どうやっても消えないものを、消えると信じて
12月28日に六田を殺し、死体を始末した。翌日の29日に、五味の家を掃除して殺人の痕跡を消した。その際に、今後使うかも知れないからと、五味のスタンガンを持ち帰った。
殺すべき対象は、あと2人。
美咲の部屋のデジタル時計が、午前0時を表示した。
元旦──1月1日の、午前0時。
美咲にとっては3歳のとき以来の、洋平がいない正月だった。
ベッドに座って外を見てみる。雪が緩やかに降っていた。
こんな時間なのに、明かりが消えている家の方が少なかった。新年だからだろう。これから初詣に行く人も多いはずだ。
美咲も、洋平と付き合い始めてからは、新年を迎えると同時に彼と一緒に初詣に行っていた。積もって根雪となった道を歩き、寒さに震えながら神社の列に並ぶ。そこに辿り着く前に自動販売機で買った、温かい缶コーヒーを手に持って。
缶コーヒーで両手を温めながら、傍らにいる洋平に寄り添っていた。
でも、もう、洋平と一緒に初詣に行くこともできない。彼と一緒に願い事をして、おみくじを引いて、出た吉凶に笑い合うこともできない。
当たり前の日常も、イベントごとの幸せな時間も、もう2度と戻らない。
美咲の心に感情の炎が燃え上がった。火が灯って、大きな炎となった。周囲に火の粉を飛ばす、大きな炎。もっとも憎むべき存在を──五味を殺したのに、この気持ちは、消える気配すらなかった。
きっと、残りの2人を殺せば。
洋平の仇を全て殺せば、きっと。
生き残っているのは、七瀬と八戸。あの2人をどうやって誘い出し、殺すか。窓の外を見ながら、美咲は、いかにして2人を殺すかを考えていた。
とはいえ、すぐに殺しを実行に移すのは、難しいだろう。年末年始は、さすがに咲子も家にいる。あまりに長く家を空けていると、不審に思われるかも知れない。
咲子は、例年は、クリスマスを過ぎたあたりから三が日までの間、ずっと家にいた。盆暮れ正月など関係ない仕事をしている洋子に代わって、洋平の母親のように彼の面倒も見ていた。
だが、今年は違っていた。咲子は昨日も朝早くから出かけ、夜遅くに帰ってきた。
もしかしたら、仕事ではなく、洋平の居場所を探すために動いているのだろうか。そんな考えが頭に浮かんで、美咲は胸に痛みを覚えた。
洋平は、もうどこにもいない。どれだけ探しても、決して見つからない。
正直なところ、咲子が家を空けることが多かったお陰で、五味や六田を殺す作業が手際よく進められた。あまりに長いこと家を空けると不審がられたかも知れないが、咲子が不在のことが多かったので、気にする必要がなかった。
だからといって、決して見つかるはずのない洋平の探索に尽力する咲子に対して、何も感じないことはない。そこまで、美咲の心は荒んでいない。
いや。狂い、荒んでいた心に、当たり前の感情が戻りつつある、と言うべきか。
咲子に対しては、確かに心が痛んでいる。洋平のことを彼女に告げて、彼女から洋子に伝えられ、一緒に泣きたい。悲しい気持ちを分かち合いたい。そんなことを、当たり前に思うようになった。
それをしないのは、咲子や洋子に対する心の痛みよりも、心中で燃え上がる気持ちの方が、圧倒的に強いからだ。心の中で揺らめき続ける大きな炎は、咲子達に対する気持ちすら、一瞬で蒸発させてしまう。それほどの熱量を放っていた。
最も憎むべき五味は、もういないのに。
それでも、心の炎を鎮火させるために、ひらすら復讐に自分の力を注ぎ込む。咲子が不在であることを利用できる程度には。
とはいえ、今は、そうもいかない。
七瀬や八戸を殺す手段をどれだけ考えたところで、咲子が1日中家にいる以上、うかつには動けない。
それならば、今のうちに、親孝行でもしておこう。この先、自分は、間違いなく、世界一親不孝な娘になるのだから。
今の自分の行動が咲子や洋子にどんな影響を与えるのか。それを理解できる程度には、美咲は理性を取り戻していた。
美咲はベッドから降り、部屋を出た。1階に降りる。
リビングの明かりは、まだ点いていた。
リビングのドアを開けた。
「お母さん」
咲子は、ソファーに座っていた。テレビが点いていて、新年を祝う番組が放送されている。しかし、彼女にテレビを見ている様子はない。考え事をしていたようだ。呼ばれて、ハッとしたように美咲の方を振り向いた。
「どうしたの? 美咲」
「あのね、初詣に行かない?」
咲子と、親子の時間を過ごしたい。そう遠くない未来に、自分は警察に捕まり、少年院にでも入れられることになるだろうから。
咲子はしばし呆けたような顔を見せた後、小さく頷いた。
「そうだね。今年からは、私と行こうか」
咲子は、疲れた表情をしていた。
美咲は、自分の想像が当たっているのだと思った。きっと、咲子が年末になってもあまり家にいなかったのは、仕事ではなく、洋平を探すために動き回っていたのだ。その成果が出なくて、精神的に疲れているのだろう。
どれだけ探しても、洋平は、絶対に見つからない。もし見つかるとすれば、それは、彼の遺体だ。
その事実に、美咲の心が痛んだ。心臓が締め付けられる。それでも美咲は、無理に笑顔を浮かべた。五味達を殺すために練習した笑顔がこんなところでも使えるなんて、皮肉以外の何ものでもない。なんだか、苦笑したい気分だった。
「じゃあ、私、用意するから。お母さんも用意してね」
「うん」
美咲は自分の部屋に戻り、コートを羽織った。五味や六田を殺したときに着ていた、黒いコートではない。いつも着ていた、ベージュのコート。五味に買わせたコートなど、殺しをするとき以外は、袖を通したくない。
1階に戻ると、すでに咲子は身支度をしていた。
「じゃあ、行こうか、お母さん」
「そうだね」
ふいに、美咲は思い立った。
「おばさんも誘おうか」
おばさん──洋子だ。洋平の母親。洋平の行方が分からなくなってから、すっかり元気をなくしていた。仕事には行っているようだが、それ以外は何もしていない。咲子や美咲が彼女の家に顔を出して、食事の用意をすることもあった。そうしなければ、彼女は、食事すら取らなかったかも知れない。それほど、危うかった。
いつか、洋平が殺されたことが、洋子の耳にも入るだろう。そのときに受けるショックは、今の比ではないかも知れない。それまでに、少しでも、気持ちを持ち直して欲しかった。美咲にとって、洋子は、母親も同然なのだから。
美咲の提案に、咲子は首を横に振った。
「今の洋ちゃんは、そっとしておいてあげた方がいいと思う。沈むだけ沈んだら、なんとか持ち直すだろうし」
咲子は、悲しそうだった。洋子が持ち直すというのは、推測ではない。咲子の願望なのだろう。
「そうだね」
2人は家を出た。すぐ近くの市営住宅を見上げる。洋平の家の明かりは、消えていた。洋子は夜勤なのか、もしくはもう寝てしまったのか。いずれにしても、初詣に誘うことはできなかったわけだ。
車庫を開けて、車に乗った。近くの神社まで、10分ほどか。
咲子は車を走らせた。
ライトを点けた車が、夜道を走る。元旦だからか、こんな時間なのに、車の通りは多かった。
車内で、会話はなかった。今の状況で明るい話題など出るはずがないし、暗い話ばかりだと気持ちが暗く沈んでしまう。必然的に、会話はなくなる。
静まり返ると、美咲は、どうしても、次の殺しのことを考えてしまう。七瀬と八戸を、どうやって殺すか。どうやって誘い出すか。
七瀬は、強い者に媚びるお調子者だ。自分の立場が弱くなると途端に小心者になるだろう。その性質を利用すれば誘い出せるだろうが、手段が思い浮かばない。
八戸はどうやって誘い出すか。気が弱く臆病な彼を罠に嵌めるのは、ある意味、4人の中で1番難しい。
考えを巡らせる。頭を働かせる。五味や六田は、自分の欲求に正直な分、簡単だった。残りの2人は、同じ方法では駄目だろう。
思考を巡らせていると、いつの間にか、神社に着いていた。混み合っている駐車場に車を停め、降りる。
すでに大勢の人が、行列を作っていた。
美咲と咲子も、どちらからともなく歩き出し、行列に加わった。
無言のまま並ぶ。少しずつ、前に進んでゆく。
「美咲」
2人の間の沈黙を破ったのは、咲子だった。
「最近、どう? 落ち込んでない?」
あえて、咲子は洋平の名を出さなかった。彼の名を出さずとも、伝わると思ったのだろう。同時に、彼の名を出すと、気分が沈んでしまうだろう、とも。
「まあ、なんとかやってる。気晴らしもしてるしね」
「スポーツジムとか、友達と遊んだりとか?」
「うん、そう」
五味や六田を殺すことで気を晴らしている、などとは言えない。
「でも、ね……」
美咲の口からは、自分でも意外な言葉が漏れた。そんなことを考えたわけでもないのに。
「……そうしてるときは一瞬だけ忘れられるけど、また、色々考えちゃうの。色々思い出して、辛くなって……」
五味を殺したとき、快楽に似た感情を覚えた。洋平の仇を討てたという、達成感にも似た快楽。けれど、すぐに辛くなった。洋平がいないという現実を噛み締める度に、悲しみが心を満たしてゆく。その感情は、器から水が溢れるように、零れ出す。
同じように心の中で燃えさかる炎とは、対照的に。
結局は、と思い知る。結局は、洋平の仇である4人を全員殺さないと、気持ちは晴れないんだ。
「そう……。でも、洋ちゃんもだけど、あんたも、少しずつでも、気を持ち直さないと」
「そうだね」
私は、大丈夫。洋平の仇を討てれば、きっと大丈夫。その言葉を、美咲は飲み込んだ。
ふいに、美咲は、何か違和感を覚えた。何にと聞かれれば、答えることはできない。何かが心に引っ掛かった。
美咲が違和感の正体に気付けないまま、列は前に進んだ。
美咲達が先頭になった。
美咲と咲子は賽銭を投げ入れ、本坪鈴を鳴らし、手を合わせた。
美咲が願うことは、ただひとつだった。自分が行った殺人が明るみに出ても、咲子や洋子が平穏に暮らせますように。
洋平の仇を討つことに関して、神頼みをする気はなかった。自分の力だけで、洋平の仇を討ちたかった。
お参りを終えて、美咲と咲子は列から離れた。そのまま、車に向かった。おみくじは引かなかった。今は、大吉と出ても虚しいだけだ。大凶と出ても、卑屈になるだけだ。
車に戻る途中で、咲子が、独り言のように言った。
「洋平君、早く見つかるといいね」
美咲がそう願ったと、咲子は、信じて疑わないのだろう。
「そう……だね……」
つい、嗚咽が漏れそうになる。洋平は、決して生きて戻ることはない。必死に涙を堪えながら、歩く。
美咲は気付かなかった。自分の隣を歩く咲子の目にも、涙が浮かんでいることに。




