第1章 第2話 辺境の村と少女
王都を出て、もう四日が過ぎた。
靴の底は泥だらけ、マントは雨で重い。
街道沿いの宿場町で泊めてもらったのは一度きりで、
それ以外は森の中で夜を明かした。
昼は野犬、夜は魔獣に怯え、
食料は侍女がくれた干し肉と雨水だけ。
魔術師としての誇りも、貴族としての矜持も、
この旅でとうに剥がれ落ちた気がする。
「……あと一日。あと一日歩けば、辺境の集落があるはず」
かつて地図で見た記憶を頼りに、私は歩き続けた。
やがて森が途切れ、開けた荒地に出る。
遠くに小さな煙が立ち上っているのが見えた。
近づいてみると、それは村と呼ぶにはあまりに寂れた集落だった。
畑は荒れ、井戸はひび割れている。
かろうじて立っている小屋の窓から、
人々がこちらを警戒する視線を投げてきた。
「……追放者だな」
かすれた声の老人がつぶやいた。
「王都から、また誰か捨てられたか」
その言葉が胸に刺さる。
私は荷物を下ろし、深く頭を下げた。
「少しだけでいい、水と休む場所を……」
しかし、返事はない。
村人たちは顔をそむけ、扉を閉める。
そのとき、背後でか細い声がした。
「ねえ、助けて……!」
振り向くと、痩せた少女が立っていた。
泥にまみれた金色の髪、骨ばった手足。
必死の形相で私の袖をつかむ。
「お母さんが……熱で……死んじゃう……!」
少女は私を村の奥へと引っ張った。
そこには、藁の上に横たわる女性がいた。
頬は赤く、呼吸は荒い。
このままでは本当に危ない。
「……分かった。下がっていて」
私は膝をつき、両手を女性の額に当てた。
魔力を指先に集め、深く息を吸う。
「ライト・ヒール」
淡い光が女性を包む。
やがて呼吸が少しずつ落ち着き、顔色が和らいだ。
少女が目を見開く。
「すごい……! 本当に治った……!」
「応急処置よ。しばらく休ませれば回復するわ」
少女は私の手をぎゅっと握った。
「ありがとう……! わたし、マリアっていうの」
「私はリディア」
名乗った瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。
王都ではもう誰も呼んでくれない名前。
「ねえ、リディア。ここにいていい?」
マリアの声は震えていた。
「いいわ。……私も、居場所が欲しかったから」
マリアが泣き笑いの顔をした。
その表情に、私もようやく小さく笑えた気がした。
その夜、村は静かだった。
私はかまどの火のそばで、久しぶりに温かい食事を口にした。
マリアが隣で丸まって眠っている。
火の揺らめきが彼女の頬を照らしていた。
「……もう一度、魔法を使おう。
今度は、この子のために」
私は杖を握りしめた。
追放された魔術師としてではなく、
一人の人間として、ここで生きていく。
辺境での、私の新しい日々が始まった。




