風穴兎とジセイ
薬師見習い不在で、思いの外ジュウザの見舞いが早く終わってしまい、夜行鳥が飛び立つ時刻までは、まだかなりの時間がある。ジセイはどうしたものかと若衆に声をかける。
「それならば、夕刻まで、この辺りで狩りをするのはいかがでしょう?」
一の郷の若者が提案すると満場一致で狩りを行う事に決定した。
「この辺りでは何が獲れる?」
「藪鼠か、風穴兎でしょうか?」
「藪鼠は土に潜るからな、短時間で見つけるのは難しい」
「風穴兎は今まで、狩る機会がなかったのだが、どんな感じだ?」
「罠でとる方法もありますが、茂みに隠れているのを追いたてて、弓で狙うのが主流でしょうか」
「とにかくすばしっこいので、茂みから出てきた一瞬が勝負ですね」
この辺りで狩りをしたことがない若衆が、経験者に助言を求めている。ジセイも風穴兎は狩った事がなかったので、助言の内容をしっかりと心に留めた。
民の中で一番風穴兎を狩っているであろう一の郷の若者が、風穴兎の興味深い話を語る。
「風穴兎といえば、命の危険を感じると、臭線から体液を噴霧して幻惑を見せると言われていまして、一の郷では風穴兎に化かされて酷い目に会ったという昔話がいくつかあります」
「ほう、それはどんな話だ?」
ジセイは面白そうな話にまんまと食いついた。
「例えば、風穴兎を追い詰めた先で理想の女に遭遇したとか。女は男を誘い、男がいざ事に及ぼうとすると幻惑が解けて、男は真っ裸のまんま野っ原に一人取り残されている……なんて笑い話です」
「興味深いな、それは是非とも風穴兎を捕らえよう!」
ジセイは俄然やる気になった。
シュカはそんなジセイの様子に苦笑いしつつ、懐から鈴鳴石の飾り紐を人数分取り出し、ジセイと若衆に渡していく。
「半刻で一回、一刻で二回鳴らします。二回鳴ったらこの場所に戻って来て下さい」
九人の青年達は、額に飾り紐を装着すると、それぞれに風穴兎を求めて、茂みに散っていった。
ジセイは、言われた通りに風穴兎が居そうな茂みを探った。何回目かで、白いフワフワの風穴兎が茂みから跳び出してくる。弓矢を放つが、風穴兎の前脚を擦っただけで、仕留めるには至らなかった。
茂みに逃げ込んだ風穴兎を追って、茂った葉をかき分け進むと、そこには美しい娘が現れる。
『理想の女』……一の郷の若者の言葉がジセイの頭を埋め尽くす。
ジセイが弓を構えているのが怖いのだろうか、ふるふると震える様が庇護欲を掻き立てられる。白銀の髪が風に靡いてキラキラ輝く。
(これは、現実か?)
「お前は人間か? 風穴兎が人に化けたか?」
ジセイが問いかけると娘はキョトンとする。その表情も愛らしく、ジセイはやはり幻ではないかと疑う。弓を下ろして、娘に近づくと、実在するのかを確かめた。
「ふむ、獣の耳は無いようだな。人間で間違いないようだ」
(理想を絵に描いたような娘が現実にいるものだな……)
ジセイは娘のピンクグレーの瞳をじっと見つめた。
「あの……」
娘が怯えたような声でジセイに話しかけてくる。
(……座ったままだと冷えるだろう)
ジセイは娘に手を差し出す。
「驚かせてすまない。大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
娘のほっそりとした手を引き、立ち上がらせる。立ち姿も楚々としていて、ジセイは好ましく思った。
「風穴兎を狩っていたんだが、仕留め損なってな、追いかけてきたんだ」
言い訳の様な台詞。娘を幻惑として疑った事が、少々気恥ずかしくなってくる。
「……そうですか」
娘はジセイの言葉を気にする風でもなく、遠くの茂みを見やった。視線がそれた途端、ジセイは娘の注意を自分に向けたい気持ちになる。
「ところで、こんな場所で何をしている?」
「私は……見ての通り、薬草を摘んでいるところです」
確かに、娘が持つ籠には白い花弁が詰め込まれている。
「薬草? もしかして、ジュウザの所の薬師見習いか? 確かシロンだったか」
ジセイの中で情報が一つに結びつく。
(こんな所で会えるとはな。確かに成人少し前の年齢に間違いないようだ)
「……はい。貴方様は? ジュウザさんのお知り合いの方ですか?」
「はははっ、私か? 私はただの狩り人だ」
ジセイは思わず笑った。
今日の見舞いは郷長としての公式訪問だったので、ジセイは全身青尽くめで、誰が見ても郷長と一目で分かる服装だ。
(この姿で、誰かと問われたのは初めてかも知れないな。民の全てに自分の存在を知られていると思っていたが、些か傲慢な考えだったのかもしれない)
ジセイは娘を四方八方から観察する。
(それにしても、美しい娘だ。光沢のある白銀の髪。瑠璃色の鳥の少女に似た面影。もしかして、あの少女の血縁者か?)
「お前に妹はいるか?」
「妹? いえ」
「ここには、お前一人で来ているのか?」
「……近くに兄がおります」
「そうか。では、もしかして……お前があの時の」
ジセイがあの日に見た少女が今目の前にいる娘ではないのか? と、確信めいたものを感じた時、娘の姿がジセイの前からふっと消える。
「うちの妹が何か?」
何かしら鍛えていそうな体躯の男がジセイの前に立ち塞がる。
「ラカ!」
娘の声色が明らかに親しい者に向けたものへと変わる。
「なるほど、お前が兄のラカか」
(あまり似ておらぬな……近くに来るまで気配を感じさせなかったが、何者だ?)
ジセイはシロンを背中に隠して張り詰めているラカを観察する。
リンリン
その時、額の鈴鳴石が集合の時刻を知らせる。
「……時間切れか、では又な!」
ジセイはシロンに視線を送るとその場を立ち去った。
若衆と合流したジセイは、夜行鳥狩りを行い、多くの獲物を手にした。
「これだけあればいいだろう」
「ジセイ様、本日はお誘いありがとうございました。家人も喜びます」
「なぁに、次は大蜥蜴狩りにも行こうぞ」
「はい、是非お供させて下さい」
ジセイと若衆は帰途に着いた。