始まりで、どのように動き、どのように進めるか
冬休みが明けた、1月17日。
最近の昼間は晴天の日が続いていて、朝から眩しいくらいに太陽が照りつけていた。とはいえ、五味の死体が池に浮いた1月7日とは違い、気温は高くない。天気予報では、今日の最高気温はマイナス3度だった。
1月10日からは3日連続で大雪が降り、道は再び根雪で隠されていた。
通常の休み明けと同じように、美咲は久し振りの学校に向かっていた。いつも通りの時間に家を出て、いつも通りに歩き、いつもの道を通る。
ただひとつ違うのは、隣に洋平がいないこと。ただ、それだけが違う。
学校に着き、玄関で靴を履き替え、校内に入った。
廊下を歩く。もう2年近くも通っている、高校の校内。そこに、なぜか違和感を覚えた。何かが違う気がした。
2階にある教室に向かう。階段を上り、2階の廊下を歩く。
その途中で、ふいに美咲は気が付いた。スーツを着た見慣れない人達が、数名、学校内にいることに。違和感の正体は、これだった。彼等はこの学校の校長や教頭、教員達と、何かを話し込んでいた。
もし美咲が何も知らない第三者なら、ただの来客と思っただろう。
だが、美咲は、何も知らない第三者ではない。当事者であり、殺人の犯人だ。だからこそ分かる。彼等は刑事だ。学校に来ているということは、すでに、発見されたバラバラ死体の身元が判明したのだろう。この高校の五味秀一だと。
教室に入ると、クラスメイト達が、久し振りと声を掛け合っていた。冬休みのことを話したり、正月のテレビやネットにアップロードされた動画のことなどについて話している。
もっとも、美咲に話しかけてくるクラスメイトは、いなかった。それは、美咲がクラスで孤立しているからではない。いじめられているからでもない。
腫れ物のように扱われているのだ。洋平がいなくなった、あの日から。
チャイムが鳴り、いつもと変わらず担任が教室に入ってきて、朝礼を行った。これから体育館に行って、全校集会を行うという話をしていた。
何も知らないクラスメイト達は、終わってしまった冬休みに落胆した様子を見せている。いつもと変わらない休み明け。
この教室の中で、担任の様子だけが、どこかおかしかった。それに気付いているのは、おそらく、美咲だけだ。
この学校の校長や教頭、教員達の耳には、すでに入っているはずだ。五味が死体で発見されたことが。担任の表情から、隠し切れない困惑と驚愕が透けて見えた。
朝礼終了のチャイムが鳴ると、担任の指示で教室から出て、各々が、全校集会を行う体育館に向かった。
ここでも美咲は、ひとりだった。周囲の生徒達が会話をしながら歩いているところを、どこか他人事のように見ていた。
今まで自分と一緒に歩いていた洋平は、もうどこにもいない。
知らない生徒も、知っている生徒ですら、ただ通り過ぎるだけの他人に見えた。
自分だけが、まるで別世界にいるようだ。周囲の景色には色が着いているのに、自分だけが白黒で、この世界での存在が希薄になっているような感覚。
心の中が、まるで水を吸った布地のように重かった。重さに耐えかねて、足を止めてしまいたかった。染み込んだ水を絞り出すように、この場で泣き出したかった。大勢の人に囲まれて、彼等の話を聞いていると、自分が完全に孤独になってしまったように感じた。何もかも捨てて、自分の命すら投げ出すように、息を止めてしまいたかった。
それでも美咲は、欲求を抑え、いつものように感情を表に出すこともなく、行動した。
周囲と同じように、体育館に向かう。自分には、まだ、やるべきことがある。それを終えるまでは、息を止めてはいけない。
歩きながら、考える。刑事が学校に来ているということは、ここで五味について調べているはずだ。それは間違いない。
問題は、刑事達が、自分達にも聞き込みを行うのか、ということだ。聞き込みは間違いなく行われるだろう。それは、いつ、どのタイミングで行われるのか。
五味が殺されたことは、すでに教員達の耳にも入っているはずだ。生徒達に周知されるのは、これからだ。
どこで知らされるのか? どんなタイミングで?
今から行われる全校集会だろうかと考えたが、その可能性は低そうだ。生徒全員が集まっている体育館でそんなことを周知したら、軽いパニックになってしまう。
それならば、全校集会の後で知らされるのだろうか。それとも、明日になってから知らされるのだろうか。
いずれにしても、対策は必要だ。刑事に何かを聞かれたときに、どう答えるべきか。どんな反応を示すべきか。
殺すべきターゲットは、あと2人残っている。彼等を殺すまでは、捕まるわけにはいかない。
体育館に着いて、全校集会が始まった。恒例の、校長の話。
校長の話はいつも通り無駄に長かったが、どこか歯切れが悪かった。何度も言葉を噛んでいた。自分の学校の生徒がバラバラ死体で発見されたと知って、心中穏やかではないのだろう。
歯切れの悪い校長の話を生活音と同じレベルで聞き流しながら、美咲は考え続けた。刑事達に五味のことを聞かれたときに、どう答えるべきか。どんな反応を見せるべきか。
どうすれば、自分が逮捕されることを、少しでも遅らせることができるか。
そう遠くない未来に殺人犯として逮捕されることは、とっくに覚悟していた。五味を殺すと決意した瞬間から。ただそれは、洋平の仇である4人を全員殺してからだ。今すぐ捕まるわけにはいかない。そのためには、自分が犯人だと疑われてはならない。
そこまで考えて、美咲はふと思った。
疑われないことなど、あるのだろうか。
ドラマやニュースの中でしか知らないが、刑事は、人を疑うのが仕事だ。事件が起こって犯人を捜す場合、少しでも犯人の可能性がある人間を疑い、調べ、幾多の可能性の中から犯人を絞り出してゆく。
そんな刑事達にまったく疑われないようにすることなど、可能なのだろうか。
いや、不可能だ。たとえ五味と知り合いですらなかったとしても、五味と同じ学校に通っているというだけで、ほんのわずかだとしても疑われるはずだ。
まして、美咲は、周囲の人達が見ているところで、何度も五味に言い寄られ、断り続けていた。それだけで、疑わしさの度合いは、かなり上位に位置付けられるだろう。刑事の視点から見れば。
自分は疑われる。
それを前提に、美咲は思考を進めた。
校長の話は、まだ続いている。隣の男子生徒が、大きなあくびをした。
洋平が行方不明になった後に美咲が五味と付き合い始めたということは、まだ、ほとんどの人に知られていないはずだ。
といっても、人の口に戸は立てられない以上、どこから話が漏れて人の耳に入っているか、分からない。
自分は五味に言い寄られていただけで、彼とは何の関係もない。そう刑事に言った場合に、もし五味との付き合いが刑事に知られたら、疑わしさは何倍にもなるはずだ。それこそ、容疑者候補筆頭とも言えるほどに。
それならば、刑事に五味のことを聞かれたときは、ある程度は事実を混ぜて話すべきだろう。
方向性を決めて、美咲は、具体的な話を練り始めた。洋平が行方不明になってから、美咲は五味と付き合い始めた。そのことが刑事の耳に入っても、美咲への疑いが強くならないようにするには、どんな設定にすればいいか。
答えは簡単に出た。自分は、洋平が行方不明になったことについて、五味が絡んでいると思った。だから、洋平のことを聞き出すために、五味に近付いた。そこまでは、ありのままの事実を伝えよう。
洋平の死は、今のところ、誰にも知られていない。少なくとも、一般には公表されていない。たとえ、警察が洋平の生死に関する事実を掴んでいたとしても。つまり、本来であれば、美咲も、洋平の死を知らないはずなのだ。
だから、自分は、洋平が生きていることを前提に行動していると装うべきだろう。洋平は生きていて、五味に関わる何かがあって行方が知れない状態である。美咲は洋平の居場所を知るために、五味に近付いた。このような設定にすれば、美咲が五味を殺す理由はなくなる。むしろ、洋平の居場所を知るためには、五味に死なれては困る。
もともと、美咲が洋平の居場所を知るために五味に近付いたというのは、本当の話だ。当初は、そのつもりだった。いくら五味がクズだといっても、まさか、洋平を殺しているなどとは思っていなかった。
事実に嘘を混ぜる。まるで、森の中に木を隠すように。
仮に、七瀬や八戸が、五味と美咲が付き合っていたことを刑事に話したとしても、違和感はないだろう。美咲は洋平の居場所を知るために五味と付き合い、その場面を、美咲の真意を知らない七瀬や八戸が見ていた。そう思われるはずだ。
五味と付き合うときに、色んな表情の練習をした。楽しそうに笑う顔。不安と心配を抱えたような顔。辛そうに苦笑する顔。美咲は本来、感情が表に出ない。五味を騙して自分を信用させるため、言葉だけではなく表情も使った。
それはきっと、刑事を騙すときも利用できるはずだ。
刑事に話す設定ができあがった。自分が作り出した設定に矛盾がないか、美咲は、頭の中で細かくチェックした。美咲が洋平と付き合っていたことは、周知の事実だ。五味と付き合っていたことは、ほとんどの人が知らない──美咲が把握している限りでは、五味本人と六田、七瀬と八戸しか知らない。仮に他の人も知っていて、それを刑事に話したとしても、この設定であれば矛盾はない。
設定ができあがると、次はシナリオを考えた。刑事に五味のことを聞かれたときに、どんなふうに話すべきか。この設定を、説明口調にならず、いかに感情を込めて話すか。
刑事に五味のことを聞かれる。聞かれたときに、どういった話から口にすべきか……。
美咲がシナリオを考え始めた頃、校長の話が終わった。
長い話を終えた校長は、最後にこのようなことを言った。
「この後、教室に戻ったら、各クラスの担任の先生から重大な話があります。また、今日は始業式で、本来であればすぐに下校となりますが、必要に応じて残っていただくことになります。もし、今日は予定があるという人がいたら、そのことを担任の先生に伝えてください」
教室に戻ったら、五味の死体が発見された話をされるのだ。美咲はすぐに、そう理解した。
「それでは、一旦、教室に戻ってください。混雑しないよう、1年1組から、順にお願いします」
校長の指示通り、1年1組から順に、体育館から出て行った。
自分が教室に戻るまで、美咲は、じっくりと、自分の頭の中でシナリオを練り上げていった。




