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逃げ出した先で、足音が聞こえる


 発見された死体はすぐに検死に回され、現場検証が行われた。同時に、初動捜査として、周辺地域の人や現場作業員への聞き込みも行われた。


 死体の身元はすぐに判明した。所持していたスマートフォンに、持ち主のプロフィールが入っていたのだ。すぐにプロフィールに記載されていた人物の家族が呼ばれ、本人だと判明した。


 七瀬三春。五味秀一と同じ高校で、同じ学年の生徒。しかも、五味と親しくしていたという。


 五味殺害事件に関して行った聞き込みにおいても、彼の名前を口にする生徒は何名かいた。その全員が、彼のことを、このように記憶していた。


 五味の腰巾着。もしくは、金魚のフン。または、五味の手下。


 そんな情報を掴んでいる警察内では、当然、五味殺害と七瀬殺害には関連性があると考えられた。


 実際に、五味殺害と七瀬殺害の犯人は同一人物なのだ。つまり、七瀬の死体発見とその捜査により、五味殺害の捜査についても、大きく前進することを意味する。


 その事実を痛感し、洋平は、絶望的な気分になっていた。思考の中には、数え切れないほどの「たら」「れば」が渦巻いていた。


 もし、1月のあの日に異常なほど気温が上がらず、五味の死体が発見されなければ。もし、学校内に美咲よりも遙かに美人の生徒がいて、彼女が五味に目を付けられなかったら。もし、美咲が、洋平のことを好きにならず、付き合ったりしなければ。


 ~なら。

 ~れば。

 もし~だとしたら。


 洋平が考える無数の仮定のいずれかが現実のものになっていれば、美咲は幸せなったはずだ。そう思いつつも、洋平の思考は、最終的にはたった1つの仮定に着地する。


 もし、あのとき、俺が、五味達なんかに殺されていなければ。あのとき、全力で抵抗して奴等を叩き潰していれば。


 そうすると、間違いなく、洋平には傷害の前科がついただろう。洋子や咲子、美咲に、多大な迷惑をかけることになっただろう。


 だが、美咲が狂うことだけはなかった。彼女が殺人犯になることはなかった。


 洋平が犯罪者となることで、美咲に別れを告げられたかも知れない。もし彼女が別れを望まなかったとしても、洋平自身が、自分は彼女に相応しくないと判断し、別れを切り出したかも知れない。


 自分の命を犠牲にしてでも守りたいと思うほど、美咲が大切だ。自分がどれほど凄惨な暴行を受けても、美咲が無事であれば満足できるほど、彼女のことが好きだ。


 そんな美咲と別れるのは、間違いなく、身を刻まれるほど辛かっただろう。苦しかっただろう。刃物で皮膚を削ぎ落とされる方がマシだと思えるくらい、絶望しただろう。


 それほどまでに深く、洋平は美咲を愛している。


 そんな彼女が不幸になる未来が、確実に近付いてきている。絶望的な未来の足音が、耳元まで聞こえてきそうだ。静まり返った暗闇の中、狭い路地で、少しずつ接近してくる。カツーン、カツーンと響く足音。少しずつ音量が大きくなってゆく足音。


 洋平が何より恐れる未来の、足音。


 洋平には、もう、震える体がない。恐怖に応じて鼓動を大きくする心臓もない。絶望に冷や汗を流す皮膚もない。緊張で荒くなる呼吸も、乾く喉もない。


 それなのに、それらを現実的に感じた。カタカタと震える音が鼓膜に響いているようだ。ドクンドクンという心臓の音がうるさい。額に流れる汗が目に入り、視界を歪める。呼吸が荒くなることで喉が渇き、水を欲する。


 なぜ、今の自分には、何もできないのか。どうして自分は、美咲を守ることができないのか。


 美咲を守ることができるなら、どんなことをしてもいい。もう1度殺されてもいいし、美咲の代わりに殺人犯になってもいい。


 もし、洋平に体があったなら、土下座し、泣きながら懇願しただろう。血が出るほど地面に額を擦りつけ、頼み続けただろう。涙を流しながら懇願しただろう。


 どうか、美咲を幸せにしてください。彼女から、明るい未来を奪わないでください。彼女を不幸にしないでください。


 実際に、洋平は、自分の周囲で動き回る警察関係者の中で、そう叫び続けた。1人1人に、必死に訴えた。


 そんな洋平の声は、誰にも届かない。誰ひとりとして、洋平の言葉に耳を傾けない。


 絶望の暗闇が、洋平を覆ってゆく。もう何も見えないはずの洋平に、自分を包む闇が、はっきりと見えた。空に出ている太陽を雲が隠すように、希望が消えてゆく。


 警察署内でされたひとつの報告が、洋平の希望を完全に消し去った。


 それは、七瀬の検死結果だった。

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