きっかけ
ひろしはなぜパチンコを始めたのか? 子供の頃の憧れ・・・
私が小さい頃、両親は小さな鉄工所を経営してました。 住み込みで3人の職人さんが家族でうちの2階に住んでました。
毎週日曜は夕方風呂あがりに歩いて繁華街まで出て、喫茶店でお茶を飲みます。
私は普段は決して食べる事のできなかったチョコパフェを食べてました。 軽い腹ごしらえを済ますとみんなでパチ屋へ行きます。
その頃のパチ屋はハンドルも電動でなく手で弾く手動式でした。 100円で随分と遊べたようです。
私はいつも店の片隅で転がってくる玉を拾ってました。シマの中の玉を拾うとおじさんに「なにやっとる!クソガキが」と蹴られた
事があったのでそれから怖くてやらなくなりました。
転がってきたらお店のオバチャンが教えてくれます。 規定数量になるとチョコと換えてくれました。 それが嬉しくて嬉しくて
たまりませんでしたよ。 ショーケースの中にはとても豪華な景品が並んでて幼い私にとってはまさに「夢の国」でした。
そんな憧れを持ちながら高校生になったある日の事です。 よからぬ先輩に連れられてパチ屋に「打ち手」としてデビューする事になります。
デビュー機種はわすれもしない「ボクシング」という横開きの羽根物のハシリの機種です。 200円でサクっと当たって一撃2000円箱に一杯になりました。 2000円箱まけまけ一杯になったらそこで終わりです。 鳴きが鋭かろうと寄りが良かろうと関係なくやめてました。 可愛いもんです。
それから結構パチ屋に出没するようになりましたが、バイクに乗ってるのが学校にバレたり免許停止処分を受けたりが重なり7回もの停学処分を食らってしまいました。これ以上処分されると退学になるのでパチ屋から離れる事になります。
高校を卒業すれば通い放題になります。そりゃもう嬉しくってたまらず毎日通ってました。が・・・段々投資金額が増えて行き、負けるばっかでした。
その内に羽根物よりギャンブル性の高い「フィーバー機」に走る事になります。
そうなったらもう給料なんか月の半ばまでも持たなくなり超貧乏生活でした。 この「負け組み」からなんとか抜け出したい。どうすれば勝てるのか?そればっかり毎日考えてました。
毎日打ちに行ってると毎日見る顔があります。その中にはほとんど毎日勝ってると思われる人がいます。「そうだ、勝ってる人の真似をすればいいんだ」
安易な考えではありますが、根本的な考えとしては間違ってはなかったと思います。
強い人はいきなり台に座ったりしません。じっくり台を観察しています。そうです、まず釘を見てるんです。「これ!」と決まったら様子を見ながら打ち始めます。
条件が整ったらハンドルを固定して飲み物などを用意し始めてました。そうなると本物掴んだんだな?とわかるので後はちょくちょくと観察してました。「一流」は当然ですけど台をコロコロと変りません
。釘を見て決めた台なので毎日決めた台と心中する覚悟で打ってるようでした。当時は4000発終了(約1万円)で予定終了台になり打てなくなってました。
「プロ」っぽい人は2~3回ほど終了台にしてたように思います。 鳴きと寄りの良い台を見つけたらタコ粘りが鉄則なんだな?と気が付きました。
それさえ解れば勝ったも同然!とばかりに実戦します。が・・・最初の「釘読み」が全くできません。何をどう見ればいいのか検討も付きませんでした。で、いつまでたっても負け組のままでした。
そんな私に転機が訪れます。ある人物と知り合う事になり、その人が有名なパチプロ「8コロ3兄弟」の3番目でした。 自称「パチプロ」は星の数ほどおりますが、誰かれともなくそう呼ばれる人物ってそう多くはありません。
そんな中で自分のような「負け組」末端にでも轟く名前は凄く神々しいもんがありました。「8コロ3兄弟」そして強い人の真似をするで登場した「フジ会館の岡田君」 BIG NAMEでした。
当時わたしは求人広告の営業マンでした。朝の朝礼が終わると真っ先に3兄弟の家に行き3人をパチ屋の近くの喫茶店で下ろします。開店までの時間つぶし&腹ごしらえです。その後
わたしは17時まで会社の仕事をして17時過ぎたら彼らと合流します。
彼らが終了させた台を購入開放(カウンターで1000円払って権利を買う。もちろん1000円分の玉は付属します)してもらいそれを抜くんです。3兄弟が抜いた一番優秀な台を打つんですから素人でも抜けます。
もちろん抜いてる最中も釘を見て勉強しながら打ちます。 そうして何とかシマの回収代は打たなくても解るようになりました。が、どれがシマ一番の台なのかまで解るのにはまだ数年掛かりました。
3兄弟の生活は「憧れ」そのものでした。 3兄弟全員とてもカッコ良く見えました。 次男が釘読みが一番鋭くて朝見回ってると「お?5万円あるやん」そこを先に通った長男が「え?マジ?あれぇ~ほんまや見落としたわ」みたいな感じです。
そのシマは「2万個終了」のシマなので抜けると換金率2.5円なので5万円になる訳です。
長男は競輪の名人でもあったようでパチ中にちょくちょく電話で車券の確認してるようでした。 当たると私を呼んで「今日50万抜けたけん寿司屋の予約入れてこい」みたいに予約してました。
なんかTVドラマや映画の世界の人のようで感動してました。
3男はパチもスロもこなすオールマイティ派で特にスロットを担当してました。「お?ベルの目で落ちとる」とか「青イモの目で落ちとる」みたいに15枚や10枚を抜いてはシマをグルグル巡ってて「お?回ったね」と言うと必ずボーナスを揃えます。 当時は何の事やらサッパリわかりませんでしたけど、恐らく子役の取りこぼし目でその目が出てれば次ゲームで揃える事が出来たんだと思います。「お?回ったね」はリーチ目の表現だったんでしょう。
そんな彼らとの生活で「勝ち組み」を実感し、又イメージが出来上がってきた。 すっかり同じグループで対等な気分で自惚れていたが・・・私はその時彼らとの決定的な違いに気付いていませんでした。