星降の儀式
弧空の民にとって、生活に欠かせない蒼輝石を作り出す“星降の儀式”が執り行われる日。郷長屋敷では、儀式に参加するジセイも、いつもとは違う一日の始まりを迎える。
普段よりも早い時刻に起床し、湯殿で体を清める。蒼月湖の精霊が嫌うとされている獣肉、魚類などの食材が一切使われていない、木の実等の五穀を料理した朝餉を食す。食事が終わった後は儀式用の身支度。いつもより更に重くて仰々しい青の衣が用意されていて、シュカを初めとした侍従数人がかりでの着付けが行われる。最初の時こそ時間がかかったものの、今ではすっかり手慣れたもので、あっという間に出来上がる。
「ジセイ様、きつい所はございませんか?」
「大丈夫だ」
「威厳に満ちた凛々しいお姿です」
子どもの頃から世話になっている年嵩の侍従達は、礼装姿のジセイを見て、嬉しそうに言う。
「お前たちが手早くしてくれるので、礼装を着ている時間が長くなるよ」
子どもの頃から窮屈な服を直ぐに脱ぎたがるジセイを知っている侍従達は、小さく笑う。ジセイは動きが制限される衣にげんなりしながらも、シロンがこの礼装姿を見たらどう思うか、少しばかり気になった。
(こんな姿を見たら、ますます畏まられそうだがな)
シロンが郷長屋敷に連れてこられたあの日以来、シロンには会いに行けていない。主な原因は仕事の忙しさだが、ジセイに対するシュカの監視が厳しくなったのも大きな要因のひとつだろう。その為、久しぶりにシロンに会えるかもしれないこの日を、数日前から心待ちにしていた事はシュカには秘密だ。
各郷の組頭を引き連れて、禁足の地へと向かう。星降の儀式が行われる蒼月湖の入口には、鍵の守り人であるジュウザが立ち一同を出迎える。ジュウザが結界石を解除し、奥の通路へと誘導する。通路を進んで行くと見えてくるのは、深く澄んだ蒼月湖に張り出すようにして造られた祭壇だ。
ジセイ達が用意された場所に着席すると、儀式用の衣を纏った巫女が静々と現れ、祭壇の中央に立つ。厳かな雰囲気の中星降の儀式は始まった。
星降りの始まりを告げる文言が唱えられると、ぽわぽわとした、いくつもの小さな光が集まって来て巫女を取り囲む。この光が湖の精霊だと言われているが、本当の所はジセイにも分からない。
巫女は続けて星降りの祝詞を唄うように紡いでいく。小さな光は巫女の周りをくるくる回りながら渦となり、天高く打ち上がる。天に留まった光は弾け、四方八方に散らばっていく。弾けて小さくなった光は次第に青く色付き、最後には発光しながら地上に降り注ぐ。
(何度見ても美しい光景だ)
ジセイは降り注ぐ青い星々を見つめ、最後の星が流れ終わるのを静かに見守った。
しばらく後、巫女が星降りの終わりを告げる文言を唱えると、祭壇のあちこちに、冷え固まった蒼輝石の結晶がコツンッコツンと音を立てながら落ちてくる。巫女は丁寧に一つ一つ拾い集めていく。
儀式の最後、ジセイの出番はここからだ。巫女から蒼輝石の結晶を粛々と受け取り、精霊への感謝の言葉と伴に供物を献げる。決められた手順と作法で蒼輝石の結晶を平等に分配し、各郷の組頭に下賜していく。組頭達は蒼輝石を受け取ると速やかに禁足の地を後にする。組頭達は各郷へ戻り、精霊の恵を届ける使者となるのだ。
今回も恙無く儀式が終わり、禁足の地から外に出たジセイは、儀式用の衣の襟を少し緩める。ジュウザに案内されて、鍵の守り人の屋敷に用意された昼食を食べた後、ようやく一息つく。
この後、巫女より、今回の儀式で得られた蒼輝石についての形式的な報告を受けることになる。ジュウザが入れてくれたお茶を飲みながら、屋敷内を何とはなしに見渡す。今日の給仕はシロンかラカが担当するだろうと当たりをつけていたジセイ。残念ながら、予想は外れたようだ。
(おかしいな、どこにもシロンの気配が無い)
「薬師見習いは今日は不在か?」
巫女から蒼輝石の報告を受けた後、ジセイはさり気なさを装って尋ねてみた。お茶を飲んでいた巫女は、湯呑みを置くと。天気の話でもするようにさらりと答える。
「二人はもうここには居ないよ」
(居ない?)
「三の郷に戻ったのか?」
ジセイは、それならば、今度こそ専属薬師としてシロンを召し上げようと即座に考えを巡らせる。けれど、それに対する巫女の返事はジセイが期待するものでは無かった。
「鳥は空に、魚は水に、有るべきものが、有るべき場所に帰っただけさ」
巫女が口にした謎めいた言葉。
「……それはどういう事だ?」
巫女は立ち上がるとジセイに付いてくるように言う。ジセイは素直に従ったが、巫女の様子に不穏なものを感じていた。
巫女がジセイを連れてやってきたのは、先ほど儀式が終わったばかりの蒼月湖へと向かう入口。予め伝えていたのか、巫女が目線を送ると、ジュウザは何も聞かずに結界石の解錠をする。ここから先は従者は入ることが出来ない。ジセイはシュカ達に屋敷で待つように告げると、入口をくぐった。巫女は振り向くことなく、通路をどんどん先に進んで行く。ジセイは急いで巫女の後ろ姿を追った。
儀式が終わって静寂が戻った蒼月湖。鏡のような湖面には、弧空の月が明るく浮かぶ。
(完全な人払いをしないと話せないような事なのか?)
巫女はゆっくりと振り返ると、ジセイを諭すように話した。
「ジセイ様、さっきも言ったが、シロンとラカは既に郷には居ない。あの二人の事は、忘れる事だね」
「何……だと? 巫女よ、はっきりと申せ! 薬師見習いは、シロンはどこに行ったと言うのだ?」
巫女はスッと天を指す。
「弧空の月さ」
「月? 巫女、何を言って……」
「ジセイ様も、気がついていたのだろう? 郷の者とは思えない、あの二人の違和感に。だから気になっていたんじゃないのかい?」
「それは……」
ジセイはどういう事なんだと、巫女を問い詰めたくなる。けれど、巫女の真剣な表情を前にして、言葉に詰まった。真実を知ってしまったら、手に入れられるはずだった全てを失ってしまうのではないかという不安が、ぶわりと湧き上がってくる。
巫女は、湖の畔に視線を落とす。
「私があの二人を最初に見つけたのは、“ここ”だった。郷の者に知られずに月に帰すつもりだったんだがね。ジセイ様はあろう事か、あの子を見つけてしまった」
ジセイは巫女の言葉にコクリと息を呑む。
「ジセイ様、あんたが恋したのは蒼月湖に映った月の影だよ。目の前に有るように見えても、その手に掴むことが出来ないもの」
ジセイは湖に映る月を睨みつける。
「巫女よ……本当に、月から来て、月に帰ったというのか?……そんなお伽話のような話、私は信じないぞ」
低く平坦な声でジセイは静かに呟く。
「ジセイ様が信じようが、信じまいが、私はただ、事実を話したのみさ」
「そんな、嘘だ……嘘だと言ってくれ巫女よ! シロンには、二度と会えないのか?」
ジセイの悲痛な叫び声が蒼月湖に虚しく響く。
「最初に言っただろう、“忘れる事”だと。あれは、風穴兎が見せた幻夢だったのさ……」
巫女は愕然とするジセイに、慰めるでもなく、淡々と告げた。