ヒワの画策
自室で花を生けていたツユはヒワの言葉を鸚鵡返しにする。
「薬師見習い?」
「はい、ジセイ様が近頃気にかけている者のようです」
パチンッ 静かな室内にツユが茎を切り落とした鋏の音だけがやけに大きく響く。
「そう、それで?」
特に気にした様子を見せないツユは、次の花を手に持つと、生ける位置を定めながらヒワに話の続きを促した。ヒワは事の大事が分かっていなさそうな主人に少しの苛立ちを感じながら言い募る。
「ツユ様以外の女人を気に掛けられるなど、お辞め頂くようにジセイ様にご進言なされませ。婚儀も間近に迫っておりますのに、ツユ様に対して不義理でございます」
ヒワの不機嫌さが滲み出る言葉にもツユは動じなかった。但し、自分の侍女であるヒワが夫になるジセイを非難するのは違う。
「ジセイ様の為さることに異を唱えるなど、出すぎたことです」
ツユは手を止め、ヒワの目をしっかりと見据えて釘を刺す。ヒワは主人の言葉に一瞬ひるんだものの、まだ納得できていないのか自論を唱える。
「……しかし、やはりジセイ様の愛情はツユ様お一人が受けてしかるべきです」
ツユは鋏を置くと、ヒワに向き合った。
「ヒワ、それは違うわ。お母様はおっしゃいました。『殿方は蝶のようなもの、花から花へ別の蜜も味わいたくなる生き物である』と、そして『無理に捕まえず、甘い蜜を用意して羽根を休める場所は此処なのだと常に示す事』が肝要なのです」
「確かに殿方にはそういった側面もございましょうが、それは正式に婚儀を上げた後の話でございますよ」
ヒワは箱入りで世間知らずの主人に何処から話せば、危機感を持って貰えるのかを考える。
「ヒワの話は分かりました。私はジセイ様の妻となる者。ジセイ様がお喜びになるのなら、お気に入りの薬師見習い一人ぐらい、召し上げるのは構わないわ」
ツユは薬師見習いなど大した問題では無いと断じた。ヒワはそれを聞いて画策する。
「ツユ様、名案でございます! ツユ様の侍女に召し上げてしまえばよろしいのですわ」
(万が一、後にジセイ様のお手がついたとしても、身分はツユ様の侍女。正室としてのツユ様の立場を脅かす事にはならないでしょう)
「そう、それではその様に」
ツユは綺麗に微笑むと、話は終わったとばかりに、鋏を手に取り再び花器に向かう。
ヒワは早速、薬師見習いの情報を持ってきた侍従を呼び出し薬師見習いを連れてくるように命じるのだった。
◇◇◇
「頼もう!」
ジュウザの屋敷に、予定にない客が訪れた。
「申し訳ありませんが、ジュウザさんは巫女様の屋敷に行っておいでですよ」
ラカが対応に出ると、客である恰幅のいい男は、ジロジロと値踏みするようにラカを見てきた。
「お前は?」
「失礼しました。私は、ジュウザさんを手伝って下働きの様な事をしている者です」
「ふ~ん、そうか」
男の明らかに見下すような視線に、ラカは城で昔絡まれていた貴族連中を思い出して辟易とする。
「それで、あなた様は? ご用件は何でしょうか? 伝言があればお伝えいたしますが、ジュウザさんに直接ご用があるようでしたら、日を改められた方がよろしいかと」
ラカは会話を交わすのも面倒に感じて、返答を待たずに一気にしゃべりきる。
「いやそうではない。私は、とある高貴なお方より依頼を受け、薬師見習いを郷長屋敷にお連れするようにと承り参った者だ」
男は自分が頼まれたのは名誉な事だ、とでも言うように胸を張った。
「それで、高貴なお方のご用とはなんです?」
「それは行けば分かる。お前が知る必要のない事だ。さぁ、早く薬師見習いを連れて参れ」
(参ったな~、怪しさしかないんだが。郷長屋敷にって事は、高貴なお方ってのは郷長? それとも別の誰かか。何とか追い帰せないかな~)
「……コホン、私がその薬師見習いです」
「はぁ? 何を、女人と聞いているぞ! それにさっき下働きだと申したではないか!」
「今は手伝いで下働きをしておりますが、私は確かに三の郷出身の薬師見習いです。三の郷にお問い合わせ頂いても構いませんよ」
「何だと?! ぬぅぅっ……」
「本当にここにいる薬師見習いで合っているのか、一度戻られて再確認された方がよろしいのではありませんか? 何かの手違いで、違う場所の薬師見習いだったという事はありませんか? もし間違っていたら、貴方様が高貴なお方より不況を買う事になりかねませんし……」
「うむ……」
ラカは男の不安を煽って言いくるめにかかる。男はどんどん自信を無くしているようだ。ラカはもう少しで諦めそうな男に追い打ちを掛けようとした時、シロンが玄関に顔を覗かせた。
「ラカ、お客様は上がられないの? お茶の準備が出来ているけれど」
(姫さんっっっ!!! その気遣い、今は要らないから~)
ラカは平静を保ちながらも、心の中では涙を流して叫ぶ。男はシロンに気付くとパァ~と顔を明るくする。
「今のは、もしかして薬師見習いか? やはり居るのではないかっ!」
「あぁ~、あれは私の妹です。妹にご用でしたか?」
ラカはしれっと嘯いた。
結局、ラカとシロンは仕方なく、侍従に連れられて郷長屋敷に向かった。
「姫さん、何があるか分かりません。気を引き締めて行きましょう」
「そうね、三の郷の薬師見習いに相応しい態度を心がけるわ」
二人は小さな声で話し合う。
郷長の屋敷に着くと、通されたのはさほど広くない落ち着いた感じの部屋。しばらく待っていると、身なりの良い年嵩の女が部屋に入ってきて、シロンを一瞥した。
「貴女が薬師見習いかしら?」
「はい。シロンと申します」
シロンが礼をすると、年嵩の女は不躾なほど、じっくりとシロンを観察した。
「まぁ、いいでしょう。薬師見習いのシロン、光栄に思いなさい。ジセイ様の許嫁であるツユ様のご温情によって、貴女を侍女に召し上げる事になりました」
何かに納得した様子で一つ頷くと、年嵩の女は勿体ぶった口調で威丈高にシロンに告げる。突然の話にシロンはポカンとし、ラカは笑顔を貼り付けたまま、すぐに反応する。
「侍女とは、何のお話でしょうか?」
今初めてラカの存在に気がついたように女はラカの方を見た。
「おや、お前は誰? 私は薬師見習いを呼ぶようにと伝えたはずだけど」
「シロンの兄のラカと申します。私も薬師見習いです」
「そう、妹のおこぼれに預かる魂胆だったのかしら? 残念だけど、お前には用は無いわ。出て行きなさい!」
女は、取り付く島もないほどぴしゃりと告げると、従者を呼んでラカを部屋から追い出す。抵抗するラカが部屋から連れ出されていったのを見送ると、シロンに改めて告げた。
「私はツユ様の筆頭侍女のヒワよ。貴女の事はこの私自らが、どこに出しても恥ずかしく無い侍女として鍛えて上げましょう!」
なぜそんな話になったのか分からないシロンは、とにかくヒワの誤解を解かねばと正直に答える。
「ヒワ様……申し訳ありませんが、私は侍女に成るつもりはありません」
シロンの言葉に、ヒワは目を大きく見開き、信じられないモノを見るような目をむける。
「なんですって! 聞き間違いかしら、侍女に成るつもりが無いと?」
ヒワは感情を抑えた声でシロンにもう一度質問する。
「はい、せっかくのお話ですが、お断りいたします」
シロンがきっぱりと断ると、ヒワの声は一段と高くなった。
「……まさか、貴女。自分が正室になれると、そうお思いなの!?」
シロンは身に覚えのない話に戸惑う。
「ヒワ様が何を仰りたいのか、私には分かりません」
ヒワは一層早口になって、キンキンとした声で叫び出す。
「まぁ、白々しい! ジセイ様のご寵愛を一番に得ているのは自分だとでも勘違いしているのかしら? はっきり申しますわよ。ジセイ様のご寵愛はツユ様のものです!!」
「……」
シロンはヒワの剣幕に思わず閉口する。その様子にヒワは得たりと、急に優しい猫なで声で語りかけてくる。
「答えられないと言うことは図星ね。甘い考えはお捨てなさい。ツユ様の侍女になればこそ、ジセイ様のお側にも上がれるというもの。……さっきの台詞は聞かなかった事にしてあげます。素直にツユ様の侍女におなりなさい」
ヒワの話を静かに聞いていたシロンは、今度こそきちんと伝わるように思いはっきりと答えた。
「私は、ツユ様の侍女にはなりませんし、ツユ様とご寵愛を競う気も元からありません」
シロンの答えに、ヒワはワナワナと震える。怒りを我慢しているらしく、見る間に顔が紅潮していった。