サルト国王との謁見
一行が通されたのは天井が高いホールのような場所。等間隔に並んだ柱には、植物の意匠が彫り込まれ、明かり取りの窓から降り注ぐ柔らかな光が、壁に刻まれたレリーフを照らし出す。
(このレリーフ、サルト国創建の歴史ね。こんな時で無ければ、一枚一枚じっくり見てみたいものだわ)
シロンは壁のレリーフを眺めたい気持ちをグッと堪え、視線は正面に固定する。ホールの正面、数段高くなっている場所には重厚な椅子が置かれ、サルト国王が座して待ち構えていた。
(あれが、サルト国王 サイプレス・トロープ陛下……セージ王子のお父様……)
流石は大国の王、厳しい佇まいに身が引き締まる。
取次の官吏がシロン達の来訪を告げ、シロンはそのまま王の前まで進む。指先まで神経を行き届かせて、お手本のような美しい礼をとる。
「お初にお目にかかります。シロン・ラヴィターニアでございます」
「ようこそサルト国へ、ラヴォーナ国の白銀の姫よ」
サルト国王は悠然と立ち上がると、歓迎の意を示し、遠方より訪ねて来た一行を労った。一通り挨拶が終わった後、シロンは続けて来訪の目的を告げる。
「本日は我が父、ラヴォーナ国国王ディオ・ラヴィターニアよりの親書をお届けに上がりました」
シロンはラカに目で合図を送る。ラカは一つ頷くと、ディオから託された書状を恭しく掲げ、王の前に立つ宰相に手渡す。宰相はその場で親書に不審な点や細工がないかを真剣な顔で確認すると、サルト国王の元へ。
「ふむ、確かに。親書は受け取った。後ほどじっくりと読ませて貰うとしよう」
サルト国王は側に控えていた侍従が差し出す盆の上に親書を載せ、盆を掲げた従者は美しい所作でそのまま退出して行く。次に、サルト国王は、自分の後ろに立っていたセージ王子を呼び寄せる。
「セージよ。ラヴォーナ国の使者殿が城内で快適に過ごせる様に尽力いたせ」
「はい、お任せください父上。元よりそのつもりです」
セージは王に答えると、熱のこもった瞳でシロンを見つめた。サルト国王はそんなセージの様子を冷静に観察していたが、それを他の者に気づかせる事も無く、シロンに言い渡す。
「白銀の姫よ。しばし我が国で、旅の疲れをゆっくりと癒やされるが良かろう」
「お気遣い、感謝いたします」
宰相が謁見終了の時間を告げ、一行は速やかに謁見の間を退出した。
多忙なサルト国王との謁見は極々短時間で、ほぼ顔合わせ程度で終了してしまう。王から親書の内容について触れられる事も、シロンが何がしかの援助について訴える事も叶わなかった。
その後セージに連れられたシロン達は、滞在中に使用する部屋へと案内された。シロンの為に用意されたのは、侍女と護衛の控え室が続き部屋になっている貴人用の部屋。全体的に優しい色合いで、細部に曲線をあしらった可愛らしい雰囲気のインテリアでまとめられている。
「シロン様の好みに合えばいいのですが」
セージは心配そうにシロンの反応を伺う。
「優しい色合いがとても素敵です。セージ様が手配してくださったのですか?」
「はい。連絡を頂いてから急ぎ手配したので、足りない物もあるかもしれません。必要なものがありましたら、直ぐに言ってくださいね」
「ありがとうございます」
シロンの心からの笑顔に、セージは安心したように微笑んだ。
一方ラカは部屋の設備や警護体制について、セージの側近だという男から説明を受けていた。
「先に頂いたご要望の通り、皆様の滞在は城でもごく限られた者にしか周知しておりません。本来であれば歓迎の夜会を盛大に催すべき所なのですが……」
「こちらの都合で申し訳ありません。シロン様の所在をサギーナ国に知られるのは極力避けたい事ですし」
「承知いたしております。それで、昼食はこちらのお部屋にご用意致しますが宜しいですか?」
「はい。色々ご配慮頂きありがとうございます」
一通り部屋の案内が済んだ後、セージはどうしても外せない公務があるようで一旦離席する事を詫びた。
「すみません。せっかくシロン様と再開できたのに……直ぐに終わらせて戻って参りますので」
「セージ様、私はこちらで休ませてもらっていますので、どうぞお仕事頑張ってください」
「ありがとうございます。シロン様にそう言って頂けると、いつも以上にやる気が出ます!」
セージは嬉しそうに頬を紅潮させると、仕事へと戻って行った。
部屋の中に居るのが見知った顔だけになると、シロンはソファーにポフンと座りこむ。
「……まさかその場で親書を読んですらもらえないなんて、私では交渉相手として力不足って事なのかしら?」
静かな室内に落ちたシロンの呟き。その言葉にラカは顎に手をやり謁見を振り返る。
「姫さん、まずは一歩前進ですよ。サルト国王との謁見が叶ったのですから。そもそも姫さんの支援をするって事は、サルト国にとって大きな決断が必要な事です。その場で即答しない為にも、わざと読まなかったんじゃないかと思いますよ」
「そうそう~。シロン姫様、国と国の交渉だ。長期戦覚悟でじっくり行くっきゃないですよぉ~」
ロジャーは騎士服の襟元をうっとおしそうに緩めながら呑気に言う。
「シロン様、何はともあれ、今はちょっと一息つきましょう」
アメリはシロンが好んでいるお茶を入れ、そっとシロンの前にカップを置く。
「ありがとう」
シロンは適温のお茶を口に含み、嗅ぎなれた香りにホッとする。サルト国王との謁見は、自分で思うよりもかなり緊張していたのだろう。お茶を飲みながら、少し前までの事を思い出す。
(そうよね、身動きが取れなかった郷での半年間に比べれば、今は……)
「やる事は明確だもの。一歩一歩着実に進むだけね! ラカ、次の謁見の申請をお願い」
「畏まりました!」
◇◇◇
その後、部屋には昼食が用意される。新鮮な食材がふんだんに使われており、農業、酪農などが盛んなサルト国の豊かさが窺い知れる料理の数々。シロンは素材自身が持つ濃厚な旨味に感動を覚えるのだった。
ラカは昼食後すぐに、謁見の調整をしたいという宰相の執務室に呼ばれ、今はシロンの側にはいない。代わりにロジャーがしっかりと護衛についている。
ラカが帰って来ぬまま、お茶の時間になろうかという少し前、仕事を終えたセージが部屋を訪ねて来た。
「シロン様、もし宜しければこれから王城の庭園をご案内しますが、いかがでしょう?」
急なお誘であったが他国の庭園を見られる機会など滅多に無い事。シロンは喜んで了承した。
「願っても無いことです。セージ様よろしくお願いします」
セージは侍従に合図すると、フード付きのローブが用意された。
「少し城内を移動しますので、こちらをお召しになってください。シロン様の美しい白銀の髪はどうしても衆目を集めますので念の為」
シロンが頷くと、ローブを受け取ったアリスはシロンにローブを着せ掛け、髪が隠れるように丁寧にフードを被せた。
セージのエスコートで迷路のような通路を進んで行き、警備の兵が立つ大きな扉を潜った先にその庭園はあった。
「シロン姫、こちらは城でも限られた者しか出入りしませんのでフードを取っていただいても大丈夫ですよ」
「セージ様、もしかしてここは、王家専用の庭ですか?」
「はい。人の目を気にせず、シロン様に少しでも寛いで頂きたかったので。大丈夫ですよ、許可は取っていますし、警護もしっかりしていますのでご安心ください」
「ありがとうございます」
二人は庭園を散策しながらラヴォーナ国の薬草園で過ごした時のように自然と語り合った。セージがサルト国特有の植生について解説をしたり、シロンがセージの知らない薬草についての話をしたりしながら、庭園の小道をゆっくりと歩いて行く。
道沿いに植えられた小さな青い花は確かサルト国の国花ではなかっただろうか。青い花は群生して大きな花畑を形成している。それはまるで大きな一枚の青い絨毯の様で、シロンはその美しさに見入った。
青い花畑を過ぎ、小道を進んでいくと人の背丈程の灌木の林が現れる。その先からサラサラと心地よい水の流れる音が聞こえてくる。
「水の音がしますね」
「えぇ、この先に小さな川があるんですよ」
小川にはアーチを描く白い石橋が架かり、その澄んだ水の流れは大きな池へと注がれている。池には薄桃色の睡蓮の花が一面に浮かび、美しくも幻想的な風景を作り出していた。
「暑い時分にはこの池に舟を浮かべて遊んだりするんですよ」
「それは楽しそうですね」
「そういえば、シロン様は『古の賢者が浮かんだ葉の上を歩いた話』はご存知ですか?」
「いえ。私が知らないだけかもしれませんが、ラヴォーナ国にはそう言った話は無かった様に思います。どんなお話でしょう、サルト国に伝わるお話ですか?」
「重税に苦しむ領民を救う為に、領主と賭けをした男の話で、男がもし池に落ちずに睡蓮の池を渡りきる事が出来たら税を軽くするという約束をしたんです」
「それでどうなったんですか?」
「男は無事池を渡きり領民を救ったという話なんですが……睡蓮を見るとふと、小さな頃に兄達と賢者の真似をして溺れかけたなと、懐かしくなるんです」
くすくすと笑うセージ。溺れかけたとは物騒な話だが、きっとセージにとって楽しい思い出なのだろう。シロンは幼い兄弟達が池で戯れ合う姿を想像して微笑んだ。
「ご兄弟仲がよろしいのですね。私には兄弟がいないので少し羨ましい気がします」
「そうですね、仲は良いと思います。特に長兄の事は尊敬していて……」
セージの言葉が止まり、シロンは不思議に思ってセージを見ると、そこにはイタズラを思いついた少年のような顔があった。
「シロン様、私と賭けをしませんか? 今から私が賢者のようにあの睡蓮の葉の上を歩けるかどうかを」
「えっ? そんなの無理ですよね。さっき溺れかけったって……」
「シロン様が勝ったら私がシロン様のお願いを何か一つ聞きます。私が勝ったらシロン様が私の願いを一つ聞いていただけますか? もちろん。国事に関わるようなお願いは無しで何かささやかなお願い事を」
「……それでしたら」
シロンは少々強引なセージに流されつつ、了承の返事をする。
「シロン様は“出来ない”という事でよろしいですね。では見ていてくださいね」
「はい」
そう言ってセージはシロンの側を離れ、睡蓮の繁る池へと足を伸ばす。
「セージ様!?」
シロンは驚きのあまり声を上げた。セージは睡蓮の葉の上を歩き、水面を渡っていくではないか。池の中ほどまで進むと、セージはシロンに手を振り、元来た睡蓮の上を戻って行く。
「どうでしたか? 賭けは私の勝ちですね!」
シロンの側まで戻ってきたセージは嬉しそうにシロンに言う。
「凄いですセージ様。どうやって葉っぱの上を歩いたんですか?」
純粋な驚きを浮かべるシロンに少々気まずそうな顔でセージは答えた。
「実は池の中に飛び石があるんです。水位が上がって睡蓮の葉が茂ると水中に隠れてしまうので、葉の上を歩いている様に見えるだけなんですが。最初に長兄がやっているのを見た時は私も本当に驚きました」
「そうだったんですね」
「長兄いわく、賢者も密かに池に杭を立ててその上を歩いたんじゃないかって」
「なるほど、それはありえそうですね」
二人で昔話に伝わる不思議をあれこれ検証しながらまた歩き始める。池の先を進んで行くと今までとはまた赴きの違った場所に出る。手入れの行き届いた蔓薔薇のアーチを潜って歩いて行くと、奥に見えてきたのは、蔦に覆われ緑に染まったガゼボ。その柱には白と紫のクレマチスが装飾品の様に品良く巻きついていた。
「素敵……なんだか妖精の隠れ家みたいですね」
「ふふふっ。シロン様、それでは妖精のお茶会はいかがですか? あちらのガゼボに用意してありますので」
緑に包まれた、楽しいお茶会が始まった。