が襲ってくる。
「何もかも……気に入らない。納得できない。だから……」
「何が気に入らないというのです」
「カレナーティアは……王妃は、カーンロンド家との縁が深く、取り巻きもカーンロンドの縁者ばかり。しかも今度は庶子の妻に過ぎないカーリルン公に媚びを売る始末。庶子ごときをティーレントゥム家の一員のように遇するのも不快」
アトラミエは、次々にあふれ出す不満を聞いて絶句した。自分の気持ちに正直なところはアストライエを魅力的に見せることもあるが、時と場合、内容による。
アトラミエもカレナーティアと直接言葉を交わし、彼女の振る舞いも見ていた。彼女は自ら諸侯やその妻に親しく声をかけ、友誼を結ぼうと努めていた。壁を作りがちなアトラミエにはできないことだ。ロレンフスは良い妻を得たと心から感じ入っていたのだが、アストライエにはカレナーティアの努力は見えなかったのか。
ウィンを庶子として貶んでいたことも驚きだった。それとも、今のティーレントゥム家ではそうした見方が優勢なのだろうか。遠くナルファストに嫁いだアトラミエにとっては、夫のレーネットとも関係の深いウィンが兄であることは心強く思えたのだが。
今のアストライエには、「それは心得違いである」と説いても響かないだろう。
アトラミエは知る由もないことだが、今は亡きアートルザース3世はアストライエの資質を見切っていた。彼女は既にアトラミエがレーネットに嫁いだときと同じ18歳になっていた。にもかかわらず、アートルザース3世は縁組を進めていなかった。ティーレントゥム家と婚家の懸け橋となって、両家にとって最善の振る舞いができるとは評価していなかったのだ。彼女の狭い視野は、必ず災いを招く。ゆえに、どこかの神殿の巫女にするつもりだった。
アートルザース3世は、我が子を冷静に評価していた。アトラミエの氷の美貌のその下に、他者を優しく包み込む温かい心が隠されていることを見抜いたように。
アトラミエは、「あなたの不満はよく分かりました」と言ってこの場を収めた。後で甘い物でも食べながら、それとなく諭す方がよいだろう。
こうして、アートルザース3世の崩御はアストライエを俗界にとどめ置くという結果をもたらしたのだった。




