閑話 故郷に三年ぶりに帰郷する二人の話
サルト国とラヴォーナ国の国境付近の深い森の中、人が立ち入る事がほぼ無いその場所で、小さな焚き火の灯りが灯った。ローブ姿の旅人が二人、焚き火の明かりに照らされている。
「おい、ユラン。お前、もう飲んでるのか?」
野営準備を終え、戻ってきたハクトが目にしたのは、食事の準備をしながら既にほろ酔いな旅の相棒。
「ハクトが遅いから、ちょっと味見してただけだよ。それより、飯の準備できたぞ。食べよう」
ユランは悪びれずに言うと、干し肉と野菜、麦を煮たリゾットがたっぷりと入った皿を渡してくる。腹は膨れるが、正直、美味しいとは言えない代物だ。
「味気ない食事も後少しの辛抱だな」
リゾットを掻き込みながらハクトがポツリと呟く。ユランはそうだな~と同意しつつ、酒を煽る。
「うまい酒も飲み納め~っと」
ユランは大の酒好きだ。この旅の間も、飲み過ぎて翌日使いものにならなくなったなんて事もしょっちゅうだった。ユランのお目付け役兼護衛のハクトは苦言を呈す。
「おい、あまり飲み過ぎるなよ」
「最後の夜だ、堅いこと言うなよ」
「忠告はしたぞ、明日、途中でへばっても知らないからな」
「はいはい~分かってますって。ハクトお母様~」
ユランが口煩いハクトを揶揄う時に言う台詞だ。これ以上は口で言っても無駄とばかりに、ハクトはユランの持つ酒の容器を奪ってゴクゴク飲んで強制的に酒を減らす。
「ぎゃ~っっ! ハクト様、お許しを。全部はやめて、それが最後なんだよ~」
ユランが慌てて謝るのを横目に、ハクトは適量を残して容器をユランに戻す。
「ハァ~、後これだけか。似たような物が故郷でも作れたらいいのになぁ」
ユランが切なそうに容器を傾ける。故郷にももちろん酒は存在する。但し、故郷のものは酒精も弱く、味も香りも外の酒を知ってしまうと、物足りなく感じてしまうのは否めない。ユランは、ダメ元でいくつか酒に適した植物の種を持ち帰っている。植生が大きく違う故郷では、栽培もそれに適した酒造りも難しいだろう事は薄々分かっているのだが、諦めきれなかったのだろう。
酔いが回って目がとろんとして来たユランを寝床に寝かせ、毛布を掛けると、ハクトは火の番をしながら見張りに戻る。
「明日は遂に帰郷の期日か、皆は元気だろうか?」
ユランとハクトが修行の為に故郷から旅立ったのは今から三年前。世界を知る為にサギーナ国、プラト国、ラストリア国、ラヴォーナ国、サルト国と急ぎ足で巡って来た。各国に散っていった祖先の足取りを調査し、今までに知られていなかった幾つかの新しい遺跡の発見も出来た。故郷しか知らなかった二人にとって困難も多いが、実りも多い旅であった。ハクトは旅を思い返しながら、懐の隠しに忍ばせていた小さな姿絵を取り出し眺め、頬を赤らめる。もちろん、さっき飲んだ酒のせいではない。
「……尊い」
ハクトが見ていたのは、ラヴォーナ国で手に入れたシロン姫の絵姿。ハクト達がラヴォーナ国を訪れたのは、ちょうど一年前。店頭に並ぶ絵姿を見てシロン姫に一目惚れしたハクトは、密かに何枚もの絵姿を買い求め、憧れのお姫様として毎日のように絵姿を愛でていた。
「シロン姫様は今、どうしておられるのだろうか。ラヴォーナ国はまだ暫く荒れそうだが」
ハクト達がラヴォーナ国からサルト国へとたった後、少ししてからサギーナ国の進行があったという。シロン姫は他国に匿われているという噂もあるが、今も行方が分かっていないとか。シロン姫の安否を案じるハクトのシリアスな雰囲気をぶち壊すようなユランの寝言が聞こえてくる。
「うふふふっ。お酒がいっぱい〜……」
ユランはいい夢でも見ているのかニヤニヤ笑いながら寝返りをうつ。ハクトはため息を一つ吐き、跳ね飛ばされた毛布を掛け直してやりながら、ユランと出会った頃を思い出す。
一の郷出身のハクトは子どもの頃から体格に恵まれていて、早い内から大人に混じって郷の防衛に参加していた。八の郷出身のユランと出会ったのはそんな頃。洞穴狼に追われたのか、風穴に隠れ、潤んだ瞳で震える小さなユランを助けたのが最初だった。ユランは見た目だけならば、物語の中の可憐なお姫様そのものだった。不安そうにハクトの手をぎゅっと握りしめた小さな手。ハクトは自分が守ってやらなければと、この時強く決意した。
住まいを尋ねると、八の郷の商家である親元を離れ、巫女様に預けられているという。ユランは精霊術に適性が高かった為、早々に次代の巫女候補として目されていた娘だった。ハクトはそれを知ってから、ユランを守る為にはどうすればいいか考え、巫女の側に仕える鍵の守り人になる事を決意する。すぐさまジュウザに弟子入りし、鍵の守り人としての訓練を受ける事になった。
月日は経ち、ユランは巫女見習い、ハクトは鍵の守り人として成長していく。誤算だったのは、ユランの本性が見た目通り可憐なお姫様ではなかった事。共に過ごす内にハクトは身を持って知る事になる。
蓋を開けてみれば、ハクトがユランと出会ったあの日も、巫女修行があまりにも厳しかった為、逃走して見つからないように隠れていた所をハクトに発見されてしまい、連れ戻される恐怖に怯えていたというのが真実だった。ユランは小さいながらも賢く、精霊術を悪用し、悪戯放題。あまりの悪童っぷりに、巫女様に厳しく躾てもらえるように、巫女見習いとして住み込みで屋敷に隔離されていた事も後に分かった。
「可憐なお姫様を助ける護衛官に憧れてたんだけどな……現実は、コレだもんな」
幸せそうに眠っている自分の相棒を見る。ユランが聞いていたら、間違いなく、コレで悪かったな! と張り手が返って来ただろう。ハクトはもう一度姿絵を見て“本物のお姫様”に癒されると、絵姿を大切に懐に仕舞った。
◇◇◇
翌日。星降の儀式の行われる時刻が迫っていた。
「ユラン急げ! 儀式が始まる」
「分かってるって」
星降の儀式は半年に一回、郷の聖地である蒼月湖で行われる。儀式の行われている時刻だけ、いつもは水に埋まっている通路が通れるようになる。それを逃すとまた暫く帰郷が出来なくなる。
その昔、郷で行われる星降の儀式の日には、外に残った星降りの民との行き来が普通に行われていたようだ。しかし、人の出入りが有れば、それだけ郷の秘密が漏洩する危険性が上がる。その為、いつしか半年に一回の行き来も一年に一回となり、三年に一回になりと徐々に途絶えていったらしい。世代が変わり郷の事は外界では忘れ去られ、郷の中でも外界を知る者は居なくなり、今ではこの通路も、次代の巫女と鍵の守り人が修行に出て戻る時にしか使われなくなってしまった。
「開門の時刻だぞ」
「なんとか間に合ったな」
何の変哲も無いツタの覆った崖に辿り着く。ここには郷へ向かう入口が隠されている。精霊術で巧妙に隠されたそれは只人には見つけることは難しいだろう。目には見えない結界をユランが先に潜り、直ぐ後にハクトが続く。結界を抜けた先は岩がゴロゴロした洞穴と呼ぶには小さすぎる空間。ハクトは普通の岩にまぎれて見分けがつかないようになっている結界石に手をかざすと、石から光の線が走り、二人の目の前の壁には、人の力ではとても動かせ無いような、岩戸が現れる。
ゴゴゴゴゴッ
岩戸は大きな音をたてながら開いていく。二人が開いた岩戸を潜り中に入ると、岩戸は再び元の状態に戻っていく。岩戸の先は下りの長い階段が有り、地下水が縦横無尽に流れる入り組んだ洞窟へと繋がっている。開門のこの日、郷へと続く水路の水が引く。その先も迷路の様に入り組んだ道を、正しく、間違いなく進まなければ、郷へは辿り着けないようになっている。ハクトは慣れた手つきで獣よけの赤い香をたく。
赤い香は水路に住まう大蜥蜴を避ける為のものだ。大蜥蜴程度、二人なら容易く倒せるが、水路に水が戻る前に通り抜けなくてはいけない為、獣よけの香は必須だった。
水路を抜け、次の結界石まで辿り着く。開錠の後、ハクトは黄色の香をたく。この香は主に洞穴狼を避ける為のものだ。洞穴狼も単体であれば問題ないが、群れで襲われるとなかなかに厄介な敵となる。
「さぁ、ユラン行くぞ」
「あぁ~帰ったら、婆様の厳しい修行が待ってるかと思うと、足も鈍るわ~」
ユランはトボトボ歩きながら項垂れる。
「ハクトは良いよな、既に鍵の守り人の資格を得ているんだから」
「当たり前だ、修行に出るのにそれが必要不可欠なのはお前が一番知ってるだろ? それに、ジュウザさんから習うのだって結構大変だったんだぞ」
「そうなのか? ジュウザは覚えるの簡単だったと言っていたが。それに、ジュウザは、婆様みたいに厳しくないだろ?」
「ジュウザさんは、自身が感覚で直ぐに出来たお人だからな。俺が何で分からないのか、何に躓いているのかが、全く理解できないらしく……教わるのに本当に苦労したんだ」
「ふ~ん。そういう苦労も有るんだな」
鍵の守り人の資格を取得しているハクトにとっては迷路のような洞窟内も、迷うことは無く進んで行ける。二人が洞窟をズンズン進んでいると、低く長く獣の鳴き声が響いた。
ウゥォォォンッッッ~~~
「洞穴狼の遠吠えだ。珍しいな」
ユランの呑気な声をよそに、ハクトは直ぐに警戒体制に入る。
「気をつけろ。あれは、群れを呼び寄せる時の鳴き方だ」
「おい! あれ、誰か襲われてないか?」
ユランが岩場から見下ろし、離れた場所に何かを見つける。ハクトはユランの指した方を見ると、洞窟の下層部で一人の青年が洞穴狼と戦っているのが見えた。青年は危なげなく次々と仕留めていく。
「……やるな!」
「ハクト、あの岩陰にもう一人いる!」
岩陰に隠れて、小柄な人影が見える。ハクトはよく見ようと目を眇める。
「俺は……風穴兎に化かされてるんだろうか。あそこに、ラヴォーナ国のお姫様にそっくりな娘さんが見えるんだが、おいユラン、殴ってくれ」
ハクトは子供の頃、風穴兎に化かされた事があった為、自分が見ているものを疑った。ユランはそんなハクトの頬を容赦無くパシリッと叩く。
「イテッ!」
「うん~。幻覚じゃないみたいだな」
「あっ、まずいっ、お姫様が危ない!」
二人が呑気に会話を交わしている内に、青年と戦っていた内の一匹が岩陰の方に向かって行く。ハクトは考えるより先に、岩場を駆け降りて行った。ユランはその場で弓を構え狙いをつける。少し遠いがユランの腕ならば、この距離でも当てられる。
「くそっ! 間に合うか?」
ハクトが駆けつける前に、青年が石筍を折り取り投げつけ、お姫様に向かって行った洞穴狼をなんとか追い払う。ユランは念の為、風穴に逃げ込んだその洞穴狼に矢を打ち込み留めを刺した。青年はそのまま群れのリーダー格と戦い始めた。
(この様子だと、俺が手助けしなくても、大丈夫そうか?)
ハクトはいつでも矢を放てるように弓を構えて状況を見守った。青年は大きく踏み込み、小さなナイフで斬りかかるが、洞穴狼は跳躍してそれを躱す。青年は足場の悪さに体制を崩したのか、一瞬よろめく。
「危ない!」
パシュンッッ
ハクトは咄嗟に矢を放つ。ハクトの放った矢は洞穴狼の首を貫き、洞穴狼はドウッと大きな音を立てて横倒しになる。ハクトは体勢を崩したままの青年に駆け寄った。
「大丈夫か?」
青年は一瞬驚いた顔をしたが、立ち上がるとハクトに爽やかな笑顔を向けてきた。
「助かりました。ありがとうございます」
(おぉ! 笑顔が眩しい。えぇ、何コイツ、鍵の守り人? 嘘だろ~~っっ。騎士様か何かじゃねぇの? 格好良すぎだろ)
「……お前、鍵の守り人だな? 獣よけの香はどうした?」
「落として濡らしてしまって……」
(ちょっと困り顔もイケメンなんだが)
「そうか、災難だったな。予備を持ってるから、これを使え」
ハクトは荷物の中から、予備の黄色の香を取り出すと、青年に渡した。その様子を見ていたのだろう。岩陰に隠れていたお姫様が荷物を抱えてゆっくりと出て来た。
「どなたかは存じませんが、ラカを助けて頂きありがとうございました」
「(ファッ)!?」
突然の憧れのお姫様(本人)を目の前にして、ハクトの機能は停止した。いや、目はしっかりと機能している。白銀のお姫様に釘付けだ。
(えっ、喋ってる! 睫毛長! 瞳うるうる!)
「あの~、どうかされましたか?」
固まるハクトを心配そうに見上げるお姫様。
(可愛い、可愛い、可愛い、可愛い……)
そこでようやく崖を降り、ハクトに追いついたユランがやってくる。固まったまま動かないハクトを冷たい目で見つつ、青年らに声をかける。
「はい、はい、あんた達。外界に出るなら、ちんたらしてる暇は無いよ」
ユランはお姫様を見つめ続けて固まってしまったハクトの後ろ頭を叩く。
「お前もなに呆けてんだい、しっかりしな!」
バシリッッ!
大きな音が響く。ハクトは衝撃にハッとなって正気に戻ると、何とかお姫様から視線を逸らし、青年を見る。
「儀式が終わると、水が戻って来るぞ。急げ!」
丁寧に感謝を述べる青年とお姫様。二人が見えなくなるまでユランとハクトは見送った。
「ほら、ハクト。そろそろ行くぞ!」
二人は迷路のような通路を歩いていく。三番目の結界石を開錠し扉を潜ると、緑の香をたく。緑の香は強力な虫除けだ。これを焚いておかないと、なんの変哲もないように見える通路は気持ちの悪い地虫で埋め尽くされる事になる。先ほどの夢のような出来事を反芻しながらどこかフワフワとした心地で歩いていたハクトは我慢できずにユランに問いかけた。
「……なぁ、ユラン。なんでシロン姫様がこんな所にいたんだろう?」
「さぁな。けど、あの洞穴狼と戦っていた青年は鍵の守り人だったのだろう? ジュウザに聞けば分かるんじゃないか?」
「そうだな。急いで帰ろう!」
ハクトは急に意気揚々と歩き出した。
◇◇◇
巫女様の屋敷の奥の祭壇部屋に出たユランとハクトを迎えてくれたのはジュウザだった。
「次代巫女様、坊。久しぶりじゃな。よう帰ってきなさった」
「ジュウザさん、俺、もう成人しましたし、坊て歳じゃあないっすよ」
「カッカッカッ、いっぱしの口をきくようになったじゃないか」
「ジュウザ、風呂って入れる? とりあえず旅の汚れを落としたい」
「あぁ、準備しておるよ」
ユランは荷物を自分の部屋に置きに行くと、そのまま風呂へと向かった。ハクトはその場に残り、ジュウザに詰め寄った。
「あの、聞きたい事があって、俺の後に新しく鍵の守り人になった青年がいますよね? そんで、その青年と一緒に白銀の髪の娘さんがいませんでした?」
「ん? 嬢ちゃんと兄さんの事かい? 何で坊が知っとるんだ?」
「嬢ちゃんって、ラヴォーナ国のお姫様ですよね? 何で郷に居たんです?」
「ん〜嬢ちゃんはなぁ。半年程、家に住んどったんだが~ワシにもよく分からん。詳しくは巫女様に聞くとえぇ」
「何ですと! ジュウザさんの屋敷に? 後半年早く帰郷していれば……くぅっ」
ハクトはあるかも知れなかった憧れのお姫様との夢の同棲生活に思いを馳せ涙した。
「騒がしいね、ユランとハクトが帰ったのかい?」
二人の声を聞きつけて、祭壇部屋に巫女がやってくる。
「巫女様! どうか、どうかこの半年間のシロン姫様の全てを余す事なく俺に教えて下さい〜〜!」
ハクトがずずいっと巫女に詰め寄ると、巫女はため息をついて一喝する。
「帰って来るなり、何馬鹿なこと言ってんだい。先ずは、外界の報告が先だろうが!」
ハクトは帰るなり、巫女様のありがたい説教を三年ぶりに受ける羽目になった。