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第1章 第1話 断罪の日

 ――鐘の音が、やけに遠く聞こえる。


 王宮の大広間。

 天井から吊るされたシャンデリアが、冷たく青白い光を放っていた。

 壁には錆びついた槍と盾、王国の紋章が並ぶ。

 それらが、今はまるで私を裁くための飾りのように見えた。


 私は玉座の前にひざまずいていた。

 背筋をまっすぐに保つのが精一杯だった。

 侍従たちの視線が、私の背中に突き刺さる。


「宮廷魔術師リディア・アルバーン」


 王の低い声が響いた瞬間、場の空気が張り詰めた。


「そなたは禁呪を用い、王国を裏切った罪により――この場をもって宮廷を追放する」


 心臓が跳ねた。

 禁呪? 裏切り?

 そんなもの、使っていない。


「お待ちください陛下!」

 私は思わず声を上げた。

「私は無実です! あの禁呪は、むしろ暴走を止めるために――」


「黙れ」


 冷たく、短い一言。

 その声の主は、王ではなかった。


「……殿下?」


 玉座の横に立つ、婚約者――王太子エドリアンが私を見下ろしていた。

 昨日まで、未来を語り合った人。

 何度も共に戦場に立ち、肩を並べた人。


「リディア、私はそなたとの婚約を破棄する。

 二度と私の前に現れるな」


 大広間がざわめく。

 背後で誰かが「やっぱりな」と笑ったのが聞こえた。


「殿下、それは……どういう……」

 声が震える。

「どういう意味か、分からないのか?」

 エドリアンの瞳は氷のように冷たかった。

「私の婚約者が、禁呪を用いた裏切り者であると、国民に知られるわけにはいかぬ」


「私は裏切ってなどいません!」


 思わず叫んでいた。

 私の声は大広間に響いたが、誰も味方をしなかった。

 同僚の魔術師たちでさえ、目をそらしている。


 ――どうして、誰も信じてくれないの?


 王の杖が床を打った。

「追放を言い渡す。明朝までに王都を去れ」


 それ以上、弁明の言葉は許されなかった。

 私は衛兵に腕をつかまれ、大広間から引きずり出された。


 外に出た瞬間、夜風が頬を打つ。

 星ひとつない空。

 月明かりもなく、王都はやけに暗かった。


 控え室に戻ると、侍女が黙って私の杖と魔導書を取り上げた。

 その手つきは、冷たく機械的だった。


「リディア様……」

 ひとりの若い侍女が小声で囁いた。

「どうか……生き延びてください。辺境なら、まだ……」


 彼女は小さな包みを押し付けると、振り返らずに去っていった。

 中には干し肉と水袋、そして短い手紙が入っていた。


――辺境へ行け。生きて、真実を取り戻せ。


 手紙を握る指先が震える。


 胸の奥が熱くなり、涙がこぼれそうになる。

 でも、泣いてはいけない。


「……見ていなさい、エドリアン。王国も。

 私は必ず、生きて戻る。あなたたちを許さない」


 夜明け前、私は王宮の門をくぐった。

 冷たい雨が降り出し、衣の裾が泥にまみれる。


 この日、私の宮廷魔術師としての人生は終わった。

 ――だが、私の物語はここから始まる。


夜の王都は静かだった。

 石畳を濡らす雨の音だけが耳に響く。


 控え室に戻った私は、濡れた髪をタオルで拭きながら深く息を吐いた。

 壁に掛けられた鏡に映る自分の顔は、見慣れたものではなかった。

 蒼白で、泣き腫らした目をしている。


 ――これが、本当に私?

 宮廷魔術師として王国に仕えて十年。

 幼い頃から魔術を学び、父や師匠に厳しく育てられ、

 すべてはこの国のため、そして殿下のためだと信じてきたのに。


 回想が胸を刺す。

 初めてエドリアンと出会った日。

 あのとき彼は、まだ少年で、ぎこちなく笑って――

 「リディア、君がいてくれれば王国は安泰だな」

 そう言った彼の声が耳に残って離れない。


「……殿下、本当に、あの人は私を切り捨てたのね」


 声に出した途端、胸の奥が痛んだ。

 涙がにじむ。

 けれど、泣いてはいられない。


 私は机の上にあった魔導書をもう一度見た。

 侍女に取り上げられたはずのものが、なぜかそこに残されていた。

 ――きっと、あの子が隠してくれたのだ。


 包みに入っていた手紙を開く。

 震える文字で「生きろ」と書かれている。

 かすかなインクの滲みは、きっと彼女の涙の跡だ。


 私は魔導書を胸に抱き、深く息を吸った。


「……生き延びて、必ず真実を取り戻す。

 私を貶めた者たちを、必ずこの手で暴く」


 言葉にすることで、心が少しだけ強くなった気がした。


 夜明け前、王宮を出るとき、兵士たちが門前に立っていた。

「ここから先は追放者だ。二度と戻るな」

 吐き捨てるような声。

 私は何も言わず、頭を上げて門をくぐった。


 王都の街並みはまだ眠っている。

 昨日まで何度も通った通りが、別の世界のもののように遠かった。


 広場を通ると、朝市の準備をしていた商人が私に目を留める。

「……あんた、宮廷の魔術師じゃなかったか?」

 噂はもう広まっているらしい。

 私はフードを深くかぶり、足を速めた。


 城壁の外門を出たとき、空が白んできた。

 雨はまだ降り続いている。

 私は濡れた草の上に立ち尽くし、王都を振り返った。


 ここで生まれ、育ち、笑い、泣いた場所。

 けれど今は、冷たい石の城にしか見えない。


「……さよなら」


 小さく呟いて、踵を返す。

 東の地平線から光が差し始めていた。

 辺境へ続く長い道が、朝靄の中に延びている。


 その先に何があるか分からない。

 生き延びられるかも分からない。

 けれど――


「必ず、生きる。

 生きて、強くなって……いつか、取り返す」


 雨に濡れた杖を握りしめ、私は歩き出した。


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