第10話
カイネルside
俺はあの人に比べたら凡庸だと理解している。
一度聞いたら忘れない記憶力。
見るだけで自在に操れてしまう剣の才能。
息をするように高位魔法を操る、繊細な魔力操作。
全てを持っている彼女は、俺の手に届かない人だった。
そして、俺にとって唯一、隣に立ちたいと強く願った人だった。
あの人、クレア・ディーネに出会ったのは、いつだっただろうか。
兄であるレオルドとクレア嬢との婚約が決まった時、俺は4歳だった。幼かった俺は、婚約の意味など分からなかったが、国王である父上に言われ漠然と姉ができるのだと理解した。
出会った時の彼女は無表情で、第一印象は怖いと感じたような気がする。
しかし、以外にも彼女は優しかった。
当時、兄上と仲良くなりたかった俺は、嫌われていることが悲しかった。今思えば、兄上は最初から俺をライバル視していて、仲良くなることなど不可能だっただろう。
けれども、幼かった俺はそれが分からなかった。
兄上に冷たくあしらわれた俺はよく庭園で一人泣いていた。
その日も、兄上と一緒に遊びたかった俺は後ろをついて回っていた。しかし、兄上に睨まれ「あっちにいけ」と言い放たれると、それ以上は踏み込むことができず、一人涙を流すことしかできなかった。
そんな時、たまたまだろう。通りかかった彼女に声をかけられた。
兄上の婚約者としてしか知らなかった彼女に、俺は最初警戒をしていた。
俺よりも2つ年上で背の高かったクレア嬢は、きらきらと流れるような銀の長い髪と、鋭く刺すような氷のような青い瞳が冷たい印象を与えていた。
「どうされたのですか。」
無表情で問いかけてくる彼女の声に心配の色など見えず、俺は「なんでもないです」と短く答えた。
目を見ずに答えた俺に、彼女は気にした様子もなく、意外にも俺の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。ドレスが汚れることも厭わずに。
その様子に俺はとても驚いた。
冷たい彼女の印象からは考えられない行動だった。
そして、ほんの少しだけ眉を下げて心配を滲ませていた。
「今の時期は、ユリの花がきれいなんです。一緒にいかがですか?」
そう言って俺に手を差し出した。彼女の言葉は慰めでもなんでもなかったが、何となく俺を元気づけようとしてくれているようで、気が付けばおずおずと彼女の手を握り返していた。
俺の手を取って優しく引いて連れていかれた庭園は、いつも見ているものだった。
けれども、俺は隣を見上げて時が止まったように思えた。
ふと、その中の一輪に手を伸ばした彼女が風に吹かれて微笑んでいた。
たった、それだけだった。
そのはずなのに、その光景が、彼女の笑顔がとても神秘的なものに見えた。
美麗な見た目に似合わない、彼女の爽やかな香水の匂いが俺の鼓動を跳ねさせた。
そして、彼女も俺と同じ思いを抱いているのかもしれないと思った。
兄上に嫌われているのは、俺だけではなかった。
彼女もまた、兄上に冷たい視線を投げられ、鋭い言葉で刺されていた。
この人も、兄上の言葉に傷ついているのかもしれない。
だから、俺に声をかけたのだろう。
その時は、そう思っていた。
それから彼女は時折、王宮へ来たついでに俺に声をかけてくるようになった。
そんな彼女に、俺も少しずつ心を許していた。
もう、怖いという感情は残っていなかった。
8歳になった頃。
俺は兄上と仲良くなることは不可能だと理解し、話しかけることはなくなっていた。
ある日、偶然兄上とクレア嬢が共にいるのを見かけた。
婚約者としての交流かと、そのまま通り過ぎようとした時。兄上の怒声が聞こえ、思わず足を止めていた。
兄上が冷たく突き放すことは日常だったが、そこまで叫んでいるのを俺は見たことがなかった。
しかし、クレア嬢も周りの使用人も、またかというような反応で兄上を見ていた。
特に、クレア嬢は怒鳴られているにも関わらず、顔色一つ変えない。
むしろ、興味などないというように他人事のように眺めていた。
その様子に、俺は彼女の考えていることが分からなくなった。
なぜ、婚約者である兄上にあのような態度をとることを許しているのか。文句一つもないのか。悲しくはないのか。
だから、つい、聞いてしまったのだ。
いつものように挨拶をしてくる彼女を呼び止め、「なぜ、兄上に文句を言わないのだ」と。
俺の疑問に彼女は少し考えるそぶりを見せ、表情を変えずに言い放った。
「契約ですから。」
それだけ言った彼女はそのまま「では」と背を向けた。そんな凛とした彼女の背中に胸が締め付けられた。
父から聞いていた。
『竜の契約』
生まれた時から決められていた、彼女の運命。
俺は、不憫に思うと同時に、彼女を尊敬していた。
自分の感情を優先することのない彼女は、貴族としてのお手本のようだった。いずれ、自分もそうしなくてはならない。頭では分かっていても、簡単に割り切れることではなかったから。
俺は、彼女に対して特別な感情が生まれ始めていたことを、その時は気付いていなかった。




