第12話
カツカツと革靴のソールの音が、長い廊下に鳴り響く。その音に、使用人たちが何事かと視線を向けるのが伝わるが、私はそんなことを気にする余裕はなかった。
ある部屋の手前まで来ると、迷わずにドアノブへ手をかける。勢いよく引くとバン、という大きな音を立てる。
部屋の中にいる人物は、私を見ると呆れたように苦笑した。
「クレア。せめてノックをしなさい。」
テキパキと仕事を再開した使用人たちを横目に、ペンを置いたお父様は、机の上の手を組んで入室を促した。
執務室のソファに座ると、向かいに座り直したお父様をじっと見る。
「……どうしたんだい?」
「……なぜ、許可をしたのですか。」
私の用事など最初から分かっているだろうお父様に、私は端的に尋ねる。項垂れた私へ、お父様は静かに口を開いた。
「嫌だったかい?」
その答えになっていない言葉に眉を顰める。
「そういうことではありません。」
「だったら問題ないだろう。それに向こうも決めるのはクレアだと言っているんだよ。」
「っ……!そうではなくて!」
私が勢いよく顔を上げると、穏やかな表情のお父様。その中に、ほんの少しだけ悲しげな色が混じっているような気がして口を噤む。
しばらく部屋に沈黙が落ち、使用人が全て出ていったことを確認したお父様はため息をつく。
「クレア。最初から何もかも諦める必要は無いんだよ。……彼は君を支えてくれる人になると思った。共に歩んでくれるだろう。」
お父様のその言葉に苛立った私は、顔を顰めて立ち上がる。
「それは、彼を半身にしろとおっしゃるのですか!?」
竜人の半身。
これは王家にも知られていない、ディーネ家の秘密。
それは竜人の一生を共にする者の総称。伴侶であり、パートナーであり、唯一無二の存在なのだ。
珍しく大声を上げた私へ、お父様は静かに「落ち着きなさい」と声をかけた。私は赤い刺繍の施されたソファへ渋々座り直すと、複雑な気持ちを払うように脚を組んだ。
執務室の窓から差し込む陽が、静かに足元を照らす。
「何も半身にしろとは言っていないよ。でも、その選択肢があることは覚えておいて。」
「私は半身などいりません。」
きっぱりと言い切る私に、お父様はカップをつまんで紅茶を一口含むと、「そうか」と眉を下げる。
顔を上げると、いつもより真剣な顔をしていた。
いつも穏やかなお父様が、笑っていないことが珍しく、私は息をのんだ。
「……それでもね、私はクレアにひとりぼっちで生きて欲しくは無いんだよ。」
「……。分かっています。心配をかけていることは。……でも、お分かりでしょう!?お父様だって、知っているではありませんか!半身となった者の末路を!」
私の叫びに、再び部屋が静まりかえる。
分かっているのだ。どれだけ家族が私を思いやってくれているのかも。それでも、ずっと決めていたのだ。
──私は半身をつくらない。
人間は、竜人の半身という重さに耐えられないから。
竜人の胸元にある二枚の鱗。
私の胸元にも存在するガラスのような自身の一部。
その片方を人間が体内に取り入れることで、竜人の半身となる。
そして、半身となった人間は、竜人と命を共有することになる。
簡単にいうと、能力全てが竜人と同等になるということ。
成長速度や才能はもちろん、千年という長い寿命でさえも。
ディーネ家には半身の記録も、数は少ないが残っている。
彼らは唯一無二と出会い、一生を共にすることを誓った。半身となり、心穏やかに暮らしていた。
しかし、竜人は知らなかった。
人間が肉体的だけではなく、精神的にも脆い存在であることを。
人間は知らなかった。
千年という期間が、どれほど重く途方もない時間であるかを。
半身となった人間は、数十年経ち、変わらぬ容姿に焦りを抱いた。数百年経ち、周りと比べ、何一つ変わらない自分を嘆いた。
そして、ほんの少しずつ衰弱していく。それでも、竜人と同等に肉体は強くなり、簡単には死ぬ事が出来なくなっていた。
人間は壊れかけていた。
竜人は必死に支えた。
しかし、人間は「死にたい」と願った。竜人へ懇願し、終わらせて欲しいと申し出た。
その様子を見て竜人は後悔した。
『半身になどするべきではなかった。』
彼らは長い長い記録だけ残し、二人でこの世を去った。
ディーネ家の書庫に眠っていた記録。
これを読んだ時から私は決めていた。
私には、この竜人の気持ちが痛いほどよく分かったから。
自分の願いで壊れてしまった人間。愛する存在。目の前で少しずつ弱っていくのを、私はきっと見ていられない。
大切な存在をつくるのが怖いのではない。
私は、大切な存在が自分のせいで苦しむ姿を見るのが怖いのだ。
僅かに震える手のひらに、じっとりと汗がにじんでいた。
心配そうなお父様の視線が刺さり、気まずくなった私は、そっと席を立つ。
「……しばらく、頭を冷やします。……領地へ向いますので、何かあれば手紙をください。」
「……そうだね。今は婚約破棄で騒がしい。その方がいいかもしれないね。」
苦笑したお父様の言葉に「はい」とだけ返事をした私は、そのまま執務室を後にした。
長い廊下を歩き、ふと、ぴたりと足を止めた。
春の黄色い花が揺れている。ふわふわと漂う花びらが風に流され消えていく。
ふわりと宙を舞う花びらは、掴もうとすればするほど遠くなるようで──私はただ、それを黙って見送った。
私は気分を変えようと近くの使用人へ、庭園にお茶を持ってくるように頼んでガゼボに足を向けた。
少しペース落とすかもしれませんが、最後まで是非お付き合いください(՞ .ˬ.՞)"




