シュカの注告
その日、郷長ジセイの筆頭侍従であるシュカは、朝から組頭の会合準備に忙しくしていた。今回の会合で話し合われる数々の議題について、少しでもジセイの仕事が潤滑に進むように、一癖も二癖もある組頭連中を納得させるだけの資料を揃えたつもりだ。
各郷の組頭が続々到着し、挨拶を交わして出迎えるのはシュカの役目。軽い近況報告を交わしながら会合の場所まで案内する。シュカは会合場所に一堂に会した組頭を見渡す。
(全員揃ったな。若干体調がすぐれなさそうな三の郷の組頭が気にかかるが……)
シュカは従者を呼ぶと、別室で執務を行っているジセイに組頭が揃った事を伝えるよう指示を出す。間も無くして会合の開始時刻となったが、何故かジセイは現れず、ジセイを呼びに行かせた従者が慌てて戻って来る。
「ジセイ様は所用の為、少し遅れるとのことです!」
(所用で遅れる? アイツは~! こんな大事な日にっっ)
乳兄弟の予定にない行動にシュカは怒り心頭だ。従者に所用の詳細を尋ねるも、どうも要領を得ない。シュカは仕方なく組頭達に謝罪すると、席を外して自らジセイを呼びに行くことにした。廊下を急いでいると、前方から何やら揉めているらしい数人の声が聞こえて来る。
「ほら、来るんだ!」
「用は済んだ、お前はさっさと帰るんだ!」
「そんな訳にはいかない。妹をお返しください!」
そこには、屈強な従者三人に囲まれながらも、怯まず何かを抗議している青年の姿があった。
「何事です、騒がしい。ここで何をしているんです!」
「シュカ様、申し訳ありません。この部外者を、直ぐにここから連れ出しますので」
従者達は青年を捉えようと手を伸ばすが、青年はそれをするりと躱す。従者が次々に繰り出す腕を最小限の動きでするする躱すと、シュカの前に立つ。
「貴方はここの責任者か?」
見るからに只者ではない雰囲気の見知らぬ青年に、シュカは背筋を正す。
「私はシュカ、郷長の筆頭侍従です。それで、貴方はどなたですか? 何を騒いでいたのです?」
「私は薬師見習いのラカ。妹が、本人の意思を無視して“高貴なお方の侍女にする”と連れて行かれた。何卒、シロンをお返し頂きたい」
シュカの目をひたと見据え、感情を押し殺した声で淡々と告げるラカ青年。けれどその眼差しは、今にも切れそうな鋭利な刃物のようだった。
「なるほど……貴方達は仕事に戻りなさい。詳細は後ほど聞かせて貰います」
シュカは後ろに控えていた従者達に指示を出すと、今一度ラカを見る。
「妹さんが連れて行かれた場所に、少々心当たりがあります。付いて来なさい」
通路をしばらく行くと、従者の控え室のような場所にたどり着く。
「ここから先は、限られた者しか入れない区域となっています。妹さんが心配でしょうが、すぐ戻りますので、貴方はここで待っていなさい」
ラカはシュカの言葉に従った。
◇◇◇
シュカはジセイの私室に着くと容赦なく扉を叩いて返事を待たずに押し入った。案の定、寝台には今にも食べられてしまいそうなプルプル震える仔兎の姿。
(道理で、最近やたらと“兎”を狩りに行きたがると思ったら……そう言う事でしたか)
このままでは、仕事を放り出しかねないジセイを叱りつけ、会合に送り出す。その後、まだ何処か心ここにあらずな娘に声をかける。
「さぁ、気を確かにお持ちなさい。お兄さんが心配していますよ」
「お兄さま?」
「えぇ、ラカでしたか? 貴女が戻らないと、ここまで殴り込んで来そうな勢いです。すみませんが待合場所まで移動していただけますか?」
「……はい」
ラカの待つ控え室までの通路を歩きながら、シュカはシロンを観察する。
(凜とした品のある佇まい、美しい容姿に理知的な瞳。とても唯の薬師見習いには見えないな。何より庇護欲をくすぐる感じ、あの方がいかにも好みそうだ……)
「シロンと言いましたか? 今回はギリギリで間に合いましたが、主人が本気になれば貴女など、どうとでも出来るんです。今後、いくら郷長に呼ばれたからと言って、不用意に男の寝所を訪ねてはいけませんよ」
「……はい。申し訳ありませんでした」
「私に謝られてもね……どうも貴女は危うく感じます。さぁ、着きましたよ」
シュカがシロンに入室を促すと、待ちかねていたようにラカがシロンに駆け寄る。
「何もされなかったか?」
ラカはその場にしゃがんで、心配そうにシロンを覗き込む。
「ふっ、うぅっ……」
ラカの顔を見た途端に、シロンの瞳からは涙が溢れ出した。
「誰に泣かされた?」
「ラカ……わたし……ぅっ……」
ラカは、泣きじゃくるシロンをそっと抱き上げる。宥めるように優しく背中を撫で続ける。
「もう大丈夫、安心していいから」
しばらくするとシロンは泣きつかれた子供のようにラカの腕の中でコトンと眠ってしまった。
(……なるほど、なぜ娘さんが男性に対して警戒心が薄いのか、おおよそ理解しました)
いつも当たり前の様に行われているであろう行動の自然さ、兄妹の絆の深さを見せつけられたシュカは、他人事ながら心配になった。
ラカはようやくシュカが居る事を思い出したように感謝を述べる。
「シュカ様、妹を助けて頂いてありがとうございました。妹に何があったのでしょう?」
「うちの主がお宅のお嬢様に少々意地悪をいたしましてね。それで泣かせてしまった様です」
シュカは色々ぼかしてラカに伝えた。ラカは不可解な顔をして問い返す。
「意地悪とは?」
「みなまで言わせる気ですか? 察しなさい」
「妹は……あんたの主人に手を出されたってことですか?」
ラカの声が一段と低く険しくなる。
「大丈夫、未遂です。すぐに止めましたので」
「……そうですか」
ラカの尖った気配がふっと霧散する。シュカは感情を押さえきれていない青年に一つ注告する。
「そもそも、あなたの保護者としての教育不足も原因ですよ。成り行きで仕方がなかったとはいえ、男の部屋に女が一人で訪れる危険性を、もう少しきっちり初心な娘さんに教えてさしあげてはいかがですか? 大切に箱に仕舞い込んでいるだけが守る事ではありませんよ。その方法では貴方の知らない間にいつか宝は盗まれてしまうでしょう」
「ご注告には感謝する……」
ラカは思い当たる節があるのか、苦い顔をする。余計な事とは思いつつ、シュカは念の為もう一つ釘を刺しておいた。
「それと、できれば今後、妹さんには主人に近づかないで頂きたい。主人は許嫁との婚儀を控えた大事な時期ですので」
「言われなくても……そっちも、妹に近づかないように、ご主人様をしっかり見張っておいて下さいよ!」
最後のラカの台詞は、完全に感情を剥き出しにしたもので、鎧で固めたラカの本当の姿を垣間見た気がしたシュカだった。