それぞれの思惑
ケルビンは一人図書室に残った後、従者からお小言を受けていた。
「ケルビン様、昼食会を欠席されて、本当に良ろしいのですか?」
「許可は得ている。ラヴォーナ国に埋蔵する知識を正攻法で自国に持ち帰れるんだぞ。七日間という短期間、無駄にはできん」
「ハァ~。ケルビン様に春の女神が訪れる日は遠そうですね」
「何を言う。分かっていただろう? わざわざ研究の時間を犠牲にしてまで候補者になったのはこの時の為だ」
幼い頃から長年仕える従者は、効率を重視し、色恋、ましてや結婚などは時間の無駄と公言して憚らない、顔はいいのに残念な主人を見つめてもう一つため息を吐く。
「研究ばかりにかまけて女性に興味のなかったケルビン様が、真っ先に候補者に名乗りを上げたから、おかしいとは思っていましたが……」
「謁見式には出席したんだ。シロン姫にも挨拶したし、候補者としての務めは果たしたと言えるだろう」
従者は残念を通り越して、哀れな子を見る目をしながらやれやれと首を振る。
「ケルビン様、貴方なら候補者として、もう少し上手く立ち回れるでしょう? シロン姫より図書室を選ばれるなんて、少々あからさま過ぎませんか? じいは情けのうございます」
「こんな時だけ急に年寄りぶるな。私が候補者としてこちらに来た時点で、国の重鎮達の意見を王家が聞き入れた形にはなっている。姫が他国の王子と恋仲になり、私は潔く身を引く。土産には希少書籍の複写。一石二鳥じゃないか」
「ハァ~。年若いのに立派な候補者であらせられる、セージ王子の爪の垢を煎じて飲ませるべきか」
侍従はブツブツと真剣につぶやいていた。
◇◇◇
着替えに戻ったグロムは、手に巻かれたハンカチに目を落とす。さっと取り去って無造作に机の上に放り投げる。王子でありながら、従者の手を借りずに着替え終わる。普段から騎士団で生活しているグロムにとって、身支度は一人で手早く済ますものだった。
シロンから渡された薬瓶を思い出し、上着のポケットから取り出す。しばらく眺めた後、ハンカチの上にポンと放り投げる。
「それはどうされたのですか?」
グロムの背後に音も無く現れた男が、薬瓶を見ている。
「手を怪我しているからと、シロン姫から渡されたものだ」
グロムは振り返りもせずに淡々と答える。
「そうですか。大切な御身、お大事になさってください」
「分かっている」
「グロム様、イエゴ国王よりのお言葉です。『グロム、候補者として立派に勤めよ。お前の役割を決して忘れるな』とのことです」
男はそれだけ告げると、入ってきた時と同様に、煙のように部屋から去って行った。
テーブルには、きちんと畳まれたハンカチと、その上に立てられた薬瓶があった。
「……準備は全て整ったということか」
グロムは薬瓶を手に取ると、ギュッと握りしめた。