アデン
数日後。アルリフィーアが執務室でたまった書類を決裁していると、エメレネアが困惑の色を浮かべて近づいてきた。そして、アルリフィーアの耳元で「アデン殿がお目通りを願っております」とささやいた。
「アデンが?」
今まで一度もなかったことである。エメレネアが困惑するのも無理はない。
「とにかく通せ」と答えると、エメレネアは扉を開けてアデンを招き入れた。
「アデンだけなのか? ウィンはどうした」
「ウィン様は眠っておいでです」
アデンは、寝癖がついた「燃えるような赤毛」の下の「やる気が感じられない目」をアルリフィーアに向けた。
「ほう……。して、今日はまたどのような用向きじゃ?」
「アルリフィーア様に、お別れを申し上げに参りました」
「お別れじゃと!?」
エメレネアも目を丸くして驚いている。
「はい。私はウィン様が幼い頃からずっとおそばに仕えておりました。ウィン様をお支えしてまいりました。しかし今は多くのご家臣にも恵まれ、何よりアルリフィーア様がいらっしゃいます。フェルティス様もお生まれになりました。もう私は必要ないのです」
「まあ待つがよい。そなたの存在はウィンにとって必要なのではないのか? 良い相談相手になっておるではないか」
「これからはアルリフィーア様やご家臣に相談されるべきです。私は……居ない方がいい」
「……」
「ウィンはそのことを知っておるのか? 勝手に居なくなるという訳にもいくまい」
「ウィン様には黙って去ります。後でアルリフィーア様からお伝えください」
「気持ちは変わらんのか?」
「はい」
そう言って、アデンはほほ笑んだ。そして、一礼すると執務室を後にした。
「公爵……」
「エメレネア、ウィンを探してくれ。今すぐじゃ!」
エメレネアははじかれたように執務室を飛び出すと、廊下を走った。アルリフィーアの焦燥は理解できる。アデンが去ってしまったら、ウィンは一体どうなるのか? それはウィンが去ってしまうということではないのか。アルリフィーアはそれを案じている。
宮殿の執事のソド・ボルティレン・ポーリンドに行き会った。好ましい相手ではないが、事は急を要する。ウィンの所在を知らないかと尋ねた。ボルティレンはエメレネアに話しかけられたことに驚いたようだが、すぐに事情を察した。いつも苦々しく思っている勘の良さが、このときばかりはありがたかった。
「寝室でお休みになっていらっしゃるはずです」
エメレネアが寝室に確認にいくと言うと、ボルティレンは宮殿の出口を見にいくと言って去っていった。勘のいい男だ。
ウィンの寝室に行くと、寝台の上でいびきをかいていた。少なくとも居なくなるようなそぶりはない。
アルリフィーアの執務室に戻ってウィンの存在を確認したと告げると、アルリフィーアは寝室に向かった。
ウィンはまだ寝ていた。寝癖がついた燃えるような赤毛をボリボリとかいている。皆が右往左往している間も暢気に寝ていたのかと思うと腹立たしい。ウィンの両頬に張り手を食らわせて文字通りたたき起こした。
「痛っ! 何、何?」
「目が覚めたか」
「えっ、私また何かやった?」と言って、ウィンはやる気が感じられない目をアルリフィーアに向けた。
「何もしとらんから腹が立つのじゃ」
「ええ?」
「公爵、話が進みません」と、エメレネアが制止した。
「そうじゃった。ウィンよ、よう聞け。さっきアデンがワシを訪ねてきて、暇乞いしていったぞ」
「アデンが!?」
「うむ。もう自分はウィンに必要ないから去ると言っておった」
ウィンはぼんやりした目でアルリフィーアの話を聞くと、大きくため息をついた。周りを見渡し、天井を仰ぎ見て、目を閉じた。
「そうか……。アデンは……行ってしまったのか」




