渦中の人の、事実と偽り
洋平は、正義とさくらが生徒達に聞き込みをしている様子を観察していた。
あまり広くない数学準備室。入り口の正面奥に窓がある造り。その中央に机が用意され、窓側に椅子が2脚、入口側に1脚、向かい合うように配置されている。
机の上には、今日話を聞く生徒達の名前が書かれたメモが置いてあった。1年、2年、3年と区分けされ、話を聞く順に生徒の名前が横書きで記されている。少し丸みを帯びた文字から察するに、このメモを書いたのはさくらだろう。
窓側に座っているのは、正義とさくら。入口側に、この部屋に入ってきた生徒が座る。
生徒が部屋に入ってきて椅子に座ると、2人はまず自分の警察手帳を見せていた。警察が市民に任意で話を聞く際は、警察手帳を提示する義務がある。このような場でも例外ではいのだろう。
正義達の質問は、まずは当たり前の事柄から始まる。この学校の五味秀一という生徒は知っているか、という質問。
質問の切り出しは、必ずさくらが行っていた。大柄ではないが筋肉質な正義が行うと、高圧的だと感じさせてしまうからだろうか。それとも、さくらの声の通りがよく、聞き取りやすいからだろうか。理由は分からないが、彼等の間で取り決めた役割があるのだろう。
五味は2年だが、1年の中でも、彼は有名だった。聞き込みを行った1年の10人のうち、8人が彼のことを知っていた。
その評判は、人によって両極端に分かれていた。
後輩に色んな物を奢ってくれる気前のいい先輩。大勢の生徒達の中でも目立つ、存在感のある先輩。口説かれ、色んな物を買って貰ったという女子生徒もいた。
反面、付き合っている彼女にちょっかいをかけられたという男子生徒や、トイレに呼び出されて殴られたという男子生徒もいた。
聞き込みを行った正義とさくらが五味に抱いた印象は、共通していた。自分を認める人には気前がよく人当たりがいいが、そうでない生徒や自分が目を付けた女子生徒と付き合っている男子生徒には、陰湿である。承認欲求と陰湿さが同居した人物。
何人目かの生徒の聞き込みが終わり、その生徒が次の生徒を呼びに行っている間、さくらがポツリと呟いた。
「こいつは、殺されても不思議じゃないですね」
綺麗な声に似つかわしくない、辛辣な言葉だった。もっとも、その意見には洋平も同意だったが。
「滅多なこと言うなよ。問題になるぞ」
「でも、実際に殺されているわけですし、こういうふうに五味に恨みを持つ人を絞っていけば、自然と犯人にぶつかるんじゃないですか?」
「まあな」
2人は、五味のことを知っていると答えた生徒には、続けて2つの質問をしていた。六田祐二を知っているか。村田洋平を知っているか。
六田のことを知っている生徒は、五味ほどではないが多かった。野球部のエースとなれば、それがたとえ弱小校であっても、それなりに有名になるらしい。とはいえ、それだけだ。彼が五味と親しかったということを知っている生徒は、1年の中には誰もいなかった。
洋平のことを知っている生徒は、五味のことを知っている生徒よりも多かった。というより、聞き込みを行った生徒全員が知っていた。スポーツにあまり力を入れていない進学校においてボクシングでインターハイベスト8という成績を残した洋平は、それなりに目立っていたようだ。洋平自身には、そんな自覚などなかったが。
五味と洋平を知っている生徒が大半。そんな2人が起こしていた確執──というよりも、五味が一方的に起こしていた行動──も、それなりに有名だった。五味が、洋平と付き合っている女子生徒に言い寄っている。
五味と洋平の確執を知っている1年の生徒の中には、美咲に対して嫌な感情を持っている生徒が半数ほどいた。実際はそんなことなどないのだが──美咲が、2人の間でフラフラしているという印象を抱いていたり、二股をかけているという噂を耳にしたと言っている生徒もいた。
美咲が五味と付き合ったことは、ほとんどの生徒が知らないはずだ。少なくとも、美咲自身の周囲にはいなかっただろう。しかし、当事者から距離がある場所では、そんな噂が流れていたのだ。
こんな状況下で、美咲は、どのような話をするのだろうか。正義やさくらの質問に対して、どのようにして五味や六田の殺害を隠すのだろうか。
美咲自身が感知していないであろう噂や印象のせいで彼女の身が危うくなる気がして、洋平は、気が気ではなかった。もうどこにもない自分の心臓が、バクバクとうるさい音を立てている。
1年の生徒の聞き込みが終わり、2年の生徒が部屋に入ってきた。
正義とさくらが行う質問に、変化はない。変化があったのは、生徒の回答だ。
美咲と同じクラスの生徒は、当然のように五味を知っており、彼に対して良い印象はないと答えていた。六田に対しても同様だった。
洋平の印象は良かった。努力家で、真面目で、ストイック。ボクシングで優秀な成績を修めても傲慢になることはなく、勉強もできる。そんなふうに語られていた。
殺されてしまったという自分の立場も忘れて、洋平は少し照れてしまった。
美咲のクラスの3人の生徒は、彼女のことも語っていた。洋平と付き合っているのに五味に言い寄られて、迷惑そうにしていた、と。
洋平や美咲の印象に関しては、1年の話よりも、同じ学年で同じクラスの生徒の話の方が、信憑性がありそうだ。聞き込みを終えた生徒が出ていった数学準備室の中で、正義とさくらは、そんなことを話していた。
数学準備室のドアがノックされた。
「どうぞ」
さくらが、今までの生徒と同じように、ノックに対する返事をした。
机の上の、生徒の名前を書いたメモ。記入された生徒のうち、聞き込みを終えた生徒の名前の横には「済」と書かれている。
その「済」が書かれていない生徒の1番上の名前は、笹森美咲。
今までの聞き込みの中で名前が出てきた生徒だからといって、さくらは、態度や表情を変えることはなかった。どんなに少なくとも、表面上では。
「失礼します」
そう言って美咲はこの部屋のドアを開け、中に入ってきた。
「どうぞ」
さくらが、美咲を座るように促した。
「失礼します」
美咲は、正義とさくらの向かいの椅子に座った。
2人の質問は、今までの生徒達と同じように行われた。
「五味秀一という生徒を知っていますか?」
「はい」
さくらの質問に、美咲は迷うことなく答えた。表情はまったく動かない。いつもの美咲と変わらない様子だ。
「五味秀一とは、どんな人物でしたか?」
続けて出されたさくらの質問に、美咲は答えなかった。反対に、質問を返す。
「その質問に答える前に、私から質問をしてもいいですか?」
「もちろんです。私達は、皆さんに聞き込みを行う立場ですが、質問を受け付けないというわけではないです。もっとも、捜査上の事情から回答できない場合もありますが」
さくらの声はよく通り、綺麗だ。耳に優しい声、とでも言うべきか。正義と2人だけになったときに、辛辣な言葉を吐いていたとは思えない。そんな声で話せるからこそ、質問のほとんどを彼女がしているのだろう。
「では、伺いますが──」
美咲は、言葉と、言葉の間に少しだけ間を置いた。表情に変化はない。ほんの1、2秒ほど、じっと正義とさくらを見つめた。
「──村田洋平という、この学校の生徒を知っていますか?」
「存じております」
即答したのは、さくらだった。
「2ヶ月ほど前に、捜索願いが出されていますね。提出したのは、村田洋子さん──村田洋平さんのお母さんです。その際に同行したのは、笹森咲子さん。笹森美咲さん、あなたのお母さんです」
「そうです」
正義とさくらは、今まで聞き込みを行った生徒全員に、洋平のことも聞いていた。おそらく、この事件に関与している人物として、洋平のことも調べていたのだろう。その結果、美咲の存在にも行き着いていた。
捜査上の、場合によっては重要となり得る情報を簡単に話したのは、美咲が当事者だと分かっているからだ。
「もう知っているとは思いますが、私と村田洋平は幼馴染みで、付き合っていました」
正義とさくらは何も答えなかった。無表情の美咲に対して、さくらの表情が少しだけ動いた。正義の表情は、さくらよりも明確に動いている。苦虫を噛むような表情。
美咲は、彼等から目を逸らさなかった。そのまま、話を続けた。
「洋平は、2ヶ月前に行方不明になりました。さらにその前から、私は、五味に言い寄られていました。それを、ずっと、断り続けていました。私には、洋平がいましたから。だから、間違いなく、五味にとって、洋平は目障りだったと思います」
正義とさくらの表情が、明らかに曇ってゆく。美咲が何を言いたいのか、容易に想像がつくのだろう。その考えを実際に口にしないのは、美咲の言葉を待っているからだ。
「もう、私の言いたいことは分かると思いますが──」
美咲は、もったい振らずに話を進めた。正義とさくらが考えているであろうことを口にする。
「──私は、洋平が行方不明になった原因が、五味にあると考えています。もっとはっきり言うなら、五味が洋平を、どこかに連れ去ったのだと考えています。拉致をして、どこかに置き去りにしたであるとか、もしくは、どこかに監禁しているであるとか」
「いや、それはいくら何でも、飛躍し過ぎじゃないのかい?」
口を挟んだのは、正義だった。もしこの場面が漫画のひとコマなら、額に汗でも流れていそうな表情になっている。
「ただの高校生が、簡単に、人を拉致とか置き去りとか監禁とか。かなり無理があると思うけど?」
「そうでしょうか?」
美咲の表情に、変化はない。
「五味は、経済的にかなり恵まれています。彼が親にマンションの1室を買い与えられたという話はそれなりに有名ですし、修学旅行では大金を使って豪遊したという話も聞きます。有り余るほどのお金があれば、ある程度のことは簡単にできると思いますが」
「いや、それにしたって、高校生が、同じ高校生を、拉致とか……」
正義がそう言ったところで、さくらは、机の陰に隠れて、美咲に見えないように彼の腰元をポンポンと叩いた。落ち着け、という意味だろう。
叩かれた正義は、つい、さくらを見てしまった。これでは、彼女が美咲に気付かれないように彼を制した意味がない。
さくらは小さく溜息をついて、美咲をじっと見つめた。目線が、先ほどまでよりも鋭くなっている。口から出る声は、少し低くなっていた。
「笹森さんの考えはよく分かりましたが、そう思う根拠はありますか? もし本当に村田洋平さんが拉致などをされたとして、それを行ったのが五味秀一だとは限らない。まして、村田洋平さんは、ボクシングでインターハイベスト8という成績を修めるほどの人です。何の競技もしていない五味秀一が、簡単に拉致などできるとは思えないのですが」
「根拠はあります。ひとつは、これです」
美咲は、制服の胸ポケットからスマートフォンを取り出した。画面を開き、メールアプリを立ち上げる。表示したのは、洋平からのメールだった。
洋平が、美咲に最後に送ったメール。
『今日は、誰から連絡があっても絶対に家から出るな。俺からの連絡だったとしてもだ』
美咲が机の上にスマートフォンを置くと、正義とさくらがその文面を覗き込んだ。
「これは、洋平が行方不明になって、警察に捜索願いを出す前日に来たものです。受信時刻は、8時ちょうど。送信予約でもしていない限り、ここまで切りのいい時間に送受信することは、まずありません。つまり、このメールは、洋平が何らかの危機に備えてあらかじめ送信予約をしたメールであることが分かります。送信予約もせずにただ単に何かを伝えたいのであれば、LOOTを使えばいいんですから」
美咲の言う通りだった。洋平は、五味に呼び出されたあの日、万が一に備えて美咲に送信予約をしたメールを送った。LOOTでリアルタイムのメッセージを送ったら、すぐにどういうことかという返信が来ただろう。それを避けるために、わざわざ、五味の呼び出し時間に送信予約をして、メールを送ったのだ。
「送信予約をしてメールを送ったということは、予め何らかの危険がある可能性を考えていたことになります。つまり、見ず知らずの他人に唐突に拉致されたという可能性は、この時点でなくなります」
「そうですね」
美咲の発言を、さくらはあっさりと肯定した。理屈として筋が通っている以上、否定しても意味がない。
「では、もう1つのことに関してはどうでしょうか? ボクシングでインターハイベスト8になるほどの選手。それを、五味秀一のような部活も何もしていないような人間が、どうやって拉致したと?」
美咲の話を肯定した上で、さくらはもう1つの疑問点を口にした。事実を知らない彼女にとってみれば、当然の疑問だろう。洋平自身も、万が一に備えて美咲にメールを送ったとはいえ、まさか五味にやられるとは思っていなかった。たとえ自分に、絶対に手を出してはならないという制約があったとしても。
「その質問に答える前に、ひとつ前提があります」
「何ですか?」
美咲とさくらの質疑応答は続く。
先ほどさくらに制されたせいか、正義は発言を控えていた。苦しそうな歯痒そうな表情で、黙って話を聞いている。その目は、次の美咲の発言で大きく見開かれた。
「洋平が行方不明になった後、私は、五味と付き合い始めました」
正義が、机に身を乗り出した。どういうことだ、とでも聞きたいのだろう。だが、発言はしない。机に身を乗り出しながら、さくらに視線を向けた。彼女にどういうことか聞くよう、アイコンタクトを送っているのか。もしくは、単に次の彼女の発言を待っているのか。
それほど間を置かず、さくらは美咲に聞いた。
「村田洋平さんのことを探るためですね?」
「そうです」
さくらから視線を逸らさず、美咲は小さく頷いた。
「失礼を承知で言いますが、正直なところ、警察は当てにしていませんでした。捜索願いを出したからといって、すぐに行動はしないでしょうから。でも私は、一刻も早く洋平の居場所を突き止めたかったんです。だから、それを探るために、五味と付き合いました」
正義の表情が、美咲の話を聞いて一変した。驚きを型取っていた表情が、悲痛な表情となった。
正義は、事件の関係者に感情移入しやすい──さくらが先ほど言っていたのは、こういうところだろう。
「それで、どうでした?」
一方のさくらは、落ち着いた声で、美咲に質問した。
「五味のことは色々と分かりました。彼がスタンガンなどの凶器を多数持っていることや、洋平の拉致に協力しそうな仲間が多数いることも。いくら洋平が強いといっても、ただの人間です。スタンガンで電流でも流されてしまえば、簡単に一般人以下の強さになります」
「なるほど。確かに、五味秀一が村田洋平さんを拉致したという話も、笹森さんの話を聞くと現実味がありますね。それで、五味秀一から村田洋平さんの情報は引き出せたんですか?」
さくらに質問を投げかけられて、ここで初めて、美咲は嘘をついた。いつもと変わらぬ感情に乏しい表情のまま。
「いえ。まだ、何も掴めていません。何も掴めないまま五味があんなことになって、手掛かりが完全に途絶えました」
「そうですか」
さくらは、小さく息をついた。隣で悲痛な表情を見せている正義の肩を、ポンポンと叩く。
「残念ですが、我々も、村田洋平さんの情報はまったく掴めていません。それは、本当に申し訳ないです。ただ、笹森さんの推測が当たっているのであれば、五味秀一の事件を追うことで何かが分かる可能性があります。なので、もう1つ、質問に答えて頂いていいですか?」
「はい」
「六田祐二という生徒は知っていますか?」
「はい。五味の友人の1人です。六田も、もしかしたら洋平が行方不明になったことに絡んでいるのではないかと思ってます」
「そうですか」
さくらは、それ以上は何も言わなかった。それは、彼女が冷たい人間だからではないだろう。分かっているからだ。何を言っても、美咲にとっては何の慰めにもならないと。下手な慰めは、かえって美咲の心を追い詰めてしまうことを。
「ありがとうございます。質問は以上です。お手数ですが、次の方を呼んでいただけますか?」
「はい」
頷いて、美咲は椅子から立ち上がった。
ポツリと、その口から言葉が漏れた。
それは、明らかに無意識のうちに出た言葉。正義やさくらに、五味に近付いたときのことを話したせいで、当時の気持ちが蘇ったのだろう。
「洋平に会いたい」
小さな小さな、消え入りそうな声。だが、会話がなくなって静まり返った数学準備室の中では、はっきりと聞き取れる声。
正義もさくらも、つい、美咲を見つめてしまっていた。直後、2人とも、目を見開いた。正義はもちろん、さくらですら、悲痛な表情を隠せていなかった。
美咲の目から、涙が流れていた。変わらない表情のまま、涙だけが、彼女の気持ちを物語っていた。洋平に会いたい。
おそらく、美咲自身も、自分が泣いているという自覚がないのだろう。彼女は数学準備室のドアまで行くと、失礼しますと一礼し、この部屋を後にした。
自分が流している涙を、拭うこともなく。




