第1話
煌びやかなダンスホールには、沢山の貴族の令嬢、令息が楽しげに会話をしている。シャンデリアの光が磨かれた床に反射して、きらきらと輝いていた。
王立学園で行われている卒業パーティ。
派手に着飾った卒業生とそれらを惜しむ在校生で、会場である学園のホールは賑わっている。
年に一度のイベントは国王陛下も祝辞に訪れるため、王宮で働く料理人が華やかなご馳走を用意している。
十八歳となった私も卒業生のため、真っ白い正装でホールに足を踏み入れる。
その瞬間、私へ視線が集まるのがわかった。喧騒に包まれていた会場は、私の登場でほんの少しの間、静まり返る。
その理由として考えられるのは、私の格好か、隣に婚約者がいないことか。
もしくは、その婚約者が、既に会場の中心でダンスを踊っていることか。
目に入った金髪に楽しそうだなと、皮肉にもフッと鼻で笑ってしまう。
本来なら怒りや嫉妬、嫌悪という感情が沸くはずのその行為に、私の感情は波立つことなどない。
ひそひそと囁きあう周囲を放って、私はドリンクを受け取り壁際に立つ。詳しい会話の内容は聞こえないが、概ね一人で会場入りした私を面白おかしく噂しているのだろう。
どうでもいいことだが。
私は開始の合図はまだかと、シルバーの丁寧な装飾が施された腕時計を気にしながら、リンゴを使った果実水を揺らした。
彼を目にしても、特段気にした様子を見せない私に、周りの少年少女たちはザワザワとし始める。
不仲説を囁かれている私たちだが、婚約者の男が一方的に私を敵視しているだけで、私は彼に興味は無い。私にとって彼はただの『契約相手』であり、愛を囁き合うような相手にはなり得ないのだ。
最初からつまらない態度だったせいか、はたまた単に私が嫌いなのか、彼は露骨に嫌悪感を示すようになった。
大人になれば少しは変わると思ったが、とうとう私が学園を卒業し、婚姻が現実を帯びた今も、出会った頃と何一つ変わらない。
しかし、今更彼に歩み寄る気にはなれない。なぜなら──
「クレア!お前との婚約を破棄する!」
彼の隣には、一人の令嬢が腕に手を添えて立っていたからだ。
私を見つけ、ダンスホールの中心で叫んだ婚約者は、輝く金髪を揺らし金の瞳を鋭く細めた。わざわざ目立たないように壁際に立っていたというのに、目ざとい奴だと面倒臭さに内心うんざりとする。
この国の第一王子、レオルド・マグネリア。
私を睨みつける彼の表情は、嫌悪と憎悪に満ちている。なにが彼をそこまで駆りたてているのか、私はいつも不思議でならなかった。
──この婚約は『契約』だ。
幼い頃に不安げな顔をした両親に説明され、私は自分の役目ならばと了承した。
そうして行った顔合わせ。
王宮の一室にて交わされた挨拶と、どこか重みのある言葉。
無表情で淡々と受け入れた私と反対に、一つ下のレオルドはずっと「なぜだ」「嫌だ」と言っていた。そんな彼を、私は呆れたように無言で眺めていたことを覚えている。
それから義務のように彼とは顔を合わせていた。
しかし、お茶会も婚約者として参加するパーティも、一貫して睨みつけられるだけで、会話などありもしない。
私は、早々に諦めた。
将来王家に入る身として、王子妃教育が始まると、レオルドと共に授業を受ける日もあった。
私は自分で言うのもなんだが、出来が良かった。なんでもサラリとこなす私を、教師は褒め称えた。
「クレア様、素晴らしいですわ。完璧でございます。……レオルド王子は、次回はここを中心に勉強致しましょう。」
比べられたような気分にでもなったのだろうか。そんな出来事が続くと、彼は授業にすら参加しなくなった。
その様子に、私は更に彼への関心が薄くなったのを感じた。
この国は実力主義で、必ずしも長男が家を継ぐとは限らない。王子である彼も例外ではないのだ。
それなのに、レオルドは努力が嫌いだった。
元々才能があるのにも関わらず、それを伸ばそうとはしない。劣等感の塊のような彼は、優秀な者を羨むばかりで、自己の能力を研鑽するなどという気概はないのだ。
彼の弟であるカイネル第二王子は、生まれ持つ才幹は平凡ではあったが、努力家で周りから慕われていた。
カイネルの方が、王にふさわしいと言われるのは当然だった。
学園の入学前で決まった、継承権の順位。
誰も口にはしなかったが、当然というように彼に投げかけられる視線。
継承権二位となったレオルドは、八つ当たりのように私へ理不尽な要求をすることが増えた。
──僕の仕事はお前の仕事だ。
──僕の横に立つな。護衛のように一歩控えていろ。
──鬱陶しい。髪を切れ。
レオルドの分まで仕事をこなし、格好を変え、常に一歩後ろに控えた。
そうやって遂に、「呼びつけた時以外に顔を見せるな」と言われ、レオルドと会うことをやめた。
正直辟易していた私は、その言葉に安堵した。
家族には心配をかけてしまったが、私が気にしていないことが分かると、「何かあったら言いなさい」とだけ言ってくれた。
そうして距離を取っているうちに、いつの間にかレオルドの横には、くるくると表情を変える少女がいた。
学園で二人を見かける度に、どこか感情がなくなっていくような気がしていた。
自分のことなのに、他人事のように感じて、ふと気づいた。
──彼への関心は、綺麗さっぱり消え失せたのだ、と。
怒りや呆れ、それすらも感じない。
どうでもいい。そんな感情しか残っていなかった。
それまでは個として認識していた彼は、私にとって、道端の石ころ同然に成り下がった。
それからは、呼びつけられても応じず、自由に振舞った。そんな私に彼は憤慨していたような気もするが、彼の言葉など頭の片隅にすら残ってなどいない。
周りからは変わった令嬢だと言われたが、それすらも私の感情を動かすことはなかった。
私の行動は家族からも咎められることはなかった。
むしろ、前よりも生き生きとしていて、その方がいいと言われてしまった。
私はようやく息が出来たような気がした。
そんなゆったりとした二年を過ごし、現在に至る。
私を睨む目の前の彼は、私を恨んでいるのかもしれないが、そんなことを今更気にすることなどない。石ころに睨まれて怯む人間などいないだろう。
グラスの中の液体を揺らすと、甘酸っぱい香りがふわりと鼻をくすぐる。
フッ、と鼻で笑うとレオルドは眉間に皺を寄せて、舌打ちをした。
そんな彼に寄り添うように立つ少女は、赤毛でふわふわとしている小動物のようだ。可愛らしい印象に似合わず、彼女は私だけに見えるように勝ち誇った表情をしている。
まるで、自分のほうが彼の隣が似合うとでも言いたげだ。
彼女は子爵家の令嬢で、確か名前は──ニコラ・ノルディス──といったか。
きっと、レオルドを本気で想っているのだろう。
文句を言われたのは一度や二度ではない。
「彼を愛していないなら、婚約者を降りてください。」
真っ直ぐにそう告げられ、「国王陛下に申し上げてください」と淡々と返した。押し黙った彼女は、悔しそうに顔を歪めていた気がする。
それから、ことあるごとに彼と一緒になりたい旨を聞かされた。その大半は聞き流していたが、要約すると「彼のダメなところも愛している」らしい。
正直、私は勝手にしてくれと思っていた。
興味もなかった。
あげられるのなら、既に譲っている。
さすがの私でもどうにも出来ないのだ。
それが“契約”というものだ。




