第6話
──私が生まれたのは、今から約十八年前。
生まれた時、私の心臓の位置には、透き通ったガラスのような──あるいは、光の加減で宝石のようにも見える鱗が二枚、静かに存在していた。
それを見た家族は産声よりも先に、私が“特別な存在”であることを理解したのだと思う。
物心がつく頃には、私はすでに多くのことを理解していた。
言葉を覚えるより先に、世界の理の一端に触れていたような、そんな感覚。
──これは、私しか知らないことかもしれないが。
竜人という種族は、どうやら生まれた瞬間から、ある程度の“知識”を有しているらしい。人間には分からないだろう感覚。
頭に浮かぶのは、行ったこともないはずの雪山の景色。
凍てつく空気の匂いさえ思い出せそうな、あまりにも鮮明な白銀の世界。
荒れ果てた大地、瓦礫の中に立ち尽くす人々の顔。その顔に浮かぶ、安堵と解放の入り混じった、何とも言えない感情の色。
──それは、私自身の記憶ではない。
どこか他人の、もっと遠い誰かの物語。
けれど確かに私の中に存在していたそれは、おそらく私の先祖──竜人たちの記憶なのだろう。
感覚としては、曖昧な夢のようで、説明するのが難しい。
本で読んだことがあるような、ふと何かの拍子に思い出したような……あるいは、最初からそこに在ったような。
思考を巡らせるたびに、答えは霧のようにぼやけていく。
だから私は、それを“神に与えられた知識”なのだと解釈することにした。
大方、間違ってはいないだろうと思う。
そんな私は、幼い頃から早くに言葉を理解し、発していた。
周囲の大人たちと同じような口調で話し、ときに誰も知らないような知識を口にすることもあった。
けれど、不思議と誰もそれを疑問には思わなかった。
──竜人である私は、それが“当然”だと受け入れられていたから。
私の能力は、生まれ持ったものだ。
知力、魔力、身体能力。いずれも人間の基準をはるかに超えていて、魔法に至っては私の得意分野だ。
身体も頑丈で、病ひとつせず、倒れることなどなかった。
だが、それと引き換えに、私はずっと何かを“持たず”にいた。
喜び、悲しみ、怒り、哀しみ。
周囲の人々が当たり前のように抱くそれらの感情が、私は希薄だった。
感情がまったくないわけではない。
けれど、それは身体より先に“思考”が先行してしまう。
怒るよりも先に、「それは怒るべきことだ」と頭で理解し、悲しむよりも、「これは悲しい出来事だ」と認識する。
だから、どこか現実の感情と、私の内側は、常に少しだけ乖離していた。
素直に笑う者を、羨ましく思ったことがある。
無邪気に涙を流す誰かに、ほんの少し憧れたこともあった。
けれど、私の世界はいつだって静かで、淡く、どこか冷めていた。
ほとんどの物は、「捨てろ」と言われれば、ためらうことなく捨てられる。
私にとって、特別だったのは、家族だけだった。
だからだろうか。
第一王子・レオルドとの婚約が決まった時も、私は何の感情も抱かなかった。
彼に無茶な命令をされたときでさえ、苛立ちよりも「面倒だ」という淡白な感想しか浮かばなかった。
──竜の契約を“婚約”という形にしたのは、お父様の提案だったらしい。
数十年という長い時間、王家と深く関わる私の立場を思っての判断だったのだろう。
きっと、私の家族は願っていたのだ。
レオルドが、私を“人として”大切にしてくれることを。
──けれど、私はそれすらも、どこか他人事のように眺めていた。
「これから、どうされるおつもりですか。」
探るような目線のクラウドの言葉に、意識が現実へと戻る。
視線を向ければ、彼はまっすぐにこちらを見ていた。まるで、少しの揺らぎも見逃すまいとするような、研ぎ澄まされた眼差し。
「これから、とは?」
息をついて紅茶を口に含んだ私は、カップの中で静かに波打つ液体を見つめた。
濃い紅の色が、淡い光を受けてほんのりと輝く。そのゆらめきが、自身の心の奥底に触れてくるような気がして、ほんの一瞬だけ視線を落としたまま黙る。
クラウドは私の答えを待っていた。
組んだ指先がわずかに動いたのを見て、彼が考えあぐねているのだと分かる。やがて、言葉を選ぶように慎重な間を挟んで、彼は口を開いた。
「貴方の能力は、強大なものです。」
「……ええ。そうですね。」
カップをソーサーに戻すと同時に、私は彼の顔を正面から見据えた。
そして、はっきりと告げるように視線を逸らさずに言葉を続ける。
「それが何か?」
私の視線に、一瞬だけクラウドの肩がぴくりと揺れた。
誤魔化すように軽く咳払いをした彼は、やがて口元を引き締めると、深く一礼するように頭を下げた。
「……知力も魔力も、武力でさえ、貴方に敵う者はいません。それを──国のために使っていただけないでしょうか。」
声は静かだったが、その奥には熱があった。
それは忠臣としての責務と、同時に私個人への信頼と懇願の気持ちが織り交ぜられた、真摯なものだった。
私はふっと鼻で笑い、ゆっくりと背凭れに身を預けた。
「やる気のない私が、要職に就くのは難しいでしょう。確かに実力はある。けれども、私には強い信念も正義感も、忠誠心もない。それを貴方方はご存じだと思いますが……それに、私に頼るような国は、この先やっていけないでしょう。」
遠くを見るように目を細めた私は、窓の外に広がる星空に視線を移した。見慣れた景色が、不思議と遠く感じられた。
「……そうかもしれませんがっ……!」
感情を抑えきれなくなったのか、クラウドは立ち上がりかけた。
だがすぐに、ジークハルトが静かに、しかし有無を言わせぬ力でその肩を掴んだ。
「クラウド。」
声は低く、けれど優しさが滲んでいた。
クラウドははっとして、反射的に肩をすくめながら目を伏せた。
「クレア嬢が竜人だという事実は公にできない。騎士団でも文官でも、若い彼女が反発を受けることは目に見えている。」
ジークハルトの言葉に、クラウドは唇を噛み締めた。拳をぎゅっと握りしめ、悔しそうに頭を下げる。
「……失礼しました。」
その姿に、私はようやく少しだけ表情を緩めた。
怒っていたわけではない。ただ、彼らの懸命な姿勢には、僅かに胸が熱を帯びる感覚を覚えたのだった。
「何かあれば言ってくれ。出来る限りの対応はしよう。」
ジークハルトがそう言ってくれるのを聞きながら、私は立ち上がる。
「では、今日はこれで失礼します。」
膝下の裾を軽く払って魔法陣を展開する。足元には淡く、虹色の光がにじみ始める。
「もう帰るのか。」
ジークハルトが名残惜しそうに問いかける。
彼の表情はどこか気まずく、けれど誠意を持って私を見ていた。
「ええ。お父様にも報告しないといけませんので。」
微笑んで返すと、ジークハルトはほんの僅かに肩を落とし、目を伏せた。
「……そうだな。こちらからもすぐに、謝罪文と慰謝料を送る。申し訳ないが、少し周りも騒がしくなるだろう。クレア嬢は、暫くゆっくり過ごしてくれ。」
「ご配慮、感謝します。」
三人の視線を背に受けながら、私は転移陣の中心へと歩を進めた。
空気がふわりと揺れ、光が包み込む。次の瞬間、景色が切り替わる。
視界の先には、馴染み深いディーネ公爵家の屋敷が静かに佇んでいた。
夜の空気はひんやりとしていて、庭に咲く白い花が月明かりを受けて淡く光っていた。
私はそっと目を閉じ、小さく息を吐いた。
あたたかくも、静かな場所。
──ここが、私の帰る場所だった。
次回更新は月曜日かなぁ……( ˊᵕˋ ;)




