纏った狂気は、たとえ惰性であっても
北国の学校の冬休みは長い。クリスマス前にスタートし、1月中旬まで続く。
美咲が五味を殺したのは、冬休み開始直後のクリスマス・イヴだった。
翌日の25日の夜に五味の死体を池に沈め、さらに翌日の26日には、五味の部屋を、殺人の痕跡を残さないように徹底的に掃除をした。
その次の美咲の行動は、洋平が思っていたよりも遙かに早かった。
12月28日。その、昼前。
美咲の部屋の窓からは、明るい日差しが差し込んでいる。真冬なので寒いだろうが、外出する気分になれる陽気。
美咲は、LOOTで、六田にメッセージを送った。
『五味と連絡が取れないの。何か知らない? 詳しく聞きたいから、待ち合わせしない?』
『いいけど、俺も五味と連絡が取れないし、どうしているかも知らない』
5分もしないうちに返ってきたメッセージは、そんな内容だった。
美咲は気にせず、メッセージの送信を続けた。
美咲は五味の行方を知っているのだから、いちいち六田の反応に付き合う必要はない。
五味は死んだ。
次は、六田が殺される番だ。
『五味の家の近くにあるカフェは分かる? ちょっと可愛い感じの』
『まあ、なんとなく分かる。他に誰か呼んでるのか?』
『ううん。六田君だけ。あの中では、六田君が1番、話しやすそうだから』
美咲は、よく考えて六田へのメッセージを打っているようだ。彼が簡単に、美咲との待ち合わせ場所に来る気分になれるような言葉を。
『五味と連絡が取れなくて、心配だし、寂しいの。だから、ちょっと相談にも乗って欲しくて』
メッセージの文面で、意図的に、六田に隙を見せている。成り行きでセックスができそうだと思わせる隙を。
美咲は、五味の家で飲み会をしたときに、彼の取り巻き3人の様子を観察していた。それぞれの人柄や性格を分析し、じっくりと考えたのだろう。
どうやったら簡単に誘い出せ、殺せるか。
あの4人の中で、五味と六田は、対等に近い立場にあった。承認欲求が強く周囲に認められたい五味と、自己顕示欲が強く自分が優秀だと主張したい六田。
六田は、酔った勢いもあるだろうが、自分がいかに優れているかということと同時に、自分がいかに女に好かれ、どれだけの女を抱いたかということを語っていた。女を落とせるタイミングや行動を、さも自慢気に。
あのとき語った言葉が六田の本心で、彼の人柄をそのまま表しているのなら、美咲の誘いに、簡単に乗るだろう。
『分かった。すぐ行く』
六田のメッセージの返信は早かった。この反応で、容易に彼の本心が知れた。
六田は、五味と表面上は親しくしているが、友人として大切だとは思っていない。五味が惚れて付き合っている女でも、チャンスがあれば、簡単に裏切って手を出せる。
その行動が死を招くとは、思いもしないで。
六田を誘い出した美咲は、自分も、身支度を調えて家を出た。彼女にしては珍しく、少し濃いめの化粧。男の目を引くような色にした唇。涙袋を目立たせるように仕上げたアイメイク。
バッグの中には、五味を殺したときに使用したサバイバルナイフを忍ばせた。
洋平には、美咲の意図が手に取るように分かっていた。彼女は、五味の家の鍵を未だに所持している。六田を五味の家に連れ込み、セックスをし、眠り込んだところを殺すつもりなのだ。
まるで自分のことのように、好きな人の気持ちが分かる。それは本来、嬉しいことのはずだ。自分が、自分の好きな人に近付けた気がして。心が触れ合えた気がして。
だが、まったく嬉しくない。もし、今の洋平に体があったなら、間違いなく、血が出るほど唇を噛んでいただろう。
美咲がカフェに着くと、六田はすでに来ていた。カフェの前で、スマートフォンを操作している。
「ごめんね、待った?」
美咲が六田に駆け寄り、聞いた。
「いや、全然。じゃあ、入るか」
「うん」
頷きながら、美咲は寂しそうな笑顔を浮かべた。少しだけ目元を締めると、メイクで目立たせた涙袋が際立った。妖艶な、という言葉が見事なほどに当てはまる表情だった。
美咲は、意図的に、六田にそのような表情を見せているのだ。
美咲の姿を見た六田は、彼女の思惑通りの状態に陥ったようだ。
つまり、美咲を見て性的欲求に駆られている。
六田が静かに固唾を飲み込んだことを、洋平は察知していた。
店に入る。店内は過度な装飾などされておらず、落ち着いた雰囲気を出していた。カウンター席が5つ。ソファー掛けのテーブル席が6つ。テーブル席はいずれも、4人掛けだった。
店内にいる客は5人。カウンター席に1人と、テーブル席に4人。
店員に案内され、美咲と六田は、テーブル席で向かい合うように座った。
2人ともコートを脱ぐ。
美咲は、コートの下にセーターを着ていた。体の線がはっきりと浮き出るような、少し小さめのセーターだった。
六田は、美咲の体を舐め回すように見ていた。もちろん、露骨にではなく、メニューを見る振りをして彼女に気付かれないように。
六田の情欲を誘っている美咲が、彼の視線に気付かないはずがない。
六田に見せつけるように、美咲は、メニューも見ずにソファーの背もたれに寄りかかった。胸が強調されるような格好。
艶を出した唇から、吐息ような言葉を吐き出す。
「私はコーヒーだけでいいや。あんまり食欲ないの」
「……そうか」
メニューを自分の目の前に置きながらも、六田は、まったく見ていなかった。美咲の体をじっくりと見ている。彼女の胸と唇を、彼の視線が何度も行き来している。
「俺もコーヒーだけでいいかな。あんまり腹減ってないし」
そもそも六田は、メニューを見てさえいない。この店にどんな料理があるのかも分からないだろう。
店員を呼び、コーヒーを2つ頼んだ。
コーヒーはすぐに運ばれてきた。
2人がコーヒーを口にする。
カップに口を付けながらも、六田の視線は、相変わらず美咲の体を舐め回している。
洋平にとって不快でしかない、美咲に向けられる六田の視線。けれど、そんなことも隅に追いやられるほど、洋平の心を満たしている感情があった。
激しく強い、後悔だった。
「……クリスマスの夜にね、私、五味の家を出たの」
コーヒーを口にしながら、美咲は話し始めた。
「イヴの夜には、たくさん抱いてくれて──それこそ、一晩中抱いてくれたの。何回も」
六田がコーヒーを喉に通す。ゴクリと、やや大きめの音が鳴った。彼は、美咲の話の序盤を聞いただけで、興奮を抑え切れなくなっているようだ。
「家の鍵まで渡してくれたの。いつでも来ていい、って。嬉しかった。また抱いて欲しくて、次の日にも、五味の家に行ったの。でも、いなかった……」
美咲はコーヒーを口に運ぶと、カップをテーブルに戻した。塞ぎ込むように、背中を丸めて目を伏せる。六田の視線の角度からは、美咲の体のラインが見えにくくなっているはずだ。
六田はテーブルの上に身を乗り出した。美咲の胸を覗き込める角度。見方によっては、彼が真剣に美咲の話を聞くために、身を乗り出したようにも思える。六田自身も、それを意識して身を乗り出したのだろう。
美咲は、六田の真意に気付いているだろうが。
「私ね、寂しくて。五味のケータイに、何度も電話したんだ。LOOTでメッセージも送ったの。でも、電話にも出ないし、メッセージも既読にならないの」
そこまで言って、美咲は伏せた顔を上げた。
六田と美咲の視線が絡んだ。
六田が身を乗り出しているせいか、2人の距離は、必要以上に近くなっていた。
「男の人って、どうなのかな?」
「どう、って?」
「一晩中抱いたら、自分の彼女でも飽きたりするのかな? あれだけたくさんしたら、もう十分だなんて思ったのかな……?」
美咲は、六田を殺すまでの経緯に、時間を掛けるつもりはないらしい。彼の欲求を刺激する話題を出し惜しみせず、次々と口にしている。
六田は、そんな美咲の思惑に、完全に陥っていた。彼の頭の中は、すでに、美咲とセックスすることでいっぱいだろう。その頬はやや紅潮し、性的興奮が高まっていることを明確に示している。
「私、不安で、寂しくて……」
『寂しいとか言ってくる女がいたら、そのタイミングで100パーセント落とせる』
それはかつて、六田自身が言っていた言葉だ。その言葉通り、彼は、美咲を落としにかかった。
結果として、自分が地獄に落とされるとも知らずに。
「美咲」
六田は、美咲の手に触れた。笹森、ではなく、美咲、と呼んだ。
「少し、落ち着ける場所に行こうか。こんなところよりも、2人だけになれる場所の方が、落ち着けるだろ?」
美咲は六田の目を見つめた後、小さく頷いた。
「ありがとう。じゃあ、一緒に五味の家に行ってくれる? 鍵持ってるし、近いし、落ち着けるし……」
五味の家。そう言われて、六田は少し返答に時間がかかった。
五味が死んだことを知らない六田は、美咲とセックスをしているタイミングで五味が帰ってくる可能性を考えたのだろう。同時に、頭の中で計算したはずだ。もしここで、別の場所──例えば、ラブホテルなど──に美咲を誘ったら、拒否されるかも知れない、と。
美咲への性的欲求に満ちている六田は、簡単にリスクを背負った。五味がすでに死んでいる以上、六田の不安はただの杞憂なのだが。
「わかった。じゃあ、一緒に五味の家に行くか」
「ありがとう」
コーヒーを飲み干し、六田は伝票を持って席を立った。美咲も彼に続く。
会計を済ませて、店を出た。
六田は、美咲の料金も当たり前のように自分で払っていた。自分の分は自分で払うと言った美咲を制して。格好つけて、上手く美咲とのセックスに持ち込みたいのだろう。
そんなことをしなくても、美咲は六田とセックスをする。セックスをし、油断させ、疲れて眠った六田を殺すつもりなのだから。
カフェから五味の家までは、5分ほどだった。
鍵を開け、家の中に入る。
殺人の痕跡は、まったく残っていない。丸1日かけて、美咲は完璧に掃除をし、さらに喚起もして臭いを消し去った。不自然な点があるとすれば、男の1人暮らしの家にしては綺麗過ぎることくらいだ。だが、美咲とのセックスに対する期待と興奮に支配されている六田が、そんなことに気付くはずがない。
美咲は、まったく不自然さを感じさせない足取りで、寝室に六田を案内した。コートを脱ぎ、ベッドに腰を下ろす。
六田には、今の美咲があまりにも無防備に見えているだろう。簡単に押し倒せそうな、都合のいい女。
それが、美咲が仕掛けている罠だとも気付く様子は、微塵もない。
六田も、コートを脱いでベッドに腰を下ろした。肩と肩が触れ合いそうなほど、美咲のすぐ隣に。
美咲は、自分が腰を下ろしているベッドの羽毛布団を撫でた。まるで、幸せな思い出を振り返るように。
「イヴのときね、ここで、五味が抱いてくれたの」
美咲が撫でている羽毛布団は、当然、五味とセックスをしたときの物とは違う。血まみれになった羽毛布団は細かく切り刻み、とっくにゴミとして処分している。あのときのシーツも同様だ。
今、ベッドマットを包んでいるシーツや羽毛布団は、2日前に美咲が購入した安物だ。その金の出所は、五味の財布だった。
「相性がいいっていうのかな……すごく気持ちよくて、幸せだったの」
美咲の言葉が、六田を刺激してゆく。
「これから、何度でも抱いてくれると思ってたのに……」
羽毛布団を撫でながら言うと、美咲は、六田に視線を向けた。
六田は、興奮状態になりながら、ずっと美咲を見つめていた。
カフェにいたときよりもずっと近い距離で、2人の視線が絡んだ。
カフェにいたときとは違い、ここでは、何をしても問題はない。
六田はもう、自分の欲求を抑え切れなくなっていた。彼の行動は、早かった。
「寂しいなら、慰めるよ」
六田は、美咲の肩を抱き寄せた。
美咲は何も言わない。拒否もせず、あえて自分から受け入れるような行動もせず、ただ六田の行動に身を任せた。
2人の唇が重なった。そのまま、ベッドに倒れ込んだ。
美咲は、自分の掌の上で六田を泳がせ、あっさりと、思惑通りに事を運んだ。




