憎悪は、狂気を纏う
※この話には凄惨なシーンが含まれます。苦手な方はご注意ください。
シャワーを浴びて髪の毛を乾かし、美咲は、出かける準備をした。
スマートフォンで、近所にあるホームセンターの場所を検索する。五味の死体を解体するノコギリや池の氷を割る金槌、その他の死体処理に必要な物を購入しなければならない。
1番近いホームセンターは、この家から歩いて10分ほどの場所にあった。開店は午前9時。
8時50分に、美咲は家を出た。五味が持っていた鍵で、しっかりと施錠をする。泥棒が入って死体とご対面、などということになったら、笑えもしない。
スマートフォンで、地図を検索しながら歩く。迷うことなくホームセンターに辿り着けた。店内に入って金槌とノコギリ、軍手を買い物かごに入れた。
さらに、大きめのタオルも何枚か買った。
万が一、池の中から五味の死体が発見されたら。そうなったときのことも、すでに美咲は考えていた。五味の家に、自分の痕跡を残すわけにはいかない。指紋を全て消し、髪の毛も残さないようにする必要がある。そのために長かった髪の毛をショートにしたのだ。額にタオルを巻き、部屋に髪の毛が落ちにくいようにするために。
念のため、消臭剤も2つ買った。五味の死体の腐敗が始まり臭いを発し始めても、誤魔化せるように。
さらに、五味の死体の解体時に、彼の体の下に敷くブルーシートも買った。
思い立つ必要な物を、次々と購入してゆく。予算の心配はしなくていい。五味の財布には、10万以上入っている。
必要な物を買い揃えると、美咲はホームセンターを後にした。
真冬の午前。天気はいいが、ゆるやかに吹く風は、肌に突き刺さるほど冷たい。
購入した物を入れたビニール袋は、なかなか重かった。袋の取っ手が指に食い込んで痛い。さらに、下腹部が痛んで歩きにくい。
痛みは美咲を不機嫌にし、その要因とも言える五味への怒りはますます強くなっていった。
家に着いて、鍵を開けた。玄関に入る。
家の中に入っても、腐臭はしなかった。まだ、五味の死体は腐り始めていないようだ。とはいえ、それも時間の問題だ。手早く作業をして、さっさと沈めないと。
コートを脱いでリビングに置く。さらに、服を脱いで下着だけになった。五味の死体を解体する際に、服に血や肉片が付いて異臭を発したら困る。だから、できるだけ薄着で作業をする。
下着姿で、美咲は寝室に行った。この部屋だけが、家の中で異常なほど冷え切っていた。冷房はまだ切っていないし、窓も開けたままだ。
寒さで体が震えた。
買い物用ビニール袋から、必要な物を取り出した。タオルを頭に巻いて、できるだけ床に髪の毛が落ちないようにした。ブルーシートを、ベッドのすぐ横に広げた。解体用のノコギリをパッケージから出し、滑り止めが付いた軍手を履いた。
よし、と美咲は、小さく呟いた。すでに硬直している五味の死体の腕を掴み、ベッドから引き摺り下ろす。
五味の体は──死んだ人間の体は、美咲の想像以上に重かった。上手く下ろせず、ベッドから落としてしまった。上手い具合にブルーシートの上に乗ったが、落とすときに半回転してしまい、彼はうつ伏せの状態になった。
五味の下腹部に刺したナイフは、まだ抜いていない。そのせいで、頭を床に付けたまま、足の方が浮いている状態となった。下腹部──股間に刺さったままのナイフが、彼の体を斜めに維持しているような状態だ。
その姿はあまりに滑稽で、惨めとさえ言えるものだった。つい、美咲は失笑した。
死んだ後でもなお、こんな屈辱的な格好になっている。
美咲は、洋平の死を知った瞬間から、壊れてしまっていた。正気を保ったまま狂っていると言っていい。だからこそ、何の躊躇いもなく五味を殺せた。
そんな美咲だからこそ、今の五味を見て、笑ってしまった。彼が惨めであれば惨めであるほど、憎しみや怒りを抱えながらも、笑えた。
「それじゃあ、バラバラになろうか」
美咲はノコギリを手に取り、最初に、うつ伏せになった五味の首に刃を当てた。ノコギリを押し、引く。
死後硬直した五味の体は、想像以上に固かった。さらに、骨も固い。この数週間トレーニングをして体力と筋力をつけたとはいえ、簡単とは言えない作業だった。
五味の死体を詰めるキャリーバックは、かなり大きい。とはいえ、彼の体を詰めるためには、少なくとも頭と四肢は胴体から切り離す必要がある。しかし、これだけの固さの物を解体するには、相当時間がかかるかも知れない。それこそ、今日一日では終わらないほどの。
惨めな五味を見て込み上げてきた笑いが、消え去った。時間が経てば、死体は腐り、腐臭を発し始める。購入した消臭剤など、意味を成さないほどの悪臭になるだろう。解体に時間は掛けられない。しかし、固い。
どうしたらいい?
考え込む美咲の目に、購入した金槌が映った。美咲はそれを手に取ると、思い切り、五味の頸椎めがけて振り下ろした。
ゴンッ、とバキッ、という音が、同時に響いた。硬直して柔軟性を失った五味の体は、金槌の衝撃を逃がすことができずに受け止めていた。
美咲はさらに数度、金槌を五味の頸椎付近に振り下ろした。
金槌をノコギリに持ち替えて、再び五味の頸椎に当てて押し引きしてみる。先ほどよりも簡単に、刃は五味の首に吸い込まれていった。
これならいける! 美咲は全力でノコギリを動かした。固くなった肉を切り裂くゴリゴリという音が耳に届いていた。すでに血圧がなくなっているので、血は滴り落ちる程度にしか流れなかった。
それでも、首を切り落とす頃には、五味の顔の下に小さな血溜まりができていた。
首を切り落とすと、斜めになっていた五味の体は、股間に刺さったナイフを支点に、シーソーのように動いた。今度は足が床に付いた。重い頭を切り離したことで、重量のバランスが変わったのだろう。
惨めで、滑稽な姿。先ほどまでなら笑えた、五味の姿。
もう、美咲は笑わなかった。五味が惨めで滑稽な姿になるのは、この短時間の間に、美咲の心の中で当たり前のこととなっていた。
洋平を殺した五味がこんな惨めな姿を晒すのは、当たり前。2度も3度も笑いを取れるほど、特別なことじゃない。
笑いもせず、美咲は時計を見た。
解体作業開始から首を切り落とすまで、1時間ほどかかった。
時刻は、午後12時になっていた。ちょうど昼時だ。
できるだけ細かく解体したいところだが、それは時間との勝負になる。最低でも、両腕と両足は胴体から切り離さなければならない。
そうだ。時間との勝負だ。休んでなんていられない。
美咲は昼食も取らずに、解体作業を続けた。
黙々と、淡々と、五味の死体を解体した。
いつの間にか陽は落ち、夜になっていた。
午後9時過ぎになって、美咲はようやく、ノコギリから手を離した。
五味の胴体からは頭も両腕も両足も失われていた。両足はさらに、膝から両断されていた。このサイズまで解体すれば、間違いなくキャリーバックに詰め込めるだろう。
美咲は、うつ伏せになっている五味の胴体を引っ繰り返した。股間に刺さったままのナイフを引き抜いた。
「これはまだ使うから、あんたにはあげないよ」
五味の男性器は、根元で、ほとんど皮一枚で胴体に繋がっている状態だった。
美咲はキャリーバックを寝室に持ち込み、切断した五味の体を1つずつ、ゴミ廃棄用の大きめのビニール袋に入れた。ビニール袋の口を閉じる前に、中に霧吹き状の消臭剤を何度も吹きかけた。甘く人工的な臭いが、鼻を突く。
五味の体を入れたビニール袋の口を縛り、キャリーバックに詰めた。全て詰めると、キャリーバックを閉じた。
あとは、このキャリーバックを公園の池に沈めるだけだ。
美咲は頭に巻いたタオルを取り、髪の毛をある程度整えて身支度をした。コートを着てキャリーバックを引き、家を出る。
部屋の片付けは明日にでもしよう。今日はいったん家に帰らなければならない。昨日は、友達の家に泊まると咲子に言っていたが、さすがに今日は帰らなければ、彼女を心配させてしまうだろう。
マンションから出て、五味の死体が入ったキャリーバックを引き、夜の道を歩く。
朝は晴れていたのに、今はチラチラと雪が降っている。空は、それほど曇っていなかった。月が見える。
30分ほど歩いて、公園に着いた。
真冬の夜の公園には、人などほとんどいない。道には、根雪の上に薄らと雪が積もっていて、美咲の足跡とキャリーバックの車輪の跡を残した。
池のボート乗り場に着いた。
そっと、池の上に足を乗せてみる。水面を足で押してみる。固い感触。氷が張っている。乗っても問題はなさそうだ。
凍り付いた水面に乗り、キャリーバックを引いて池の中央あたりまで進んだ。
美咲は鞄から金槌を取り出し、足下の氷を割り始めた。固い鈍い音が耳に届く。静かな夜の公園で、その音はいやに大きく聞こえた。
ポチャン、と音がして、氷の下から水が顔を出した。
洋平と一緒にボートに乗った池。楽しい思い出がある場所。
もう2度と戻らない幸せがあった場所。
だから、ここにした。
水面の周囲の氷を金槌で叩き、穴を大きくしてゆく。
気温は、マイナス5度前後、といったところか。吐く息は白い。体が震える。その反面、力一杯金槌を振り下ろしたことで、体には汗が滲んでいる。
寒さと暑さが混在する、奇妙な感覚。
氷の穴を、キャリーバックが通るほどに広げた。
穴の中にキャリーバックを落とすと、拍子抜けするほどあっさりと沈んでいった。人の体は、水に沈む。人が泳げるのは、肺に入れた空気が体を浮かせるからだ。死体が水に浮かんでくるのは、腐敗して体内にガスが溜まるからだ。
おそらく、春が来て雪が溶ける頃には、五味の死体はこの池に浮かぶだろう。自分は殺人犯として警察に捕まるだろう。
それでも構わない。洋平のいない世界で、普通に生きたいとは思わない。刑務所の中で生きることになろうが、構わない。
今はただ、洋平を奪ったクズ共を殺せればいい。
五味は殺した。1番殺したかった男。殺すだけでは飽き足らない男。
遅くとも春になる頃には、五味の死体はキャリーバックごと浮かんでくるだろう。それは分かっている。それでも、美咲は言わずにはいられなかった。
「そのまま沈んでろ。永久に上がってくるな」
私達の幸せな思い出の下で。
永久に、冷たく暗い水の底に沈んでいろ。
殺すだけでは飽き足らない。惨めで、無残な死に方をさせた。でも、それでも足りないのだ。
五味は、美咲から洋平を奪った。
だから、五味には、絶望的な死に方をさせた。絶望的な死を与えながら、同時に、彼の全てを否定し、全てを奪ってやるのだ。
美咲は、自分の下腹部に触れた。昨夜、五味の体が入ってきた、自分の下腹部。避妊はしなかった。
五味の子供を産みたいと言ったのは、美咲の本心だ。
「あんたからは、全てを奪ってやる」
命だけではない。五味が生きた証を奪ってやる。
「もし子供ができていたら、産んで、殺してやるから」
五味の子供を、名前すら付けることなく、生きたまま四肢を切り裂き、惨殺してやる。
五味の血を引く子供を殺すことで、1度だけではなく、2度、殺してやる。
五味の血を引く子供を殺すことで、彼の存在や生きた証を奪ってやる。
五味の血を引いた子供を産み、殺すことで、彼の全てを否定してやる。
「あんたの生きた痕跡は──あんたの血は、存在しているだけで重罪だ」
それは、女だからこそできる復讐。
月が空で顔を出している。
まるで、美咲を見つめるように。




