閑話 ツユの話
組頭の娘として生まれ落ちた瞬間から、ツユの将来は定められた。
「よくやった、これで我が六の郷からも長の許嫁が立てられる!」
「長年後回しにされてきた、六の郷の意見も、通りやすくなる」
ツユの誕生は、盛大に祝われ、六の郷全ての民から祝福を受けた。
「ツユ、お前は将来、郷長の妻として立派に役目を果たさねばならぬ。長を立て、決して出しゃばってはならぬ。どんなときも笑顔を忘れず、長の意見には従順にしたがうのだぞ」
「ツユ、危険なことはおやめなさい。長に嫁ぐその日まで、その体には傷一つもつけてはいけませんよ。長に愛される為には、美しく、清らかであらねばなりません」
優しい父と母は、ツユが幸せになれるように大事なことをたくさん教えてくれた。
ツユは生まれた時から次代の郷長の嫁として育てられた。ジセイが次代の郷長に決定したのは、ツユが生まれる前のことで、三歳年上のジセイとは、“組頭の娘の中で長と一番年の近い娘”として生まれ落ちた瞬間に許嫁と取り決められた。
ツユの体が子を産めるようになった九歳の時、ようやく許嫁であるジセイに目通りが叶った。
「お前がツユか?」
「はい、ツユでございます」
ツユはジセイに向かって美しく微笑んで見せた。
「そうか。お前は何が好きだ?」
「ジセイ様のお好きなものは何でも好きでございます」
「ふ〜ん。では、大蜥蜴狩りはどうだ?」
「はい、好きでございます」
「では、一緒に行くか?」
「はい」
その日、ツユはジセイに男の子達がよく行くという大蜥蜴狩りに誘われた。ジセイが好きだと言ったので、自分も好きだと答えた。ジセイが一緒に行くかと誘ってくれたので、はいと答えた。ただそれだけの事だった。ツユにとっては当たり前の事で、大蜥蜴狩りがどういったものなのか知る必要はなかった。
ジセイは大人達の目をかいくぐって、大蜥蜴のいる地階の水場に連れて行ってくれた。一緒に来ていた男の子達は、早速慣れた手つきで弓をつがえると、蜥蜴を狙う。
ツユはといえば……そんな場所に来たのも、蜥蜴と言うものを見るのも初めての事だった。ツユは水場のそばでただ微笑んでジセイを見ていた。
じっと水場近くで動かないツユは、大蜥蜴に餌認定されてしまう。大きな口が自分を丸呑みしようと近づいてきたが、その大きさに身がすくんで声も上げられず、一歩も動けなかった。
噛り付かれる寸前で、ジセイの放った弓矢が大蜥蜴の眉間に見事に刺さった。ツユの目の前で大蜥蜴はもんどりうって倒れていく。弓矢が刺さった眉間からは生臭い血飛沫が飛び散り、ツユの頬を濡らした。
ジセイが慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
「はい」
ツユは大蜥蜴の血に濡れた顔に穏やかな笑顔を浮かべた。
子ども達を追いかけて、大人達が慌ててやってくる。ツユの侍女であるヒワは、大蜥蜴の血に汚れたツユの顔を見ると同時に悲鳴を上げ、卒倒した。ジセイは従者のシュカにお小言を言われてしぶしぶツユに謝った。
初対面から四年後、先代が引退し、ジセイが正式に郷長を継いだのを期に、居住区は違うものの同じ殿舎で暮らし始めた。その日から毎日、ジセイと朝食を共にするのがツユの日課となっている。
「変わりはないか?」
「はい」
「そうか、今日もつつがなく過ごせ」
「ありがとうございます」
毎日交わされる会話はたったそれだけ。けれどツユはジセイと過ごす、そのわずかな時間が好きだった。
正式に妻となるのは、次の星降の儀式の時になるだろう。ジセイと夫婦になることを待ち遠しく思いつつ、ツユの花嫁修業の日々は静かに過ぎていく。