手を汚す姿を見て、狂っていって
学校での聞き込みが行われた日から、洋平は、ずっと、美咲や刑事達の行動を追っていた。五味殺害の容疑者として、美咲の名が上がらないことを祈りながら。
1月26日。五味秀一殺害の捜査本部にて、会議が行われた。これまで行った各方面での聞き込みを含めた刑事達の報告、彼の遺体の検死、彼の自宅の捜査にて得た情報などを取りまとめ、今後の方針を決めるために。
家宅捜索を行った五味の家では、大量の血痕が発見された。その血痕の鑑定から、五味秀一と、その他1名の血液が付着していることが分かった。ただし、五味秀一のものではない方の血痕が誰のものなのかは、今のところ分かっていない。
このことから、殺害現場や死体損壊の現場は五味の家であると断定された。つまり、容疑者は、五味の家に出入り可能な人物ということとなる。強盗にでも入られ、その場で殺害、損壊されて遺棄されたと考えられなくもないが、その可能性は低いと判断された。
五味の遺体が発見された公園付近での聞き込みも行われたが、有力な情報を得ることはできなかった。これは、証言がなかったからではない。まったく無意味な、虚言としか思えない証言しか出なかったのだ。
五味が通っていた高校の生徒達の証言をもとに、五味殺害に関わっていそうな人物もピックアップされた。
どんな人物でもそうだが、五味は、評判の善し悪しが分かれる人物だった。だが、評判の善し悪しではなく、彼に対する証言そのものを紐解いていけば、彼の人物像がはっきりと浮かび上がってきた。
『自分を認める人間には優しく気前がいいが、そうでない人や、自分が目を付けた女子と付き合っている男子生徒に対しては、陰湿である。承認欲求と陰湿さが同居した人物』
さらに傷害での補導歴があることも鑑みれば、決して褒められた人物ではないことが分かる。当然、人から恨みを買うことも多かっただろう。それこそ、殺意を抱かれるほどの怒りを。
五味に対して殺意を抱き、それを実行しうる人物は誰か。その対象として名前が挙がった人物の中には、洋平もいた。
対して、美咲の名前は、会議中の正義の発言によって、容疑者候補の下位に押し下げられた。
正義は、会議で、1月17日から独自に美咲の身辺を洗っていたことを報告した。彼女は夜に頻繁に外出していたが、その行き先はスポーツジムや近所のコンビニエンスストア、あるいはスーパーであり、五味殺害に関連するような行動は一切していなかった。
通常の殺人犯は、自分が行った殺人の捜査を刑事が始めれば、自分の行動を振り返りながら必要に応じて証拠隠滅に奔走するはずだ。もしくは、刑事に捕まることを恐れて自宅に引きこもるか、どこかに失踪するか。あるいは、自己顕示欲のために殺人を行ったのであれば、事件を世間に見せつけるための行動を起こすか。
美咲には、どの動きも見られなかった。そのため、容疑者の候補ではあるものの犯人である可能性は低いと判断された。
洋平は、すでに存在しない自分の胸を撫で下ろした。
五味の死亡推定日時は、昨年のクリスマス前後だと考えられる。もっとも、発見された時点で殺害からかなりの時間が経過しているうえに、冷たい池に沈められていたため、正確な日時を割り出すのは困難だった。ちょうどクリスマス時期から五味の足取りが途絶えていることから、概ねその時期だろうと推測された。
その時期に完璧なアリバイがある人物は、容疑者候補の中には1人もいなかった。クリスマス前後などという広範囲な期間全てに完璧なアリバイがある人物など、いるはずがない。
得た証言や調査をもとに出た容疑者候補の上位3人は、村田洋平、六田祐二、過去に五味に恋人を寝取られている男子生徒だった。
洋平が容疑者候補に挙がるのは当然と言えた。自分の恋人が五味に口説かれている。さらに、五味が殺害されるしばらく前から行方不明になっている。五味を殺す準備のために姿を消し、殺した後は雲隠れしていると推測されているのだろう。
五味の友人であるはずの六田まで容疑者候補に名が挙がっているのは、五味殺害の時期と同じくして彼も行方不明になっているからだ。さらに、五味も六田も自己主張が強い性格をしていることから、表示面上では親しくしていても、水面下ではいがみ合っていたのではないかという推測がされていた。
最後の容疑者候補は、洋平の知らない人物だった。捜査会議に名前が出ていたが、すぐに洋平の記憶から抜け落ちた。
これらのことから、事件の捜査をする刑事達は、この3人の容疑者候補の調査で動くこととなった。といっても、容疑者候補3名のうち、2人は行方不明である。村田洋平と六田祐二に関して捜査をする刑事達は、まず彼等の足取りを追い、居場所を突き止めることから開始する必要がある。
3人の容疑者候補について調べるため、捜査本部の刑事達は、ごく少数を除き、3班に分けられた。各班に所属する刑事達が、通常通り、2人1組で行動するのだ。
正義とさくらは、1班──洋平の足取りと行方を追う班となった。
また、どの班にも所属しない少数の刑事達が、3人以外の容疑者候補について調べていくこととなった。
洋平は、本当に自分の願いが通じたのではないかと思わずにはいられなかった。まだ、美咲が容疑者候補から外れたわけではない。だが、美咲は、候補の中でも下位に位置している。洋平や六田の行方が明らかにならない限り、美咲に関して徹底した捜査が始まるのは、かなり後になるはずだ。このまま洋平や六田が埋められている建設現場の施行が進めば、2人の死体が発見されることもなくなる。その結果として、捜査は手詰まりとなり、事件が迷宮入りする可能性は高くなる。
問題は、五味と共に自分を殺した2人か。洋平は思考を巡らせて、七瀬と八戸のことを考えた。
あの2人が洋平殺しについて口を割れば、必然的に洋平は五味殺しの容疑者から外れることになる。容疑者候補上位である洋平が外れることで、繰り上がりで、美咲の容疑は強くなる。
七瀬と八戸の口を封じることで、美咲が捕まる可能性が低くなる。ひょっとすると、五味殺害の捜査中に七瀬や八戸が姿を眩ますことで、彼等も容疑者候補の上位になるかも知れない。
「美咲にあの2人を殺してもらって、俺や六田と同じように、ビルの下敷になるように埋めてもらえば……」
そこまで考えて、洋平は、自分の発想に恐怖を覚えた。ゾワッと、震えるような寒気が走った。もし生きていたなら、背筋に鳥肌が立ち、身震いしただろう。
五味や六田の殺害が、迷宮入りになることを祈っている。それだけならまだいい。しかし、それだけではなく、美咲が、七瀬や八戸を殺すことを期待している。そんな自分の発想が、恐くなった。
あんなに美咲が人殺しをすることを、止めたかったのに。美咲が、平穏で幸せに生きることを、望んでいたのに。
もしかして、自分も狂ってしまったのだろうか。美咲が狂っていくところを目の当たりにし、美咲が自分以外の男に抱かれたことに苦痛を感じ、美咲が五味や六田を殺す場面を突き付けられて。
心に浮かんだその考えを、洋平は即座に否定した。
「違う」
自己弁護のように、洋平は呟いた。当然、声にはならない。
自分は冷静に考えているはずだ。そうだ。美咲が五味を殺す前は、彼女が殺人を行うことを止めたいと思っていた。けれど、今は、あのときとは状況が違う。今の状況で美咲が殺人犯とならずに生きてゆくためには、七瀬と八戸を殺すしかないんだ。
それは、明らかに、自分に対する言い訳だった。そのことに、洋平自身も気付けなかった。自分が殺されたせいで美咲を狂わせてしまったこと。美咲を人殺しにしてしまったこと。それでも美咲に幸せに生きて欲しいという願い。様々な苦痛や絶望が洋平の思考を狂わせていた。美咲を思うあまり、狂った自分に気付けなかった。
「そうだ。仕方ない」
洋平の言い訳は続いた。
もとはと言えば、殺人に加担した七瀬や八戸にだって、原因はある。美咲が狂ってしまう引き金を引いた一員なのだから。殺されたところで、文句など言えないはずだ。
美咲から幸せを奪い、狂わせたのだから、せめて美咲のために死ねばいい。
そうだ。好きな人を理不尽に奪われた美咲は、被害者なのだから。だから、美咲の幸せのために七瀬や八戸が死ぬことになっても、何の問題もないはずなんだ。
自分の発想に恐怖を覚えた。しかし、美咲のことを考えると、七瀬と八戸の口は封じるべきだ。
板挟みの気持ちの中で、洋平は、自分への言い訳を繰り返していた。




