ジセイの獲物
夕方、ジュウザの屋敷に帰ったシロンとラカは、薬草採集の途中で出会った狩り人のことをジュウザに話した。
「青い衣を着た狩り人? あぁ~会ってしまったか~。こりゃ巫女様にも報告せにゃならん」
ジュウザが慌てて報告に行くと、巫女はジュウザの屋敷にやってきた。
「話は聞いたよ。私たちには当たり前のこと過ぎてすっかり失念していたね、ここでは青い衣は特別な意味を持つんだ。最初に伝えておくべきだった……失敗したよ」
「青い衣の意味とは何ですか?」
「青い衣を身につけているのは、弧空の民の中では一人だけ。あんた達が会ったのは、郷長のジセイ様だ」
「弧空の民のトップ!? 俺、もの凄い不敬な態度とったかも……」
「私も誰かと尋ねてしまいました……だからあの時、あの方は笑っていたんですね」
(笑っていた? まずいね、これは完全に興味を持たれたよ)
巫女は子供の時から知るジセイの性格をよく把握していた。
「終わってしまった事はどうしようもない。前に話した通り、あんた達は外界の事は漏らさない。それだけは守っておくれ」
「はい、肝に銘じます」
「すみません、もっと気をつけます」
「まぁ、長も忙しい方だからね。そうそうあんた達の事ばかりにかまけてる暇も無いだろうけれど」
(……まさかね)
巫女は自分が言った言葉にふと嫌な予感がよぎったが、その考えを即座に打ち消した。
◇◇◇
一方青い衣の狩り人ことジセイは、予定にない狩りを楽しんだ分の仕事に追われていた。自身の執務室に入ってまず最初に目に入って来た光景に思わず仰け反る。積み重なる書簡の山にげんなりしながら手を伸ばす。
「シュカ、この書簡の量はどうしたことだ? たった一日の事だろう」
「自業自得ですよ。視察時に本来できるはずだった根回しの分です。頑張ってください」
「……仕方が無いな。さっさと終わらせるぞ」
ジセイは席に着くと、書簡を次々に処理し始める。
「おや、珍しい。文句の一つも受け止める心づもりでしたが?」
「こんなつまらぬ仕事はさっさと終わらせて、風穴兎を狩る時間を作るのだ」
口ではつまらぬ仕事と言いつつも、正確にきっちりと仕事をこなしていくジセイ。
「そんなに風穴兎を捕まえたかったのですか? でしたら、一の郷に生きたまま捕えて献上するように申しつけましょう」
ジセイが風穴兎の“幻惑を見せる”、“人を化かす”という部分に興味をもったのだろうと判断したシュカは献上の提案をする。
「いや、それはいい。あれは、自分で捕らえるのが面白い」
ジセイはフルフル震える白銀の兎を思い出して笑う。
(シウには悪いが、あの兎を手中に捕らえるまでは邪魔が入らないように極秘裏に事を運ぶとしよう)
ジセイはシロンとの出会いを誰にも話していなかった。自身が幻惑と疑った件が気まずかったのもあるが、何より、こんな面白そうな事を、郷長という立場からくる煩わしさに邪魔されたくなかった。
「分かりました。では、狩りに行けるように、キリキリと働いてください」
シュカは容赦なく追加分をどさりと書簡の山に足した。
◇◇◇
ジセイが狩りの時間を捻出できたのはそれから数日経ってから。いつものように鈴鳴石を身につけたジセイはシュカと離れて狩りに向かう。
「さて、兎は住処にいるであろうか」
ジセイは狩場に向かう程でジュウザの屋敷の裏へと回る。前回使ったのと同じ木に登って屋敷の様子を探る。
「ラカ、私は表で薬草を干しているわね」
「じゃあ、ジュウザさんと裏の畑にいますから、何かあったら呼んでください」
「分かったわ」
縁側に籠を手に持ったシロンが出てくると、縁側に布を敷き、その上に薬草が重ならないように丁寧に並べていく。しばらくその様子を見守っていたジセイだが、ラカとジュウザの気配が屋敷から遠のいたのを確認すると、塀を乗り越え、屋敷内へと侵入する。作業をするシロンの後ろに立ち声をかけた。
「それは何をしているのだ?」
「きゃっ!」
急に声をかけられたシロンは驚いて、手に持っていた籠を落としてしまう。
「あっ、薬草が!」
ジセイは散らばった薬草を拾い集め籠に戻すとシロンに手渡した。
「驚かせて悪かった」
「貴方様は、この間の……」
シロンは急に声をかけてきた主が郷長と知ると、畏まった。
「先日は、郷長とは存じ上げず、大変失礼をいたしました」
「なんだ、青の衣の意味を知ったか。気にするな、それに今は見ての通りただの狩り人だ」
本日、お忍び中のジセイは青い衣は身につけていない。
「ですが……」
「不敬は問わないということだ。気を楽にしろ」
「……はい。本日はジュウザさんにご用ですか?」
シロンはジュウザを呼びに行くべきか、先に部屋に通してお茶を用意するべきかを悩む。
「いや、お前に会いに来た」
「えっ?」
ジセイは揶揄う風でもなくさらりと言う。
「ジュウザの腰はもう良くなったのだろう? シロン、私の元に来ないか? なんなら、兄と一緒でも構わぬ」
「どういう事でしょう……」
シロンはジセイのあまりに急な提案に返事に困る。
「初めて見た時から、お前は私の理想の女だと感じた。この銀の髪も、その瞳も美しいと思う。リンとした佇まいも好きだ」
「……あの、急にそんな事を仰られても。……私、お茶を入れて来ます」
「待て」
ジセイは屋敷に逃げ込もうとするシロンの手をとる。
「返事は直ぐでなくとも良い。だが、逃げられると追いたくなるものだ」
シロンはグイッと手を引かれ、バランスを崩す。ふわっと浮き上がったと思ったら、次の瞬間にはジセイの逞しい腕に抱きしめられていた。びっくりしたシロンは赤くなってジセイの顔を見上げる。ジセイはふっと微笑むと、その薄い唇で素早くシロンの唇を啄ばんだ。
「……!? なっ、何を!」
「なんだ、口付けは初めてだったか?」
シロンはピートのことが一瞬、頭をよぎる。
「今、誰の事を思ったんだ? まぁいい。そんな記憶など私が塗りかえてやろう」
「!?」
ジセイはシロンの唇をスルリと撫でると獲物を追い詰めるような悪い顔でニヤリと笑った。息も絶え絶えに、全身真っ赤に染まったシロンをじっくりと見つめる。
「ふむっ。これは仕込み甲斐がありそうだな」
「しこみっ……そんな機会は今後一切ありませんから! お離しください」
ジセイがさらに獲物を追い詰めようとシロンの頬に手をかけた時、ジセイの鈴鳴石が時刻を告げる。
「残念だが、時間切れだ。シロン、この続きはまた今度……」
ジセイはシロンを解放する。と同時にシロンは、その場から走って逃げだした。
「失礼します!」
「……ふむ、脱兎のごとく逃げていったな。少々いじめすぎたか?」
可愛い兎の後ろ姿を見送ってジセイは笑った。
「初心な兎を捉えるには、細心の注意が必要そうだ。さて、どのような罠を仕掛けてやろうか」
ジセイは楽しい策略に思いを馳せながら、シュカとの待ち合わせ場所へと戻って行った。
シロンは、畑仕事を手伝うラカの後ろ姿を見つけると、勢いよく飛び込んだ。
「ラカ~っっ!」
「どわぁっ姫さん?!」
タックルをかまされたラカは何とか踏みとどまると、背中にくっつくシロンを振り返る。
「どうした?」
「ちょっと心の安寧を図りたくて……はぁ~、ラカの匂い落ち着く」
「そうか? 汗臭いだけだろ」
ラカは手に持っていた収穫物の詰まった籠を地面に置いて、ぽんぽんと後ろ手にシロンの背中を撫でた。