第10章 第2話 交易都市カルナ
巨大な城壁の門をくぐった瞬間、私たちを包んだのは喧噪と香りだった。
乾いた荒野を越えてきた身には、あまりに鮮烈だった。
香辛料の刺激的な匂い、焼き肉の香ばしさ、酒樽を開けたばかりの甘い芳香。
人々の叫びと笑い声が入り混じり、異国の言葉が飛び交う。
広場には駱駝や馬が列をなし、布を広げた商人が客を引き止めていた。
鮮やかな絹、宝石を散りばめた装飾品、遠方の海から運ばれた珍魚までが並んでいる。
「わあ……!」
マリアの瞳が輝き、足が自然と前へ進んだ。
「東の戦場とは別世界だね。ここではみんな笑ってる」
彼女の声に、私は小さく頷きつつも心を引き締めた。
――笑い声の裏には、必ず血の匂いがある。
街の中心部に進むと、さらに豪奢な市場が広がった。
大理石の柱に支えられたアーケード、床には色鮮やかな絨毯が敷かれている。
銀器や黄金が山のように積まれ、買い手と売り手が声を張り上げて値を競う。
「これが……交易の力」ラシードが唸るように言った。
「戦場よりもよほど人を動かしている」
マリアは両手を胸の前で組み、目を輝かせる。
「すごい……人がこんなに自由に集まって、物を交換して……。
こういう場所があれば、戦なんてなくても生きていけるのに」
だがライラは冷ややかな声で言った。
「表だけを見てちゃ駄目。
裏では金で命が取引されてる。信用なんてここじゃ飾りよ」
その言葉を裏付けるように、路地の陰で奇妙な光景が目に入った。
男が布袋を差し出し、相手が短剣を返す。
互いに言葉は交わさず、ただ目だけで合図し、すぐに姿を消した。
マリアが不安げに私の袖を引いた。
「ねえリディア……今のって……」
「依頼と報酬。ここでは暗殺も立派な商売なんだ」
マリアの顔が青ざめる。
「そんな……市場なのに……」
「市場だからこそ、よ。取引の一部に“命”が加わってるだけ」
ライラの声は皮肉に満ちていた。
夕暮れになると、街の高台に立つ壮麗な建物が目に入った。
黄金の装飾を施した宮殿のような館――大商会の本拠だ。
そこでは豪奢な衣をまとった商人たちが集まり、杯を掲げていた。
笑顔で握手を交わしながら、裏では刺客を雇う。
それがカルナの「常識」だと兵士が囁いた。
「ここで信用できるのは、金の重さだけ」
ラシードが呟いた。
「そしてその金も、明日には価値を失う。
だから誰も信じず、誰も裏切りを恐れない」
宿へ戻る途中、マリアは深いため息をついた。
「……わたし、ずっと勘違いしてたのかも。
市場って、平和の象徴だと思ってた。
人が物を分け合えば、争いはなくなるって」
私は彼女の頭に手を置いた。
「それは間違ってない。市場は人を繋ぐ。
でも欲望が混じれば、同じ場所が戦場にもなる」
マリアは唇を噛み、強く頷いた。
「……なら、わたしは“繋ぐ市場”を守りたい。
裏切りや血じゃなくて、人が笑って交換できる場所を」
その言葉に、私は小さく微笑んだ。
――彼女は理想を見失わない。
だからこそ、この街で試されるのだろう。




