妖精の隠れ家でのお茶会
八角形のこぢんまりとしたガゼボの中に入ると、緑のカーテンが外からの視線を程よく遮断してくれる。垂れ下がる蔦の隙間からは光が差し込み、艶やかな葉に反射してガセボ全体がキラキラと輝いて見えた。
(本当に妖精の隠れ家に迷い込んだような気分だわ……)
ガゼボの囲いに沿うようにぐるりと取り付けられた木製の長椅子。その上には、花の形や葉の形を模した、色取り取りの沢山のクッションが置かれている。
「シロン様、どうぞこちらへ」
シロンはセージに案内され長椅子に座った。クッションがふわりと優しくシロンを受け止めてくれる。
(可愛いうえに座り心地も抜群だなんて。一体何の生地を使っているのかしら)
思わず手元にあるクッションを、もふもふさわさわと撫でるシロン。
「気に入りましたか?」
「はい、手触りも最高ですね!」
「えっ? 手触り……ですか?」
セージはキョトンとした後に、シロンがわさわさとクッションを撫で続けている手元を見つめ、思わずといった感じで笑う。
「……フフッ、すみません。この場所について聞いたつもりだったんですが。そんなにそれがお気に召したのでしたら、後でお部屋に届けさせますね」
「……ありがとうございます」
シロンはちょっと恥ずかしくなって、小さな声で御礼を述べた。
「今日はシロン様に、サルト国で最近流行っているお茶を召し上がって頂こうと思いまして」
セージはテーブルに用意されていた玻璃で出来たティーポットを手に取ると、少したどたどしい手つきでお茶を入れ始める。
「セージ様が給仕をしてくださるのですか!?」
シロンはてっきり、侍女か侍従の誰かがやって来て、お茶を入れてくれるのだろうと思っていたので、かなり驚く。
「はい。シロン様を私自身の手でもてなしたくて、少々練習しました。本職の者達には到底叶いませんが」
実は意中の姫と二人きりで過ごせる時間を少しでも長くとれるようにと、セージの側近達がセージに授けた策の一つで、少々の練習どころか、猛特訓を受けた事はシロンには秘密だ。
ティーポットにコトリと入れられたのは、とても茶葉とは思えない、赤紫に近い丸薬のような謎の塊。
「セージ様、それは? 初めて見ます」
シロンは前に作った癇癪玉みたいだなと不穏な事を思いながら興味津々で尋ね、セージからは詳細な説明が返って来た。
「これは花茶と言って、中央に香りの良い花を入れて、手摘みの茶葉で丁寧に包んで丸く成形したものです」
お湯を静かに注ぐと、丸薬のような塊からは濃い赤紫色が溶け出し、透明なお湯は見る間に年月を重ねたワインの様な色に。けれど少し経つと、不思議なことにその色は澄んだ青色へと移り変わっていく。色の変化が落ち着き、淡い青色になった頃。花茶はゆっくりと解けていき、茶葉で包まれていた花が開花した。
「お花が咲きましたね!」
シロンはその変化に釘付けになっている。セージはティーポットの様子を真剣に見極めていた。
「そろそろいいかな」
セージは玻璃で出来た優美なカップ二つに、淡い青色のお茶を丁寧に注ぐ。シロンはそれを静かに見守っていた。
「どうぞ、シロン様」
「ありがとうございます」
シロンの前に置かれたティーセットは、手に持つのが躊躇われるほど美しかった。カップと揃いの玻璃で出来たソーサーは銀製の彫金で覆われており、その煌めきは花茶の入った玻璃のカップをより神秘的に見せていた。
「まずは、そのままで飲んでみてください」
そう言うと、セージはカップを手に取り飲んでみせる。シロンはそっとカップを手に取って、花茶を飲んでみる。
「初めて口にしましたが、すっきりとして爽やかな味で飲みやすいですね」
「それでは、次にこちらを」
セージから手渡されたのは、金属の小鳥。背中から尻尾にかけて弓形に反った金属の板が上下するようになっていた。鳥の体部分は窪んでいて、三日月型にカットした柑橘が挟んである。
「果汁を搾る道具です。尻尾の部分をこうやって指でつまむと果汁を絞ることができるんですよ」
「なるほど、こうですか?」
尻尾の部分を摘むと、僅かな力で果汁が簡単に絞れた。
「くちばしの部分が注ぎ口になっています。ほんの一滴だけ、カップに果汁を落としてみてください」
「分かりました。一滴ですね」
シロンは鳥をゆっくりと傾けて、青いお茶に果汁を一滴だけ注ぐ。すると、淡い青色のお茶は一瞬にして澄んだ淡いピンク色に変化した。
「色が変わりましたね!」
「はい。お好みで蜂蜜を入れても美味いですよ。シロン様はもしかしたら、そちらの方がお好みかもしれません」
シロンはピンク色になったお茶を一口飲む。ほんのり柑橘の風味がついて、よりさっぱりとした後味になっていた。次に蜂蜜を入れて飲んでみる。セージの言うとおりシロン好みでさっきよりも美味しくなった。
「セージ様はよく飲まれているんですか?」
「そうですね、シロン様の瞳の色を思い出すので、最近は特に気に入って飲んでいます」
セージは熱の籠った眼差しでシロンの瞳を見つめてくる。シロンは何だか急に恥ずかしくなってきて、目線を彷徨わせた。ふと、テーブルに置かれていた銀のお皿が三段になったケーキスタンドが目に入り、慌てて話題をそらす。
「……あ、こちらのお菓子も美味しそうですね」
お皿に可愛らしく盛り付けられているのは、一口サイズの軽食に、焼き菓子、季節のフルーツだ。
「どれがいいですか? お好きなものをお取りしますよ」
「ではこちらをお願いします」
シロンはセージが取り分けてくれた焼き菓子を一口かじる。サックリとした絶妙な食感に、木の実の香ばしさと程よい甘さが口一杯に広がり、自然と口角が上がってしまう。
「とっても美味しいです!」
「それは良かった。シロン様、こちらもお好きだと思いますよ」
セージは嬉しそうに、シロンの皿に別の焼き菓子を取り分ける。
「まさか、これもセージ様が作られたのですか?」
「流石にそこまでは……しかしシロン様がお望みであれば、菓子を手作りするのも吝かではありません」
「ふふふっ。ではその日を楽しみにしていますね」
他愛も無い会話に美味しいお菓子にお茶。二人は自然と笑い合った。しばらく会話が続いた後、シロンがふと思い出して言う。
「そう言えば、先ほどの賭けの事ですが。セージ様のささやかなお願いを私が一つ叶えるのでしたね」
「よろしいのですか? ズルをして勝ったようなものなのに……」
セージは申し訳なさそうにしている。
「それでも、約束は約束ですから」
シロンの言葉に、セージは何度か言い淀んでから自身の願いを口にした。
「それでは……シロン様がサルト国に滞在中、お茶の時間を毎日伴にしたいです。叶えてくださいますか?」
「いいですよ。セージ様が毎日もてなしてくださるんですね。楽しみにしておきますね」
「はい! シロン様のご期待に添えるように頑張ります!」
張り切って答えるセージの様子に、シロンはなんだか胸がほっこりと暖かくなるのだった。
◇◇◇
それから毎日、約束通りセージとのお茶会は行われた。場所もテラスだったり、温室だったり毎日違う場所で行われるお茶会。お茶やお菓子もその日によって全く違うものが用意されており、セージのシロンへのもてなしの本気度が伝わってくる。セージとの会話は楽しかった。話題は多岐に渡り、日々王子として多くのことを学んでいる事が窺い知れた。
その日は日中公務が入っているらしいセージ。流石に今日はお茶会はお休みだろうと思っていたシロンの元にセージからのカードが届く。
『シロン様、今日は趣向を変えて、夜のお茶会はいかがでしょう? 月が昇る頃、お迎えに上がります』
セージは約束通りの時間にシロンを迎えに来た。
「シロン様、参りましょうか」
「今日はどちらに?」
「とっておきの場所にご招待しますね」
セージがシロンを連れて行ったのは塔の上。夜空を見上げればそこにあるのは満天の星達。
「本日は、星空の下でのお茶会です」
「わぁ〜! すごく綺麗です」
星を見上げ、足下がついつい疎かになってしまうシロン。案の定段差に躓き転びそうになる。
「キャッ!」
「シロン様っっ!」
セージは転びそうになったシロンをしっかりと抱き留める。半年前であればシロンがセージを下敷きにしてしまったかもしれない。シロンは暗闇の中でセージの成長を身をもって体感する事になった。逞しくなった胸板やセージの香りを強く感じてドギマギする。
「……セージ様、あの、ありがとうございます」
シロンは慌てて離れようとしたが、セージはシロンをギュッと抱き締めたまま耳元で囁く。
「シロン様、私はこの半年でこんな風に貴女を支えられるようになりました……こんな時に、こんな話をするのは卑怯なのは分かっています。ですが、それでも言わせてください。この先、こんな風に貴女を支えるのは私でありたいと」
「……セージ様」
「急にすみません。……お茶を入れますね」
セージはシロンをそっと腕から解放し、自然に手を取ると、シロンが転ばないようにエスコートして席へと案内する。
塔の上に用意されたお茶会のテーブルには青輝石の燭台が置かれ、ほんのり席とその周辺を照らしている。セージは慣れた手つきでお茶を注いでいく。連日のお茶会の成果だろう。たどたどしかったその手つきは今ではすっかり無くなっている。二人とも言葉少なに、カップが僅かに奏でる音だけが静かに夜空に響いていた。
二人がお茶を口にした後、セージは真剣な眼差しでシロンを見つめた。
「……シロン様、ご存知ですか? 貴女の婿になるためには“貴女が望むものを貴女に示せる者”である事が条件でした」
「私が望むもの?」
「はい、ずっと考えていたんです。貴女の望むもので、私が貴女に贈れるものは何だろうかと……」
セージはゆっくりとシロンの前に跪くとシロンを見上げて言った。
「私、セージ・トロープは貴女や貴女の愛する人たち全てが、“笑って過ごせる幸せな未来”を貴女にお渡しすることをここに誓います」
シロンは、セージの言葉に返事を返せないまま、ただその瞳を見つめる。
「この先、貴女の心を癒す薬にでも、疲れた体を支える杖にでもなりましょう。だからどうか、私の手を取っていただけませんか?」
セージは更に畳み掛ける。
「……どうしてそこまで」
シロンがようやく口にできたのは小さな疑問。
「不思議ですか? 私も何故こんなに貴女に惹かれるのか、うまく説明ができないのです。ただ、初めて出会った時に、この人だと思いました。私が、貴女の笑顔を守れる存在でありたいと」
シロンはセージの思いを受け止めきれずに一杯一杯になる。セージはそんなシロンの様子を見て、視線を外すと立ち上がり、お茶を入れ直した。
「シロン様、返事は直ぐでなくても構いません。でも、どうか……私とのことを一度考えてみて欲しいのです」
セージはシロンの知らない大人びた笑顔で微笑んだ。