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足音が、耳に触れた


 七瀬を殺してから3日後。1月末日。


 美咲は、極力、普段と変わらぬ行動を心掛けた。いつも通りに起床し、いつも通りに学校に行く準備をし、いつも通りに家を出て、いつも通りに学校に着き、いつも通りに教室に向かった。


 洋平がいなくなるまでは嫌悪すらしていた、感情が表に出ない自分の性質。それが、洋平がいなくなった途端に、都合にいいものになっていた。どんなに心が乱れていても、表情に出ない。


 五味を殺した翌日から、美咲は、欠かすことなく朝のニュースを見ている。自分は殺人犯で、警察に追われる身だ。だからこそ、事件のニュースには必ず目を通し、警察の捜査への対策を練る必要があった。


 七瀬を殺した後も、美咲は、それまでと変わらず朝のニュースを見ていた。そこに、彼の死体が発見されたという報道は、一切なかった。


 現実的に考えて、七瀬の死体が発見されていないはずがない。死体を、隠すことなく現場に放置してきたのだから。


 それでもニュースで報道されないということは、報道規制でも掛かっているからだろう。


 報道規制が掛かっている理由は、美咲には分からない。ある程度は想像できるが、中途半端な仮説を事実として行動すると、この先の行動を阻害する可能性がある。


 残る標的はあと1人だ。八戸。あいつを殺せば、全て終わる。できるだけ早く行動したい。警察が、自分の尻尾を掴む前に。


 できるだけ早急に八戸殺しに着手するためにも、美咲は、普段と変わらぬ行動を徹底した。自分は、七瀬が殺されたことなんて知らない。彼のことを気にも止めていない。だから、普段と変わらない行動をしている。


 そうしながら、どうやって八戸を殺すか、考えていた。


 だが、美咲は、七瀬殺しについて、自分の行動に大きな失敗があることに気付いた。自分はあの日、七瀬に電話をしている。さらに、彼のスマートフォンを回収していない。間違いなく、スマートフォンの中身は警察に確認されているだろう。


 つまり、もし七瀬が美咲との通話履歴を削除していなければ、彼と連絡を取ったことが刑事に知られているのだ。


 自分の失態に舌打ちしたい気分だったが、それでも挽回は可能だと思えた。八戸を殺すまでの時間を稼ぐ程度には。


 もしLOOTでのやり取りまで七瀬のスマートフォンに残っていたら、完全にアウトだった。しかし、彼は殺人犯として捕まることに相当怯えているようだったから、メッセージに関しては、美咲の指示通りに削除しているだろう。


 教室に入り、自分の席についた。

 担任が入って来て、朝礼が始まった。


 朝礼では、担任から、今日の授業は全て中止になること、すぐに体育館で全校集会が行われることが告げられた。


 教室内がザワつく。担任の発言に、クラスメイト達が疑問を抱いているのだろう。


 今、この教室で担任の発言に疑問を抱いていないのは、2人だけのはずだ。1人は全校集会が行われることを伝えた担任。


 もう1人は、当然、美咲だ。


 七瀬が死体で発見されたことが、全校集会で告げられるはずだ。そう、美咲は確信した。五味のときは集会後に教室に戻ってから知らされたが、今回は違うだろう。今日の授業が全て中止になるのであれば、すぐにでも刑事による聞き込みが行われるはずだ。だとしたら、全校集会で周知されると考えるのが妥当だろう。


 五味殺害の聞き込みのときと同じように、美咲は、すぐに、刑事に話す内容を頭の中で組み立て始めた。


 担任の指示により、体育館に向かう。


 歩きながら、美咲は考えを整理し、まとめてゆく。


 七瀬は、美咲との通話履歴を削除していなかった。それを前提に刑事達に話をするべきだろう。だとすると、どうして七瀬に電話をしたか聞かれるはずだ。


 仮に、刑事達に通話履歴のことを聞かれなかったらどうするか。不自然にならない程度に、自分から、七瀬と通話したことを伝えよう。


 通話した理由は、洋平の居場所について聞き出そうとした、と言うのが妥当だ。以前、刑事に、洋平の居場所を探るために五味と付き合い始めたことは伝えた。それならば、五味がいなくなり、六田とも連絡が取れないので七瀬に聞いたと言えば、不自然ではないはずだ。


 体育館に全校生徒が集合すると、美咲の想像通り、七瀬が死体で発見されたことが告げられた。


 校長がその話を始める頃には、美咲の頭の中では、刑事に話すシナリオが出来上がっていた。


 校長は、七瀬の死体が発見されたから五味のときと同じように刑事の聞き込みに協力してほしいと言った後、死体で発見された2人について語り始めた。


「五味秀一君も七瀬三春君も、明るく、優しく、誰からも親しまれる生徒でした」

 まるでお手本のような、綺麗事だった。

「なぜ、そんな2人が殺されなければならなかったのか。なぜ、2人の明るい未来が、奪われなければならなかったのか。残念でなりません」


 校長は、この殺人事件が起こるまで、2人の人柄など知らなかっただろう。いや、少なくとも、五味については知っていたか。彼には、傷害での補導歴があるのだから。校長がたった今口にしたような「誰からも親しまれる生徒」ではないことは明らかだ。


 知っていながら綺麗事を口にするのは、単純に校長自身の体裁のためだ。死んだ生徒の悪評を口にすれば、自分や学校の評判が落ちる。そうならないための、綺麗事。


 美咲は、どこか皮肉にも似た呆れの気持ちを抱いた。五味や七瀬が、誰からも親しまれる生徒? あいつらに、明るい未来?


 もし、美咲の表情が豊かだったなら、ここで口の端を上げながら鼻で笑ってしまっただろう。


 あの2人がそんなに素晴らしい人物なら、洋平はどうなるんだろう。本当に誰からも親しまれる生徒で、本当に明るい未来があった、洋平は。神様とでも表現されるのだろうか。


「優しくて、愛情深くて、真面目で、努力家で。まるで神様ような生徒でした」


 ううん。校長が口にすべき洋平の表現を思い浮かべると、美咲はすぐにそれを否定した。


 違う。洋平は、神様なんかじゃない。ただの人間。ただの1人の男の人。


 ただの、私にとって誰より大事な人。ただの、私が世界一大好きな人。


 胸が痛い。苦しい。洋平、洋平、と心の中で繰り返す。


 いつの間にか校長の綺麗事は終わり、1年から順に教室に戻るよう指示された。


 美咲の胸の奥が、チクチクと痛む。教室に戻ってから聞き込みの順番を待っている間も、ずっと痛み続けた。


 聞き込みを行う形式や順番は、五味の死体発見時と同じだった。しかし、今日は、帰宅する生徒がいない分だけ、美咲の順番が回ってくるのが後になった。


 美咲が、聞き込みを行う数学準備室に呼ばれたのは、午後12時になる少し前だった。生徒全員に聞き込みを行っている割には、順番が回ってくる時間が早かった。それはきっと、七瀬が五味よりも校内で有名ではないからだろう。生徒が、刑事に話す内容が少ない。


 教室から出た美咲は、数学準備室に足を運んだ。五味のときと同じように、部屋のドアをノックする。


「どうぞ」


 数学準備室の中から、ノックに対する声が返ってきた。綺麗な、聞き心地のよい声だった。この声には聞き覚えがある。五味のときに聞き込みを行っていた、女性刑事の声だ。


「失礼します」


 美咲はドアを開けた。


 数学準備室の中にいたのは、やはり、五味のときと同じ刑事だった。


 美咲が、数学準備室の中央あたりに用意された机の前まで行くと、女性の刑事──原さくらに、椅子を勧められた。


「どうぞ、お座りください」

「はい。失礼します」


 美咲は椅子に座った。


「改めて、よろしくお願いします。私達のことは、覚えていますか?」


 さくらは、事件とは無関係の質問から口にした。


「はい。確か、前原正義さんと、原さくらさん……でよろしいでしょうか?」

「仰る通りです。覚えていてくれて、ありがとうございます」

「凄く綺麗な声だと思っていたので、よく覚えています」

「ありがとうございます」


 さくらは少しだけ笑った。美咲の言葉をお世辞と捕えているのか素直に受け止めているのかは、その様子から伺えない。


 彼女はすぐに本題に入った。


「全校集会で校長先生からお話があったかと思いますが、この学校の生徒が、また、他殺体で発見されました」

「ええ。聞いています。七瀬ですよね?」

「お知り合いですか?」


 聞かれて、美咲は、前回の聞き込みのときと同じ質問をした。


「その質問に答える前に、私から質問をしてもいいですか?」


 さくらは、再度、少しだけ笑った。


「前回のときも、同じことを言っていましたね」

「私のことを覚えているんですか?」

「はい。凄く綺麗な人だな、って思っていたんで。よく覚えています」


 美咲は、さくらの言葉を額面通りには受け止めなかった。さくらが自分のことを覚えていたのは、自分の容姿のせいではない。五味殺害の容疑者候補の1人として覚えているはずだ。


 だからこそ、この場を上手く切り抜け、八戸を殺すまでの時間を稼がなければ。彼を殺すまでは、捕まりたくない。


「前回も言いましたが──」

 さくらが、話を続けた。

「──私達は聞き込みを行う立場ですが、質問を受け付けないというわけではないです。もちろん、捜査上の事情から回答できない場合はありますが」


「では、刑事さん達が七瀬のことをある程度知っているという前提で、話していきたいと思います。もし不明点がある場合は、都度質問していただけますか?」

「承知しました」


 さくらが頷く。

 美咲は話し始めた。


「前回のときも話しましたが、私は、洋平が行方不明になったことに、五味が絡んでると考えています。だから、それを探るために五味と付き合い始めました」

「ええ。覚えています。ですが、五味秀一が殺されたことで、村田洋平君の行方を探る手立てがなくなってしまった」

「そうです。だから私は、六田や七瀬といった五味の周囲の人達に、何か知らないか聞いてみようと思いました」

「それで、どうでしたか?」

「六田には連絡がつきませんでした。何回電話をしても」

「七瀬三春の方は、どうでしたか?」


 さくらの質問に対し、美咲は苦笑した。当然のように、意図的に作った笑みだ。


「七瀬が殺されたんですから、きっと、刑事さん達は、七瀬の携帯も調べてますよね? 私との通話履歴がありませんでした?」


 刑事の捜査の進捗を探るような質問。


 美咲の質問に対し、さくらの隣にいる正義は、何も答えない。表情を隠すように、口元で手を組んで話を聞いている。


 正義が何も言わず、表情を見せないようにしているのは、さくらの指示だろうか。そんなことを美咲は考えた。前回の聞き込みのときも思ったが、彼は、感情が、表情や行動に出やすい。


 少し、洋平に似ている。きっと、好きな人ができたら、すぐにその好きな人に気持ちを悟られてしまうのだろう。


 美咲は、洋平に告白された時のことを思い出した。直後に、その思い出を頭から振り払った。また、無意識のうちに泣いてしまうかも知れないから。


「申し訳ないのですが──」


 美咲が洋平との思い出を振り払っている最中に、さくらが質問に答えた。


「──捜査の進捗については、お話することができないんです」

「そうですよね」


 さくらの回答を、美咲はあっさりと聞き流した。


「七瀬にも、それとなく、洋平のことを聞きました」

「どんなふうに?」

「『五味から、洋平のことを少しだけ聞いたんだけど、どうなったの?』ってカマを掛けました」

「七瀬三春は何と答えましたか?」

「知らない、って言っていました。本当か嘘かは分かりませんが」

「そうですか」


 美咲は冷静に、今の会話の流れを頭の中で再生した。自分の発言に不自然なところはないか。七瀬殺害について、犯人しか知り得ない情報を口にしていないか。


 問題ない、と思った。大丈夫だ。何の不自然さもなく、七瀬の携帯に自分との通話履歴があることを話せた。


「正直なところ──」

 美咲は、自分の発言に信憑性を持たせるために、話を続けた。話し過ぎると、かえって怪しまれる可能性もあったが。

「──私にとっては、洋平さえ見つかれば、五味や七瀬が殺されたことなんて、どうでもいいんです。それなのに、洋平が見つからないまま、何の手掛かりもないまま、何か知っていそうな奴等がいなくなって……」


 言いながら、目を伏せた。落ち込んでいる表情。意図的に作った表情。


「村田洋平さんの調査が進んでいないことについては、今のところ、お詫びする他は何もできません。本当に、申し訳ないです」


 綺麗な声を少し沈ませて、さくらが頭を下げた。


「いいえ。ただ、少しでも早く洋平を見つけて欲しいです。私にとっては、ただそれだけです」

「そのように、署内で報告しておきます」

「よろしくお願いします」


 美咲とさくらが互いに頭を下げた。

 先に頭を上げたさくら言った。


「七瀬三春について知っていることは、もうないですか?」

「はい。私が知っているのは、先週の金曜日に七瀬と話したことと、七瀬が洋平について何も知らないと言っていたことくらいです」

「わかりました。それでは、ご足労ですが、次の方を呼んでいただけますか?」

「はい」


 頷いて、美咲は立ち上がった。正義とさくらに一礼し、数学準備室の出入り口に向かう。


「あれ?」


 後ろから、今まで一言も喋らなかった正義の声が聞こえた。


「笹森さん、ちょっと待って」

「はい?」


 呼び止められて、美咲は彼等の方を振り向いた。正義が近くに来ていた。


「あ、ちょっと、そのままドアの方を向いていて」

「?」


 意味が分からないまま、美咲は再度ドアの方を向いた。


 後ろから、耳に触れられる感触を覚えた。正義の手だろう。彼の手は、すぐに美咲の耳元から離れた。


「ごめんね。これ、付いてたから」


 美咲は再度、彼等の方を向いた。


 正義は、右手の親指と人差し指で、割と大きな綿埃を摘まんでいた。薄い、医者がするようなゴム手袋を履いた右手。


「そんなの、いつの間に付いたんだろう?」

「さあ?」


 正義は苦笑していた。どこかぎこちない笑い方だった。


「前原さん、まずいですよ」


 後ろから、さくらが溜息交じりに言った。


「断りもなく女子高生に触るなんて。セクハラか痴漢みたいじゃないですか。刑事が女子高生に痴漢とか、洒落にならないですよ」

「あ」


 正義の目が、驚いたように見開かれた。視線が、咎めるように睨むさくらの方を向き、そこから、ギギギという効果音が聞こえてきそうなほどぎこちない動きで、美咲の方に戻ってきた。大きく見開いていた目は、申し訳なさそうに細められた。


 正義は美咲に、深々と頭を下げた。


「ごめん! 言い訳みたいだけど、そういうつもりじゃないから!」


 感情が表に出やすくて、こんなふうに素直なところも、少しだけ洋平に似ていると思えた。それがなんだか微笑ましくて、同時に、悲しかった。


 洋平本人は、もう、どこにもいない。


 洋平のことを考えると、ジワリと目頭が熱くなった。まずい、と思った。また泣いてしまうかも知れない。


 涙を堪えるために目を細めて、美咲は、無理に小さな笑みを浮かべた。


「そんなに謝らなくても大丈夫ですよ。むしろ、取っていただいてありがとうございます」

「あ、いや。そう言ってもらえると助かる」


 正義は再度苦笑し、照れたように左手で頭を掻いた。


「じゃあ、悪いけど、次の人を呼んで来てくれるかな?」

「はい」


 頷き、美咲は、数学準備室を後にした。

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