フェルティス
カーリルン公領からの使者がドルトフェイムに来たのは帝国歴224年11月7日のことだった。
「カーリルン公、ご出産」
それを聞いたウィンは、取るものも取りあえず、家宰のソド・ムトグラフ・ポーウェンに統治を任せ、正確には押し付けて、騎士のソド・ディランソル・ウイスンだけを伴ってカーリルン公領に向かった。
「おお、ウィン。早かったな」
アルリフィーアの木漏れ日のような笑顔に迎えられ、ウィンは大きく息を吐き出した。彼女は、寝台の上で体を起こして本を読んでいた。
出産は女性にとって命懸けの大事業だ。大量出血などが起こればまず助からない。死産率も高い。母子ともに生きている者は皆、そうした危険を乗り越えてきた奇跡の存在なのである。
「ほれ、そなたの子じゃ。抱いてやるがよい」
アルリフィーアの隣に、生後数日の赤子が布にくるまれて眠っていた。燃えるような赤毛だった。小さくて……弱々しくて……抱けと言われてもどうしたらいいのか分からない。
「紹介しよう。フェルティスじゃ。仲良くするのじゃぞ」
「そうか、男の子だったんだね」
ウィンはいまだに手を出し兼ねている。見かねたエメレネアがフェルティスを抱き上げると、ウィンの腕の中にそっと委ねた。軽かった。ぐんにゃりしていて心もとない。
エメレネアに「首を支えるように」と言われた。言われてみれば、首がグネグネでもげそうだ。怖い。落としてはいけない。力を入れ過ぎたら壊してしまいそうだ。そう思うと、緊張して動けなくなった。
ウィンの様子を見て、アルリフィーアとエメレネアは顔を見合わせてクスリと笑った。
ウィンは同じ姿勢のままで固まっていた。力を入れないようにするためにこわばっていた腕が、限界に達しつつある。
「エメレネア、コレを下ろしたいんだが」
「自分の子を『コレ』とは何じゃ」
「そういうのいいから、助けて!」
エメレネアがフェルティスを受け取ると、ウィンは床にへたり込んだ。
「武芸の次は赤子の抱き方の習練じゃな」
「カーリルン公領に来ると試練の連続だね」と言って、ウィンはわははと笑った。
「で、体は大丈夫かい?」
「おうよ。体力も戻ってきたし、公務も始めねばな」
そのとき、フェルティスが目を覚ましてモゾモゾと動き出した。
「うわっ、動いた」
「生きとるんだから動くじゃろ」
フェルティスが巻き布から右手を出して伸ばした。
「うわっ、こんなに小さいのに指がそろってる! 全部動く!」
だんだん面白くなったウィンは、フェルティスの手を人さし指で触ってみた。すると、フェルティスがウィンの指をギュッとつかんだ。
「うわっ、指をつかんだ! こんな小さいのに……」
フェルティスが目を開けた。アルリフィーアにそっくりの、美しい翠玉色の瞳だった。フェルティスは、ウィンの指をつかんだままウィンの顔をじっと見上げている。ウィンは知るよしもないが、まだフェルティスの視力は十分に発達していない。ウィンの顔もまだ見えていないはずだ。だがそんなことはどうでもよいことだった。
そうか、私とアルリフィーアの子供か。
ようやく実感が湧いてきたウィンは、フェルティスの頭をそっとなでた。ウィンでも簡単に握りつぶせそうな小さな頭を。
アルリフィーアは、そんなウィンを嬉しそうに眺めていた。
その後はというと、アルリフィーアとエメレネアはウィンに悩まされることになった。「フェルティスが泣いた」と言って大騒ぎし、「フェルティスのおでこがペコペコしているもう駄目だ」と言って絶望するという具合で、騒がしいことこの上ない。
些細なことで大騒ぎされたのでは産後のアルリフィーアに差し障るということで、宮殿の女官たちからアルリフィーアの寝室に近づくことを禁じられてしまった。
仕方がないので中庭で昼寝をしていたら、ニレロティスに見つかった。
「ラフェルス伯、公爵のそばに居なくてよいのか?」
「出切り禁止になった」
「そうか。ならば久しぶりに武芸の指導を仕ろう。さあ、修練場に行こう」
「……」




