事実は、嘘に紛れるように
さくらが、事実に気付いている。
それを知った洋平は、始業式の次の日から、双方の行動を追い始めた。つまり、美咲の行動と、正義やさくらの行動の双方を。
始業式の次の日から、美咲は、授業が終わり家に帰ると、鏡の前で表情を作る練習を始めた。
楽しそうな笑顔や目の前の相手に媚びるような表情は、五味や六田を殺す前から練習し、身に付けていた。今行っている練習は、まったく別の表情だ。
心配そうに相手を見つめる表情。相手を安心させるような、力強い表情。反面、悲しそうに涙を見せる表情。
そんな表情を、身振り手振りや言葉を交えながら練習している。まるで、演劇の練習のようだ。
洋平には、美咲の意図が理解できていた。これは七瀬を殺すための練習だと。ここまで来て彼女の行動の理由が分からないほど、洋平は馬鹿ではない。
もちろん、体力作りのためにスポーツジムに通うことも欠かしていなかった。例え相手を無抵抗な状態にできたとしても、人を殺して死体を遺棄するには、それなりの体力が必要だ。それを想定してのことだろう。
洋平は、最初は、美咲が人を殺さないことを願っていた。恨みや憎しみなど忘れ、洋平のことも忘れ、復讐などに手を染めずに幸せに生きて欲しい。ただそれだけを望んでいた。
だが、もうそれは叶わない。美咲はすでに2人の人間を殺している。たとえ殺したのがクズ同然の男だとしても、殺人は殺人だ。明るみに出たら、殺人罪として裁かれるのは免れない。
すでに美咲は殺人犯であり、さらに、残り2人の殺人も諦める様子はない。
だとしたら、洋平が願うことは、ただ1つだ。
どうか、五味達を殺した犯人が誰か、判明しないで欲しい。証拠不十分で逮捕状すら出せずに、迷宮入りして欲しい。
自分の願いが非道徳的だということは、十分承知している。自分にとって大切な人を守りたいばかりに、社会の正当性すら否定する思想だと、理解している。
それでも洋平は、願わずにはいられなかった。社会正義なんてどうでもいい。五味や六田、七瀬や八戸の人生なんて、どうなろうと知ったことではない。美咲が幸せであればいい。
美咲が五味や六田を殺したとき、洋平は、無抵抗のまま殺されたことを後悔した。自分が殺されることで、美咲の人生を狂わせてしまったと。
もし、今の美咲と洋平の立場が逆で、五味達に殺されていたのが美咲だったなら、洋平も彼女と同じ行動を取っただろう。
間違いなく、五味達を皆殺しにしていただろう。
自分が殺されたときは、そんなことにすら気付けなかった。
今なら分かる。だからこそ、今の美咲の心情も理解できる。どんなに綺麗事を言っても、どれだけ社会正義や倫理を唱えてみても、今の美咲を止めることなどできない。
もし、今の美咲を止められる人間がいるとしたら、それは洋平だけだ。
洋平が、美咲が地獄に堕ちてゆく様子を見るのがどれだけ辛いか伝えたなら、彼女は思い留まってくれるだろう。
けれどそれは、決して叶わない。洋平の言葉は、もう、美咲には届かない。
七瀬や八戸を殺すための練習をするだけではなく、美咲は、始業式の翌日から、さらに別の行動も始めていた。五味に買わせた黒を基調とした服を着て、夜に頻繁に外出するようになったのだ。
黒を基調とした服を着ている美咲は、周囲の夜の闇に紛れている。それでも、街灯の下では、まったく見えないというほどではなかった。
実際に、美咲の行動を探っている正義やさくらは、彼女の行動をしっかりと把握していた。
正義やさくらは、美咲の行動を見張っていた。ときにはそれぞれが、ときには2人で一緒に。これは、捜査本部の方針が出るまでに行うと決めた、彼等の行動方針故だ。
『美咲が犯人ではないという方針で、彼女が犯人ではない証拠を掴むために動く』
美咲が犯人ではないという証拠を掴むために、彼女の周辺を調査し、このように彼女の行動を見張っているのだ。
今のところ、美咲は、すぐに七瀬を殺すために動き出す様子はない。練習している表情や口調が、まだ不自然で納得できるものではないからだろうか。特に決定的な動きをすることもなく、ひらすら自宅で表情や口調の練習をし、夜には、頻繁に近所のコンビニや24時間営業のスーパーに出かけている。
洋平の知る限り、美咲は、こんなに頻繁に無駄な外出はしない。それほど活発に動くタイプではない。それでは、なぜ、最近は、こんなに頻繁に外出しているのか。
その理由が、洋平には分かる気がした。
きっと、美咲は、疑心暗鬼になっているのだ。五味殺害に関して、刑事が動き出したことで。自分は疑われる立場だと考え、刑事の目を欺くために、無駄な外出をしているのだ。
ある意味で、美咲のこの行動は、効果があったと言える。
ここ数日の美咲の行動を見張っていたさくらは、自分が抱いている美咲犯人説に疑問を持つようになっていた。頻繁に外出しつつも殺人の証拠隠滅などの行動を取らない、美咲を見て。何ら怪しいところのない、彼女の行動を見て。
だが、もし美咲が七瀬殺害のために行動を開始し、その姿を正義やさくらに見られたなら……。
洋平の心に、不安が募る。正義やさくらに見張られている状況で七瀬殺しに乗り出したら、美咲は、決定的な場面を2人に見られてしまう。逃れようのない現行犯で、捕まってしまう。
どうすればいい? どうすれば、美咲は捕まらずに済む?
洋平は、もう、美咲に警告などをすることもできない。それが分かっていても、考えずにはいられない。考えなければ、不安に押し潰されてしまいそうだった。
結局、始業式の翌日の1月18日から26日まで、美咲は、決定的な行動を開始しなかった。
1月26日の昼間には、五味秀一殺害事件の捜査本部にて、捜査会議が行われた。




