思考の中で、事実に辿り着く
「笹森さんには、五味を殺す理由はないんじゃないのか? むしろ、村田洋平の居場所を突き止めるためには、五味が生きている必要があったはずだ」
始業式の日の、午後7時。
洋平は、2人の刑事──正義とさくらの動きを追っている。
今日の学校での聞き込みを終えた正義とさくらは、警察署に戻っていた。
さくらは、自身の席で、メモに残した聞き込みの内容をパソコンに打ち込んでいる。今はちょうど、美咲の証言を打ち込んでいるところだった。
警察署内は、洋平がドラマなどで見たことがある場面と、そう違いはなかった。学校の教室の2倍ほどの広さの部屋。そこに、各刑事達の机が並べられている。割と頑丈そうな、スチール製の机。昔はどうだったか分からないが、今は、喫煙室以外は禁煙なのだろう。灰皿が置いてある机は1つもない。
今、この部屋には、正義とさくら以外に刑事は1人しかいない。離れた席で資料作成を行っている。
ワードファイルに文字を打ち込む手を止めて、さくらは、自分のすぐ横でパソコンの画面を覗き込んでいる正義に視線を向けた。その目には、呆れに近い感情が込められていた。
「何言ってるんですか、前原さん。もし村田洋平の失踪に五味秀一が絡んでいるのなら、笹森美咲も容疑者候補の1人ですよ。それも、候補としてはかなり上位の」
聞き込みのときの美咲の涙を見てもなお、さくらは冷静に物事を考えているようだ。
彼女に比べて、正義は、完全に自分自身の感情に振り回されているように見える。彼は間違いなく、美咲の話や涙に同情し、強く感情移入してしまっていた。消えてしまった恋人を心配する美咲。恋人のことを思い、その手掛かりを掴むために、好きでもない──むしろ嫌っている男に近付き、居場所を突き止めようとした美咲。
事件の関係者に感情移入できることと、事件を客観的に冷静に見ること。そのどちらが重要なのかは、刑事になったことのない洋平には分からない。ただ、今現在、美咲に感情移入する正義の気持ちは、この事件の真相を掴む邪魔になっている。
五味を殺したのは、美咲なのだから。
「前原さん、もう少し多角的に物事を考えましょうよ」
さくらは、パソコンのキーボードを叩く指を再び動かし始めた。同時に発する声には、何の遠慮も配慮もない。
「笹森美咲の証言が全て嘘だとは言いませんよ。彼女が村田洋平と付き合っていたのは周知の事実ですし、五味秀一に言い寄られていたのも事実でしょう。さらに、五味秀一が村田洋平の失踪の原因というのも、事実かも知れません。そう考えた笹森美咲が、村田洋平の居場所を知るために五味秀一に近付いたというのも、彼女の本心かも知れません」
聞き込みの際の美咲の話には、何ら矛盾点はなかった。あの場面を観察していた洋平も、そう思っている。美咲の話を全て信じるなら、美咲に五味を殺す理由はない。むしろ、洋平の居場所を知るためには、五味に死なれては困る。
美咲の話が、全て事実ならば。
当然ながら、洋平には分かっている。美咲の話は事実ではない。洋平の居場所を掴むために五味に近付いた、というところまでは事実。それ以降は、嘘だ。
「それなら、笹森さんを疑う理由はないだろ?」
さくらは、キーボードを叩く手を止めた。美咲の話を打っている途中で。
「笹森美咲の証言が全て嘘だとは言ってません。でも、全て本当だとも言ってませんよ。事実の中に嘘が混じっている、と考えるべきです」
さくらは、ノートパソコンに打った文字を、コツコツと人差し指で叩いた。たった今打ったばかりの、美咲の証言。
『まだ、何も掴めていない。何も掴めないまま五味が殺されて、手掛かりが完全に途絶えた』
「笹森美咲は、五味秀一から、村田洋平の手掛かりを何も掴めていないと言っていました。それは事実でしょうか?」
「本当だろう? その証拠に、笹森さんは泣いていただろう? 村田洋平の居場所を掴む手掛かりがなくなって」
「泣いていた理由は、本当にそうでしょうか? 私には、違うように見えました」
さくらの声は、冷静そのものだ。落ち着いて話すその綺麗な声は、実際に耳にしたら、驚くほど聞き心地のよいものなのだろう。もっとも、さくらの話が真相に近付いていると感じている洋平にとっては、たとえ実際の声が聞けたとしても、決して気分のいいものではないだろうが。
綺麗な声で死刑宣告をされるのを待つような、絶望的な気分。
さくらの言葉に、正義は首を傾げた。
「じゃあ、どうして笹森さんは泣いていたんだ?」
さくらは、冷静ながら、どこか悲しそうな目をしていた。落ち着いて冷静に物事を考えられるからといって、冷徹になれるわけではないのだ。正義ほどではないにしろ、彼女も、関係者である美咲に感情移入しているのだろう。
「私には、もう2度と村田洋平に会えないと分かっているからこそ、流れた涙に見えました」
さくらは、真相に近付いているのではない。
洋平は、自分の考えを訂正した。彼女は真相に到達しているのだ。ただ、確証を得るだけの裏付けがないだけで。
「村田洋平は、五味秀一に殺されたのではないでしょうか。笹森美咲は、それを知っていた。だから、五味秀一に近付き、殺した」
さくらの推測と事実は、結果までの経緯に若干の違いがある。しかし、事実としては間違いなかった。
洋平は、寒気にも似た恐怖を覚えた。まだ証拠がないとはいえ、さくらは真相に辿り着いている。もし証拠を掴まれたら、美咲は捕まってしまう。殺人犯になってしまう。恐怖に震えながら、思考を巡らせた。
美咲は、殺害の証拠を残していないだろうか。美咲に結び付く証拠は、抹消できているだろうか。
殺害現場である五味の家には、美咲の指紋はほとんどないはずだ。髪の毛だって完璧に掃除していた。
殺害現場が五味の家だと警察が突き止めるまでに、そう時間はかからないだろう。もしかすると、もう突き止めているかも知れない。だが、それが、美咲が犯人だと断定する証拠にはならないはずだ。五味の家に出入りしていた人間は、美咲以外にもいるのだから。
五味の死体が詰められたキャリーバックはどうだ? 美咲が犯人だと証明する物になるか? いや、大丈夫なはずだ。誰が五味を殺したとしても、死体を詰める道具としてキャリーバックを使う可能性はある。
五味を殺したナイフや、死体を解体したノコギリはどうだ? あれはまずい。ナイフやノコギリは、美咲が直接購入した物だ。決定的に美咲と結び付ける証拠となる。絶対に発見不可能な場所に処分してくれるといいが……。
洋平は、必死に考えを巡らせた。それしかできなかった。今の自分が美咲にできる手助けなど、何ひとつないのだ。
さくらの話に矛盾点はない。それは正義にも分かっているようだった。彼は口を閉ざして、辛そうな表情を見せていた。今にも唇を噛み締めそうな顔。
さくらは、再度、パソコンの文字を打ち始めた。口調は冷静だが、その表情は暗い。刑事としてではなく人間として、思うところがあるのだろう。それでも、その思いを口にしてはいけないと、考えているのではないだろうか。
カチャカチャとパソコンのキーボードを叩く音が、広い室内に響く。
さくらが美咲の証言を打ち終わり、彼女の後に聞き込みをした生徒の証言も打ち終わったあたりで、再び正義が口を開いた。
「原」
「なんですか?」
「まだ、捜査方針は決まってないな?」
「まあ、まだ何の指示も出ていませんから」
まだ各方面の証言を集めている段階で、容疑者候補は絞られていない。捜査の方針が決まる前段階の状態だ。
「だったら俺は、方針が決まるまでは、笹森さんが犯人ではないという方針で動きたい」
正義の発言は、洋平にとっては、あまりに意外だった。さくらとの会話から、正義が、事件関係者に感情移入しやすい性格だということは分かっていた。だが、これほどまでとは思っていなかった。
今の発言は、美咲が無実だと断定して動きたいと言ったように聞こえた。実際に、そのつもりで正義は言ったのだろう。
美咲が無実だと断定して動いてくれるなら、洋平にとっては、有り難いことこの上ない。このまま永久に美咲を疑うことなく、捜査してほしいと思う。それと同時に、さくらには少なからず同情してしまった。こんな熱血刑事ドラマの主人公みたいな男と仕事をするのは、間違いなく大変だろう。
さくらはノートパソコンの電源を落とすと、じっと正義を見つめた。可愛らしい顔に似合わない、強い視線だった。呆れと決意と決断。色んな気持ちが入り交じった視線でもあった。
「いいですよ。じゃあ、方針が決まるまで、その方向で動きましょう」
「悪いな」
正義は苦笑を浮かべてさくらに謝罪した。
彼は、優しい人間なのだろう。自分の損得勘定抜きで、他人を思いやれる人間。洋平の目から見ても、刑事に向いているとは到底思えない。けれど、人間としては尊敬できる人物だ。
この事件の犯人は美咲なのに、美咲が犯人ではないという方針で動く。その決断をした2人に、洋平は、どこか罪悪感に近い感情を抱いた。美咲に捕まって欲しくないのは本心だ。けれど、この2人にも、辛い思いをしてほしくない。特に正義には。
そんな洋平の罪悪感は、次のさくらの言葉で、一瞬にして吹き飛ばされた。
「では、笹森美咲が犯人ではない証拠を集めるために、しばらく動いてみましょうか」
それはつまり、美咲の無実の証明をするために、彼女の周辺を調査することを意味する。逆説的に言えば、美咲が犯人であれば、もっとも早く彼女が犯人である証拠を見つけ出せる調べ方でもある。
罪悪感が吹き飛ばされた洋平の心には、再び、恐怖と焦りが居座った。




